海外で発生し邦人が犠牲になった痛ましい事件を発掘します。

新婚旅行で事件に遭遇してしまったり、テロに巻き込まれてしまったり。悲劇は今日も起きています。

それらを知ることによって、身に降りかかる危険を回避しましょう。

旅行地を選ぶ際に、「風水」で吉方位を調べるのも手かもしれません。

トルコ世界遺産「奇岩群」観光で殺害---不運な日本人旅行者

景勝地「カッパドキア」は世界遺産である。この地で日本人旅行者の二人が襲われ、一人が死亡した。2013年9月9日である。被害者は新潟大学の学生、友人同士であった。トルコは親日国として有名で過去には、日本人を救出するために、戦火のフライトを敢行したトルコ航空がある。この景勝地は、比較的治安が安定しているのでトルコ旅行では人気がある。そんな場所で起きただけに各方面にショックが広がった。女性同士や女子単独の海外旅行には、絶えず危険がついて回る。といって、武装するわけにもいかない。なるべく軽装を避けて、用心するほか手がない。この点、むしろ旅行慣れしている方が危ないかも知れない。この事件は、トルコにも日本にも衝撃を与えてしまった。

グアム通り魔殺人事件---現地で身内が挙式、楽しいはずの旅行が暗転

言葉がないほどに気の毒な事件である。2013年2月12日事件は発生した。13人の日本人が被害を受け3人が死亡した。まったく、なぜ、グアムまで来て通り魔と出会わなければならないのか。遺族は、とうてい犯人を許すことはできないだろう。無関係で何の落ち度もないのに殺されたのだから。ところで、ヤフー知恵袋の質問者の中に、この事件について、グアムで挙式する人を批判する人がいたので店長は驚いた。通り魔は挙式を狙ったわけではない。ショッピングセンターにいた買い物客を刃にかけたのである。その店には、たまたま日本人旅行者が大勢いたのである。犠牲になった日本人も買い物をしていた。だから日本人を狙ったわけでもないし、挙式する人を妬んで犯行に走ったわけでもなかった。ハワイでもグアムでも、お隣のソウルでも、いや東京でさえも通り魔殺人は起きている。この質問には変な違和感を覚えてしまう。通り魔に遭遇したとき、防ぐ手立てはあるのだろうか。人混みの中で買い物をするとき、あるいは散策するときなど、変な人物はいないか、注意しながら歩くべきなのであろうか。用心するに越したことはない。

在ペルー日本大使公邸占拠事件---日本では報道されなかった「密室の蛮行」

1996年12月17日、ペルーの首都リマにある日本大使公邸は、その日早めの天皇誕生日の祝賀会で賑わっていた。午後8時ごろであった。14人のゲリラが公邸を襲ったのだ。当時の橋本内閣は「どうか、平和的解決を」と発言するばかりであった。日本政府にはどうしようもなかった。憲法の制約があり、救援機1機でさえ飛ばせないのだ。在留邦人の命、人質の命は、ペルー政府、フジモリ大統領の手の中にあった。大統領は、極秘で地下トンネルを掘削し、果敢に特殊部隊を突入させた。その結果未開放の72名は無事に救出された。日本側には事前通告はなされなかった。「どうせ何もできないくせに横やりを入れるに決まっている。秘密裡に実行しよう」大統領は、そう考えていた。実に懸命な判断ではあった。ほとんど無傷で人質の救出に成功した。日本政府はフジモリ大統領の「勇気ある決断」として手放しに称賛した。そして、後日談があった。10代主体で構成されるゲリラ組織は、全員が特殊部隊によって殺害されたと報じられていたが、3人は降伏して生きていた。ところが、反政府組織への見せしめとして、この投降したゲリラ兵士たちは、公邸前で公開処刑されたのだ。それも男二人は銃殺ではなく、蛮刀で首を刎ねられたという。彼らは3人は未成年であった。その3人のうちの一人は15歳の少女であった。その場で処刑されなかった。少女には、もっと残虐な処刑が行われたらしい。少女は他の二人の斬首を見ていて半狂乱になった。彼女は別室に連行された。そして突入部隊の兵士たちに強姦され、両手、両足を蛮刀で切り落とされて失血死したという。まだ処女だったらしい。日本では、何故かほとんど報じられていない。そして、平和ボケなどしていない、テロに悩まされる世界の、これが常態なのである。犠牲者もほとんど出さず、めでたしと思っているのは、当事者の日本人だけであったのかも知れない。

