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女の重大事件簿第2弾です。時系列ではありません。年代は錯綜しています。

また、コラムには重複している事件があります。気にしないで読んでください。

さらに加害者だけでなく特異なケースの被害女性に焦点を当ててみます。

少女の凶悪事件が多発---昭和31年「家族4人毒入りジュース皆殺し事件」の恐怖

昭和30年代は、未成年の犯罪が多発していた。中でも昭和34年には、殺人で逮捕された少女は30人以上に上った。この時代、女性の幸福は、結婚に大きく依存していた。現在とは社会環境が大きく異なっている。家族に青酸カリ入りジュースを飲ませた、長女19歳の殺害動機は、現在ではおそらく誰にも理解できないだろう。1956年(昭和31年)3月9日午後8時30分頃、その惨劇は発生した。場所は東京都江戸川区である。この家に住む19歳の長女は、メッキ工場に勤務していて「青酸カリ」を持ち出せる環境にあった。彼女には結婚したい彼氏がいた。思い切ってプロポーズしたが、拒否されてしまう。その理由は「扶養家族が多すぎる」と云うものだった。この時代、大家族は珍しくはなく、兄弟が3,4人という家庭が普通であった。ここで、母親と弟たち3人の4人がジュースを飲んで死亡した。長女は、近所に聞こえるように「一家心中だ!」と大声で叫んでいた。長女は、「兄弟が多すぎて結婚できない」と短絡的に考えた上での犯行であった。およそ今では理解不能だ。ヒット映画「3丁目の夕日」でノスタルジックに描かれた昭和30年代だが、少年犯罪も性犯罪も格段に多かったようだ。

発狂する家族---泉南市の家族5人が餓死「家族5人餓死事件」のおぞましさ

いったい人はどこまで狂うのか。2000年(平成12年)8月16日夕方であった。「近所の家から異臭がしている。調べて欲しい」と、警察へ一報が届く。踏み込んだ警官が目にしたものは、あまりにも凄惨、かつ異様な光景であった。その異様な一家の主は「若狭隆雄さん(事件当時66歳)」である。隆雄さんは、妹「昭子(当時64歳)」の子供5人と7人家族で暮らしていた。子供5人は遺体となっていた。餓死していたのである。隆雄さんの境遇が様変わりしてしまったのは、妹の昭子が子供5人を連れて転がり込んできたときからである。昭子は「---神の声が聴こえる、神様がおる---わたしは神様と話ができる---」と周囲に吹聴するようになる。”教祖誕生”ではないが、隆雄さんと昭子はミニ信仰宗教を作ろうと考えていたようだ。

庭に大きな穴を掘ったり、外気が侵入しないように窓には目張りが施された。若狭隆雄さんの先代は繊維関係の事業を営んでいて所有する土地もあり資産家であった。その財産は、この不肖の兄妹によって胡散霧消している。オウム真理教を思わせる事件も起きていた。信者が現れるのである。その信者は、夫から逃げてきていた。それも持参金付きである。その夫は、若狭家に押しかけ大騒ぎになっていたらしい。兄妹は、突然羽振りがよくなった。新車クラウンに乗り換えて走り回っていたという。だが、この不可解なミニ宗教が拡大することはなかった。やがて、一家の生活は困窮していく。「---苦しいが神様が何とかしてくれる--- 」と、昭子は意に介さなかったらしい。昭子は子供たちが中学を卒業すると進学も就職もさせなかった。「子供らは神に仕える身なんやで。普通の子らとは違うねんで」それが彼女の口癖であった。結局、餓死させてしまうのだ。長女41歳、次女35歳、三女29歳、四女28歳、長男27歳が犠牲になった。おそらく妹の昭子は、子供たちを餓死させることで、その穢れが清められ、あの世に逝けると考えていたのだろう。---理解不能である。

平凡な主婦がなぜ極悪人と逃避行---主婦が嵌った陥穽「大和市主婦連続殺人事件」の震撼

世間に衝撃が走ったのは平成13年8月28日。大和市内のマンションの一室で主婦の無残な他殺体が発見されたのである被害者は全裸で仰向けに倒れていた。腹部に包丁が刺されたままである。さらに着けていたスパッツが首に巻かれていた。主婦には暴行された形跡もあった。それから3週間後の9月19日、第一の現場から近いマンションで第二の強盗殺人が起きている。ここでも主婦が襲われた。まるでミイラのように顔面をガムテープでぐるぐる巻きにされ浴槽で窒息死していた。小学生の子供が帰宅し、殺された母親を発見したのである。どちらも通帳やカードを盗まれていた。相次ぐ残虐な強盗殺人発生に周辺住民は震え上がった。そして、9月26日二人の男女が逮捕された。女性は「山本章代」事件当時40歳の主婦である。彼女は上場会社に勤務する夫を持ち、子供が二人いた。表面上では、経済的に恵まれていて、強盗殺人などおよそ縁のない生活を送っていたのだが、平成15年4月30日、横浜地裁で無期懲役を言い渡されている。共犯の男は、盛岡市出身の「庄子幸一(事件当時48歳)」窃盗、放火、強姦、暴行を繰り返し前科多数、服役歴がある札付きの悪党である。なぜこの二人が出会ってしまい、なぜ愛人関係に堕落したのか大いに疑問が残る。男女の仲とは不思議なものだ。では、「山本章代」の転落の様子を見ておく。兵庫県相生市生まれ。県内の私立高校を卒業した。会社員と結婚し二人の娘を出産した。その後育児ノイローゼに罹っている。夫は多忙で家庭を顧みず、彼女は不満を募らせていた。きっかけになったのは、ねずみ講の詐欺クラブ「KKC」の被害に遭ったことである。彼女は200万円を騙し取られている。夫はこの借金に激怒し、生活費を渡さなくなった。章代は仕方なくアルバイトを始めた。そして小田急鶴間駅のそばのスナックで働き始める。その店にやってきたのが「庄子幸一」である。平成12年4月であった。彼は章代に惚れてしまい、身分を詐称してプレゼントなど繰り返し、歓心を買った。章代は地獄へと引きずり込まれる。スナックのマスターは「気が利かない、客とまともな会話ができない、陰気---そのくせ男性客とすぐに寝る---複数客と身体の関係があった---」と章代に手厳しい評価をしていた。平成12年10月、二人は失踪する。東北から近畿まで各地を転々とした。その途上で彼らを無残な強盗殺人に導く「女性祈祷師」と知り合った。実は、章代の母親は、ある信仰宗教にハマっていたのだ。その”素養”があったせいか、章代は神秘体験などに無関心ではなかった。それに庄子幸一は付け込んだ。祈祷師は告げた、「5人の人間を排除すれば二人は幸せになれる---」と。それを庄子は殺人をすればよいと解釈した。彼は章代の知り合いに的を絞った。共犯者に仕立てるためだ。襲われた二人は章代の知り合いである。二人目の被害者は章代をKKCに誘った主婦である。最初の犠牲者は章代と同じマンションに住んでいた。庄子は、二人の主婦が「近所に章代の悪口を言いふらしている」、などと嘘をついて殺人鬼に育て上げた。ただの強盗ではなかった。性的凌辱を加えている。命乞いをする二人に対し、章代は笑みを湛えながら、庄子と二人で主婦の首をしめている。彼女は、サイコパスの素質があったのだろうか。逮捕後「---殺してすっきりした、ぐっすり眠れるようになった---」と言い放った。捜査官は、彼女の態度に仰天した。あまりにも罪の意識がないことに驚いた。「女性祈祷師」の罪は大きいと云わざるを得ない。

