最近の世間を騒がせた重大事件をまとめました。

事件の背景などを社会学的に考察してみます。

「歴史に埋もれた重大事件」と被っている事件もあるかと思いますが、ご容赦をお願いします。

また、被害を防ぐ手立てはなかったのか、考えてみます。

凶悪犯であったが---報道自粛「浅草短大生刺殺事件」

その「通り魔殺人」が起きたのは、2001年4月30日であった。浅草の路地で、女子短大生が面識もない男に刺殺されるという通り魔事件が起きた。

白昼の浅草である。犯人はレッサーパンダの帽子を被っていた。目撃情報から似顔絵が描かれていて、それが犯人逮捕の決め手になった。ところが、この事件報道は一気にトーンダウンする。それは、逮捕された男は「精神障害者」だったからである。「路地で目が合った」という理由だけで短大生は殺された。男は逃げる彼女を追いかけ、押し倒して馬乗りになり、命乞いをする彼女を何度も刺したのである。明確な犯行動機がなく、防ぐことも出来なかった。本当に被害者には気の毒な事件であったと思う。

尼崎幼児虐待遺棄事件---”精神が破たん”している化け物の若い親たち

児童虐待もここまで来たのか、と嘆息せずにいられない。鬼畜の所業が尼崎で発生している。平成13年8月7日、犠牲となったのは当時6歳の恭一君であった。父親の回し蹴りが、粗相した恭一君の左側頭部を直撃した。死因は脳内出血。全身に打撲跡がみられ、左中頭蓋骨付近には血塊を生じていた。さらに驚くべき事件となる。母親の勢田知子(事件当時24歳)は、冷たくなった恭一君を尼崎の運河に遺棄したのである。恭一君への虐待は日常的に行われた。ポロシャツにカレーを付けただけで、知子は恭一君を激しく殴打した。隣家の住人は、毎晩のように繰り返される、泣き叫ぶ恭一君や親たちの怒鳴り声、汚い言葉使いに閉口していたという。素麺の方がいいと云って拒んだ恭一君の口の中に「ほなら、これを食え!」と茹でていない乾麺を押し込み、殴打して無理やり食べさせたりした。恭一君の毎日はおそらく地獄だっただろう。知子にとって紛れもない実子である。これほど惨酷な仕打ちができるものだろうか。店長には想像もできない。この事例は、「幼児虐待」というより「リンチ殺人」だと思うのである。一般に「量刑」が軽すぎると思うのは店長だけではあるまい。

奈良・月ヶ瀬村を覆った9月の冷たい濃霧---首を吊った無期囚「丘崎誠人」

その日、大分刑務所の上空は爽やかに晴れ渡っていた。平成13年9月4日午後8時頃であった。自殺したのは「丘崎誠人」(享年29歳)「浦久保充代」さん殺害で無期懲役を受け服役中であった。犯行が行われたのは、平成9年5月4日である。卓球部の大会から帰宅途中の「浦久保充代さん」当時中学2年生が忽然と姿を消した。奈良県警は、付近の三叉路で事件解決につながる充代さんの靴、タイヤのスリップ痕、クルマの塗料などを発見した。充代さんは事故に巻き込まれたと見られた。該当するクルマの所有者が特定され「丘崎誠人」が逮捕されたのである。自供によって忌まわしい事実が浮き彫りになる。それは交通事故ではなかった。強姦目的の残忍な犯行であった。しかも二人は顔見知りであった。「家まで送ってやろう」と声をかけた丘崎であったが、充代さんに無視されて逆上した。背後からクルマをぶつけ、けがをさせて山中に連れ込んだ。そして、その辺の石を拾い上げて頭部を何度も殴り絶命させた。衣服を切り取り遺体を放置した。自供通り充代さんは発見されたが、半ば白骨化していた。法廷で明らかになったのが「丘崎誠人」の悲惨な生育環境である。生家には「トイレ」さえ無かった。裏山に穴を掘って用を足した。そのため、生家は臭くて、近所の人たちは、顔をゆがめて通り過ぎたという。彼は犯行に至った理由を村の「差別」に求めていた。だが、丘崎家に対する「差別」が量刑を左右することはなかった。「丘崎誠人」は、罪の意識に苛まれ、そして生家を呪いながら首を吊ったのである。29歳の無念の生涯に自ら終止符を打った。

防ぐことが困難なD.V事件---石巻3人殺傷事件

宮城県石巻市で2010年2月に発生した殺傷事件である。この事件では男女3人が襲われ、さらに女性一人が連れ去られた。世間に衝撃が走った。犯人は18歳の少年であった。その女性は間もなく保護された。少年の交際相手であった。殺傷された3人は、その女性の姉と友人である。少年はD.Vの常習者であり、3人は犯行当日に女性に頼まれてその対策のために集まっていた。少年と連れ去られた女性の間には子供が生まれていた。女性は、度重なるD.V被害を受けていて、その都度別れと和解を繰り返していた。何度暴力を受けても、少年の元に戻っていた。そして、最悪の状況を招いてしまった。男女の仲は難しいものだが、この事件では、容易ならない「因縁」を感じるのだ。宮城県警石巻署では、被害女性から12回にも及ぶ相談や報告を受けている。だが、女性は少年の元を去ることができなかった。警察の介入などは出来なかったものと思われる。

この事件が映画「青春の殺人者」制作のきっかけに---千葉県市原で起きた両親殺害事件

長谷川和彦の第1回監督作品が、「青春の殺人者」である。これは、昭和49年に発生した、市原で起きた「両親殺害事件」がモデルになっている。日本映画で一定の評価を勝ち取った。映画ではなく、実際の事件を見ていこう。両親を殺した当時22歳の青年「佐伯順也」は、県立千葉高校を卒業している。この学校は県内屈指の進学校であった。父親は、タイヤ販売・修理業に成功して裕福な家庭であった。だが、彼は大学受験に失敗した。というより望みが高すぎたのだろう。浪人して予備校に通っていた。その傍ら家業を手伝っていた。そして、その父親が出資してくれたので、彼は「ドライブイン」の経営に乗り出したのであった。その頃「佐伯順也」は一人の女性と知り合っていた。そして「結婚したい」と願った。それを聞いて両親は猛反対をする。その相手とは”風俗嬢”であった。ここまではよくある話である。なぜ両親が反対したのか、推測の域を出ないが、その女性が、「嫁になること」が耐えられなかったのではないだろうか。「家業を継がせる」のなら、なおの事反対であった。父親の落胆と怒りは想像できるだろう。だから、父親は相手の女性をひどく侮辱した。さらには、その女性には「内縁関係の夫」がいたそうである。「よりによって」わが息子が「結婚する」という相手が「やくざもの」とは---猛反対もやむなしである。ところが「順也青年」には父親の言動が許せなかった。それは、女性の尊厳を著しく冒涜するようであり、許すことが出来ない暴言であった。「人間性を否定」されたように思ったのである。昭和49年当時は、まだ「結婚」とは当人同士の問題ではなかった。現在の状況とは異なっている。それを理解しなければならない。

先生が率先して「いじめ」ていた?---いじめ自殺を招いた未熟な教師の不覚

この事件は「いじめ」による中学2年生の自殺であった。特異なケースであり、連日ワイドショーに取り上げられ、世間に衝撃を与えている。2006年の福岡で発生した。福岡県筑前町の中学校2年生が、自宅倉庫で首を吊ったのだ。少年のポケットにはメモ用紙に書かれた「遺書」があった。「いじめが原因です---さようなら」動機などを調べてみると、驚愕する事実が浮かび上がった。単なる級友たちの「いじめ」ではなかった。なんと1年生の頃からいじめられていたという。しかも、「いじめ」ていた生徒たちには、自殺を招いてしまった「教師」が加わっていたのだ。事件後、教師は「少年は、からかい易かった」と自らの非を認めている。教師の問題発言は尋常ではなく、他の生徒に対しても問題発言を繰り返していた。この先生、そもそも「中学教師」であるより前に「社会人」として不適格だったのではあるまいか

父親が「暴君」---殺されて当然だった「板橋管理人夫婦殺害事件」

この世代の親たちには、どこか心的「欠陥」を備えていたのだろうか。それほど、「親殺し」が多発した2004年、2005年であった。なかでも、2005年に板橋にある社員寮で起きた事件は世間を驚愕させている。この事件は、背後の家族関係を理解しないと、何が何だか分からない。ところが、詳しく報じられなかった。事件を見ていこう。社員寮で爆発騒ぎがあり消防隊が駆け付けた。そこで、夫婦とみられる二人の遺体が発見された。二人は鈍器と刃物で殺されていた。その2日後に15歳の少年が犯行を認めたのであった。少年は、調理用電熱器で時限発火装置を作り社員寮を爆発させた。逮捕後、周囲の証言は一様に「普段物静かでおとなしい子」であったという。だが、それは「家族関係」を知らない周囲の感想にすぎなかったのだ。殺された父親は、少年が幼少の頃から虐待しており「自殺に関する本」を読ませたりしていた。お分かりだろうか。母親は日頃から「死にたい」が口癖だったという。この母親は、息子が自分たちに刃を向けてくることを「予感」あるいは「予見」していたのではあるまいか。少年は、事件の前日に父親から「おまえはオレと違って頭が悪い!」などと暴言を吐かれていた。信じられるだろうか。殺して見ろ、と気分を煽り立てているかのようである。真犯人は「少年」ではない。むしろ殺された父親こそ、この事件の本当の加害者ではないだろうか。多発した「親殺し」に共通点があるとすれば、被害者両親たちの心的欠陥である。

「体育会系管理社会」を生んだのは誰なのか---女子柔道界を揺るがした体罰事件

ロンドン五輪代表を含む女子柔道選手が合同でJOCに暴力行為があったと告発した。この問題は連日ワイドショーで放送された「スポ魂暴力問題」であった。

折しも大阪の市立桜宮高校バスケット部で暴力的指導を受けていた主将の生徒が自殺しており、体罰か指導かで議論百出の騒動が繰りひろげられていた。体罰教師は「小村基顧問教師」であるが、彼には裁判で実刑判決が下され、懲戒免職になっている。そして、日本女子柔道の代表監督は責任を取って辞任している。また、当時の大阪市長であった「橋本維新の会共同代表」は、その市立桜宮高校体育科の入試中止と部活動の停止を決定した。

誰に非があったのか---行政の貧困が招いたベビーシッター事

埼玉県富士見市のマンションで男児が死亡、虐待の跡があった。事件は2014年3月に発覚した。容疑者は、自称保育士(当時26歳)の「物袋勇治」である。私設託児所を運営していたが、資格はなかった。男児を預けていたのは20代のシングルマザーである。サイトでは、「母親にも非がある」という見当違いの意見が多数あった。母親は、夫と別居中で生活に困窮しており、犠牲になった2歳の男児を預けて夜のバイトに従事していた。この事件の本質は、その背後にある個人的な事情を考慮しなければ見えて来ない。もちろん、窒息死させてしまった自称保育士には、相応の罰が待っている。事件後には、無資格ではマッチングサイトに登録できないよう「行政指導」された。そもそも、私設託児所が出現したのは、公設託児所の費用がバカ高いからである。託児所を必要としているのは、ほとんどが生活困窮者なのである。誰でもが出産後にシングルマザーになるリスクがある。このリスクを失くす行政が必要だ。そうでなければ少子高齢化は進行していくばかりである。店長には、日本人がこぞって人口減少の推進に取り組んでいるかのように思ってしまうのだ。

生きたまま焼き殺す、残虐な犯行だった---三島短大生焼殺事件

この事件は、最高裁で差し戻し審議され、犯人の「服部純也」に死刑判決が下された。「絞首刑」では刑罰が優しすぎる、そう感じたのは店長の私だけではないはず。この残虐極まりない「服部純也」には、「生きたまま火炙り」の刑こそ妥当ではあるまいか。2002年1月22日午後11時頃,場所は静岡県三島市であった。面識のない、バイト帰りの女子学生を襲い、クルマに連れ込んで強姦し、翌日までクルマに監禁した。さらに縛った上に灯油を全身に浴びせライターで火をつけ焼き殺した。被害者の大学生「山根佐知子」さんに落ち度はない。ただ、声をかけられたのを無視しただけである。それに「服部純也」はむかっ腹を立てた。強姦しただけでなく、生きたまま灯油を浴びせて焼き殺すとは、人の所業とは思えない。彼は「強盗致傷」で服役していて仮出所中でもあった。だが殺人の前科はなかった。事件当時「服部純也」は30歳である。生育環境は最悪な情況であったようだ。気の毒な面もある。だが、「死刑」を回避しうる理由はなかった。深夜近くの帰宅は、家族がクルマで送り迎えするべきであった。おそらく諸外国では想像できないであろう。若い女性が、一人で夜道を往来するとは。「危険」に対しては「臆病」でありすぎても良いぐらいである。わが国においても「安全」な地域や場所などなくなってしまったのだ。

殺人鬼は隣人---犯人と被害者女性は同じ屋根の下

江東区で起きた「神隠し事件」は、犯人も、そのマンションの住人であった。2008年4月18日、江東区のマンションに住む23歳の女性会社員が行方不明になった。家族から捜索願いが出されており、警察はマンションでの聞き込み捜査を開始した。被害者の室内を詳細に調べたところ、わずかながら女性の血痕と第3者の指紋が検出された。被害女性がその後外出した形跡がないところから、警察は内部で犯行が行われたとみて慎重な捜査を進めていた。マンションはおよそ半数が空き部屋になっていた。全住民の指紋採取が執り行われた。犯人は、そのときに自分の指を薬品か何かで痛めていたため照合できなかった。被害者の遺体はなかなか発見されなかった。2度目の指紋採取が実施された。男の指は皮膚の再生が進んでいた。今度は照合されてしまった。男は「エロ・ゲーム」にどっぷりハマっていた。いつか現実の中で「女性を性奴隷」にしたいと願望するようになった。異常な犯人の名は、「星島貴徳」である。彼は岡山県出身、当時33歳、コンピューター関係の派遣社員である。

この事件は、犯人がほぼ正確に供述したこともあり、意外と早期に結審した。2009年には最高裁で「無期懲役」が確定している。

明らかになった事件の全貌。「星島」は、女性を早くから物色しており、「監禁して性の奴隷」にしようと計画していた。そして、女性の帰宅直後を襲い、部屋に侵入。騒がれたため殴りつけて気絶させ、自分の部屋に連れ込んで監禁していた。その後、捜索願が出されていて、自分の部屋にも調べに来た。発覚を恐れた「星島」は急いで女性を殺害し、遺体をバラバラに解体、細かく分けてトイレに流した。犯行後も何食わぬ顔で会社に出勤していた。マスコミの取材にも応えていた。この事件の2週間後に「秋葉原通り魔殺人事件」が起きたため、この事件の「扱い」が小さくなってしまった。(この項は「邪悪な夢・異常犯罪の心理学」とコンテンツを共有しています)