国際情勢に無知な旅行者が犠牲に---大きな代償であった自分探しの旅

イラクのテロ組織に殺害されたのは香田証生さん、当時24歳の若者である。犯行グループは小泉総理(当時)が派遣していたサマワからの自衛隊撤退を交換条件に要求した。「テロには屈しない」これが総理の答えであった。当時、日本政府はイラクには渡航しないように警告していた。香田さんは、いかにもツーリストです、といった恰好であった。うろうろしているところに目をつけられ、ありもしないアルバイト話を持ち掛けられて、ついていってしまい人質にされた。2004年10月27日、動画サイトに縛られた香田さんがメッセージを読み上げるシーンが配信された。香田さんは「どうも済みません」と謝っていた。誰に謝ったのだろうか。48時間後、覆面をしたままナイフで喉を切られて死ぬことになってしまった。ニュースを見ていた我々日本人には、どうすることもできなかった。2003年11月29日には、奥克彦駐英参事官と井上三等書記官が殺害されていた。それにしても一般に、日本では中近東情勢に無知すぎると思われる。渡航する前に最新の情勢を知るべきであった。

ブカレストの悲劇---殺されるためにルーマニアへ入国??

到着していきなり深夜の移動、不可解である。しかもルーマニアの首都ブカレストは悪化する治安に悩まされていたらしい。そんなところにたった一人で渡航するとは。犠牲になったのは、兵庫県宝塚市出身の聖心女子大生、益野友利香さん(20)である。現地で日本語を教える目的の渡航であった。しかし見知らぬ男が声をかけてきた。疑うこともなく、益野さんは後をついていきタクシーに同乗している。現地のメディアでは「想像もできない無防備な行動」と被害者を非難している。到着して、いきなり強姦・殺害されてしまった。携帯電話など所持品は盗まれ、益野さんは、山中に遺棄された。一般に日本人は東欧のことをほとんど知らない。ルーマニアのように貧しい国が多い。治安は悪い。だれが彼女に危険な一人旅をさせてしまったのか。益野さんは、どの程度のルーマニアの知識を持っていたのだろう。「平和ボケ」という言葉でかたずけられない。日本人は危機管理ができない、とよく聞く。店長もそう思う。男に従うべきではなかった。一人で渡航すべきではなかった。用心過ぎるぐらいでちょうどよいのである。ご冥福をお祈りしています。

10月17日は「YOSHIの日」---銃社会に奪われた尊い命

ルイジアナ州で不幸な事件が起きた。1992年10月17日である。この日、街では、ハローウインパーティで賑わっていた。その当時16歳の服部剛丈君は、留学中であった。訪問した家の前で住人に射殺されたのである。不幸な偶然が重なって起きた痛ましい事件であった。服部君は訪問する家を間違えていた。そして、その住人ドニー・ピアーズは妻の前夫とトラブっていた。「今度来たら殺す」と発言していたという。また服部君は2日前にコンタクトレンズを紛失していたらしい。そうして違う家に向かってしまった。ピアーズは服部君に「フリーズ!」と言って止まらせようとした。米国で暮らす人には、その意味が即座に分かっただろう。「立ち止まれ!動くな」だが服部君は、笑顔でパーティに来ました、と説明しようとした。2,3歩歩きかけたその直後であった。ピアーズが発砲したのである。服部君は出血多量で死亡した。この裁判ではピアーズは無罪になった。その一方、この事件を契機として、米国の銃社会に異議を唱える人が増えてきたのも事実である。

だが現在でも状況は変わらない。銃社会は米国の文化でもある。それは、日本人が「クジラを食べる」のと同じだ。外国人にとやかく云われる筋合いではない。服部君のご両親は現在でも、米国での銃社会に異議を唱える運動を支援している。

疑惑の銃弾から疑惑の自殺へ---疑惑にまみれた三浦和義の生涯

ロス郊外で起きた銃撃事件に巻き込まれ、妻は意識不明の重体、自らも撃たれて足を負傷した。1981年11月18日であった。そして車いすで帰国。悲劇の夫はヒーローになった。結局妻の意識は戻らずに死亡。妻の殺害は三浦が書いたシナリオで、実際には保険金詐取が目的だったとして、週刊誌が追及。当時三浦は、会社経営がうまくいかず資金的に困っていたという。三浦はこのとき1億5500万円の保険金を手にしている。「ロス郊外疑惑の銃弾」として世間の注目を浴びた。また女性遍歴なども話題になった。その後三浦は裁判で、証拠不十分で国内では無罪を勝ち取った。ところが、事件現場のロス市警では捜査が続けられていた。三浦は共謀罪の容疑でロスへ収監された。その矢先だった。ロス市警の留置施設で首を吊った。おそらく、新しい証拠が出ていたのだろう。有罪となれば、無期刑か死刑は避けられまい。観念して首を吊ったとみるのが自然である。