殺害を打ち明けられた後に求婚---埼玉「看護婦バラバラ殺人事件」究極の三角関係

その三角関係に出口がなかった。ただ一つ”殺人”という究極の解決を選ばなければ。残忍な事件は、大宮赤十字病院(現・さいたま赤十字病院)を舞台に勤務していた看護婦仲間で発生した。2001年4月7日である。原因は三角関係のもつれである。看護婦(現在は看護師)二人を手玉にとり、あろうことか殺害を打ち明けた「金田朋子」(事件当時24歳)にプロポーズしたのは、証人として出廷した恋人の男性(同30歳)である。殺されたのは金田の同僚「永田悦子さん」(事件当時23歳)である。金田は、遺体を解体するために事前にフードプロセッサーまで用意していた。男性は金田が高校3年生のころから付き合い始めた。すでに6年になる。永田悦子さんは、金田朋子の紹介で証人と知り合った。二人の看護婦は友人同志であった。妙に気が合った。二人で旅行もした。何でも言い合える友人である。だから、金田は証人を永田に紹介し、3人で食事もしていた。金田にとって男性は、高校時代に処女を捧げた大切な恋人であった。だから、親友であろうと彼を横取りする行為は許せなかった。大抵は、この三角関係は成立しない。第三者は普通身をひくものである。だが、その当然の成り行きにならなかった。発端は、金田が彼氏の携帯を覗いたからであった。そこには、下着姿の永田悦子さんの画像が残されていた。当然、金田朋子は怒り狂った。自宅に永田を呼び寄せ、絞殺に及んだ。遺体をバラバラに解体し2ヶ所に遺棄した。法廷に証人として呼び出された男性を弁護士が詰問している。それは、異様な光景であったらしい。弁護士は、出廷した男性をあたかも「真犯人」かのように厳しく問い詰めている。もちろん、金田は不倫疑惑の二人と会い、今後は二人で会わないことなどを約束させている。この時点で彼氏が永田との縁をすっぱり切っていれば事件は起きなかった。たいがいそうなって納まるものだ。だが、その後も彼氏は永田悦子と不倫を重ねた。店長が思うに、この男は優柔不断であったのだろう。不倫の解消には大変なエネルギーを必要とするものだ。恋人よりも浮気相手のほうが魅惑的に見えるものだ。それに性行為は、恋人よりも浮気相手のほうが快楽は倍化される。金田朋子は、どうすべきだったのだろう。彼女はフードプロセッサーを買う前に、しばらく冷却期間を置くべきであった。職場も替えるべきであった。「---永田さんに対して、あなたは今どう思っていますか」法廷で弁護士に質問された被告人「金田朋子」は、このとき「---私の方が死ねばよかった---」と答えてその場で号泣したという。

頭が痛いのは「ムジナ」のせい---イタコ信仰(土俗信仰)を信じて息子を殺害「青森イタコ信仰殺人事件」の深淵

作家の三島由紀夫が割腹自殺する一月前にその事件は起きる。1970年(昭和45年)12月8日であった。青森県東津軽郡蟹田町で、青森工業高校3年生(事件当時18歳)が自宅で絞殺された。犯行に及んだのは母親(事件当時48歳)である。当時はまだこの地方に「イタコ信仰」が色濃く残っていた。ちょうど息子は自動車学校に通い始めていた。運転すると決まって酷い頭痛がした。病院で診断を仰いだが、眼鏡をかけずに運転するせいだと判断された。眼科で治療するように勧められた。だが母親は眼科には行かなかった。「イタコ信仰」で治ると信じていた。数日経過したが頭痛はさらにひどくなった。母親は「お前の信仰が浅いせいだ」と息子を𠮟りつけた。信心深い母親は祈祷師を訪れた。「---息子にはムジナのような魔物が憑りついている---ムジナをたたき出せば頭痛は治るだろう」と告げられた。12月8日未明、母と父親それに妹の3人はムジナを追い出そうと懸命になった。息子が暴れないように腰にしがみついていた。そして母親は顔を叩いたり引っかいたりした。さらに痛がるので首を絞めてしまう。信じられるだろうか。昭和45年である。戦後経済が拡大し、大学進学率がピークに達しようとしていたのだ。これでは「生き神様」ではなく「死神様」ではないか。さらに、この年に何があったかを俯瞰してみる。3月には、「大阪万国博覧会」が開催された。「よど号ハイジャック事件」も3月に起きていた。

現役女子大生が自宅に忍び込み両親を刺殺---「札幌・両親強盗殺人事件」の衝撃

平成3年11月22日未明、道庁職員夫婦が惨殺された。札幌市北区新川四条八丁目の冷え込んだ夜であった。夫妻の姿が忽然と消えたのだ。行方不明になったのは「池田勝明氏」(事件当時45歳)と妻の「泰子さん」(同45歳)である。翌平成4年1月26日に池田夫妻は無残な遺体で発見された。二人は後部座席に入れられ、クルマごと焼かれていた。死因は、全身をメッタ刺しにされたことによる失血死であった。刺傷は背中から心臓を貫いていた。数日前から事情聴取を受けていた池田夫妻の一人娘「池田真弓」(事件当時19歳)が逮捕された。さらに真弓と同棲中のイベント会社の経営者「安川奈智」(事件当時24歳)が逮捕されている。イベント会社と云っても上辺だけで実態は無きに等しかった。安川はホストのバイトで暮らしていた。犯行に及んだカップルが知り合ったのは、札幌で行われたイベント・コンパニオンのオーデイションである。面接していたのが「安川奈智」であった。二人はすぐに交際を始めるが、「池田真弓」は、すでに他の男の子供を妊娠していたらしい。現代っ子と云うべきか。おそらく真弓は性的に放埓な人格障害者なのだろう。学校の成績は悪くはなかったようだ。一人娘で過剰に甘やかされて育ったのだと推測できる。彼女は身長が高く、均整がとれて、まるでアイドルになれるような容姿だったと云う。中学・高校時代には周囲の賞賛を浴びていたのに違いない。この鬼娘は両親に嘘をついて同棲していたが、それがバレそうになった。--親に連れ戻される!そう思ったとき、彼女は親の殺害を考えた。怖ろしいまでに短絡的、あっぱれな程に幼稚である。いったい、どのような育て方をすれば、このような鬼娘に育つのだろうか。店長の私は、当該家族の〝業”の深さに怯えるのだ。真弓は、この両親を殺害するためにここで生まれ、実行するために生育し、共犯者を必要とするために安川と出会ったのだろうか。そのために類まれな容姿で娘へと成長したというのか。1審法廷では、安川のアダルトビデオの見過ぎとも云える異常な性癖が暴露された。その異常な愛にハマったのが真弓である。法廷では、二人の証言は悉く食い違いを見せた。お互いを非難し合い、そっちが主犯と云い募った。下された判決は、ふたりとも無期懲役である。二人を強盗殺人、本来なら主犯格に死刑が下されるはずであった。だが、どちらが主犯でどちらが従犯と決定できなかった。裁判官は苦渋の選択をした。あと数年でこの二人は仮出所するだろう。更生するのに十分な時間がある。どうか真っ当に生きていって欲しい。