報奨金が引き上げられ、さらに期限が延期された猟奇的犯行---「島根女子大生死体遺棄事件」

地元の新聞が連日報道した世にも猟奇的犯行であった。事件は、2009年11月6日に女性の切断された頭部が山中で発見されて明るみになる。続いて胴体の1部が見つかった。胸は刃物でえぐり取られ、内臓のほとんどが取り出されていたという。例を見ない残忍さであった。被害者の女性は、当時19歳の島根県立女子大生の平岡都さんと判明する。香川県坂出市の出身であった。事件当時は、大がかりな捜査が続けられたが、手がかりはなし。平岡さんは、行方不明当日アルバイトから帰る姿が駅前で目撃されている。その後の消息は不明である。交友関係も洗われたが手がかりなし。彼女にはストーカー被害もなかった。捜査は、まったくの暗礁に乗り上げてしまったのだ。では、なぜ犯人のクルマに安やすと乗ってしまったのだろう。こちらも謎である。犯人は顔見知りかもしれないが、搜査が難行していることを考えるとそうでもないようだ。この事件、防ぐ手立てはなかったのだろうか。まず防犯ブザーは必需品である。そして、できれば単独で行動しないこと。「平岡都」さんは、純朴な性格もあって日常のトラブルもなかったという。事件に関する情報の報奨金の期限延期と増額が決められた。だが「迷宮入り」の声も出ている。(この項は「未解決事件から考える防犯対策」とコンテンツを共有しています)

何故少年は恐喝に応じたのか---中学生5,000万円恐喝事件

その総額、なんと5,400万円である。しかも犯人はほぼ同級生であった。つまり10代の悪ガキどもが長期にわたり15歳の少年から大金を脅し取っていたのだ。名古屋市緑区で事件は発生した。1999年6月21日に19万円を恐喝する。それが最初の事件である。犯行に加わった少年は3名である。彼らは少年から奪った金で豪遊したりブランド品を買い漁ったらしい。少年はすでに父親を亡くしており、姉、母親と3人家族である。しかも決して裕福な家庭ではなかった。亡父の保険金を取り崩して恐喝に応じていたという。それほど、犯人たちは暴力で被害少年を支配していた。学校側は「事件への反省点」を発表している。それを見る限り、学校を覆っている「事なかれ主義」は、想像以上に重苦しい。事件が発覚したのは、被害者親子が「被害届」を提出したからであるが、それも学校側の説得からではない。少年が3人の「悪魔」たちに殴られ肋骨を3箇所も骨折して入院した際に、病院で知り合った同じ病室の「患者」による「説得」からである。「連中の言いなりになっていてはだめだ!声を上げるべきだ」

もし、この出会いが無ければ、恐喝はさらに続いていただろう。

いじめ自殺がブームに!---「野島伸司」の洞察力

最初のトラブルは1994年である。TBSで放送されたドラマ「人間失格」であったが、もちろん「太宰治」の同名小説とは中味が違う。だが、「太宰治」の遺族からクレームが付いた。それで野島伸司はタイトルを修正している。新タイトルは「人間・失格」であった。さらにサブタイトルまで用意している。このように変更された。「人間・失格~たとえば僕が死んだら~」であった。

この野島伸司の「人間・失格」であるが、当時の世相を余すところなく盛り込み、一大センセーションを巻き起こした。彼が規定した”人間・失格者”とは、弱い者いじめをする集団をさしているものと思われる。そして自殺をほのめかす”たとえば”と発するのがいじめ犠牲者である。内容は、圧巻である。「いじめ」「教師の体罰」「同性愛」さらに「いじめられての自殺」である。当然だが、視聴者から苦情・批判が殺到したのであった。そして、主人公の中学生が自殺する展開に。ところが、放送終了後の1994年11月に実際の事件が起きたのだ。「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」である。この事件後、マスコミ報道も過熱していった。

そして”自殺ブーム”は1995年の春ごろまで続いてしまった。脚本家としては冥利につきるだろう。社会現象まで演出したのだから。(この項は「芸能界事件簿から人生を学ぶその3)とコンテンツを共有しています)

少年の凶悪犯罪が流行---2000年の節目

景気が低迷していた2000年は、企業倒産も相次いだ。世間は、少年の凶悪犯罪に揺れた。2000年12月27日であった。兵庫県御津町でタクシーが若い男女に襲われた。そして売上金を奪われる強盗事件が発生したのである。犯行は、16歳のカップルであった。彼らが強奪した金額はなんと、18,500円である。この金のために、当時49歳の運転手は、少年に刃物で首を切られて死亡したのである。少年は定時制高校中退の無職であったが、一緒に逃避行していた少女が模範的な優等生であったことから、この事件は世間に衝撃を与えたのである。少女は成績が良くスポーツもできた。そして兵庫県内有数の進学校に進んでいた。その少女が「不良」へと「進路」を変えたのは、この少年と恋人関係になってからである。彼女の両親は、娘の変わりように胸を痛めていた。だが娘は「彼氏」に嫌われたくなかった。だから「タクシー強盗する」と云われても押しとどめることができなかったようである。この2000年には、十代の凶悪犯罪が多発しており、少年少女を持つ親たちには、「どうして、何がいけなかったのか」とうとう理解できなかった。

誰でも良かった---相次いだ通り魔事件 

八王子で起きた通り魔殺人、この事件もそうだが、犯人は「誰でも良かった」と供述したのである。一連の事件報道に影響されているのか、「通り魔殺人」が流行していたのか、物騒な世の中である。事件は2008年7月22日午後9時半過ぎに発生した。現場は、京王線八王子駅ビル9階で営業していた書店であった。いきなり刃物を持った男が現れ、女性店員(大学生のバイト店員、当時22歳)と隣にいた女性客(21歳)を刺してしまう。女性店員は死亡した。彼女は卒業後の就職も決まっていた。避ける間もない一瞬の出来事であった。犯人の男は33歳の会社員。世間は驚いた。17歳の少年ではなかった。それが「誰でも良かった---人を殺したかった」と、少年のような供述を行ったからである。この年は、6月8日に「秋葉原無差別殺傷事件」が起きていた。同様の事件は、それから2ケ月の間になんと8件も起きている。

ブランド「雪印」が消えた日---ずさんな衛生管理で名門ブランド消滅

雪印乳業大阪工場で製造した乳製品によって広範囲に食中毒が発生したのは、2000年6月29日であった。被害者は、なんと10,000人を超えたのである。

記憶に新しいのが「私は寝てないんだ!」と報道陣の前で逆切れした「石川哲郎社長」の姿である。雪印側の要領を得ない釈明は二転三転し、あげくこの石川社長である。

消費者の雪印不買運動を後押しするかのような会社上層部の対応には、日本中があきれ返ったのであった。

祖父母が孫を虐待死---前代未聞の幼児虐待事件

千葉県袖ケ浦市で発生した幼児虐待は、よくあるヤングパパ・ママによる事件ではなかった。2001年4月7日に当時3歳の山本翔ちゃんが死亡した。暴行していたのは、母親、その父母(つまり翔ちゃんの祖父母にあたる)であった。翔ちゃんは父の連れ子である。だから虐待していた母親は継母である。翔ちゃんは柱に縛り付けられ、さらに殴られていたという。これは「しつけ」でも「折檻」でもない「リンチ」である。連れ子だから憎らしかったのだろうか。祖父母も、結婚にはそもそも反対していたのだろう。翔ちゃんはその家族4人から暴行されている。詳しい事情は分からない。障害を負っていた男児だったのだろうか。店長には、到底信じられない事件である。両親ではなく、おじいちゃんやおばあちゃんから暴行を受けたのだ。これがショックでなくて何だろう。何かが狂っている。どこかが狂っている。

繰り返された惨劇---舞鶴女子高生殺害事件

強姦されたと思しき衣服のない若い女性の遺体は、2008年5月7日舞鶴市の朝来川南の雑木林で発見された。遺体は7日から行方不明となっていた府立東舞鶴高校に通う15歳の生徒と判明した。後頭部、顔面に殴られた跡があり、眉間さらに鼻骨は骨折していた。強姦殺人の前科がある当時60歳の男が逮捕されたが、物証はなく、状況証拠だけであった。被害者の自宅は、遺棄された雑木林から7㌔の位置であった。裁判では、証拠不十分で無罪になっている。だが、この男は窃盗を繰り返すなど「いわくつき」の悪人である。本件とは無関係のようであるが、2001年にも、女子高生が殺害されている。防ぐことはできなかったのだろうか。いかなる理由があろうとも夜道の1人歩きは避けるべきである。安全な場所などどこにもない。それを認識すべきである。日頃から家族で話し合ってみたらどうだろうか。

自宅に防犯カメラさえあれば---八戸女子中学生殺害事件

この家の中学生が帰宅直後に殺害された。1933年10月27日、青森県八戸市で発生している。犯人はガラスを破って室内に侵入していた。心臓を鋭利な刃物で刺されて落命している。当時、まだ青森県警では、DNA鑑定を導入していなかった。捜査が長引いたのも致し方ない。室内が物色された形跡はなく、凶器も発見されなかった。事件後に現場を離れる男の目撃情報が寄せられたが、捜査は進展しなかった。殺された中学生に「殺されるべき理由」も存在しなかった。通り魔的犯行だったのだろうか。どこの地域であろうと、最低限の防犯対策を講じておきたい。

平成を演出した---「オウム真理教事件」と巨大医療過誤「薬害エイズ事件」

薬害エイズ事件とは、血友病患者の治療薬として非加熱「血液製剤」での治療が広く行われていた。その非加熱「血液製剤」にエイズ患者から提供された血液が混入しており、患者は同時に「エイズ」に感染してしまった事件である。およそ1,800人が「エイズ」に感染し、600人もの患者が命を落としている。米国では、すでにその危険性が認知されていたが、日本では「ミドリ十字」という製薬会社は販売を続けていた。認可を取り消さなかった厚生省に問題があるとして逮捕者も出ている。予見できたにも関わらずに販売続行していたのは、その双方に過失があっただろう。件の「ミドリ十字」は厚生省の重要な「天下り企業」でもあった。平成8年2月には、当時の厚生大臣「菅直人」は患者に謝罪している。また、安部英帝京大副学長が逮捕されているが、彼は公判中に死去してしまう。結局、構造的な医療過誤は、全部が解明されないまま幕引きとなった。

まるで電車内の「痴漢冤罪」---ATMコーナー誤認逮捕事件

三重県四日市市「イオン尾平店」で起きた冤罪事件は2004年2月17日に発生している。列に並んでいた68歳の男性が、すぐソバにいた男性客たちに無理やり取り押さえられた。それは「泥棒!」という女性の叫び声が発端である。その男性は駆け付けた警官によって手荒に逮捕される。そのときである。警官の一人は、男性の顔面や頭部を殴っていた。さらに20分近くも馬乗りになっていたという。男性は意識不明に陥り、搬送先の病院で息を引き取ってしまった。凶悪犯でもないのに、そこまでの逮捕劇が必要だったのだろうか。その後の監視カメラの解析などで、男性の疑いは晴れることになる。収まらないのは男性の遺族である。警察に殺されたようなものであった。裁判で警察の過失が認められるまでに、およそ7年も要している。しかも、誤認逮捕のきっかけを作った女性は行方が知れない。これは、時折耳にする、痴漢冤罪とよく似ている。「女」にはよくよく注意するべきである。

猛威を振るったネット社会---自殺ほう助ネット事件

人気を呼んだ自殺サイト「安楽死狂会」は1998年頃に登場した。女性が運営するサイトである。ふざけたハンドル名「美智子交合」を使っていたらしい。おふざけのようであるが、内容はいたって真面目で、自殺願望に悩める女性たちの駆け込み寺のように、一種の「悩み相談コミュニティ」の様相を呈していた。ところが、これが甚大な「自殺ほう助事件」を引き起こす。このサイトには、質疑応答のコーナーが設けられていて、「ドクター・キリコ」なる薬物の専門家(本職は薬剤師)が的確なアドバイスをしてくれた。事件は1998年12月12日であった。杉並区在住の24歳の女性が青酸カリを服用して自殺してしまう。薬物はこの「ドクター・キリコ」から入手したものであった。世に「ドクター・キリコ事件」として世間に衝撃を与えたのであった。まだ、ネットの普及は始まったばかりの頃である。宅配便の送り状が遺されており、警察は事情を彼から訊くために電話した。彼は驚き、「まさか---本当に飲んだんですか?---それなら私も飲みます」と云って電話が切れたという。その後、彼の自殺が行われてしまった。そのため、詳しい取り調べができなくなり、真相は分からなくなったのである。関係者の証言から「自殺ほう助の意図はなく」本当のところは、「自殺願望を緩和」するために「青酸カリ」を提供していたらしいことが明らかになった。うつ病が亢進して無気力になると、「トイレ」に立つにも億劫になるものらしい。さらに「自殺願望」が進攻すると起き上がることさえできなくなるそうである。そこに「ネット社会」である。困ったものだ。ネット社会の数奇な「心中事件」と報じた新聞報道もあった。

都内屈指の人気デートコース---井の頭公園バラバラ殺人事件

この、ドラマロケでもよく使われる公園でバラバラになった遺体が発見されたのは、1994年のことである。だが、身元の特定にさえ難航し、未解決のまま当時はまだ継続されていた時効を迎えてしまった。店長が東京にいる頃、「この公園の湖でボートに乗ったカップルは必ず破局する」といった「都市伝説」が流行っていた。この事件は不可解なことが多かった。血液が一滴も残されていなかった。指紋はすべて削り取られていた。遺棄するためだとしても、血液をすべて抜き取るためには、医学知識が必要である。実行するためには大量の水を必要とする。誰がどうやったのか、謎だけが残されたのであった。

動機を聞いて世間は呆れた---愛知県豊川市主婦刺殺事件

主婦を刺殺した犯人は高校生であった。この事件は2000年5月1日16:10頃に発生した。帰宅した筒井さんの眼に信じられない光景が広がっていた。なんとそこに血だらけで倒れている妻の無残な姿があった。「何故?妻が」すぐに通報した。筒井さんは、自宅から飛び出してくる高校生を目撃していた。襲ったのは近所の高校生である。しかも評判の優等生であったという。妻は何度も金槌で殴られていた。さらに包丁で40数回も刺されていた。襲われる理由がなかった。逮捕された高校生の供述を訊いてまったく信じられなかったのである。高校生は「人を殺してみたかった」と云った。被害者宅に侵入したのも偶発的であった。「たまたま通りかかっただけ」であったという。玄関のドアが施錠されていなかった。もし、筒井さんがカギをかけていたら彼は侵入できなかったはず。おそらく主人が戻るまで施錠の習慣はなかったのだろう。外出する時、夜にお休みになる時、間違いなく施錠していただろう。だが、筒井さんを責められない。侵入した高校生は、成績も良く評判の良い生徒であったのだから。この2000年は10代の凶悪事件が多発していた。テレビの影響も少なからずあったと云える。防犯意識が高まったのも無理はない。この少年は「高機能広汎性発達障害」と診断されている。

