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女の事件簿第3弾です。世間を震撼させた女性たちがこれでもかと出てきます。

時代背景と共に検証します。(なお、掲載は時系列ではありません)

殺人は甘美な誘惑---「恋愛」よりも「殺人」を選択した女子学生

名古屋大学の女子学生が「殺人容疑」で緊急逮捕された。2014年(平成26年)12月7日のことだ。宗教の勧誘で知り合った女性を自宅アパートに誘い、斧で殴り倒しマフラーで首を絞めて殺害した。なお、被疑者は逮捕当時未成年だったため、実名報道は控えられたが、週刊新潮は事件の異常性、複数の余罪、日ごろから「劇薬タリウム」を持ち歩くなどの異様な女子大生を看過できず、写真入りで実名を記事にした。(この項は執筆中です)

不倫相手の妻を殺害---のはずだった東京消防庁職員の不幸

東京消防庁の女性職員が逮捕されたのは2005年9月14日である。この事件で、殺人を請け負う「闇サイト」の存在を世間は知ることになった。女性は渋谷署救急隊員の「河口絵里子(逮捕当時32歳)」である。彼女は同僚男性職員の浮気相手であった。その妻が妊娠したという。「河口絵里子」は愛想を尽かしたと同時に男性の妻に殺意を抱く。「妻が妊娠?---私とは遊びだったんだ---許せない---」彼女は「闇サイト」を検索する。男性を懲らしめてやる、の一念であった。殺人の代行者を探し続けた。そして”必殺仕事人”を探し出す。仕事人は自称「探偵」の男であった。彼は手筈を整えるためと称して金銭を要求した。彼は殺害を実行する気はなかった。「---この女から,

搾れるだけ搾り取ってやろう---」「河口絵里子」は要求されるままお金を払い込んだ。その額なんと1500万円にも上った。だが半年たっても殺人事件が起きなかった。不審死を遂げた形跡もなかった。「早くやりなさいよ!」と、彼女は再三男に妻の殺害を要求した。男は、理由を付けては逃げてしまう。次第に不審に思った「河口絵里子」は警察に”被害”を相談する。「---騙されているのでは---」こうして犯罪の請託が明るみになった。「---妻とは別れる---」抱かれる度に男は耳元で囁いた。すっかり”妻の座”を信じ込んでいた。それがその妻が妊娠したという。消防庁職員という公僕にあるという自覚は無かった。同僚男性に身も心も捧げようとしていた。赤ちゃんも欲しかった。裏切られたと思い知った時、殺意は妻に向かってしまう。2005年10月12日、「河口絵里子」は、処分保留で釈放されたが、事件は予想外の展開を見せる。不倫相手の同僚職員が「河口絵里子」に対する暴行傷害容疑で逮捕されたのだ。妻殺害のメモを見つけた同僚は激怒した。そして金銭の慰謝料を求め、彼女の肋骨を折るなどの大けがを負わせたのだ。どちらもどちらである。救急隊員失格というよりその前に社会人として失格である。彼女の不幸はどこら辺にあったのだろう。32歳という年齢から結婚出産に焦っていただろう。