主文「被告人は無罪」---完全黙秘を貫いた疑惑の毒婦「札幌・社長令息誘拐殺人」の迷宮

疑惑毒婦は「工藤加寿子」。平成13年5月13日、札幌地裁五号法廷の午前10時、記者が駆け出した。城丸秀徳君(事件当時9歳)誘拐殺人の判決が下ったのだ。判決は推定「無罪」であった。状況証拠だけであったこと。殺意を立証できなかったこと。明白な殺人罪として裁くことが出来ず、すでに過失致死罪では時効が成立していることなどがその理由であった。秀徳君は昭和59年1月10日、1本の電話を受けた。そして防寒着を羽織って自宅を出た。家族が彼を見たのはそれが最後であった。家族は警察に連絡したが、行方は4年間も掴めなかった。そして---4年後、1軒の焼けた農家の納屋から人骨が発見された。この農家の夫は火事で焼け死んでいた。その妻が「工藤加寿子」である。その人骨は細かく砕かれビニールに入れられていた。親戚が偶然に見つけたのだ。DNA鑑定の結果、それこそ「城丸秀徳君」であった。秀徳君失踪後、加寿子は再婚してこの農家に嫁いでいた。誰が秀徳君を隠したのか。そして、農家の主人は2千万円あった貯金をほとんど加寿子に引き出され、保険の受取人を加寿子名義に変えさせられていた。2億円もの保険金を加寿子は請求せずに立ち去っている。おそらく「保険金殺人」として捜査の手が伸びたのを察知して受け取らなかったと思われる。貯金を使っただけで良しとしたのだろうか。この火事は過失とされた。この毒婦は何者なのか。垢抜けした美人だったのだろう。加寿子が再婚した農家の主人は、お見合いの席で一目ぼれしてしまった。そして「農作業は出来ません」という加寿子に「何もしなくてもいい」と答えて結婚を申し込んでいる。多額の保険金は宙に浮いた。「被告を有罪とするには、なお合理的な疑いが残る」---検察側は直ちに控訴した。秀徳君失踪から、遺体発見まであまりにも遠かった。無罪の報道が流れると、その分かりにくい判決には世間に動揺が走った。

黒い”民生委員”は死神の代理人---「名古屋民生委員強盗殺人」の震撼

希代の毒婦は担当する高齢者の金銭を奪った。この毒婦も異常な性欲女である。まるで”黒い看護婦”として知られる「吉田純子」を思い出す。毒婦の名は「江角一子」(事件当時57歳)である。平成17年3月22日、名古屋市北区市営団地で高島静子さん(当時83歳)が絞殺された。当初、心不全の見立てであったが、静子さんの娘が死後に貯金が全額引き出されていることに気が付き、警察に届け出た。調べてみると、銀行で静子さんの預金を引き出す江角の姿が捉えられていた。静子さんの司法解剖から、睡眠導入剤が検出され、首には絞殺を示す痕跡があった。ところが明確な物証がなかった。逮捕された江角一子は一貫して容疑を否認し1審では冒頭から荒れている。弁護人は、冤罪の可能性を指摘している。さらに、立件されていないが江角と交際していた男性が二人も相次いで不審な死を遂げていた。この頃、江角の家計は破たん状態であった。平成17年3月、この時点で江角一子の借金は840万円を超えていた。それを夫が知ったのは事件後ではあったが。江角は遊ぶ金欲しさに夫に無断でローンを借りていた。たぎる異常な性欲と金銭欲に江角は精神を狂わせていた。返済が滞ると援助交際を始めている。典型的毒婦であった。では、「民生委員」とは如何なる職業なのだろう。報酬が発生するわけではない。無給で生活を援助するボランティア活動である。穿った見方をするなら、江角一子は初めから高齢者の金銭を狙っていたと云えるだろう。静子さん以外に不審死を遂げた男性からも睡眠導入剤が検出されている。名古屋高裁で開かれた控訴審判決でも1審同様に無期懲役が言い渡された。毒婦にはくれぐれも気を付けたい。

愛人の妻を亡き者に---黒い女医による「女医モルヒネ注射殺人事件」の震撼

究極の略奪愛は、”黒い女医”が引き起こした。女医「倉山桃子」(事件当時27歳)は、採血と偽り毒を注射して愛人の妻を殺害したのだ。事件は1951年(昭和26年)11月9日であった。場所は、東京都西多摩郡の医師「三田剛文」(事件当時36歳)宅で起きた。妻「八重子さん」(同33歳)が口から血を出して倒れていた。不自然な死だったので検視が行われた。その結果体内から塩酸モルヒネ0.5gが検出される。これは、即効性の鎮痛剤として使用される劇薬である。「倉山桃子」は「三田剛文」の愛人であった。二人の関係は、三田の妻が結核を発症し入院した時からである。三田は派手な女医の悪魔の手招きに応じて地獄行のバスに乗ってしまう。「倉山桃子」は、三田の後妻の座を期待して身体をまかせていた。昭和26年当時には、まだ怖ろしい病気であった。「--ねえ、あたしを妻に--してくれる?」許されない愛ほど情欲がたぎり、情念が燃え盛る。「倉山桃子」は有頂天になっていた。---ところが、八重子さんは無事に回復し退院したのだ。同時に彼女に対する三田の態度が変わってしまう。冷たい態度を取るようになった。妻のところに戻っていく---当然の成り行きであった。だが、後妻を切望する「倉山桃子」には、受け入れがたい展開であった。「---身体を弄ばれただけになる---やがてぼろ雑巾のように捨てられる---」そう思うと理性を失ってしまった。女医の彼女は、人の命を奪うことなど造作もなかった。策を練った。劇薬モルヒネを妻の体内に注射して殺す。妻が一人になっているすきを狙い、「すみませんがストレプトマイシンの治療を受けている方の血液を研究しているんで、ぜひ協力してください」と八重子さんに申し出た。八重子さんは、亭主の浮気相手が自分の命を奪いに来たなどとは夢にも思わずに採血に協力した。数分後、彼女の血管には大量のモルヒネが注入されて息をひきとった---八重子さんは、通常の40倍の量のモルヒネを注射され呼吸困難に陥る。三田剛文は、妻の入院中、自宅に桃子を招き入れ情交を楽しんでいた。愛人を自宅に招き入れ、後に事件に発展するケースは少なからずある。だから、やってはいけない軽はずみな行為であったと云える。参考人として事情聴取を受けることになった桃子は、直前に服毒自殺を図った。だが福生病院に緊急搬送され死ぬことは叶わなかった。退院後に殺害を自供する。”黒い看護婦”「吉田純子」を思い出すような殺害であった。