少年が犯した凶悪事件は2000年に多発していた---大分県一家6人殺傷事件

高校1年生による1家6人襲撃・殺傷事件は、当時多発した少年ナイフ事件の中でも異彩を放った。襲撃後に放火し、証拠隠滅さえ企てている。加害少年が襲った一家は、その家の孫と少年がバスケット部の先輩と後輩で仲もよく、家の間取りさえも良く知る仲でもあった。そもそも小さな集落であり、幾世代もお互い助け合って生きていたのである。狂気の少年が家族を執拗に追い回し、家族は懸命に逃げ惑っていたようだ。血の海になった室内の惨状が、その狂気の有様を容易に想像させた。事件のきっかけは、少年が、その家の長女の下着を何度も盗んでおり、そして風呂の覗きまで行っていたことがバレたことにある。特に厳格な父親に知られることが怖くて仕方がなかった。さらに集落に知れ渡ることを怖れたのだ。この惨劇を防ぐことはできなかっただろうか。平和な集落に突然舞い降りた不幸であった。自宅が密集していない地区であれば、なおのこと防犯対策を万全にしたい。「娘の下着がよく盗まれている」というだけでも防犯対策の必要があったのに。センサー1台でも付けてあれば---

何故無関係の母親を撲殺--- 不可解な金属バット殺人事件

岡山県南東部に位置する邑久町、2000年6月21日に金属バット襲撃事件が発生した。この2000年は、10代少年の犯罪が多発した年である。犯人は野球部所属の3年生であった。「丸刈り」が襲撃のきっかけとなった。この生徒は後輩の2年生部員4人を襲った。一人は頭蓋骨骨折の重傷を負った。甲子園大会を目指す岡山の大会、練習試合で大敗していた。そこで3年生は「丸刈り」することになる。だが犯人の3年生は「丸刈り」を嫌がっていた。それを後輩に責められたのである。「先輩はなんで丸刈りしないのですか」と問い詰められた。その腹いせであった。ところが、この少年であるが、後輩を襲撃した後に家に戻り、寝ている母親の頭を金属バットで何度も打ち据えて殺害した。まったく幼稚な身勝手な「親殺し」である。逮捕後、「母親に迷惑をかけたくない。ならば殺害してしまおう」と思ったという。世間は驚いた。母子仲は悪くなかったという。自分も死ぬつもりだったのか。彼は、母親殺害後、自転車で1,300㌔も逃避した。逮捕後の供述で、後輩から「いじめ」「嫌がらせ」を日常的に受けていたことが明らかになった。

殺された母親に「落ち度」はなかったとされる。「不憫に思い殺害」というのは、「無理心中」に通じるが、腑に落ちない。

大阪府守口市通り魔殺人事件---23歳のテロリスト

事件は2000年3月14日午後10時45分頃に発生した。供述によると、前年に京都で起きていた「小学校2年生殺害事件」を模倣した犯行であったようだ。店長は、当時守口市に住んでいた。犯行現場から極めて近い場所である。ちょうど帰宅していた頃だ。被害者は、その市道を歩いて帰宅していた会社社長(事件当時58歳)である。彼は、別の会社員などに取り押えられた。そして、「殺害は誰でもよかった。京都の事件を知って思いついた」と供述した。店長も普段に利用する市道である。その日は、たまたま帰宅時間がいつもより早かったのである。だが、殺害された会社社長は、不運にも背後から自転車に乗った男に数ヶ所を刺されたのである。夜道とも云える暗がりである。まったく見知らぬ男なのだ。防ぐことなど不可能である。この二つの犯人には、共通点があった。「大人しい性格」、「ひきこもり生活」である。望みも叶えられず、いつも「うっ屈」している。彼らは、自分の部屋でさえ「掃除」をしていなかったことだろう。「うっ屈」していくのは当然である。親が居るのなら気が付いて欲しい。そして「掃除」をさせることである。⇒姉妹サイトへどうぞ「家具や姫の通販家具店」この中に答えを用意しています。

無邪気な女子児童を部屋に招き入れて殺害--広島発「木下あいりちゃん殺害事件」

道路上に捨てられた段ボール箱の中に小学生の遺体が見つかった。2005年11月であった。場所は広島である。犯人は近所に住むペルー人の男であった。被害者の木下あいりちゃんはまだ小学1年生であった。自衛官の父親は悲痛な声で「事件をなるべく詳しく報じてください」と話された。だが、「詳しくなど」とても報道できなかった。小学校1年生の小さな身体である。殺されたあいりちゃんは、泣きながら凌辱に耐えていたらしい。発見されたとき、あいりちゃんの身体は子宮口や肛門口まで指で裂かれていた。店長もFRIDAY2006年7月14日号を読むまで凌辱の事実を知らなかった。「あいりには拷問だったでしょう。でも大声で泣けば殺されると思い---」父親の怒りと悔しさは、おそらく晴れることがない。結局、死刑宣告にはならなかった。犯人のペルー人「ホセ・マヌエル・トレスヤギ」には無期懲役が下されている。彼は、来日前にも本国で少女暴行事件を起こしている。およそ性犯罪というものは再犯率が高い。どこの国でも対応に苦慮しているようだ。あいりちゃんは犯人の住むアパートの前を往来していた。彼女は犬好きで、その犬に遭うために通学路から外れて行動していたという。憎むべき犯人は、言葉巧みに部屋に招き入れたらしい。どれだけ怖くて、どれだけ痛かったことだろう。死因は失血死である。まだ、数か月前まで幼稚園児だったのだ。この犯人には死刑こそ望ましい。ペルー人を全員死刑にしたい。そう思ったのは一人店長だけではない。何だろうこの無力感---

悔しい!中学生の自殺---広島を揺らした中学校の不祥事

地元紙に驚愕のあり得ない記事が載った。地元広島で中学生が自殺。その理由は、学校側の誤った進路指導にあったという。2015年(昨年)12月中学3年の男子生徒が自殺していた。学校側は、これを「病死」と生徒・父兄に伝えていた。だが、実際は、進路指導後に自殺したのである。成績トップクラスの生徒は、専願受験(推薦入学)を希望していた。ところが生徒のデータには事実誤認の「万引き歴」が残されていて、そのために「推薦できない」と担任に指導されていた。万引きしたのは別の生徒であり、データの修正が行われていなかったという。その誤ったデータで進路指導が行われていたのだ。学校側はミスを認めて謝罪している。報道を見て、店長もやりきれない怒りを覚えた。そして、教師たちの「事なかれ主義」は目に余る。日本人社会の「病巣」のようなものだ。「自殺」を「病死」と発表するのは、落ち度を認識していたからではあるまいか。結果的に将来ある中学生の命を奪った学校は、どのように責任を取るつもりだろう。まったくやりきれない---

大阪府羽曳野市DV男が暴発---居酒屋での惨劇

惨劇は、いまだ記憶に新しい平成22年1月12日に起きた。離婚を巡って争いになってしまったのである。なぜ居酒屋なのか。およそ話し合いには似つかわしくはない場所である。それは、その居酒屋こそ、妻の母親が経営していたからであった。激高した男(事件当時49歳)は地方公務員であった。そもそも、男は義母と折り合いが悪かった。そのため居酒屋への出入りも禁じられていたらしい。今では銃刀法で、DVを引き起こして保護命令を受けた人はライフル銃を所有することはできない。だが、この男は、改正前に所持許可を更新していた。もし、許可されていなければ、この惨劇は無かっただろう。犠牲者は、アルバイト店員23歳男性と義母66歳の二人であった。男は、妻と義母を交えて協議するつもりであった。おそらく離婚だけはしたくなかったのだろう。激高して自宅に急いで帰り、ライフル銃を持ち出した。二人を射殺し、居酒屋を出た。店の外で銃声が響いたのである。男は自殺し、この不本意な結婚生活に自分でケリを付けた。この事件は防ぐことができたと思う。まず、協議の場所であるが、「酒類」は言語道断。さらに、第三者を立てるべきであった。犠牲者が出てからでは遅いのだが、やりきれない顛末であった。

罪もない小学生が次々標的に---犯人は死刑願望の狂人

「わが犯罪史上例を見ない、空前のそして願わくば絶後の、凶悪重大事犯である」そう大阪地裁に断じられたのは、「宅間守」事件当時37歳の無職の男であった。名門国立小学校・大阪教育大学付属池田小学校で児童襲撃事件が発生したのは、2001年6月8日であった。児童8人が死亡、教師2人を含む15人が重軽傷を負った。「宅間守」は謝罪の一言もなく、反省や申し訳ない気持ちは無い、と法廷で云い放った。頭のいかれた男、そう形容する以外には、店長は言葉もない。死刑確定から1年足らずで刑が執行された。宅間は死刑を望み、それを成すために重大事件を起こした。死刑制度が犯罪を誘発した稀有な例であった。「宅間守池田小襲撃事件」は「脳が惹き起す重大犯罪」にも記事を掲載しています。彼は、前頭葉に損傷があったとされる。十分な検証もないまま死刑が執行された。今や、小学校にも部外者を入れないための「警備員」や「監視カメラ」を配置する物騒な時代になったのだろうか。その後、池田小は事件のあった校舎を解体し、新規に建て替えを行った。

防ぐこともできなかった気の毒なテロ事件---第1通報者河野さんの悲劇

オウム真理教の事件は数知れず。この「松本サリン事件」も忘れられないテロ事件である。恐るべきカルト集団であったが、まだ事件当時は、これがオウムによる「毒薬サリン」を使った犯行とは特定されなかった。気の毒だったのは、通報した「河野義行」さんである。疑われたばかりでなく、被害に遭った妻が意識不明の重体となってしまった。

その後意識が戻らぬまま、介護のかいもなく死亡した。やがて、この信仰集団が世にも恐ろしいカルト集団であることも判明するのである。彼らの標的は、「長野地裁松本支部の官舎」であった。1995年6月27日である。実行犯は、後に刺殺された村井であった。死者8人、重軽傷者660人を出している。「河野義行」さんを犯人扱いしたマスコミの報道姿勢が、世間から非難を浴びたのは記憶に新しい。

貸した金の返済を要求して殺害される---理不尽な不幸

この驚愕の猟奇犯罪には、いくつかの教訓を学ぶことができる。しばらく「カレー」を食べたくない。そう思った人が多かった猟奇事件である。だが、よく考えると、単純な犯罪である。遺体が発見されなければ、そもそも犯罪として立件されない。なら消してしまう。殺害動機は、被害者が飲食店を経営していて現金を持っていることにあった。元甲子園球児の島岡丞(当時34歳)は、その金の収奪を思いついた。島岡は、浅草で飲食業を営む知人に、架空の投資話を持ちかけた。被害男性はその儲け話に乗ってしまい、島岡に2,000万円を預けたのだ。返済期限を設けていたのは、男性は借金したのかもしれなかった。1年後、約束期日がやってきた。催促も空しくお金を返してもらえない。当然である。騙し取られたのであるからだ。島岡は友人二人と共謀していた。驚愕の殺人事件は、2012年10月4日に発覚した。三人で男性を殺害し、冷凍倉庫にいったん保管し、遺体をハンマーで細かく砕いた。さらに匂いを消すためにカレーで煮込んだのであった。食べるためではなかった。表面的には、奇怪な犯行だが、そうではないようである。ただ遺体が発見されないように処置しただけである。教訓としては、儲け話に乗らないことである。お金を貸すのであれば、戻って来なくてもよいと思うことだ。ドブに捨ててもよいお金などは誰にも無いものだが、貸した以上は、諦めてもよい金にすべきである。

この事件の報道に際しては、犯人の島岡が”元甲子園球児”で、スカウトが注目する逸材であったことを大きな見出しにした。被害者の経営する「飲食店」とは、いかなる業種なのか。店長は「風俗関係」ではないかと睨んでいる。そう考えればさらに事件は単純になる。

板橋資産家夫婦殺人事件---スーパーナンペイ事件との奇妙な類似点

板橋区の旧家から出火、焼け跡からこの家の夫婦と見られる二人の惨殺遺体が発見された。頭を鈍器で殴られ胸や腹を刃物で刺されていた。殺害された夫婦は資産家として有名であった。強盗犯は、この家に火を放って彼らの物証を葬っている。残忍な手口は、未解決の「スーパーナンペイ」事件を思わせる。殺害されたご夫婦は地元板橋の資産家であった。この板橋区であるが、池袋から数分であり、ベッドタウンとして注目された。そして高度成長時代頃から急速に都市化が進んだ。殺された「瀬田」さんは、多くの土地を保有していて、たっぷり現金を持っていると噂になっていたらしい。夕方になると瀬田さん夫婦は、カラオケ店に出入りしていたという。瀬田さんの自宅では、防犯対策はしっかりなされていたのだろうか。万全であれば犯行グループの侵入はなかっただろう。昨今、不法滞在する外国人も多い。備えは万全にしたいものだ。せめて監視カメラを付けてほしい。外出先からスマホで監視もできるのである。有名な資産家でなくても重要である。

刑務所で知り合い犯行計画---残忍な強盗殺害

マブチモーター社長妻子が無残な姿で発見されたのは、2002年8月5日である。当時社長宅は千葉県松戸市にあった。火の手が上がり消防が駆け付けて、鎮火したのだが、焼け跡で見つかったのは、目や口を粘着テープでふさがれた二人の絞殺遺体であった。行方不明であった社長夫人と長女である。他にも犯人たちは、強盗殺人を犯していた。彼らの自供によって、この強盗殺人事件は解決した。我孫子市の金券ショップ、目黒区の歯科医師宅を襲って殺害している。犯人たちは刑務所で知り合い、次の強盗殺害を計画したのである。刑務所が謀議の場所では困るのだが、囚人同士の会話を封じるわけにもいかない。なんとかならないものだろうか。”マブチモーター”は模型に使う小型モーターのメーカーで、店長も子供時代から愛着を持っていた。被害者家族と犯人たちに接点などなかったのである。防犯をしっかりと行っていたのだろうか。社会では、社長宅は、お金持ちと認識されていただろう。防犯カメラ、センサーライト、踏めばうるさい砂利など、防犯対策は万全だったのだろうか。

わが国では成功したためしがない「営利誘拐」---だが繰り返される

被害にあった「甲府信金」の取返しのできない判断ミスである。1993年8月10日である。「甲府信金本店」に「山梨日日新聞記者」を名乗る男から「女子行員」を取材したいと電話が入った。信金では裏も取らずに信用してしまった。そして19歳の女子行員が一人で指定された場所に向かった。それきり彼女は還って来なかった。犯人「宮川豊」は、その日のうちに行員を殺害した。そして身代金を要求してきたのであった。「甲府信金」が誘拐事件だとわかった時、女子行員はすでに殺害されていた。この悪辣な犯行を防ぐことはできなかっただろうか。なぜすぐに信用してしまったのだろう。取材に一人で来させる、その要請がそもそも怪しいと思う。普通、金融機関の取材であれば、その上司が同席するのではあるまいか。一人の女子行員に、いったい何を取材するというのか。モデル雑誌ではあるまいに。それもまったく裏も取っていない。迂闊であった。誰かが同行していれば事件は起きなかった可能性が大きい。どこにでも危険な罠が潜んでいるものだ。物騒であるが、それが世間というものである。