だが、その禁断の恋が成就することは殆んどないものだ。彼女は、肋骨だけでなく心も折れた。いやそのおかげで夢から覚めたのだ。

妻と愛人が協力?出来過ぎた殺人シナリオ---「佐賀替え玉保険金殺人」のてん末

よく考え付いたものだと店長の私は感心した。事件のあらましはこうだ。1981年1月である。北九州市の水産会社は、倒産が避けられない状況に陥る。その社長(事件当時42歳)は自身に数億円の生命保険を掛けていた。この保険金が手に入れば、当面の苦境を凌げる。だが自殺では意味がない。彼は、生き延びてなお保険金を詐取する方法を見つけた。それが「替え玉」を用意することであった。社長は妻を説得し、さらに愛人に協力させる。競艇場で、彼らは社長に背格好がよく似た男性に目を付けた。言葉巧みに誘い出した。そして背後からバッドで殴り失神させる。さらにクルマごと海に転落させてしまった。佐賀県警では、事故を偽装した殺人事件だとすぐに見抜く。男性の所持品には、水産会社社長の名刺があったところから、警察は、社長になんらかの恨みを持っている人物の犯行に違いないと判断した。連絡を受けた妻が駆けつける。妻は「主人に間違いありません」と偽証した。だが、捜査が進み、愛人が逮捕された。同時に重要参考人として妻が出頭させられた。愛人は、”社長”殺害を認める。ここまで被害者は「水産会社社長」である。なんと、佐賀県警は騙されていたのである。妻と愛人が結託して「社長」を殺害した。この報道に、世間が騒然となったのであった。正しく身元確認をしなかった佐賀県警の初動ミスであった。妻の演技にすっかり騙されている。だが連日の取り調べに妻は降参した。妻は、男性は社長の替え玉だったことを白状してしまった。計画を立てたのは、いまだ健在の社長であり、遺体となったのは社長の「替え玉」であることが発覚する。この事件、これで終わりではなかった。この社長、妻や愛人が白状してしまい、もうおしまいだと観念した。そして新下関駅で電車に飛び込んで自殺した。---どうせなら殺人計画など立てずにはじめから自殺しろよ、と云いたくなってしまう。事件解決後、佐賀県警に非難が集中する。なんと、被害者の指紋照合さえ行っていなかったのだ。妻と愛人(この会社の社員でもある)が二人とも「---社長に間違いありません---」と偽証したせいでもあった。(この項は「覚えておきたい最近の犯罪<その2>とコンテンツを共有しています)

”女を卒業”できなかった19歳の母親---世紀末の「大阪・茨木3歳女児衰弱死事件」

「幼稚な若い夫婦が犯した犯罪」と、簡単にかたずけられるのだろうか。虐待を受け4ヶ月もの間満足な食事を与えられず、体重は半減、衰弱死した「岸本紗弥音ちゃん」(事件当時3歳と10ヶ月)は、あまりにも不幸な生い立ちであった。殺人容疑で逮捕された両親は、「岸本友希(当時22歳)」および妻19歳である。彼らは容疑を否認し、大阪地裁の1審では、母親に無罪判決が下されている。検察は「審議不十分」として控訴した。衰弱死した「紗弥音ちゃん」は、先天性「ネオバチー」の難病を抱える3歳になる娘である。これは筋力が低下する難病で、症状としては幸いそれほど重症ではなかった。この先天性障害を抱える長女を若いバカップルは疎ましく思っていたと容易に想像される。司法解剖では、紗弥音ちゃんの胃の中に「アルミ箔」「玉ねぎの皮」「ロウソク」が検出されている。捜査員が絶句したそうだ。空腹に耐えかねて口にしたものと思われる。では、あまりにも惨酷な「幼児虐待事件」を検証していく。母親が長女を出産したのは16歳である。祖母と母、そして障害を背負った長女は3人で暮らした。祖母はこの孫の面倒をよく見ていた。虐待するような母親ではなかったそうだ。店長の勝手な推測だが、実の父親は誰なのか分からないのではないだろうか。状況が変わるのは、この娘が「岸本友希」と子連れ再婚してからである。つまり「岸本友希」と長女には血のつながりはない。さらに二人の間に長男が生まれている。これは「できちゃった再婚」であった可能性が高い。父親には長男が生まれて、余計に難病を背負った紗弥音ちゃんが邪魔であった。思慮の浅い若者であることが想像される。紗弥音ちゃんの頭の中には慢性的な血の塊も見つかっている。虐待が日常的に行われていたことを示している。娘の再婚後に、別居していた祖母が孫に食事させたといってこの若い妻は激怒し、それ以降会わせなくなったという。おそらく衰弱死させるつもりだったのだろう。では、なぜ虐待が始まったのか。その答えは容易に見つけられる。再婚である。紗弥音ちゃんがどうして邪魔になったのか。それは両親の夜の性生活を奪ったからだ。思慮が浅く、彼女たちはあり余る性欲だけで生きていた。彼は仕方なく連れ子を養女にした。この若い妻の画像が流出しているが、容姿は悪くないと思う。いや美人の範疇に入るだろう。大阪地裁は父親の「岸本友希」を有罪としたが、妻には「無罪」を言い渡している。もっとも控訴審では「1審の無罪を取り消し、審議やり直し」を命じた。