埋まらない年齢差---年下夫の心変りが許せなかった「木更津年下夫刺殺事件」の悲劇

女性の容姿は、いつしか衰える。恋愛感情は持続できない。年齢差はいつしか障害になるだろう。特に女性は深刻だ。恋愛感情が家族愛に変容して行くのが普通のカップルだ。だが妻が14歳も年上だと夫の関心が薄れていくのは阻止できない。それは、より良い子孫を残したい男性の本能的な欲求でもある。木更津で起きた夫殺しは、様々な波紋を生んでいる。殺された夫の母親は精神に不具合を生じてしまった。事件は2003年(平成15年)10月8日に千葉県木更津市で起きた。袖ケ浦市の井戸谷堰で男性の遺体が見つかった。遺体には重しが付けてあった。ほどなく身元が判明する。被害者は「増田雄大さん(当時29歳)」袖ケ浦市職員である。夫殺しの妻は「増田光子当時(43歳)」、14歳年齢差のある夫婦であった。妻は再婚で連れ子がいた。現在、その娘は夫の養女となっている。この夫婦に何があったのだろう。二人の出会いは袖ケ浦市役所、つまり職場結婚である。二人は机を並べて仕事をしていた。そのうち増田雄大さんは、光子の身の上話を聞いて、同情を寄せるようになった。小柄な彼女をみて「オレが護らなければ」と思うようになっていた。後戻りできない恋愛感情が湧き上がっていた。やがてプロポーズする。光子は14歳の年齢差を気にして最初は断っていた。だが、増田雄大さんは諦めなかった。熱心に口説いた。彼の両親は猛反対した。無理もなかった。「--救ってあげたい親子なんだ」と、云って譲らなかった。むしろ、周囲の反対が19歳の彼の心を盲目にしてしまう。彼は予想もしなかった。10年後、愛情がさめてしまいほかの女性に関心が移ってしまうことを。事件後に判明したが、増田雄大さんは激昂しやすい、切れやすい激しい性格であったらしい。交際中に一度、光子をなげとばし、足を骨折させたこともある。食卓をひっくり返すなど日常茶飯事であった。彼は、いったん感情に火が付くとどうしようもなかった。殺害にまで至ったのは、その暴力性に妻が耐えられなかったせいもある。浮気だけではなかったとも云える。妻の心を踏みにじった夫の決定的な”背信”は、平成15年5月中旬である。妻は心中穏やかではなかった。自分の加齢、衰える容色、対するに夫は男盛りである。ふと息子が云った言葉、「いちごのお姉さん」は、その浮気相手であった。浮気相手の女性に息子を会わせていたのだ。「---彼を殺したい---他の若い女に寝取られるぐらいなら---」光子は”母親”になれなかった。”女”であった、いつまでも---さらに光子は潔癖症でもあった。雄大さんが「護ってあげたい」と思っていた光子は、今やどこにもいなかった。10月8日、光子は夫殺しを決行する----埋めようのない年齢差、時の流れはあまりにも惨酷であった---

結婚したばかりの美人妻は精神異常者---夫の究極の選択は殺害、「町田・新婚妻絞殺事件」の憂鬱

殺された新婚妻は「人格障害者」であった。夫がそれを知ったのは事件後のことである。同情すべき加害者は、名前を「川上仁志(事件当時34歳)」という。関東学院大学工学部卒業、静岡県出身である。彼は、健康食品会社の町田店店長を務めていた。そして平成19年5月6日、憂鬱な事件は入籍後わずか3ヶ月で発生したのであった。新婚カップルが出会ったのはおよそ1年前、町田駅からほど近い居酒屋である。彼女は美貌であった。大きい瞳、キュートな唇。薄幸そうな整った顔立ちを一目見て、仁志は彼女に惚れてしまった。その酒場で携帯メールのアドレスを交換した。そして1ヶ月後、二人は同棲する。交際期間が短すぎると、店長の私は思う。もし、精神科の治療歴などを知っていれば、真面目な仁志は、プロポーズしただろうか。少なくとも、大急ぎで入籍する愚を犯さなかったに違いない。妻は、「短気」な女だと彼は思っていた。だが、それも度を越していた。妻は怒り始めると手が付けられなかった。手当たり次第にモノを投げ、家具を叩き壊した。さらにカーテンを引き裂き、電話線をハサミで切った。尋常ではない行動だ。いったい、この妻はどこでどう育ったのだろう。その妻、「渡辺和子」は、福島県二本松市で昭和53年に生まれた。仁志とは3度目の再婚である。過去2度とも夫が彼女の暴力行為に耐えられず結婚生活が破綻している。臨床心理士は、このような症状を「境界性人格障害」と呼んでいる。特徴は、対人関係において著しく心が不安定なことだ。「美人」とは、どれだけ罪つくりなものなのだろうか。この「美人」と対極にあったのが「連合赤軍」という政治カルトを率い、同志に殺害を命じていた「永田洋子(脳腫瘍で獄死)」であった。美貌にも、その対極にある醜い容姿にも気を付けたいものだ。店長は、事件をさまざま調べていて思うのだが、犯罪につながるような男女の出会いの場所は、あまり誉められた場所ではない。居酒屋、スナック、ガールズバー、キャバクラなど---である。さらに交際期間が短すぎるのだ。容姿を見て気に入るとすぐに関係を持つ。およそ、正しい恋愛とはいえない。法廷で、和子の母親と妹は、「優しくていい娘だった」「姉は悪くない。おかしくはなかった」と証言している。だが、最初の結婚をする前、父親と口論してダンベルを窓に打ち付けて壊し、警察の厄介になっている。そのときすでに和子は精神科の治療を受けていた。交際が長ければ、「川上仁志」は結婚しなかったはずである。平成20年、東京高裁において「懲役9年」の判決が言い渡された。

多重人格を装った希代の悪女---大阪発「三角関係猟奇殺人」の顛末

その霊能者のような”ネームバリュー”だが、女は地獄の案内人であった。名前を「深見碧琉(事件当時32歳)」である。2005年11月3日淀川で男性の水死体が発見された。それはあまりにも無残な姿であった。両足はワイヤーで縛られ、腰にはダンベル、3㌔と5㌔のプレート2枚が付けてあった。