無関係なのに従業員5人が犠牲に---武富士放火殺人事件の悲劇

顧客でもない破産した男が乗り込み放火。あっという間に店内は炎に包まれ、武富士弘前支店の従業員5人が焼け死んでしまった。2001年5月8日であった。犯人の小林光弘は、真面目なタクシー運転手であった。彼は多額の借金に苦しんでいた。小林はガソリンを持ち込み「金を出せ!火を付けるぞ!」と叫んだ。だが、銀行と違って現金など用意できない。当然、店長に拒絶される。小林は、頭に血が昇っており、正常な判断ができなくなっていた。そして、自分自身が何をやっているのか、もう分からなくなっていた。ガソリンの火の回りは予想以上に早いもので、店内は火と煙に包まれてどうにも対処できなかった。小林には死刑が宣告された。気の毒であるが、小林は、遊興やギャンブルで借金を積み重ねたわけではなかった。本来、真面目な人物である。小林は仲人を引き受けてくれていた知人の主婦に、「お金を用立ててほしい、すぐに返すから」と請われて応じてしまった。しかも、その時に初めて「サラ金」から借りたのである。だが、ここから小林の転落が始まるのである。主婦からは、いつまで経っても返済はなかった。やがて、小林も追い詰められていく。借金を重ねていくのだ。そうこうしているうちに、彼は驚愕のニュースに接する。例の主婦が、自殺してしまったのだ。主婦は小林以外からも多額の借金を繰り返していた。小林は途方に暮れる。「金融会社を襲う」小林の心にいつしか悪魔が住み着いていた。小林は自覚がないままに5名の命を奪ってしまう。少し冷静になれば、なにか健全な解決策があったはずである。小林光弘、自覚がないまま死刑を待つ身である。

誰にも理解不能---動機は単純のように思われた

この事件も世間に衝撃を与えたが、誰にもそれを理解できなかった。「佐世保小六同級生殺害事件」である。事件は2004年6月1日に起きた。佐世保市立大久保小学校での不可解な殺害事件が起きたのだ。六年生の児童が、同級生を座らせて、カッターナイフでその背後から頸動脈を切ったのであった。殺害動機は希薄なものであったという。小さな言葉のやり取りにすぎなかったらしい。それがどうして殺害という結末を招いてしまったのだろう。大人たちの想像を遥かに超えていた。二人は仲がいいと見られていた。少しぐらい喧嘩になっても、殺害までには相当な距離が必要である。だがこの少女は一目散に殺害に向かってしまった。女児は、二日前には殺害計画を立てている。父親が脳こうそくで倒れ、生計は母親がパートで支えていた。決して裕福ではなかったが、家庭に問題はなかった。女児は頭がよく、また、美人の顔立ちであった。はきはきと物事をはっきりしゃべる性格と見られていた。ただ女児が気に入って繰り返し見ていた映画がある。「バトルロワイヤルⅡ」である。かなりハマっていたらしく、ストーリーを真似て小説らしき物語を自分のノートに書いている。しかしこの映画が女児に与えた影響など、殺害を説明するほどの説得力はないだろう。女児は84日間もの異例の精神鑑定を受けるにいたった。だが、世の中にいくらでもいる普通の少女であるという結論を導いたに過ぎない。 犯行の二日後に、長崎少年鑑別所で、弁護士に「なんでこんなことをしたのかなあ。同級生に会って謝りたい」と云ったそうである。弁護士は驚いた。女児は、人の命を奪ったことを理解できていないようであったからである。その後女児は栃木県にある児童自立支援施設で、人格形成教育を受けたという。「神のみぞ知る」という言葉がある。おそらく女児の「心の闇」は、神にしか理解できないに違いない。

悪徳豊田商事会長刺殺---テレビカメラが捉えた血の制裁

豊田商事という詐欺会社が、全国の高齢者に売りつけたのが「純金ファミリー証券」であった。「金地金の売買契約」を結び、「金の延べ棒」の代わりいつまでも紙切れのままの「証券」と称するペーパーを渡していた。現物の金塊の裏付けなどハナッから無い「ペーパー商法」である。驚くなかれ、全国の被害者総数はなんと6万人にも上った。その被害総額は、1500億円とも2000億円とも云われた。その詐欺会社をまとめ上げていたのが「永野一男(当時32歳)」である。騙し取られたお金のほとんどが、大切な老後資金であった。1985年6月18日、その日も、大阪市北区にある永野のマンションに、多くの報道陣が駆け付けていた。その最中に、強引に侵入した二人組によって永野は殺害された。だが、世間に同情する人は誰もいなかった。その日まで、連日ワイドショーにこの詐欺商法が取り上げられていたからである。殺害犯が侵入する様子、惨殺後のインタビューなどが生々しく報道された。豊田商事は倒産した。永野一男死亡のために全容解明は不可能となってしまった。昨今の「オレオレ詐欺」は、お年寄りをターゲットにするものであるが、この「豊田商事」は、その元祖でもあった。被害者のお年寄りたちは、「どうして---?」と、残念がる家族の息子や娘たちに「豊田商事のセールスマンの方が、おまえたちよりよっぽど親切だったよ」と答えていたのである。さまざまな「社会のきしみ」を痛感させる「詐欺事件」でもあった。

積年の近隣トラブル---殺害に発展

この銃刀法改正の契機になった事件が起きたのは2002年7月4日であった。栃木県宇都宮市での事件である。定年退職した60歳男性が20年続いた「近隣トラブル」にケリを付けた。それも、散弾銃で隣家の主婦を撃ち殺すという最悪の方法であった。止めに入った主婦の妹も撃たれて重傷を負ったのである。被害者の布団をたたく音がうるさ過ぎるといっては口論になっていた。この男は音声に過敏で気の小さい性格だったのだろう。男は塀を築くと、主婦側では監視カメラを設置するなど燐家トラブルは絶えなかった。

男の庭に犬のフンが投げ込まれ、男は威嚇発砲していた。この男は、主婦姉妹を殺害後に自殺したのである。事件の2年後、殺された主婦の遺族は、栃木県相手に、「本来許可を与えてはいけない人物に所持許可を与えたのは公安委員会の重大な過失として訴訟を起こしている。2007年に栃木県側は全面敗訴した。

携帯サイト連続殺人---危険な出会い系

この出会い系は、一時世間の話題を集めていた。その頃2007年、熊本県の山中で白骨遺体が発見された。当時25歳の女性であった。県警が通話履歴を調べたところ、一人の容疑者が浮かび上がった。浜田政二郎、風俗店従業員であるが、なんと彼は別の殺人事件で服役中であったのだ。2006年7月、携帯で知り合った当時24歳の女性を絞殺し、懲役16年の刑をうけていた。調べで浜田は犯行を自供した。携帯出会いサイトを介在した連続殺人であった。この頃から犯罪が様変わりしている。本来、遠方同士で出会うはずもない男女が気軽に逢ってしまう。そもそも接点がない。共通の紹介者がいない場合、その出会いには、大きい危険が伴う。ところが簡単に初対面の男のクルマに乗ってしまう。個別に出会うのは避けるべきである。突然・強引な拉致は避けられないかも知れないが、犯罪に繋がるかも知れない出会いは、必ず避けることができる。交際相手を探すためであるが、方法はいくらでもある。気軽に出会い系を利用すべきではない。

従業員が性犯罪---さらには食中毒事件

「ペッパーランチ」が食中毒事件を起こしたのは、2009年8月23日であった。場所は山口県のSA内店舗である。4名が腹痛や下痢を訴えて2名が入院した。出血性大腸菌O-157による食中毒であった。「ペッパーランチ」は直営店とフランチャイズ店を合わせると150店舗以上を展開しており、アジア各国にも店舗がある。外食産業の大手である。ところでこの「ペッパーランチ」であるが、2007年5月9日に、大阪心斎橋店で、店長と従業員による、女性客に対する強姦事件が起きている。信じられるだろうか。その手口も信じられない。その日のお客さんは、被害にあった女性一人だけだったのだろうか。彼女は、スタンガンで脅され店内に拉致・監禁された。そして睡眠薬を飲まされて強姦されている。被害女性に何か落ち度があったのだろうか。料理にクレームを付けられて、やくざな店長が頭にきたとか。何かあったのではないかとみる。理由もなく女性客を襲うとは、およそ常識では考えられないのだ。

佐世保スポーツクラブ散弾銃乱射事件---無職でも散弾銃所持許可の不思議

昔の人は「狂人に刃物」と云ったものである。最近では「狂人に散弾銃」という。犯人は当時37歳無職で、借金まで抱えていた。仕事をしろよ!と罵声をあびせたくなる。押し入ったのは佐世保のスポーツクラブ「ルネサンス」であった。2007年12月14日の午後7時すぎである。殺されたのは、当時26歳の女性インストラクターと、男を止めようとした36歳男性である。犯人の男は女性に一方的に恋慕していたとも報じられている。制止しようとした被害者男性は犯人の友人であった。男は迷彩服を着ていて軍用マスクを着けていた。近所では奇行も目撃されており、精神疾患の疑いもあるようであった。事件で2名が殺され、男女6名がけがをした。その後犯人は現場から逃走した。その翌日、犯人が信仰していたとされる教会の駐車場で自殺していた。店長は、会社員がこのような事件を起こしていることを聞いたことがない。犯人はたいてい無職か失業者である。つまり「暇な人」だ。「小人閑居して不善を成す」という。「暇」であることがそもそも犯罪ではないのか。こんなザマの男に付いてきてくれる女性はいない。大金持ちなら別であるが。夢も希望もない。仕事もお金もない。時間だけが無駄に過ぎていく。死にたいなら自分だけで死ねよ!家族、友人や知人巻き込むな。まして関係の無い子供たちを巻き込むな!さらに、こんな男に猟銃所持許可が与えられるとは。本件は、行政の怠慢が招いた事件ではないだろうか。

男女の出会いの場---しかし風俗は、健全に出会う場所ではない

東京池袋のラブホテルで女子大生(当時22歳)の遺体が発見された。2010年9月であった。逮捕されたのは、紺野正美(当時27歳)、無職の男であった。きっかけは池袋「出会いカフェ」であった。大学生が厚遇されるアルバイト、それが風俗である。アルバイトなら他に健全な職種がいくらでもある。出会うべきではない男に出会ってしまった。それを「運命」というなかれ。彼女は何故殺されたのだろうか。どこでも殺人被害者になるのだ。それを自覚して行動してもらいたいものである。女子大生は「出会いカフェ」で話を付けラブホテルへ向かった。ホテルで何があったのか。紺野は、入浴中に財布から現金を被害者に抜き取られたと主張した。真偽は不明だ。あるいは言葉のやり取りで言い争いに発展してしまったのか。紺野は犯行後に自首している。悪い人物でも無さそうであった。性的欲望は「罪」ではない。だが、発揮すべき場所を間違えると、それは犯罪になる。池袋は新宿と並んで犯罪が起きる街である。店長は幾度となく飲みに出かけたのでよく知っている。自首してこなければ、犯人は容易に見つからなかっただろう。

一番危険な存在、それが家族---17歳の息子が母親を殺害する不可解

この不可解な事件が起きたのは2007年であった。場所は会津若松である。一人の少年が、警察署にバッグを手に出頭してきた。彼は「母を殺しました」確かにそう告げたのであった。2007年5月15日未明である。福島県の県立高校に通う3年生である。この少年は、就寝中の母親を刺殺した。さらに用意してあったのこぎりで首を切断した。その首をバッグに詰めて家を出たという。彼はネットカフェに一泊し翌日警察署へ向かったのである。取り調べでは「誰でもいいから人を殺してみたかった」と述べたという。さて、どこかで聞いたことがセリフである。「誰でもよい、殺してみたかった」である。何だろうか、この不可解な動機。「17歳」を重苦しく襲うこの閉塞感。戦後は、「道徳教育」は戦争に繋がる「誤った思想」だとされ遠ざけられた。そのつけでも回ってきたのだろうか。人の命は、「神様」が宿る神聖不可侵なもの、この道徳観念を教えることが悪いことだろうか。店長は「17歳」の事件が起きるたびに考えるのである。

二級障害者の少年をいじめ殺害---加害少年に未来が必要なのか

青木悠君リンチ殺害事件、2001年3月31日に滋賀県で発生した。当時16歳の青木君が、全日制高校に進学するということを妬んだ顔見知りの二人の少年が、青木君を凄惨なリンチにかけ殺してしまった。まったく理不尽な暴力行為である。加害少年に未来が必要であろうか。疑問に思うのだ。「障害者のくせに生意気な!」などと云っては殴りつけたのであった。彼ら少年二人は人間ではない。鬼である。人の顔はしているが、けだものである。彼らに更生の機会などが必要だろうか。なんと、2年ほどで少年院を出所している。店長が遺族であれば彼らを到底許すことができない。少年法は何のために、誰のためにあるのだろうか。はなはだ疑問である。およそ義務教育を終えているなら、その加害者を保護すべきではない、と思うのである。

死刑制度が犯罪を誘発?---土浦連続殺傷事件

茨城県土浦市で起きた通り魔事件も忘れてはならない事件である。2006年3月19日であった。当時24歳のニートが刃物で近所の男性(当時72歳)を殺害した。さらに、その4日後、JR常磐線荒川沖駅付近で通行人にナイフで襲い掛かった。襲撃されたのは8人である。その犯行で1人が死亡した。世間に衝撃が走ったのは、逮捕後の彼の供述であった。曰く「人を殺すのは蚊を殺すのと変わらない」「死刑を望んでいる」である。世の中には、このような甘ったれたやつも多い。「自殺願望」が通り魔的犯行に結びついている例であった。死にたければ青木ヶ原の樹海にでも行って勝手に死んでもらいたいものだ。「俺様に仕事がないのは、この社会が悪いからだ」とでも云いそうである。おそらく云うであろう。このような凶気から身を守る方法はないだろうか。いついかなる場所であっても、常に用心する他はない。

犯人射殺の瞬間---瀬戸内シージャック事件--放映され世間に衝撃

こちらは1970年の事件である。警官への傷害事件で逃走中の「川藤展久」は、武装して5月12日に、広島宇品港で停泊中の旅客船「ぷりんす号」を乗っ取ったのである。彼は岡山県出身であった。そして警察や取材陣に向けてたびたび発砲した。説得に協力していた親族にも発砲した。これを見て警察は、人質救出のため犯人の射殺命令を発令する。翌日、犯人を狙撃、銃弾命中。その模様がテレビ放送されて、世間に衝撃が走った。わが国初のシージャック事件であった。事件後、県警は、犯人射殺に関して一般から非難された。しかし、店長は、「責められるべきは犯人であって県警ではない、射殺は当然であった」と考えている。この点では、世間感情が非常識であるし、またズレていると思っている。