♪ダンスはうまく踊れない♪---あまりにも憂鬱な殺人衝動「ラストダンス殺人事件」の恋の清算

東京都練馬区石神井のアパートの一室から異臭が漂ってきたのは1983年(昭和58年)7月30日であった。大家さんの通報で警察が駆けつけた。床下から男性の腐乱死体が発見された。その際にダイナマイトらしきものが見つかり、機動隊が駆けつけ、周辺に避難命令が出されて大騒ぎになった。左翼のアジトではないかと憶測を呼んだのであった。だがそれは、単におもちゃであることが判明する。そして、部屋の借主がまもなく逮捕された。それは会社員の女性(事件当時23歳)であった。彼女は殺害を認める供述を始める。死体となって発見されたのは恋人の料理店経営者(当時28歳)であった。さて、この年を俯瞰してみよう。同じく練馬では、6月に不動産業者に立ち退きを迫られていた一家5人がその業者に殺されるという痛ましい事件が起きている。また、4月に東京ディズニーランドが開園している。5月、日本海中部地震が発生し犠牲者は104名に上った。それでは、「ラストダンス殺人事件」に戻ろう。この憂鬱な恋の清算事件は、気の毒ではあるが、殺されてしまった料理店経営者の男性にも落ち度があると思う。二人は、横浜市にある大学の映画サークルで先輩後輩として出会っていた。当時男性は左翼の活動家で「成田闘争」にも参加した経験があった。左翼主義に浸かっていた彼に好感を抱いた彼女は、すぐに恋人同士になった。やがて彼は卒業し社会人になる。否が応でも資本主義に組み込まれ企業戦士になる。人生で最高に輝いていた彼も会社員になり学生時代の輝きを失っていく。そして、無理もないが、彼女の心は次第に彼から離れていく。彼は会社を辞め、親の跡を継いで料理店の経営者になった。恋人が逃げて行けば追いかけたくなる。彼も例外ではなかった。ましてや彼は異常な嫉妬心を抱いていた。彼女の行動をすべて把握していなければ気が済まなかった。そのためスケジュール表を作成させてチェックしている。サボりがちな営業マンを監視する上司のようにである。これでは、ますます嫌いになってくれと云っているようなものだ。彼女は別の先輩に彼のことで相談するようになった。そして意気投合し、いつの間にか愛し合うようになる。運命の日がやってきた。彼女は「---他に好きな人ができたの、別れて欲しい」と意を決して彼に告げる。だが、彼は容易に納得しない。「---なんて情けない男---なんでこんな男に魅かれたのか---」そして、”最後の晩餐”の日がやってきた。6月18日の夜であった。食事をして”ラストダンス”を踊った。それから最後の性交渉を持った---予め用意してあった電話コードを、寝入った彼の首に巻きつけ、思い切り引っ張ったのだ。そしてアパートの床下に彼を隠した。その日から40日もの間、彼女は遺体と同居したのである---1985年11月、東京高裁は「懲役7年」を言い渡した。

黒い看護師は我が子を殺す---「奈良・長女薬殺未遂事件」の憂鬱

犯罪の影に”女あり”と云われていた時代がかつて存在した。これは、現在では”死語化”しているようだ。いまでは、女の犯罪の影に”愛人あり”とでも云うべきだろうか。2000年7月16日、奈良市に住む准看護師の「坂中由紀子(事件当時43歳)」は、保険金詐取目的で高校1年生の長女を殺そうとした。准看護師である由紀子は、薬剤の知識が豊富である。この母親は、15歳の愛娘に気管支拡張剤として使用される「硫酸サルブタモール」を連日飲ませていた。長女には多額の保険が掛けられていた。実は、由紀子の次女と長男も不審死を遂げていた。どちらも多額の死亡保険金が支払われている。では、准看護師「坂中由紀子」とは、如何なる女性なのだろうか。彼女は、アル中の父親から性的虐待を受けて育っている。だから心の奥に深い闇を抱えていたのだろう。そして、「解離性同一性障害」を発症していたのかも知れない。恐るべきことに、その父親も不審な死を遂げている。それは、由紀子に加えられてきた性的虐待への報復ではあるまいか。別の人格が、我が子を殺したのかも知れない。「坂中由紀子」は毒婦であった。この家族殺害の影に不倫相手の男性の影があったのだ。その陰の男に詐取した保険金を貢いでいたようである。父親だけでなく、実の母親も不審な死を遂げていた。だが、それら家族殺しは立件されなかった。由紀子は長女に対する殺人未遂で起訴された。そのため、ごく軽い量刑で済んでしまった。2002年3月15日、懲役3年の実刑が確定した。不審死は、父親、母親、次女、長男の家族4人。未遂に終わったのが長女1名である。由紀子を毒婦に育てたのは、紛れもない彼女の父親である。これら家族間の性的問題は容易に表に出てこないが、現実には相当数実在すると思われる。