さらに置き石を抱えている。明らかな他殺体であった。変死体の身元特定は難航した。ようやく4ヶ月になろうとしたころ判明する。男性は淀川区在住の「三好翔さん(事件当時19歳)」の変わり果てた姿であった。府警は交友関係の線に的を絞った。そして浮かび上がったのが「深見碧琉(ふかみそる)」と元自衛隊員の「宇津隼人」である。「三好さん」と「宇津」はイベント企画会社で知り合い、たちまち意気投合した。さらに、結婚歴を隠し2児の存在を隠していた「深見」が加わって奇妙な3人の共同生活が始められた。この性悪女と「宇津」には肉体関係があった。それが三角関係に発展する。「宇津」は「三好さん」を問い詰めた。三好さんは、「碧琉は抵抗もしなかった」と釈明する。「宇津」は激昂した。これが三好さんにとっては、繰り返される業火の始まりであった。睡眠薬に向精神薬を無理やり飲まされる。さらに手足を拘束された。これらは「深見」の指示であった。「深見」は、カッターナイフで三好さんの全身を切り裂いた。さらに傷口に熱湯を浴びせる。毎晩繰り返される虐待、三好さんは次第に衰弱していくのだ。捜査員が冷蔵庫にあった赤い液体を調べたところ、それは三好さんの血液であった。「深見」がお茶代わりに飲んでいたようだ。信じられるだろうか。吸血鬼のような悪女である。2006年5月23日、ようやく二人は逮捕される。捜査員は仰天した。それは「宇津隼人」の身体にも夥しい裂傷があり下手な刺青のような殴り書きがあったからである。いったい「深見碧琉(そる)」とは如何なる悪魔の申し子だろうか。その生い立ちは不幸そのもの。1973年、彼女は下関で生まれた。1歳のとき両親が離婚し、親戚の家をたらいまわしにされる。およそ親の愛情を知らずに育った。中学生になってやっと実の父に引き取られたが、これは地獄の入口であった。「碧琉」は父親から強姦される。何度も繰り返されたらしい。彼女は児童相談所へ駆け込んでいる。初体験の相手が実の父親である。それが「深見碧琉(そる)」の「思春期」であった。およそ思春期の娘にとって父親の体臭は生理的に受け容れ難いものだ。それは、太古の昔から、「近親相姦」を防ぐための人類の叡智だとされる。どれほどに怖く、けがらわしい思いがしたことだろう。彼女は2度の結婚に失敗したが、その直後に言動がおかしくなっている。精神に変調を来たしたのだ。おそらく、この中学時代の隠微な体験が原因だと想像できる。それからである。他人の身体を傷つけては精神病院の厄介になっている。「三好さん」と「宇津」は、とんでもない魔女と関係をもってしまった。彼女はまた、虚言癖にも秀でていた。まるで福岡の「黒い看護婦」のようであった。2007年9月27日、大阪地裁にて求刑通り懲役25年が言い渡された。だが、この「サイコパス」に罪の意識は毛頭なかった。「深見碧琉(そる)」は、人の心をどこかに置き忘れることで精神の平衡を維持していたのかも知れない。彼女は、あくまで「宇津隼人」の暴力に耐えかねて従ったまでと強弁したが、「宇津隼人」の顔には切られた傷跡が残っていて、さらに左手人差し指は欠損していた。睡眠薬で眠らされ、彼女に切られたのであった。父親は性行為だけでなく暴力も振るっていたのではないだろうか。地獄の人生であっただろう。人の心を捨てざるを得ないほど尋常ではない人生だったのだろう。もちろん、だからと云って彼女の罪が許されるはずがない。

中国人妻は何故園児を殺したのか---痛ましい「滋賀幼稚園2児刺殺事件」の不可解な残忍さ

琵琶湖北東岸に栄えた城下町、それが長浜である。秀吉が城持ち大名に出世したのがこの地である。ここに中国人妻がいた。日本名「谷口充恵」(事件当時34歳)本名「鄭永善」、中国黒龍江省出身の朝鮮族であった。この当時、農村では海外からお嫁さんを招いた。日本人では、農家へ嫁ぐ女性が年々少数派になっていたからである。フィリピンや黒龍江省からは、数多くの花嫁さんがやって来ていた。だが、その花嫁さんが、すべて農家を希望したわけではなかった。「---日本は進んだ国、何でも叶えられる---努力次第で何にでもなれる」日本渡航の目的は、第一に「貧困からの脱出」であった。中国でお見合いをして婚約する。愛情からの結婚ではなかった。「鄭永善」は、大学を卒業している。彼女の上昇欲求は誰よりも強かった。「豊かになりたい---日本人よりも」そう、当時の出身地は極貧の一帯と云われていた。ロシア国境近くの寒村である。だから、日本に行きたい若い女性はいくらでもいたのだ。その彼女が嫁いだ先が滋賀県長浜市であった。谷口さんは、ほがらかな彼女を見て一目で気に入った。だが、現実が彼女の上昇欲求を容赦なく叩き壊してしまう。「---こんなハズではなかった。こんなハズでは---」何度そんな風に呟いたことだろうか。日本へ渡れば明るい未来が待っているハズ--ではなかった。自分の娘は幼稚園で仲間はずれにされている。イジメられているのではないか。その想いは、ほとんどが彼女の妄想であったようだ。事件後、精神鑑定が行われた。統合失調症---精神の不具合である。正常な意識で為されるはずがなかった。あれほどの残忍な振る舞いが、気軽にできる母親がいるだろうか。二人の園児は送迎当番の彼女のクルマの中で何度も刺され、農道に捨てられた。まるで、不要になった人形を捨てるように---この前代未聞の残忍な犯行は2006年2月17日午前9時頃に発生している。二人の園児は20数か所も刺されている。その悪魔の様子は、自分の娘が一部始終を目撃している。娘は、相当なトラウマを抱えて生きていくことになった。法廷でこの悪魔は「砂人形を刺しただけ!血も出ていない!」と言い放ったという。私は「砂人形---」と聞いて松本清張の「砂の器」を思い出した。この「砂人形」は自分のことなのだ。砂の造形はもろくはかない。日本社会に溶け込むことができなかった不幸な砂人形。それこそ「谷口充恵」であった。

暴走する”怒りの中年女”---名古屋市を震撼させた「通り魔連続殺傷事件」の恐怖

名古屋市の住宅街で女性の通り魔が現れたのは2003年3月30日の夕方であった。午後7時50分頃に、看護師の「菅谷悦子さん」(事件当時22歳)は、勤務を終えて自転車で友人と通りかかった。そこで女性に呼びかけられた。「---すみません、道をおしえてください」女はやおら自転車から降り、買い物かごに入れてあった袋からから包丁を取り出した。そしていきなり菅谷さんの腹部を刺したのだ。友人は咄嗟に自転車を女の方に投げ出していた。菅谷さんは激痛に耐えながら150㍍先の自宅まで逃げ帰った。玄関先で倒れた彼女は救急搬送されたが、症状は重篤で傷は15cmにも達し腸がはみ出していた。応急処置も空しく二日後に息をひきとった。---さらに、4月1日の白昼惨劇が起きる。名古屋市千種区の路上で近所に住む「遠藤美里さん」(事件当時22歳)」が中年女に刃物で襲われ重傷を負った。所持金や携帯も奪われている。遠藤さんはシャネルのバッグを携えていた。それを狙われたようであった。警察では同一犯と断定し捜査を開始した。共通点は、年齢背格好が同じようであったほか「赤い自転車」が犯行に使われている。目撃情報から犯人の似顔絵が作成され本格的な捜査が始まっていた。「赤いママチャリに乗った赤い服の派手な中年女」は、こうして名古屋市を恐怖に陥れた。菅谷さんが殺害されてから5ヶ月、8月28日未明であった。名古屋市守山区で派手な格好の女泥棒が逮捕された。警察は、その派手な中年女が通り魔だとは思わなかった。単なる窃盗犯だと考えていた。だが、女の家を家宅捜索するとトンデモない物証を発見した。それこそ、「遠藤美里さん」の所持品であった。しかも包丁も見つかっている。派手な中年女は、「伊田和世」(逮捕当時38歳)といい、無職の独身である。この中年女は、「頭がいかれた女」として近所では有名で、トラブルメーカーとして知らぬものが居なかった。一見して「水商売」と分かってしまうネグリジェのようなフリルが付いたワンピースを好んで着て、赤い自転車で名古屋市内を走り回った。ブランドのバッグを持ち歩いている女性から強奪しようと物色して回ったのだ。和世は中学を卒業すると夜の世界でバイトを始めた。およそ職業に貴賤はないが、23歳ごろから25歳ごろまでソープ嬢であったらしい。小学校ではすでに不登校ぎみであり、勉強は出来なかったという。おそらく精神を病んでいたのではないだろうか。いったい彼女は、どのような生育環境に置かれていたのだろう。彼女の母が変わった人物であったようだ。「嫌なら学校へ行かなくてもいい」と云っていた。そのせいか授業には全く関心がなかった。優れていたのは顔立ちぐらいだった。薄化粧をして通学した。目鼻立ちがはっきりした清楚な美人であった。両親は仲が悪かった。母は家事が苦手だったらしい。それに短気であった。近所の人は、母親の怒鳴り声を聞かない日は無かったという。