誰でも良かった---二度と聞きたくない犯行動機

誰でも良いのなら、自分でも殺せよ!と云った事件が相次いでいたころ、店長の身近でその事件が起きていた。2008年3月25日であった。場所はJR岡山駅山陽本線ホームである。岡山市職員の男性(当時38歳)が線路に突き落とされてしまった。男性は電車に轢かれて死亡。犯人は、男性と面識もない大阪府出身、18歳の少年であった。この理不尽な殺人、誰もが利用するごく日常的な場所で行われた、意味もない無差別な殺人に、世間は恐怖した。そして店長もである。なぜなら店長は、その1時間ほど前まで、岡山駅の同じホームにいたのである。福山にある本社から、その日は電車で岡山へ営業に回り、その帰り路であった。被害に遭われた方には、深く同情したい。このような事件を防ぐ方法はないのであろうか。突き落とされなくても、突然の体調不良でホーム下に転落することもある。駅のホームは危険地帯である。そのことを常に考えておきたいものである。店長は、東京で営業していたので、都内の地下鉄やJRはよく利用した。電車を待つときにはなるべくホームの先頭に立たないようにしていた。注意するに越したことはない。

少し古いが発掘する、中学で起きた惨劇---キムタクに憧れたバタフライナイフ

驚愕の事件は、1998年1月に栃木県黒磯市の中学校で起きた。学校内で女性教師(当時26歳)が男子生徒に刺殺されたのである。理由は、単純なものだった。その生徒が授業に遅れたので、教師はその生徒を叱っていたのだ。どこの中学でも見られる日常的な光景であったはず。ところが、この真面目な生徒は違っていた。彼は、ドラマ「ギフト」のキムタク演じる記憶喪失の青年に憧れていた。しかもドラマのように「バタフライナイフ」を所持していた。どのような場面で教師は生徒を叱ったのかは分からないが、これこそ凶行に及んだ原因があると思われる。普段の生徒は「真面目で大人しかった」そうである。おそらく、店長が思うに、生徒は「恥をかいた」と思ったのではないだろうか。不幸にも、生徒には「言葉では教師に勝てない」とも思い、実はナイフがあることを思い出してしまった。もう抑えることができなかった。ドラマのようにやるだけだ。生徒は取り調べで、「ドラマの主人公(キムタク)が、かっこよかったjから」と供述している。この事件が起きる前には、全国で少年による「バタフライナイフ」事件が頻発しており、直前には、警視庁が全国に「販売自粛」を求めていた。このドラマは、当時のキムタクの名演技が光っているが、残念ながらDVD化されなかった。もちろん、中学生の教師殺害事件は、木村拓哉のせいではない。だが、あまりの影響の大きさに驚いたフジテレビは、放送の打ち切りを発表したのであった。

類を見ない犯行動機---不可解なハイジャック事件

全日空ハイジャック事件が起きたのは1999年である。7月23日午前11時20分に羽田空港を離陸。乗員乗客517人が恐怖に怯えることになる。この犯人、飛行機を操縦させろと喚き、コクピット内に刃物を持って侵入、機長を殺害した。男は自動操縦を解除して、数分間航空機を操縦した。機は急激に降下しあわや墜落寸前であった。異変に乗客や乗員が協力してコクピットに入り男を取り押さえた。副操縦士が懸命に機体を立て直し事なきを得た。犯人の男は、一橋大卒業の秀才、犯行動機は航空機の操縦であった。彼は航空会社への就職を夢見ていた。羽田空港の警備上の不備なども調べ上げていたという。ところが入社できなかった。さらに改善点を指摘した意見書まで送り付けていたが、まったく相手にされなかった。普通に考えると当然である。だが、この航空機マニアはブチ切れてしまった。彼の心を理不尽な復讐心が支配した。世界でも稀有なハイジャック事件は、こうして幕を開けたのであった。航空機ハイジャックは、量刑では、死刑か無期懲役である。男は機長を殺害している。ただし、精神疾患が認められていれば無期懲役刑になる。503名の乗客は、恐怖に蒼ざめたことであろう。こんな突発的事件に遭遇すれば、もう逃げる方法がない。無事に着陸するように祈るしかない。

煩悩に負けた「みのりフーズ」の罪---愛知県で発覚、廃棄食材不正流通事件

カレーハウスCoCo一番屋の廃棄食材をタダで仕入れ、横流しをしていた「ダイコー」が摘発され捜査が行われている。横流し食材は、なんと108品目が発覚している。店長は、108という数字に驚いた。人間には108の煩悩があるとされる、除夜の鐘を思い出した。つまり、この悪質業者は煩悩に負けてしまったということか。不正流通は、大手コンビニなど今後どこまで拡大するか分からない。この「ダイコー」と「みのりフーズ」は倒産するだろう。気の毒なのは、そこで働いている従業員である。発覚は内部告発だろうか。店長は思った。「その手があったか」と。

濡れ手に粟である。手数料まで付けてもらい廃棄食材をタダで仕入れる。なかには「まだ食える」ものまである。もったいない、と考える。「処分品とは隠して転売しよう」という邪な考えに支配される。悪魔の誘い、すなわち人の煩悩である。人の心とはかくも弱い。

悲嘆にくれる両親から7,000万円を詐取---吉川友梨ちゃん誘拐事件

大阪府泉南郡熊取町で、吉川友梨ちゃん(小学4年生)が自宅近くで突然居なくなったのは、2003年5月20日のことであった。その日、夕刻になっても友梨ちゃんが帰ってこないので、家族は知人らと付近を捜索した。事件当日、不審車両があっことが分かっているが、事件との関連が不明のままである。交通事故の可能性もあり、その面でも捜査されたが何も出てこなかった。そして、悪質な現金詐取事件が起きたのは、2004年である。友梨ちゃんの居場所を知っているという男女が現れたのだ。この男女は友梨ちゃんを救い出すという名目で、なんと総額7,000万円あまりを家族から騙し取ったのだ。この男女を追及しても、友梨ちゃんの消息はつかめなかったそうである。男女は懲役9年の判決が下されている。

徳島・父子殺害事件---「おい、小池!」と呼ばれた極悪人

この警察の思い切ったポスターを1度は目にした事があるだろう。世話になった人と障害者である息子を惨殺し金銭を強奪して逃亡したのである。この「おい、小池!」のコピーに捜査当局の怒りが込められている。事件は2001年4月20日に徳島市で発生した。容疑者を小池俊一という。被害者の父と子は別の場所で惨殺され、さらに遺体は燃やされていた。殺された父親は、妻を亡くしてから傷害を持つ息子と暮らしていた。息子が困らないようにと、退職金には手を付けず、倹約に倹約を重ね、通帳には4,000万円の貯金があった。小池はそれを知っていたらしい。二人が出会ったのは市内のパチンコ店である。言葉巧みにつけ入り、お金まで借りていた。そして、返済を求められたときに殺意が芽生えてしまった。「殺して貯金を奪う」小池の心に邪悪な思いが宿ってしまう。最初に父親を殺して通帳と印鑑を奪い、さらに障害者の息子を殺してしまう。警察は、父子の交友関係を調べるうちに小池俊一にたどり着く。小池は指名手配された。この惨劇であるが、防ぐことはできなかっただろうか。徳島の被害者の場合、妻の死よりも「定年退職」がキーを握る。一般に、会社人間であった人が定年退職を迎えると、社会性という絆が立たれ、寂寥感に包まれると云われる。そこで心を埋めようとするためにパチンコやギャンブルで気分を紛らわせようとする。その隙間に、小池のような男が現れるのではないだろうか。友人を作るのなら、ボランティア団体などにすればよかった。そのほうが、はるかに建設的であっただろうに。

英国人の美人英会話講師殺害---犯人は裕福なお坊ちゃん

ベランダの浴槽で英国人女性が遺体で発見されたのは、2007年3月26日であった。リンゼイさん(当時22歳)は来日してわずか半年であった。彼女は米国留学の夢があり、その資金作りが目的の来日であった。将来を約束した恋人が、まもなく追って来日するはずであった。ロンドン郊外に実家があった。父親は「日本は安全な国と聞いていた」だから日本に行くことを許したという。リンゼイさんは全裸で殺されていた。首の骨が折れていた。手足をビニールの紐で縛られていた。警察は、無職の市橋達也容疑者を取り逃がしてしまう。英国から被害女性リンゼイさんの家族が来日した。そして犯人の早期逮捕を涙ながらに訴えたのであった。市橋は行方をくらましていた。どこに潜んでいるのか、生きているのかさえ分からなかった。市橋はリンゼイさんの存在をネットか何かで知り、待ち伏せをして個人レッスンを頼み込んだ。岐阜県の医師を両親に持ち裕福な家庭に育った。市橋は、勉強もスポーツもなんでも平均以上にできたという。身長は180cmもあった。ただし、彼は外国人に必要以上に執着したらしい。彼は、甘やかされて育ち、なんでも思い通りにできる、と思っていた。おそらく、ここから店長の妄想であるが、市橋は被害者に、恋人になってくれと迫ったのではあるまいか。被害女性のリンゼイさんは「この男、頭がおかしいのでは?」と思っただろう。たぶん、市橋は強烈な言葉でなじられたであろう。そして彼は怒りにふれ殺してしまった。市橋は整形までして逃亡をはかっていたが、ついに沖縄行のフェリー乗り場で逮捕された。

致死量13,000人分---もう一つの地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件から一カ月半が過ぎたごろ。新宿地下街の丸の内線改札口前で再び騒ぎが起きた。青酸ガスの自動的な発生装置が何者かによって仕組まれ、地下鉄駅のそばのトイレにセットされていたのだ。もう少し不幸な偶然が重なっていれば、さきに起きた「地下鉄サリン事件」を上回るほどの大惨事に発展したかも知れなかった。ここも、店長は仕事でよく利用していたのだ。つい2日前にもこのトイレを使ったのである。自分の運の良さに感謝した。今度も助かった---危ないところだった。と店長はため息をついた。やはり理系秀才が大勢いるとやることが違う。店長の知り合いに、高校時代に「オウムの故村井幹部」と同級生だったという人がいた。数学は天才的にできるので、先生が「村井、これで間違いないか?」と授業中にたびたび訊くほどだったそうである。何故、理系秀才がこれほど多く脅威のカルトにさらわれてしまったのか。閉塞感があったのはいつの世でも同じである。

日本中を恐怖に陥れた猛毒「サリン」---オウム真理教はカルト集団だった

オウム真理教による一連の事件は、日本中を恐慌に陥れた。なかでも「地下鉄サリン事件」は、それまで世界に例がない恐怖のテロ事件であった。1995年3月30日午前8時の朝の通勤時間帯である。霞が関官庁街に向かう地下鉄の乗客は、いつもと変わらぬ景色に溶け込んでいく---はずであった。「猛毒サリン」が撒かれるまでは。店長は、この日は法務省営繕部へ見積書を届ける予定であった。昼前に届けるつもりで会社を出ていた。この日、早く新橋駅に着いたので霞が関まで歩くことにした。当時はまだ携帯電話は普及していなかった。ポケベルである。ベルが鳴ったので公衆電話を探した。会社に電話すると、「地下鉄に乗るな」という。「新橋から徒歩で法務省に行く」と電話の主に返事した。霞が関では、大騒ぎになっていた。何人か犠牲者が出たようであった。その日、店長は法務省には入ることができなかった。事件発生は、村井幹部(後に刺殺された)の指示で実行に移された。計画も彼が練ったものらしかった。犯行時間が遅ければ、あるいは店長は、その地下鉄に乗っていたかも知れなかった。

15歳で殺人、最終学歴は少年院--犯人梅川は更生していたのか

梅川昭美(事件当時30歳)が三菱銀行北畠支店に猟銃を持ってろう城したのは、1979年1月26日午後2時半ごろである。北畠支店は大阪市住吉区にあった。行員32名、客16名は人質にされた。行員1名、警官2名が梅川に射殺された。さらに支店長が続けて射殺された。梅川が押し入った時点で4名が犠牲になった。彼は「”ソドムの市”を見せたる」と宣言し、男性行員を上半身裸にし、女性行員は全裸にした。さらにトイレに行くことを許さず、カウンターの陰で用を足すよう命じた。梅川は、比較的年長で冷静な男性行員を「なまいきや!」といって発砲した。銃弾は急所をはずれていたが、大けがを負った。そして別の行員に命じて、その年長の怪我をした男性の片耳をナイフで切り落とさせたのだ。「云うことを聞かんとお前も殺す!」と銃で脅された男性は「すまん。堪忍してや」と言い、涙を流しながら耳を切り離したという。現場の大阪では、この事件の模様は、警官隊突入までテレビに映し出された。梅川は香川県生まれで、小学校2年生のとき、広島県大竹市に転校した。5年生のとき両親が離婚している。これが梅川が世をすねるきっかけになったのだろう。15歳でアルバイト先の社長宅に押し入った。当時21歳の、この社長の義理の妹を刃物でメッタ刺しにして殺害している。強盗目的で侵入したが見つかったために殺したと見られている。少年院出所後は大阪に出てクラブの取り立てなどをやって暮らしていた。梅川には怖いものなどなかったのだ。老いていくという現実以外には。そして、不幸にも勤めていた店が倒産し、働く場所が亡くなった。「ここらへんで、なにか大きなことをせなあかん」梅川の頭では「銀行強盗」ぐらいしか思いつかなかった。事件発生から42時間後であった。スキをみてSATが突入。梅川は撃たれ9時間後に死亡した。

秀才がいとも簡単に人生を踏み外す---タクシー運転手連続殺人事件

事件は広島で起きた。1996年4月、逮捕されたのは、広島のタクシー運転手、当時34歳の男である。彼は、宮崎の資産家に生まれ、スポーツ万能、成績優秀であった。しかも何不自由ない暮らしであった。そして筑波大学に入学できるものと思い込んでいた。なぜ彼は殺人鬼になってしまったのか。なぜいとも簡単に転落してしまったのか。

店長は、彼が広島県出身ではなかったことに安堵した。彼は、16歳の高校生を含む4人の女性を強姦、殺害している。被害者との接点は売春である。そしてタクシーで送るフリをして金品まで奪って殺害していた。転落のきっかけは、筑波大学への受験失敗であった。やむなく私立の福岡大学に入学している。しかし、彼は、筑波大学に相当未練があったようだ。彼は誰よりも優れていると思っていた。周囲の人間は、すべてバカ間抜けに思えた。結局、福岡大学は中退してしまった。彼の心に不満が蓄積していった。こんなはずではなかった。地元に戻り結婚もした。だが、結婚もうまくいかなかった。酒におぼれ妻に暴力を振るった。そして妻は精神を病み、奇声を発するようになった。その後、広島でタクシー運転手になる。やがて売春目的で知り合った女子高校生を殺害し金銭を奪ってしまった。だが捜査の手はすぐには伸びなかった。被害者との接点がなく、捜査は難航したからである。そして、殺人によって感じたことのない快楽が突き上げてきた。典型的快楽殺人である。そして犯行を繰り返してしまう。2000年2月9日、死刑が確定した。