誰も知らない?出されなかった出生届---「巣鴨・子供置き去り事件」の呆れた真相

この育児放棄は、性欲だけで生きる頭のおかしい男女の出会いから始まる。それは、1973年の出来事であった。その月日は判然としない。真夏のような気がするし、あるいは真冬だったかも知れない。ともかく、マトモではない男女が同棲を始めたのだ。女は結婚できると信じて妊娠していた。だが男性の方は、二人の結婚にも、また生まれてくる子供にも興味は無かった。ただ彼は”女体”だけを求めていた。夜毎、性行為に耽った。ある夜、こんな会話が交わされた。「いつ入籍してくれるの?」「またその話かよ---」「ねえ、---明日は市役所に行ってよ」「---わかったよ、そうするから---」男性は、結局、婚姻届けを出さなかった。女は、もう夫婦になったと思い込んでいた。やがて長男が生まれたが、出生届は出されなかった。就学年齢が来ても、役所から通知が来なかった。母親は役所に出向いて愕然とする。入籍さえされていなかった。長男は、小学校に入学できなかった。法的には生まれていないことになっていた。男性は、出産した女に、もう興味は無かった。彼は、外に女を作って蒸発する。この物語を早送りしてみよう。女が生んだ子供は全部で5人である。そして驚くべきことに、すべて父親が異なっている。この呆れた母親は、兄弟たちの出生届も出していなかった。事件が発覚したのは、1988年7月18日であった。育児放棄で逮捕された母親であるが、実名は伏せられた。この異様な事件報道に、世間に衝撃が走った。長男(事件当時14歳)は、家出した母親に代わって幼い兄弟たちの面倒をみていた。毎月3万円程度を渡されていたという。そして悲劇が起きる。長男にまともな食事を作れるはずもなく、兄弟たちは栄養不良に陥る。「是枝裕和」映画監督がメガホンを取った「誰も知らない」は、この事件を題材にしている。悲惨な事件とは、長男が家に遊びに来ていた友達と、まだ2歳の妹をリンチ殺人したのである。

もちろん、殺意などはなかった。ただ泣き叫んでうるさいので少し黙らせようと思い、妹の身体をサッカーボールのようにして友達と蹴ったり、抱えて頭から落としたりしただけである。勉強の機会さえ与えられなかった長男には、幼い子供が容易に死ぬことですら分からなかった。おそらく、母親同様に知的障害者だったのだろう。店長は、この事件には何か重苦しさを感じるのだ。いったい誰が真の犯人なのだろうか。「誰も知らない母親」なのか。家庭でなく性欲を選んだ程度が低い男だったのか。

イジメには報復を!---「愛媛・女子中学生給食農薬投入事件」の居心地の悪さ

世間が驚いたのは、中学生が給食に農薬を入れたことではなかった。その中学校の事件後の対応である。学校は、給食の食器をすべて新品と取り換えたのだ。そしてその作業のために、生徒に弁当を持参させた。事件は、1987年(昭和62年)5月26日に発生した。給食を食べた同級生と教師たち43人が入院している。さらに1名は重症に陥った。校長は、テレビ報道の取材を受けて「本校にイジメは存在しません」と全否定していた。外部からの侵入がなかったので、当初から内部の犯行が噂された。この事件から今日まで「本校には---イジメはない」と強弁する教師や校長の姿をよく見るようになる。この姿を一般に「事なかれ主義」という。正しい発言は「この件に関しては、調査中ですので、本校にイジメがあるかどうか、まだ分かっていません---」ではあるまいか。この「事なかれ主義」は、おそらく教育現場において、校長の権限が恐ろしく低いことが一因である、と店長は思うのだ。事件を振り返ってみる。イジメられていた中三の少女は、スポーツ万能で勉強もできた。男子生徒にも人気があったという。つまり、イジメは彼女への嫉妬が原因である。初めは1部の級友だけであったが、やがて学年中に広がってしまう。校長は「イジメは無い」と強弁していたが、それは違う。見て見ぬふりをしていただけである。少女の家は農家であった。家に帰れば除草剤がゴロゴロしていた。「---あれを給食の味噌汁にこっそりいれてみよう、少しぐらいお腹が痛くなるだろう---いい気味だ---」そう考えた少女は、みんなを困らせてやれ、と軽い気持ちで実行に移したのである。それにしても、一体いつごろから、我々日本人は、こんなにも過剰反応するようになったのだろうか。店長は、報復したくなるほどに精神的に追い詰めてしまった級友たちに非があったと考える。この、中三少女には同情したいと思うのだ。この除草剤混入事件では幸運にも死者が出なかった。だが、最悪の結果を招いてしまったイジメ事件を我々は知ることになる---(この項は「知っておきたい毒薬犯罪ファイル」と共有しています)