水道業を営む父親は真面目な男であった。そして家事をサボり子育てもいい加減な妻に愛想をつかして、和世を残して家を出てしまった。店長の私は、インドで発見された、オオカミに育てられた少女の話を思い出した。「伊田和世」は、オオカミに育てられたのだろう。だから、常識を理解できなかった。せっかく美人に生まれながら、彼女の人生はオオカミさながらの”非常識な”ものであった。2006年2月24日、刑が確定する。無期懲役であった。重大犯罪は母親が生み出す。少し古いが「母原病」という言葉があった。「宅間守」も「加藤智大」も母親を殺したかった。そして「伊田和世」もまた、本当は母親を殺したかったのではあるまいか。

未入籍の妻はD.V被害者?---「荒川放水路巡査バラバラ殺人事件」の情状酌量

戦後、米国の対日講和条約が発効された、1952年の(昭和27年)5月10日であった。荒川放水路で男性の胴体が発見された。すると5月15日には首が見つかっている。さらに上流の荒川鉄橋下で両腕が見つかった。その手指から指紋が採取され、すぐに照合が行われた。そしてバラバラ遺体の身元が判明した。警視庁志村署警邏係「伊藤忠夫巡査」であった。巡査は数日前に行方不明になっていた。警察は、内縁の妻「宇崎富子(事件当時26歳)」を連行して厳しく追及したところ、少しずつ自供を始めた。「富子」は志村第三小学校の教員であった。報道されるや世間は騒然となった。小学校教師が犯した猟奇殺人に世間は沸騰したのである。次第に彼女の犯行動機が明らかになった。伊藤忠夫は富子を入籍しなかった。隠していた借金があった。毎晩飲んだくれて帰宅した。泥酔しては暴力を振るった。富子は懸命に節約して借金返済に努めていた。だが、伊藤はそのお金までも飲み代に使ってしまった。富子が咎めるとピストルを持ち出して暴れたという。さらに「お前を売れば金になる」など暴言を吐いていた。その暴言を浴びせられた夜に富子は、忠夫を殺すことを決心する。引っ越しで使った麻縄が押し入れにあった。その縄を泥酔して寝入っている忠夫の首に巻き付け2時間もの間引っ張り続けたのだ。あっけなく死んでくれた「伊藤忠夫」は、すでに人格が破たんしていたと思われる。勤務態度も悪く解職寸前でもあったらしい。およそ巡査としては失格者であったが、同時に人間としても失格者であったようだ。物音で目が覚めた同居中の実母はさすがに驚いたが、自首を勧めるどころか、死体の処理を手伝った。親子で2時間以上かけて死体を解体するのだ。まるで食材を準備するかのように手際がよかった。荒川放水路の入り江で最初に胴体が発見されたが、見つけたのは子供であった。「---お化けがいる!---」と大騒ぎになったのだ。戦後起きたバラバラ殺人、それは同居する内縁の妻が夫を絞殺するといった象徴的な事件でもあった。もはや女性は、社会で抑圧された存在ではなくなっていた。新聞や雑誌にはさまざまな論評が掲載された。「戦後強くなったのは、女性と靴下」である。「宇崎富子」には懲役12年、実母には懲役1年6ヶ月の判決が言い渡された。実母はまもなく死去した。富子は模範囚として静かに刑務所で暮らした。そして皇太子(現・平成天皇)ご成婚の特別恩赦を受けて出所している。

正常な少年の異常な殺人---「河内長野家族殺傷事件」の背後にいた美少女

大阪府河内長野市でその惨劇が発生する。それは2003年11月1日であった。当時18歳の私立大学生が家族に刃を向けた。彼は母親を刺し殺し、弟と父親に重傷を負わせて逃走した。逃げる時クルマには交際中の女子高生(16歳)が助手席に乗った。大学生が美人女子高生にそそのかされて犯行に至ったという。この事件は「ゴスロリ家族殺傷事件」としてかなり有名になる。少女は「大学生と暮らしたかった。そのために家族が邪魔だと思った」と供述している。なんという短慮さだろうか。これを店長は「ゴスロリ症候群」と呼びたいと考えている。この問題少女、自殺願望を匂わせていた。自身制作のホームページにはリストカットの自撮り画像をアップしている。「ゴスロリ」とは造語であるが、中世を現すゴシックと少女を意味するロリータを合わせて作られた。もともとビジュアル系ロックバンドの熱狂的なファンの間で広まっていたファッションをさしていた。少女も自分の家族を消すために刃物を用意していた。彼らはパトカーに追跡され逮捕されている。取り調べによればお互いの家族を殺す計画を1ヶ月前に立てていた。その後一緒に暮らし「心中」をするつもりだったらしい。なんという「甘え」だろうか。いったいどのような生育環境にあったのだろう。親の顔を見たいと店長は不愉快になった。事件は身の毛がよだつ様相を見せているが、案外単純なものかも知れない。彼らは、江戸時代の「駆け落ち」に憧れていたのではあるまいか。それなら、”中世”ではなく”近世”だ。さらに成就しない恋に憧れていた。”ゴスロリ”に身を包めば、クソ面白くもない彼らの現実を忘れさせてくれた。彼らの家には逃れようのない”現実”があった。その現実を消し去ってしまいたかった。少女にそそのかされて、青年は自分の家族に刃を向けた。この二人は、どちらも自殺願望に苦しんでいたに違いない。駆け落ち心中を計画する前に、勝手に自殺でもなんでもしてほしかった。