冤罪が証明された影で---当時の関係警察幹部のブログ炎上

足利事件をご記憶だろうか。当時4歳の女児が殺害された事件である。そして、容疑者逮捕当時のDNA鑑定は精度が低く、無実の容疑者に刑を下してしまった冤罪事件である。2009年5月8日に、DNA判定結果に間違いがあった、という報道がなされた。ところが、警察関係者の一人がブログを書いていた。2008年2月13日には、「再審請求」が却下されており、感慨深げにこれを振り返っていたのだ。「命がけで捜査を続けてきた---」などと。ところが「受刑者の菅谷さん」が釈放されたので、この関係者のブログが炎上してしまった。そして、孫たちとの団らんの写真などがUPされていたため、これが2チャンネルで拡散、非難の洪水に流されてしまう。ブログは閉鎖されたが、「お前が17年間刑務所に入れ!」などという非難の大合唱が当分収まらなかった。警察への非難がこのブログに集中してしまった形であった。DNA判定をこの方は信じていたのだろう。同情の余地は少なくはない。だが「菅谷」さんの人生は国家という権力に奪われてしまったのだ。

17歳がキーワードになった---平成12年の流行語大賞

17歳少年の相次ぐ重大犯罪。前代未聞の1年であった。店長は、この17歳のころは「美少年」と云われていたのを思い出す。時の流れは容赦ない、しかも惨酷である。ところで、この17歳であるが、微妙な年齢だ。特に女の子の成長は著しい。私服に着替えれば、大人の女に早変わりする。店長は、時々、あの日に帰りたいと思うのだ。

その17歳が起こした殺人事件で、世間が心配して見守ったものがあった。西鉄バスハイジャック事件である。覚えておられるだろうか。2000年5月3日である。突然、一人の少年が刃渡り40cmの牛刀を取り出し、少女の首に当て「言うことを聞け!従わなければ、この子を殺す!」と言い放った。ハイジャックであった。それから15時間の攻防である。そのとき、運悪く居眠りしていて、事態に気が付かなかった主婦が牛刀で刺されて負傷した。乗客の女性がトイレに行く振りをして下車、警察への通報に成功した。急きょ特番が組まれてテレビ中継された。事件発生から15時間後に、警察は強行突入し、少年を逮捕、人質も解放された。だが、刺された主婦はすでに失血死していた。

犯人の少年は、真面目でおとなしい中学生であったらしい。中学3年の時にいじめられ、大けがをしていた。成績は良かったらしい。佐賀県有数の進学校に進んだ。次第に精神を病んでいったらしく、母親は精神科医に相談している。この事件の直前に、「豊川市主婦殺害事件」がおきている。この犯人も17歳で「人を殺して見たかった」と供述している。バスジャックの少年は、この豊川市の犯人を崇拝していたという。

こちらもバラバラ殺人に---究極の兄妹喧嘩

渋谷区の歯科医師宅でおきた惨劇は、兄弟げんかが発端であった。2006年初頭である。この事件は、12月に発生した「セレブ殺人事件」に少なからず影響を与えたものと思われる。歯科医師宅の長女(20)が兄に殺害され解体された、おぞましい事件であった。兄は妹を木刀で殴りつけ、浴槽で水死させた。そして15の部位に解体、内臓を取り出し丁寧に水洗いしている。この異常性には、世間は言葉もなかった。殺された妹は、歯科大学の受験に2度も失敗した兄をなじっていた。それも1度や2度ではなかったらしい。何事も度を越してはいけないものだ。歯科医師になることだけが人生ではない。だが、この歯科医師宅では、違っていたのだろう。犯人の兄は、精神鑑定の結果、「心神耗弱」と判断されている。誰が彼をこのような精神状態に追い込んだのだろう。犠牲になった妹なのだろうか。両親には責任はないのか。

少年は新しい名をもらって社会復帰---女子高生コンクリート殺人事件

少年法は、いったい誰の何のためにあるのか。日本中が怒りに震えた、長期監禁暴行リンチ殺害事件であった。舞台は東京都足立区である。東京23区内で最も平均年収が低いとされる。学校給食の未払い世帯が最も多く、ひったくりなどの犯罪も多いそうである。1988年11月25日事件は起きる。悪ガキどもは、バイトを終えて自転車で帰宅途中の女子高校生を路上で拉致、主犯格の少年の家に監禁した。ほぼ1カ月間、集団で代わる代わる強姦し、顔が変わるほど殴りつけたり、ライターで身体を焼いたり、想像を超えるようなリンチを少女に加えたのである。事件後の司法解剖では、被害少女の脳までも委縮していたらしい。相当な苦痛やストレスにさらされたのだろう。また体重は25㌔ほどに軽くなっていたという。食事も満足に与えられなかったのだろう。この被害少女には何ら落ち度はなかった。彼らの恨みを買う覚えもなかった。少年たちの犯行は場当たり的で、そうなってしまった、というのが本当のところらしい。少女が死んでいることに気が付いたときでさえ、どうするかを集まって相談している。主犯格の少年は、仲間たちや自身の親でさえも暴力で支配していた。犯行グループの少年の中には、「少女を家に帰してあげたかったが、その少年が怖くてできなかった」そうである。

戦慄、肉親を虐待、殺させた---北九州監禁連続殺人

この事件は、ぜひとも記憶に留めて欲しい。人間は人間に対して、ここまで冷酷になれるのだ。その娘によって、資産家の一家6人全員がバラバラにされ、さらに財産を奪われてしまった。監禁され、食事も満足に与えず、繰り返された虐待、そして衰弱死。死後は遺体を隠すために解体され、鍋で煮沸され、公衆便所に捨てられている。これらが自分の家族に対して行われていた。事件発覚は2002年であった。北九州市小倉北区のマンションである。犯行を行ったのは、布団販売業の松永太(40)と元高校同級生の愛人緒方純子(40)である。松永は資産家であった緒方に目をつけ、その財産を奪い、監禁して親を感電死させた。また、まだ幼かった二人の実子までも殺害した。緒方の両親を殺害し、幼い子供にもその解体処理を手伝わせていた。緒方は、殺人鬼松永に再会したことで、家族も自分もめちゃくちゃにしてしまったのだ。それまでは、真面目な幼稚園の先生だった。

暴走する少年---彼らに未来が必要なのか

栃木で1999年9月に発生した集団リンチ殺害事件。およそ2カ月に渡り、少年たち4人が会社員(19)を監禁し、お金を奪い、熱湯を浴びせるなどのリンチを繰り返した。会社員は丸坊主にされ、眉を剃られ、人相が変わるほどの熱湯を浴びせられ、さらにサラ金から借金させられ、そのお金を奪われた。また、殺虫剤に火をつけ火炎放射器のようにして被害男性の身体や顔を焼いていたらしい。そして、山林で全裸にし、首にネクタイを巻付け、少年たちはそれを両方から引っ張って絞殺した。そして穴を掘って会社員の死体を遺棄した。想像できるだろうか。この残忍さ。犯人たちは、すべて未成年であった。彼らに更生の機会が必要なのか。疑問である。さらに、主犯格少年の父親は、栃木県警の警部補であった。そのためか、警察は、何度被害男性の両親が相談に来ても取り合おうとしなかった。そして捜査が遅れてしまったのである。また、犯行に走った少年と被害男性は同じ自動車工場で働いており、会社側が事件の隠ぺいを図ったようである。被害者はおとなしいから狙われたという。彼らを死刑にできないのは、少年法という余計な悪法があるからだ。

スナッフ・ビデオはどこへ消えたのか---驚愕の連続殺人

舞台は六本木である。米国や英国など外人客や不法就労の外国人も多い。この街に資産家の、性的に異常な一人の会社役員がやって来た。彼は白人女性に異常なほど執着していた。彼の名を織原城二(48)という。彼はレイプ・ビデオ、ドラッグを山ほど所有していた。2000年7月1日、六本木でクラブホステスとして働いていた英国人女性が失踪した(当時21歳)共同生活をしていた友人によって捜索願いが出された。「また不法就労か、ありがちな失踪だな」と警察は思った。そのとき警察では、誰一人として死体損壊バラバラ事件の発端だとは思わなかった。捜査が始まった。織原城二が走査線上に浮かんだ。織原は、六本木で豪遊しては外人ホステスを誘い出しレイプを繰り返していた。携帯電話の通話記録から、彼が逗子に所有するマンションが特定された。2001年2月9日、マンションから200メートルの海岸にある洞窟でバラバラに解体された遺体が発見されたのである。

織原城二は、ほかに9名の失踪に関与していたが、証拠不十分であった。かれには無期懲役判決が下されている。

小学生が同級生を殺人---理解できなかった大人たち

長崎県佐世保市で事件は起きた。2004年6月1日であった。小学6年生の女子児童が些細なトラブルから持っていたカッターナイフで同級生の女子の頸動脈を切りつけたのだ。世間は驚いた。犯人は小学生。だが現実に起きたのである。12歳の子供が4歳児を投げ落とす事件も起きている。店長は死刑よりも「少年法」を廃止すべきだと考えている。この件では小学生であるが、義務教育を終えた少年には、成人と同じ刑法で裁くのが妥当ではあるまいか。話が脱線したが、少女は何故頸動脈を切ったのだろう。怒りをぶつけるためであれば、何も致命傷を与えなくても良かったはずである。殺意があったとすれば、頸動脈を切れば人は死ぬということを知っていたことになる。この事件もその後は何も報じられない。背景に何があったかを知りたいと思うのだ。家族を含めての精神的な更生が必要ではないかと店長は考えている。いずれにせよ、2度と起きて欲しくない事件であった。

劣悪な家庭環境がアダ---神戸女子中学生手錠放置事件

これは、高速道路にクルマから飛び降りた中学生が後続のトラックにはねられ死亡した事件である。女子中学生の手には手錠がかけられていた。

新聞では報道されなかったのが、被害中学生の家庭環境である。劣悪といってもいいぐらいである。轢死の原因を作ったのは中学校の教師である。彼は陸上部の顧問をしていた。彼は教師をする裏で、手錠マニアであり中学生にレイプをする異常倒錯者でもあった。中学教師といっても同じ中学ではない。被害中学生は、当時流行っていたツーショットダイアルでこの男と出会ってしまった。そして待ち合わせてワゴンに乗り込んだが、すぐに催涙スプレーをかけられて手錠をはめられた。中国自動車道を80キロで走行中、後ろの座席で意識を取り戻した彼女は、手錠されたまま後部ドアを開けて逃げようとし、そのまま道路上に転落した。その時点ではまだ怪我ですんでいたが、後続の大型トラックが彼女を轢いたのである。教師は中学生を助けずに走り去った。手錠が無ければ単なる転落事故死であったが、その異様な手錠姿は、世間に衝撃を与えた。この事件で一番気の毒であったのが、彼女を轢いてしまったトラック運転手である。この運転手は取り調べ中に自殺している。悪いのは中学生を監禁していた変態教師であるが、1部の報道では被害者を暗に非難するような論調も見受けられた。曰く「今時の10代のコは---」といったものである。だが、この中学生の父親が正常な男ではなかった。彼は、重症のアルコール中毒で仕事もしていなかった。父親は、中学生の娘に性的な奉仕をさせていたのである。実の親子間での性行為である。信じられるだろうか。このような貧困層が現実に存在している。問題とすべきは、こちらの家庭である。決して手錠姿の女子中学生ではない。

池袋通り魔事件に触発され?21日後に発生---下関通り魔殺人事件

彼は九州大学卒業の秀才だった。彼の名は「上部康明(当時35)」運送業を営んでいた。両親が教師という家庭に生まれ、厳しすぎるぐらいに躾けられている。本人は医学部に行きたかったが、父親の希望で合格圏内の九州大学工学部に進学して一級建築士の資格も取った。だが、どこで、いやどうして彼の人生は歯車が狂ったのだろうか。福岡市で建築設計事務所を立ち上げた。そして、ささいな躓きが原因でつぶしてしまう。店長が思うに、彼は周囲とうまくやっていけなかったのだろう。生育環境に問題があったとみるべきである。それで、何をおもったのか、今度は運送業を始めている。赤帽のような軽四でできるものらしい。ところが、そのローンで買っていた軽トラックは台風で水浸しになってしまう。妻はあきれて出て行った。どうして、オレはいつもこんなことに---何か大きな事件を起こして、両親と世の中に復讐してやる。そして彼の犯罪のモデルがあった。21日前に起きた「池袋通り魔殺傷事件」である。どこか人通りの多いところで30人ぐらいを殺そう、と彼は決意している。犯行後は自殺するつもりであった。幼い---精神年齢は10歳程度である。子供が親に叱られ、何かで困らせてやろう、と決意するのにどこか似ている。設計事務所と運送業も両親への復讐だったのだろうか。彼が意識していなかったとしても、意識の片隅には「失敗したい。失敗すれば両親を困らせられる」という思いがあったのではないか。

死刑制度存廃問題に発展---光市母子殺害事件

被害者男性の無念さが世間を巻き込み論争に発展。彼は極刑を求めて運動した。1994年4月14日のことだ。帰宅した本村洋さん(当時23歳)はすぐに異変に気ずいて呆然となった。妻が倒れていた。赤ん坊の姿が見えなかった。---強姦されている。妻を抱き起したがすでに息をしていなかった。赤ん坊は押し入れの天袋の中で死んでいた。本村さんが事件の詳細を知ったのは初公判である。この事件の犯人は18歳、未成年である。彼を死刑にすることを正面から反対する人もいた。著書まである。だが、この手で犯人を殺すと発言した最初こそ感情を隠さなかった本村さんであるが、その後は理性を取り戻したように冷静な発言を繰り返した。結局、少年の弁護を引き受けた安田弁護士の戦術の失敗から、死刑判決を後押しするようなことになった。改めて少年法が議論された。そして加害者のみ守るような司法の不備が少しは改善されたのである。

犬の首輪を着けて拘束、自室で女性を監禁---自分を「王子」と呼ばせた資産家のバカ息子

監禁された女性は4人いた。警察発表では、他にも4名、犠牲者がいるらしい。世間はこの犯罪を知って驚愕した。2005年「東京女性監禁事件」と呼ばれた異常な事件である。犯人、小林泰剛(24歳)は、青森県五所川原市出身。屈指の資産家のバカ息子であった。幼稚園時代には高級外車で送迎されたらしい。高校中退後、上京する。そして親に嘘をついて仕送りを受けており、定職に就いていなかった。その仕送りの額40万円だという。事件は、被害女性が命賭けで脱出に成功し、保護を求めたことで発覚する。小林は監禁に成功すると、女性の住所を移したり、偽装結婚するなどして、犯罪を隠す偽装工作を行っていた。そして監禁した女性を奴隷のように扱っていて、少しでも気に入らないと冬のベランダに一晩中放置したという。被害女性たちは、次第に憔悴し、精神に異常をきたし始めていた。小林の手口は、パーティーなどで好みの女性を見つけると、自分は会社社長などと偽り、言葉巧みにマンションへ誘ったのだ。連れ帰ると小林は豹変した。そして脅して監禁したのである。2007年11月19日、東京地裁は懲役14年の判決を下した。