なぜ?不可解な判決---「江戸川区母親無理心中事件」の見えない出口

家族を殺しても無罪になる不可解な裁判。東京都江戸川区松島3丁目でその惨劇が起きている。1990年2月6日であった。事件はノイローゼの母親が起こした我が子の殺害であった。小学生の兄妹が無残に殺害された。兄の方は、5日前に失敗していた。そのため、今度は絞殺を諦めて刃物で刺殺する。胸を三度も刺し、首筋にも突きつけた。残忍である。さらに、妹は背後から絞殺した。母親は、交通事故で夫を亡くしており、母子年金だけで生計を立てていた。また、PTA活動など積極的に参加していたようだ。この母親が精神のバランスを崩したのは、小学6年生になった兄が不登校になってしまったからである。母は遺書を残して我が子の殺害を実行した。そして兄妹を殺した後で自殺をはかるが死にきれなかった。母親は、10時間近く意識を失って倒れていた。母親の実の姉が電話をかけたが応答がなく、姉は不審に思い、近所の知人に様子を見に行って欲しいと伝えている。知人が、一家の惨状を発見した。男の子は血の海に沈んでいた。

不可解な判決は、1980年代半ば頃まで常識とされていた。「うつ病を発症している」とされ、「責任能力なし」と判断されたのだ。およそ正常な精神状態で、我が子をむごく殺すことができるであろうか。すべて、家族に向けられる刃の主は「心神喪失」の状態である。これでは、家族を殺したものは、すべて「責任能力」はない、と判断される。家族だけではない。重大事件の犯人に、まともな犯罪者がいるだろうか。云ってみれば、犯罪者は、すべて「責任能力」を持たない精神異常者だ。これでは、家族内殺人を裁くことは不可能ではないだろうか。殺人に「責任能力」もへったくれもない。これがまかり通ると、およそ世の中に「殺人罪」は成立しない。「心中」という言葉はいつの時代に定着したのだろうか。「家族殺人」を「心中」という言葉に置き換える時点で、すでに犯罪では無くなっている。母親にわが子を殺す権利がある、とでも言いたげな司法の不条理。なんとかならないものだろうか。

瀬戸内経済圏から外れた町の悲劇---「愛媛乳児死体遺棄事件」の深層

その報道が流れたとき「これって昭和初期の事件?」と驚いた人も多かっただろう。普通の都市で生活する、標準的な収入がある人には、およそ考えられない、痛ましい事件であるからだ。2015年7月14日、愛媛県八幡浜市で5人の乳児の死体遺棄事件が発覚した。逮捕されたのはこの街に住む「若林映美容疑者(34歳)」である。彼女には離婚歴があり、父親の介護を懸命にやっていた。八幡浜市は、漁業で成り立ってきた漁村である。地元に安定企業は皆無で、月に10万円以上稼げる仕事がない。愛媛県民は顔をしかめて云う「---あの町では仕方がない---」と。逮捕されて「無職」と報じられたが、彼女は「売春」で家族の生計を立てていた。彼女が遺棄した乳児は、いずれも相手(父親)が不明である。別れた夫との間に生まれた長男を除いては。「若林映美」は、父親を介護するためにこの地に留まったのであった。さらに同居の弟も無職である。およそ経済発展から取り残された町であった。八幡浜から佐田岬へ向けて、クルマで30分も走れば、四国唯一の伊方原原発がある。収入に余裕があるのは、この原発関係者だけと云われる。愛媛県がこの地に原発を誘致したのは、この地の過疎化・高齢化を危惧していたからだと思われる。全国で、このような「貧困過疎化」が育っている。10年後、そのような自治体は消失していくだろう。事件に戻る。ネット上では「---身勝手」「---知的障害では」酷いのになると「近親相姦ではないの?」などという、それこそ身勝手な意見もあるようだ。ここで、最も重要な視点が抜け落ちている。それが「過疎の貧困」「貧困家庭の介護」だ。この「アリ地獄」に滑り落ちたら最後、脱出は出来そうにもない。1審で松山地裁は、「若林映美被告」に懲役7年を求刑した。