邪推が嫉妬を生み殺人へ---妄想する女たちの葛藤「福岡美容師バラバラ殺人」

熊本県九州自動車道玉名P.Aでビニール袋に入れられた人の左腕が見つかった。1994年3月3日である。そして福岡では右腕が見つかった。さらにJR熊本駅のコインロッカーから女性の胸部と腰部が発見された。乳房は刃物でえぐり取られていた。遺体の一部から被害者の身元が判明する。福岡市中央区天神町の美容室に勤める美容師「岩崎真由美」さん(事件当時30歳)であった。この猟奇性の故に世間は大騒ぎになった。捜査は身近な人間に絞られた。そして遺体を運んだレンタカーが特定され容疑者の逮捕に至った。犯人は被害者女性と同じ美容室に勤務する「江田文子(事件当時38歳)」、美容室で経理担当の女であった。遺体を必要以上に損壊したのは身元特定を遅らせる目的だと思われた。警察の取り調べで、彼女は自分も狙われていると主張した。脅迫状を持っていた。これは偽装工作であった。警察はバカではない。すぐに見破られる女の浅知恵であった。では、なぜ同僚を殺したのか。それは妄想に負けてしまったからである。妄想とは、交際していた彼氏が、被害女性と浮気をしていると思い込んだことである。日々邪悪な妄想が「江田文子」を苦しめていた。文子に下されたのは「懲役16年」の実刑であった。殺された「岩崎真由美さん」には、殺される理由など無かったのだ。勝手に妄想を膨らませ殺害にいたるという不条理。「江田文子」は服役中に告白本を出版しているが、反省の言葉が聴こえて来ない。あるいは、彼女の心の内面では、いつまでも「岩崎真由美」さんは「悪女」なのだろうか。「江田文子」は昭和30年に資産家の家庭に生まれた。様々な習い事で忙しい小学生であった。中学はお嬢様学校「筑紫女学園」に通った。母親は殊更に教育熱心であり母娘の仲は良くなかったそうだ。そして10代で「甲状腺機能障害」に罹っている。成長ホルモン分泌異常である。それが文子の精神に影を落としていると思える。被害に遭った「岩崎真由美」さんは、たいそう美人で顧客から人気があり、担当指名が多かったらしい。おそらく「江田文子」は日頃から彼女に嫉妬していたのだろう。まだある。彼女は家庭生活が破たんしていた。彼女の夫は、お嬢様育ちに釣合いが取れる相手では無かったのだ。現在では刑期を終え、社会復帰を果たしているそうである。母親との関係で云うなら、これは「秋葉原通り魔殺人事件」の死刑囚「加藤智大」に類似していると思う。

戦後の日本で起きた信じられない事件---父親に弄ばれた娘の悲惨「栃木実父殺し事件」

実の父親の子供を5人も生んだ娘がいた。彼女の名を「相澤チヨ」という。14歳で実の父親に処女を奪われた。それから15年も父親に自由を奪われていた。皆さんは想像できるだろうか。1968年(昭和43年)10月5日(相澤チヨ29歳)である、栃木県矢板市の市営住宅でその父親殺しが起きた。父親は泥酔していた。そして当然のように彼は娘の身体を求めていた。彼女は、すでに覚悟を決めていた。「もうこれ以上耐えられない、あの獣を今夜こそ退治しよう---そして人生を取り戻そう---」父親は娘を支配し、15年も性の奴隷にしていた。もう父親から逃げることを諦めていた。すでに5人も父親の子供を出産していた。この日も身体を要求してきた。娘はこれを払いのけ、馬乗りになって獣の首を絞めた。店長の私は、日本では起きないことだと思っていた。諸外国では稀に見聞することもあるが、日本では起こり得ないと思っていた。だからこの事件を知った時にはまさしく世を呪いたくなってしまった。1973年4月4日最高裁は犯人の「相澤チヨ」に懲役2年6ヶ月執行猶予3年の温情判決を下した。情状酌量が十分考慮された判決であった。というのも、当時父親殺しは死刑か無期懲役とされていたからである。これを「尊属殺人」という。殺人でも自分の親殺しが最も重い罰を受けたのだ。だが、この事件以降は有名無実化し適用されなくなり、やがては正式に廃止された。その契機になった事件でもあった。「相澤チヨ」は14歳の忌まわしい夜の出来事をある日母親に打ち明けている。それを知った父親は逆上し、包丁を持って母親と娘を追いかけ回し「おまえらあ!ぶっ殺すぞオ!」と叫んでいる。それから父親のチヨへの性交強要がさらにひどくなった。母親は他の兄弟を連れて家を出た。だが、チヨを連れ出すことが出来なかった。父親が妨害して引き離すことが出来なかったのである。家庭崩壊しても父親はチヨを自由にさせなかった。父親殺害を決意したのは、彼女に好きな男性が出来たからである。その男性に告白し、父親にその男性との結婚の希望を告げたが跳ね返された。「おまえがこの家を出ても、どこまでも追いかけるぞ!」と大声で喚いていたそうだ。まるでストーカーのセリフである。彼女は、普通ではない父親のもとで生まれてしまった。そして14歳から15年間、実の父親に人生を台無しにされた。この不運以外にどのような「不運」が世の中にあるだろうか。店長が思うに、この父親は重度の精神障害を患っていたのではないだろうか。ほかに説明ができないのだ。とにかく、この昭和43年には歴史的事件が多発している。これらを俯瞰しておく。この時代の息吹を感じ取ってもらいたい。この年の同じ10月に「永山則夫事件」が発生している。12月には「3億円事件」が発生した。疑惑の「札幌医科大学心臓移植事件」は8月9日の暑い夏であった。

出会い系サイトは犯罪の温床?---ここに極まる驚愕の「和歌山メル友殺人事件」

あなたは、この事件が現実の出来事だと俄かに信じられるだろうか。和歌山と云えば「林真須美の毒入りカレー事件」だが、その「林真須美」に死刑判決が下された二日後に、同じく和歌山地裁で通称「メル友殺人」の初公判が開かれた。当初、単純な強盗殺人のように思われていた事件だったが、その背後にはB級映画のような”お粗末なストーリー”が隠されていた。この荒唐無稽の物語は、携帯の出会い系サイトが結びつけ、そして演出した。犯行を命じたのは「原田亜矢子」(当時24歳)である。彼女の作り話を信じ込み殺人を犯したのは「安藝健太郎」(当時32歳)であった。二人は

平成13年8月頃に出会ってしまった。2か月後には、安藝は原田の「手繰り人形」になっていた。原田は「国際モデル」と自称していた。この下手な虚言を安藝はすっかり信じてしまった。さらに、彼女が「私は山口組五代目組長の娘」という嘘を安藝は信じてしまった。原田は、安藝が自分と結婚したがっていることを利用して彼からお金を収奪することを思いついた。そのため荒唐無稽な狂言を繰り返している。福岡の保険金殺人「黒い看護婦たち」とよく似ている。結婚願望が強すぎて女性のウソを見抜けず大金を貢いでしまう。そのような例など枚挙に暇がない。その男の結婚願望を見抜いてお金を剥ぎ取る性悪女。原田亜矢子と安藝健太郎の二人だけで完結していれば、その後の強盗殺人は起きなかった。だが、事態は複雑になる。共演者が増えるのだ。原田亜矢子は、今度は大阪在住の会社員と知り合う。原田は、この会社員に惚れてしまった。そして、また安藝を脅迫する。さらにお金を出させるためであった。安藝は雇用主を襲って金品を奪った。さらに会社員には妹がいたのだが、彼女は重い心臓病を抱えていた。原田は会社員との結婚を考えていた。病弱な妹が邪魔であった。だから安藝を焚きつけてこの妹を殺させてしまうのだ。裁判では共謀の二人に無期懲役が下されている。量刑が軽すぎるのではないかと考える。