屋上から4歳児を投げ捨てる---驚愕の犯行は12歳少年によって行われた

逮捕されたのは、なんと12歳の男子であった。世間は驚愕した。12歳を罰する法律もなかった。この事件は2003年7月1日の長崎で起きた。デパートで言葉巧みに幼児に声をかけ、親に見つからずに連れ出すことができた。誘拐の目的は性的暴行である。男児の性器をもてあそんで、そして突き落としたのである。当時の防災担当大臣の暴言も出た。曰く「犯人の親を打ち首にすればよい」であった。それほど世間へ与えた衝撃は大きかった。犯人の少年は身体能力が劣っており手先は不器用であった。母親は心配するあまり、幼児期から特訓し、勉強もつきっきりで教えたという。この生育環境が少年の心をゆがめてしまったのか。被害にあった幼児は、屋上で裸にされ、暴行を受けて泣き叫んだが、犯人の少年は平然として屋上から幼児を落とすのだ。このような少年に更生の機会が必要だろうか。未来を無慈悲に奪われた男児があまりに痛ましい。被害者は死んだのだ。店長は犯罪を調べていくうちに、「少年法」などなくても良いと思うのである。重大犯罪を起こすのは未成年が多い。そう結論したいほどである。

犯行を誇示した異常な精神---奈良女児誘拐殺人事件

奈良県平群町菊美台の側溝で、当時行方不明になっていた小学1年生の女の児が遺体で見つかった。2004年11月18日のことであった。残忍な手口に世間は騒然となった。「知らない人のクルマに乗らない」これは絶対に子供に守らせること。それが基本である。被害女児はGPS機能が付いた携帯を持っていた。犯人は殺した女児を撮影して、母親と自分の携帯に画像を送信していた。場所が特定できることを理解していてなおも。逮捕後、自分に送った画像について「自慢しようと思った」と供述している。何だろう、この犯人の幼児性。子供が昆虫採集に出かけ、戻ってきて自慢するように。いたいけな罪もない、まだ小さな小学1年生を連れ去り自宅で襲って、彼は命まで奪った。即刻、死刑にすべきだと、店長は憤りを感じる。いったい、どのような育ち方をしたのだろう。何が彼をこんなにも屈折させたのだろうか。犯人、小林薫(当時36歳)は、この事件が初犯ではない。高校2年のとき、小学生2人に性的いたずらをしている。その後も女性下着を盗むなどの異常ぶりである。さらに少女へのわいせつ致傷罪および窃盗罪で逮捕され、服役経験もある。一般に、再犯率が高いとされる性的犯罪であるが、小林薫も例外ではなかった。中学校時代には、いじめられていたそうである。死刑判決が下され、06年10月11日、

死刑が確定した。

新宿西口バス放火事件---防ぐことは出来なかったのか

現在のバスは窓が開かない。冷暖房が完備されている。だが1980年当時には、窓を開けたまま走っていた。8月19日の夜である。京王バスは乗客を乗せて発車時刻を待っていた。暑い日であった。午後9時過ぎである。突然、バスの後部座席に、ガソリンと火がついた新聞紙が投げ込まれたのだ。あっという間に火の手は車内に広がった。誰にも信じられない光景であった。逃げ遅れた乗客6名が犠牲になった。さらに14名が大やけどを負った。犯人は丸山博文(当時38歳)である。当時、新宿駅地下西口にはホームレスが大勢住みついていた。建設作業員の丸山もそのうちの一人であった。北九州市生まれの丸山、生い立ち不幸と言えなくもない。彼の父親は、定職に就かずに毎日酒におぼれていた。丸山が3歳のとき大型台風に見舞われる。丸山の家は倒壊したばかりか、女手1つで一家を支えていた母親が下敷きになって死んでしまった。やがて中学を卒業した彼は、建設現場や簡易宿泊所に寝泊まりして、懸命に働いていた。いつしか困窮し東京へと流れ着いた。だがその日、新宿西口でコップ酒を飲んでいると、群衆のなかから「どこかに行け!邪魔だ!」という罵声を浴びせられた。元来真面目で律儀な性格だった丸山のこころが張り裂けてしまう。「人生がイヤになった。自分に腹が立ってきた」丸山は逮捕後にそう供述している。痛ましい事件であった。丸山は心身耗弱が認められ無期懲役になった。だが、97年10月、服役中に首を吊って自殺した。

大阪個室ビデオ放火事件---大企業をリストラされ生活保護で暮らしていた犯人

この事件は16人の犠牲者を出す大惨事となった。大阪市浪速区の雑居ビルの1階個室ビデオ店火災。火事は2008年10月1日午前3時頃発生する。ほとんどは、残業で帰宅できなくなっていた会社員が、簡易ホテル代わりに店内で眠っていた。その会社員たちが巻き込まれてしまった。そもそも宿泊施設としての防災設備はなされていなかったのだ。いくらホテルより安いといっても、宿泊所ではない場所で寝るのは、それなりのリスクが発生する。といっても実は、店長も漫画喫茶で夜を明かしたことがある。だから他人事ではなかった。よく行く場所でもあったし。放火した犯人は当時46歳である。パナソニックをリストラされ生活苦に陥っていた。しかし、まだ若い。いくらでもやり直せる年齢である。このような下流をあえいでいる無職たちをどう救済するのか。この難波地区はホームレスも多い。このリストラ男は「生きていくのがイヤになった」のだという。出火当時、店員による消火活動や避難誘導は行われなかった。だが、店舗側の過失については立件が見送られた。そして2014年3月16日にリストラ男の死刑が確定している。

新潟少女監禁事件---子供の連れ去りを防ぐ---基本は防犯ブザーを持たせる

誘拐を防ぐために子供に守らせること。決して一人にならないこと。防犯ブザーで危険を周囲に知らせること。さらに見知らぬ人のクルマに決して乗ってはいけない。営利誘拐は最近ではあまり聞かない。その代り性的いたずら目的の拉致・誘拐は後を絶たない。幼児を狙う性犯罪予備軍の男がいる。宮崎勤がそうであったし、この新潟少女監禁事件もそうであった。監禁されたのは当時小学4年生。下校途中であった。監禁年数9年と2カ月もの間、少女は恐怖と絶望感に苛まれたのだ。当時9歳だった少女は19歳になっていた。しかも発見されたのは「偶然」であった。1990年11月のことである。少女はナイフを突きつけられクルマのトランクに押し込められた。新潟県柏崎市に住む当時27歳の引きこもり男、無職佐藤信行の犯行である。彼は日常的に、同居する母親に暴力を振るい、奴隷のように都合よく使っていた。そしてこの家に9年にもわたって監禁された少女は、1日1回出される食事を分けて食べ空腹を防いでいた。部屋から出ることも、いやベッドから降りることも許されなかった。勉強もできず、言葉を覚えることもできず、部屋にはTVもラジオさえもなかった。健全な身体の生育さえもが奪われてしまった。よくぞ耐え抜いたものである。助け出されたとき19歳にはとても見えなかったそうである。保護されて初めて再会した母親でさえ、すぐには娘本人だと分からなかったそうだ。そして親子は泣きながらしばらく抱き合っていた。被害者を発見したのは保健所の職員である。偶然の救出であったという。世間は監禁年数に驚いた。警察と犯人の母親には非難が集まった。9年もの間どうしていたのかと。

三県警(長崎、千葉、三重)連携不十分が生んだ悲劇---長崎ストーカー殺人

当該者本人ではなく、その家族が襲われたこの事件、その理不尽・非条理さに世間は戦慄を覚えた。しかも警察当局の怠慢は目に余り、非難が集中したのも記憶に新しい。身の危険を感じた家族は、事件前に何度も警察に出向き相談していた。しかし慰安旅行のため被害届けの受理さえが遅れてしまったのだ。迅速に対応していれば、事件を防ぐことができたかも知れないと云われている。犯行現場は長崎県西海市である。犯人筒井郷太(29)は元交際相手の実家を探し当て、母親と祖母を殺した。一審二審とも死刑判決が下されている。元交際相手とは、この家の三女であり千葉に在住しているときにストーカー被害にあっていた。「家族を殺す」と脅迫されてもいたのだ。ここでも、はっきりしていることがある。警察は、事件が発生して初めて動くということだ。犯罪の予知や予防に取り組む組織ではない、ということであろうか。自分自身で身を守ることだ。

それには、出会い方や別れ方にも工夫が必要だということである。安易に交際をスタートすべきでもない

今も昔も大学は社会の縮図---まれに起こるアカデミックな不倫と家庭崩壊

福井大学、2015年3月12日。

最近、この手の犯罪は耳にしていなかったが、事件は忘れたころに起きるものである。福井大学大学院の准教授による教え子の殺人だ。車内で絞殺したとされる。3/17の取り調べでは、被害女性に「薬を飲んだ後、苦しい、殺してほしいと言われた」とこの先生は供述している。ただ、彼女を知る人によれば、自殺するほど悩んではいなかったという。

そしてようやく犯行を認める供述をはじめている。二人は愛人関係だったようだ。この前園容疑者であるが、東大大学院を優秀な成績で卒業している。「赤とんぼ」の生態研究の第一人者でもあった。

もう昔のことだが、かつて立教大学で妻子のある教授が、教え子の学生を殺害した事件があり、ワイドショーでしばしば取り上げられていた。教え子の学生から、結婚を迫られて困って殺害したという。この助教授先生、殺したあと、同僚教授に相談している。教授たちは大学の体面を考え、自首を勧めるどころか、事件を隠すことを選択してしまう。このあたり、大学というところ、はなはだしく社会性が欠如している。そのためもあり、事件の解決は容易ではなかった。一人の刑事が執念で被害者の遺体を見つけ出した。

この事件、予想しない展開が待っていた。加害者助教授夫婦が心中してしまったのである。

さて、「赤とんぼ事件」はどのような展開をみせるか。「奥さんにバラしてやる」あるいは「奥さんとは別れてくれるの」などと被害者になじられてしまったのか。前園容疑者には、現実的な正しい対処ができなかったと見える。店長には彼が女にもてるようには見えないのであるが。 

悪いのは誰だったのか---逗子ストーカー事件

世間の耳目を集めたストーカー事件は2012年11月6日に発生した。神奈川逗子ストーカー事件だ。

被害者は、加害者と別れた後に他の人と結婚して身分・住所を秘密にして新生活を営んでいた。

ところが、加害者の元交際相手は殺人ストーカーと化してしまう。彼は高校教師であった。

そして、あらゆる手を尽くして被害者、元彼女の住所を探し出す。彼は善意の質問者を装い、ネットで400回も交際相手だった被害女性の現住所を調べようとしている。さらに探偵会社も利用していた。

やがてその住居に侵入、被害者を刺殺し、その直後に彼は自殺した。

別れ話が出たのには理由がある。

それは、加害者が異常なまでに嫉妬深かったからだ。被害者は彼と交際を続けてきたことをひどく後悔した。

加害者の嫉妬は天井知らず。携帯までチェックした。極端すぎて病的、耐えられずに彼女は別れを切り出した。ところが、その後ストーカーに。

執拗につきまとい、嫌がらせが始まる。愛情が憎悪に変容していたのだ。そして、最悪の結末を迎える。

ストーカーの彼には、被害者だけが幸せをつかんだようで、それも許し難かったようだ。

被害者は身元がばれないように細心の注意をはらっていた。にもかかわらず元交際相手に知られてしまったのだが、その原因を作ったのは、あろうことか警察当局であった。事件後、警察には世間の非難が集中した。その後法整備が改善される契機になっている。

警察からの警告は、ストーカー犯罪の抑止力になっていない。むしろ、犯罪を誘発している、と言えば言い過ぎであろうか。 

女優志望の美人女子高生---交際相手が殺人者に変貌する理由

三鷹市で2013年10月に起きた、女子高生殺害事件も世間に衝撃を与えた。それは被害者が女優志望でTV出演したことがあるからだ。芸術一家の環境に育ち、学業優秀、英語はトップクラス、語学留学の経験もあった。また、小学5年でスカウトされ、芸能事務所に所属していた。どうして、また悲劇が繰り返されたのか。このケースも被害者が警察に相談した直後に起きている。

別れ話を切り出されたとき、どうして男はストーカーになってしまうのか。ほかに手はなかったのか。

事件が起きてからでは遅い。奪われた命は帰って来ない。別れ話が強引過ぎたのだろうか。

事件前に流出した画像があった。二人は当初ベストカップルであったようだ。 

所詮、二人の住む世界が違ったということであるが、事件を防ぐ方法はなかっただろうか。

犯人のフィリピン人の母親は、息子が暴発することを怖れていたようだ。事件の前にはこう諭している。「あなたと彼女とでは、住む世界が違い過ぎる。もう彼女のことはあきらめなさい。彼女が女優になりたいという夢を叶えられるように、祈って見守ってあげなさい。あなたにできることはそれだけよ」

しかし、警察が彼に警告した直後に、この無残な殺人は行われてしまった。

なぜ美人大学生は2度も殺されなければならなかったのか---桶川ストーカー殺人事件

被害者は何の落ち度もなかった。ただその男と出会ったのが大宮駅前のゲームセンターであったという以外には。その男は身分を偽って彼女に近ずいていた。交際をスタートさせたがそれは順調であった。やがてブランド品の高額な贈り物をされるようになった。彼女は、男に不審感を抱き始めた。そして別れ話を切り出した。しかし男からの嫌がらせが始まってしまう。教えてもいないのに自宅をさがして押し掛ける。父親の勤務先にまで現れた。中傷ビラが近所にばら撒かれた。当時まだ一般化していなかった「ストーカー」という言葉。執拗に繰り返された。何度相談しても警察は動こうとしない。彼女は「殺されるかもしれない」と当時の日記に記している。殺害後、世間からの苦情や非難が警察に殺到した。怠慢とされた警察は、非難の矛先を何とか交そうと、でたらめな「被害者像」をでっち上げマスコミにリークしたのである。そのため被害者は事実無根の「不良女子大生」というレッテルを貼られてしまった。つまり犯人に命を奪われ、警察には人格・名誉を踏みにじられたのだ。遺族、両親の嘆きは如何ばかりだったろうか。気の毒で仕方ない。

かつて「連合赤軍」を名乗るカルト集団があった---驚愕の集団リンチ殺人

最も先鋭化した武装集団であった。オウム真理教を理解できなかった世代には、到底無理である。左翼革命もようやく下火になりかけていた。世の中も落ち着きを取り戻していた1971年12月27日に事件は発生した。彼らは、警察から追い詰められ群馬県山中にアジトを移していた。そして連続殺人が起きてしまう。常識では理解できない。リーダーは、あの「永田洋子」そして「森恒夫」である。彼たちは、ミスをしてしまった部下たちをエビぞりにして吊るし一晩中寒い屋外に放置した。そして虐待、リンチは次第にエスカレートしていく。アイスピックを全員手に持って順番に突き立てる。妊娠していた女性を殴って殺害。この事件は直後に発生した「浅間山荘事件」が終息したあとに発覚していた。世間は驚愕した。これら1連の事件のあと、学生運動は完全に姿を消した。虐待による犠牲者は8人にものぼった。そして彼らの残党たちが「浅間山荘」事件をおこすのである。

さあ、ゲームの始まりです---世間が震撼「神戸事件」

神戸市須磨区の閑静な住宅街でその事件は発生した。その後、世間は理解の範囲を超えた驚愕と旋律を覚えることになる。中学校の正門前に置かれた子供の生首。その口には犯行声明文が差し込まれていた。「ボクは殺しが愉快でたまらない---」

世間が再度驚愕したのは、犯人が逮捕された日であった。それは14歳の少年であった。

各界の専門家によって検証がなされたが、明快な結論は出ていない。彼の生育環境もふつうなら、住環境もふつうであった。父親は、重工業の技術者で、もちろん貧困家庭でもない。わからないことばかりであった。この犯人、少年Aであるが、医療厚生施設を出所して、新しい名前になり、社会復帰している。ごくまれに生まれてくるのだろうか。出生前に悪魔と契約し、悪人に育っていく人物が。オウム真理教を組織した「麻原彰晃」のように。 

Dr.キリコ事件---青酸カリ保管委託心中事件

この自殺事件は1998年12月12日に東京都杉並区で発生した。死亡したのは当時24歳の女性である。さらに、その自殺を知って札幌在住の薬剤師が服毒自殺を遂げる。ネット心中事件として騒がれた。最初に死んだ女性は、日常生活も困難なほどうつ病が進行していた。事件発覚当時は、インターネット社会の入り口のころで、この事件はネットによって引き起こされた自殺幇助、そして心中事件だと世間は勝手に解釈していた。女性は、ネットを通じて青酸カリを購入したのではなかったし、Dr.キリコ=草壁竜次を知ったのはネットではなく電話によってである。つまり、当時の報道は誤報である。ネット社会というなにやら怪しい、不気味な情報伝達手段がまん延している、そういった誤解から事件が歪曲され作られていったのであった。自殺した女性が、Dr.キリコに服毒について相談していたのは事実である。このDr.キリコ=草壁竜次は、札幌在住の薬剤師で、薬物には詳しかった。女性は友人から紹介されて草壁竜次と知り合った。彼もまた自殺願望に長年悩んでいて、その抑止力として青酸カリを携帯していたという。

排除された若者---池袋通り魔殺傷事件

池袋通り魔殺人事件である。1999年9月8日、刃物で通行人を無差別に襲った。私の友人は、会社の営業車で現場を目撃している。「テレビドラマのロケか何かだと思った」そうである。犯人は当時23歳「造田博」新聞配達員である。1975年岡山県倉敷市で生まれた。父親は大工、母は内職で家計を助けていた。生い立ち不幸と言えなくはない。彼は勉強はできたそうである。中学時代は地元の進学校で学び、大学進学を望んでいた。ところが、両親がギャンブルにハマり多額の借金を作ってしまう。数千万ともいう。そのため高校2年生で退学を余義なくされる。さらに両親は失踪してしまう。もちろん彼は途方にくれた。最終学歴は中学卒業で、住む家もない。条件の良い仕事など望むべくもなかった。彼は実兄を頼って広島県福山市に移り住んだ。そして、いくつも転職を繰り返した。

しかし彼には、福山も安住の地ではなかった。皆さんはどうですか。あなたが彼だとしたら、素直にその境遇を受け入れることができますか?そして、この頃、まだ世間には、「ワーキングプア」も「ネットカフェ難民」もなかった。「社会から排除される人」が存在することに、誰独りとして気づいていなかった。「造田博」以外には。彼には「造田博」を罰すること以外にできそうなことは一切なかったのだ。07年死刑確定、執行を待つ身である。

もう遅い---死刑は執行されてしまった。

この項は、死刑制度を論じる場ではない。あくまで防犯がテーマである。しかし、この過去の事件はご記憶願いたい。冤罪の可能性を指摘され続けていたからである。しかも死刑は執行されてしまった。事件は1992年2月21日のことであった。福岡県甘木市の国道わきの山林で前日から行方不明の小学生児童ふたりの遺体が発見された。まだ1年生のあどけない女児であった。首を絞められていた。そして容疑者として、当時54歳の「久間三千年」が逮捕された。彼が逮捕されたのは、目撃情報と同じ車を所有していたからである。また、証拠は脆弱なものであった。DNA鑑定はまだ精度が低い。しかも、その検査チームは、冤罪が立証された「足利事件」と同じであった。久間は最後まで「無実」を訴えていたのだ。

悲惨な幼児誘拐殺害事件---忘れられない異常な犯行

事件が明るみになるや犯人の「宮崎勤」に対する世間の処罰感情が沸湯した。直後に彼の両親は離婚。姉は破談になった。その後、父親は多摩川に投身自殺している。精神鑑定が行なわれたが、その異常性は解明されぬまま、08年6月17日、死刑が執行された。公判は死刑判決まで17年を要している。何が「宮崎勤」を生み出したのだろう。謎だらけであった。児童連れ去り事件は少し前に広島市でも発生したが、タクシー運転手の機転で事なきを得た。この手の犯罪はその後も多発している。周囲の大人たちが見張るしか手がない。そして、子どもたちに防犯ブザーを持たせるべきである。異常者はどこにでもいる。この社会が続く限り。

すでに歴史の中だが、現在で起きても不思議ではない---ピアノ騒音殺人事件

隣人トラブルは今でも多発している。このケースは、加害者が音に過敏で、その異常ぶりに近所の住人は誰も気づかなかったところで発生した。

神奈川県平塚市の団地で不幸な事件が起きた。1974年8月28日朝9時30分頃である。8歳の長女、4歳の次女、33歳の母親が侵入してきた男に刺殺された。何度も包丁で刺されていた。ピアノといっても1日わずかな時間である。犯罪を誘うとは誰にも思われない。ところが、犯人の大濱松三をイライラさせるに充分であった。彼は風で窓ガラスが揺れても神経が荒れたのだ。こうして感情を爆発させた大濱にはいかなる制御も不能であった。

この事件、防ぐとすれば何か手だてがあるのだろうか。団地では難しいとはいえ、どんな隣人に囲まれているのか、まず把握しておくことである。

その前に今では音の出ないピアノもある。ヘッドホーンを利用するのである。それから家庭の防犯対策を万全にする。日頃から用心しておく。

特に団地ではどのような人物がいるか分かったものではない。

若い女性の敵---モデル勧誘詐欺事件

事件発覚は2001年10月である。高級ファッション誌「VOGUE NIPPON」に自社広告を出し、それで若い女性を信用させていた。ごていねいにブランドをでっち上げていた。その名も「FIGUEROA」である。その雑誌を見せながら、原宿や青山でスカウト活動を行なったという。犯人の名は「渡部克正」という。自らをデザイナーとし、「モデルになりませんか。パリコレにも出られます」などといって瞞していた。被害女性は60人にのぼった。合計の被害額は6,000万円を超える。レッスン料といって多額のお金をふんだくっていた。さらに驚くのは、仙台にブティックまで開いていたそうである。彼は憧れていたのだろう。多くの美人モデルに囲まれた優雅な生活に。そして実現させたのだ。詐欺という手段を使って。

犯人の人生こそが詐りではあるまいか。寂しすぎる。デザイナーをやりたければ、何故その努力を惜しんだのか。

今年初めての死刑が執行された。----まだ記憶に新しい「名古屋闇サイト殺人事件」

それまで面識のなかった3人の悪たちは、闇サイト「闇の職業安定所」に集まった。そこで通り魔的犯行を立案し、実行に移してしまった。おそらく、個人ではとうてい成しえぬような犯罪が起こされる。2007年8月24日のことである。歩いて帰宅している大人しそうな女性を狙って路上で垃致、車内に圧し込め手錠をかけて監禁した。カードを奪った後乱暴しようとして抵坑され、車内で殺害した。その前に番号を聞き出した彼らは女性の身体を遺棄して銀行に向かう。そしてまた、殺害方法も残忍きわまりない。ここに書けないほどだ。

事件後に1人が自首したので、他の二人も逮捕された。まれに見る通り魔的しかも残虐さである。それに、いきなり三人に拉致されては防ぎようもない。防犯ブザーを持っていたとしても、役には立たなかっただろう。被害者の精一杯の抵杭、それは殺される直前に犯人に伝えた出鱈目の暗証番号だ。「2960]---この番号をごろ合わせで読んで欲しい。お分かりだろうか。「ニクムワ」なのだ。お金まで奪われてたまるか。犯人のうち死刑になったのが主犯格とされた「神田司」他のふたりは無期懲役である。自首した犯人を除いて、ふたりを死刑にすべきであったと思う。

「東電OL殺人事件」---不可解な被害者の心の闇

覚えておられるだろうか、1997年3月8日深夜に渋谷区円山町で発生したこの事件。「えん罪事件」として有名である。

2000年4月14日にえん罪が晴れ、ネパール人に無罪判決が下されている。

だが、何故?優秀な東電の女子社員は、「売春」などをしていたのか。疑問は深まるばかりだが、彼女がすでに天国にある今となって真実の解明などムリな相談である。

エリート社員は、なぜ娼婦として殺されたのか。

被害者女性の底もないほどの巨大な心の闇。ずさんな警察捜査。作られた犯人。

人間というもの、ますます訳がわからない。優秀なOLであった彼女をなにが娼婦の行動へと駆り立てていたのだろうか。

なんだろうか、この不可解さ。「東電OL殺人事件」を繰り返し読んだのだが、混迷の度合いは、深まるばかりである。

逮捕されたネパール人は当初から「えん罪」を疑われていた。しかし真犯人は、どこで何をしているのだろう。このあと、神戸の小年A、和歌山ヒ素入りカレー事件、新潟小女監禁事件と続いて発生した。この殺人事件もそれらに埋没していった。

問題の多い「技能研修制度」広島県は調査

昨年、江田島(広島県)牡蠣養殖加工場「川口水産」で社長や従業員8人が、ナイフ・スコップなどで武装した従業員で中国人技能研修生に襲われた。この襲撃事件で社長他従業員一人が死亡。そして、先日判決が下った。「無期懲役」であった。この事件により中国人研修生の実態が明るみになり、広島県では調査に乗り出している。研修生、月給は非常に安い。まさに現代の奴隷である。それに、安月給に加えて過酷な労働環境、そして日本人には働き手がいない。牡蠣加工場は、この研修生で成り立っている。加害者は日本語が不得手で、周囲からも孤立していたという。十分に情状酌量の余地があった。しかし、死刑を望む声も遺族からは多くあったという。

この「格差」「不平等」これが「犯罪」を生みだしていると考えるのには無理があるだろうか。

世間を驚愕させた「秋葉原無差別殺傷事件」

この項は「ランキングで読む格差社会」に掲載されています。

犯人の加藤智大、死刑判決が下された。直後のサイト2チャンネルでは、「負け組が社会に復讐した」とされ、記事の投稿者のおよそ半数が犯行を崇めていたらしい。何かが狂っていないだろうか。歩行者天国で被害に遭った人たちも決して「勝ち組」だから襲われたわけではない。いってみれば加藤と同じ労働者であった。加藤の脳内にも何か欠陥が認められるだろうか。彼が「正社員」であったとしたら、犯行に至ってはいないのだろうか。

死刑---もやむなし?--量刑的には、正しいのだろう。

当然死刑---と店長も思う。だが、被害者の最期は幸せだったのではないだろうか。佳苗さんとの結婚生活を夢見ながら、安らかに息をひきとったのであるから。被害にあってしまった高齢者の方、お気の毒だと思う。大金を剝されたというが、彼ら被害者は自らの意志でお金を払っている。それも幸せな気分に包まれて。それらを考えていると、死刑---で良いのか?と自ら反論してしまうのである。被害者は幸せだったのでは?という推測は、量刑を左右するものではない。それは分かる。であっても、死刑---で良いのか?---と想ってしまうのである。

被告人木嶋佳苗は、はたして平成の毒婦なのか。状況からの推定--死刑。婚活サイトで知り合い、多額の金銭を収奪、その果てに練炭による自殺を疑装して殺害。お金だけでなく命まで失った犠牲者は6人にのぼる。命こそ無事であったが、お金をむしり取られた被害者は20名にも。連日ワイドショーで報じられ、法廷が劇場と化したのは、我々の記憶に新しい。結婚難時代の到来を思い知らされた事件でもある。結婚相談所も婚活サイトの利用にも注意したい。焦る気持ちも分るのだが。なお、2012年4月13日、死刑判決が下されている。

この事例は、デリケートな信仰の問題を含んでおり、いわゆる「犯罪」とも違う。そのためこのコンテンツにはそぐわないと思うのだが、これも記憶していただきたいので、記事にした。この事件は、ドキュメントが発表され、テレビドラマにもなっている。

エホバの証人---1985年6月輸血拒否「大ちゃん事件」

川崎市高津区、この日不幸な交通事故が発生した。自転車で走行中の小学生は、トラックとガードレールに挟まれる大けがをした。脚を挟まれ大量出血。ただちに救急搬送。当初、少年の意識ははっきりしていた。しかし、担当医師は、駆け付けた父親から思いがけない要求を聞いた。「輸血をしないでください。宗教上の理由からです」しかし輸血をしなければ手術は不可能だった。病院側は説得に失敗。手遅れになって少年は死亡した。かすれゆく意識のなかで少年は「僕は、、、生きたい、、」と医師に伝えたとされる。テレビドラマでは、このシーンを父親役、北野たけしが熱演していた。

信仰は自由である。ただし、わが子とはいえそれで人の命を奪う自由はない。病院には、すぐに駆け付けた信者仲間たちと警察との間で激しい押し問答が繰り返された。結局、輸血はできなかった。この事件は大々的に報道され、エホバの証人=ものみの塔=輸血拒否=カルト集団として、世間を震撼させた。本当に彼らは「復活」など信じているのだろうか。

2005年大阪自殺サイト殺人事件

2005年8月2日それまで行方不明だった女性の遺体が大阪府河内長野市にある河川敷で発見された。そして8月5日、堺市在住の派遣社員「前川博(当時36歳)」が逮捕された。供述から男子中学生、男子大学生の殺人も発覚したのである。被害者と前川はネットの自殺系サイトで知り合った。そして心中をもちかけて会っていたことが分かった。しかも取り調べが進むにつれ、前川の性癖とその歪んだ欲望を満足させるために、被害者を弄りものにして殺害していた驚愕の事実が判明している。

前川は酒癖の悪い父親に殺されかけたことがあった。さらに同級生からいじめを受けており、その精神形成上に大きな悪影響があったことも事実であった。2009年7月28日、死刑執行された。