覚せい剤の恐怖を改めて世間に知らしめる---少女の狂気「刑務所志願殺人」の凶行

大阪難波で起きたこの事件は、通り魔的な犯行であるとともに覚せい剤中毒者の残虐な犯行であった。犯人は17歳の少女である。被害者は南OSプラザビルのブティックに勤務していた25歳の店員さんであった。彼女は、地下2Fトイレで手を洗っていたところいきなり刃物で背後から刺されたのだ。しかも387ヶ所刺されたという。事件発生は1979年(昭和54年)2月12日の昼下がり午後1時頃であった。17歳の少女にまで覚せい剤汚染が広まっていることに世間は驚愕した。さらに取り調べでは、少女は「---刑務所に入りたかってん」と供述したのである。少女は1977年に覚せい剤を使用して補導されている。その後は幻覚症状に悩まされ怯える毎日を過ごしていた。1976年には祖父が亡くなり余計にショックで周囲には夢遊病者のようであったらしい。遠くまで家出し、北陸方面で見つかっている。この時期に対策を講じていれば、あるいはこの通り魔事件を防ぐことが出来たと思われる。殺された当時25歳の女性は、何だか分けが分からないままに絶命した。当日、少女は「刑務所に行けば救われるような気持になり犯行を思い立った」という。難波OSプラザビルには以前に行ったことがあった。17.5cmの刺身包丁を商店街で購入し隠し持って地下鉄に乗った。被害者は誠に気の毒であった。この事件は、少女といえど責任を取らせるべきであったと考える。

痩せ体形がもてはやされた時代---許せなかった妹の発言、長野発「拒食症殺人」の悲劇

長野県下諏訪町で発生、拒食症で入院加療していた15歳の姉による痛ましい殺人は「拒食症殺人」と呼ばれた。姉が妹を殺すという痛ましい事件は1986年(昭和61年)6月に起きた。「拒食症」が日本中に認知された事件であった。殺されたのはこの家に住む12歳の妹である。姉は病院を抜け出し自宅に戻っていた。妹は両親に可愛がられていて、姉はこの妹に以前から嫉妬していたようだ。姉は「クッキーでも焼こうか」と提案するが妹は「太るからイヤ」と拒否する。姉はその言葉にいたくショックを受ける。姉の摂食障害は、店長の私が想像するに、クラスメートからのイジメに原因があるのではないか。そのため、肥えていることを気に病み摂食障害を発症した、と考えられる。姉妹はどちらも肥り易い体質だったのだろう。「私は姉ちゃんのようにブタになりたくない!」「何を云うのよ!妹でも許さないよ---!」そんなやり取りがあったと思うのだ。姉はそばにあった縄跳びのロープを手にしていた。それからどうしたのか覚えていなかった。気がつくと妹はクビにロープを巻き付けられて絶命していた。おそらく姉は級友から太っていることをからかわれイジメられていた。摂食障害などどこ吹く風の天真爛漫な妹が羨ましかった。そして自分よりも両親に愛されている---この不公平感。姉はうつ病にかかり食事を拒否するようになる。妹は、「---わたしはお姉ちゃんみたいになりたくない---」と訴えながら意識が遠のいたのである。

繁栄の日本で餓死---救済できなかった家族の貧苦「足立区姉妹餓死事件」の不可避

東京都足立区で起きた20代姉妹の餓死事件。発覚したのは1985年(昭和60年)8月20日でる。餓死していたのは姉が23歳で妹が20歳の姉妹であった。姉妹が置かれていた状況は最悪であった。4人家族だったが、父親はよく分からない事業に手を出して失敗した。やがて多額の借金。家にも寄り付かなかった。おまけに母親は病弱。生活保護を受けて暮らしていた。姉は高校卒業後、大手船舶会社に就職したが生活保護を打ち切られてしまう。病弱な母親の看病の他、今度は妹がバセドー病を発症。姉一人の収入では如何ともしがたく、姉は金策に駆け回る日が続く。さらに父親が残した多額の借金が姉の肩にのしかかってくる。もうどうしようもなくなっていた。光熱費も未払いで水道ガスが止まった。洗濯さえ不可能になってしまう。姉妹が発見された部屋にはカップ麺や脱いだ下着類が散乱していたという。誰かに相談できなかったのだろうか。そもそも借金は姉妹の父親が作ったものだ。姉はくたくたであった。すでに生きる意欲は消し飛んでしまっていた。今日も借金取りがドアを蹴っている。姉妹の精神力は限界を超えてしまった。8月12日には日航機が御巣鷹山に墜落していた。その頃、姉妹の意識は現実の世界からのダッチロールを繰り返していた。

ここに始まった少子高齢化---富良野発「北海道嬰児連続殺人事件」

ほとんど毎年10年間で9人出産。その赤ちゃんをすべて殺していた富良野のクラブホステスが逮捕された。1986年7月のことであった。知人が異臭に驚き警察に通報。事件が発覚した。発覚当時、ホステスは43歳である。20歳から札幌に出てホステス1本で働いたが長続きせず、再三店を変わった。関係した男性は数知れず。特に避妊をしなかったらしい。妊娠しても目立たない体格で、誰にも分らなかったようだ。歴史的に、嬰児殺しは家計が貧しいことでよく起きているが、この富良野ケースは稀である。結婚歴はなかったそうだ。彼女は出産直後に口と鼻をタオルで塞いで窒息死させた。その悪行を10年も続けたのだ。発見されたとき、嬰児はミイラ化しており性別が判明したのは3遺体のみであった。常識では考えられない事件は、世間があっけにとられたものだ。店長の私は、かのホステスには精神の疾患があったと考えている。避妊していれば済むことだ。「赤ちゃんは神様から授かるもの」この基本的な了解事項が護れないなら性行為をする資格がない、と店長は思うのだ。嬰児の父親はすべて別人という。「神」を怖れぬ蛮行と言わざるを得ない。

集団焼身自殺は教祖の親族---摩訶不思議な「神の花嫁・後追い焼身自殺」のてん末

和歌山市浜の宮海岸でその異様な事件が起きたのは1986年11月1日の早朝であった。集まったのは「真理の友」信者の7人。いずれも女性である。

信者7人は、前日病死した教祖「宮本清治」(享年62歳)のお別れ会に80人ほど集まっていた。その途中で件の7人の姿が見えなくなっていたという。全員で灯油を被って自殺したとみられる。

この教団は、元国鉄職員の「宮本清治」が1950年に創設した。エホバを主神とするが仏教寄りのミニ教団である。信者数は120人と云われるが、定かではない。教祖の家が教団本部で、殉死した信者は、ここで共同生活していた。この7人のうちの5人は未婚女性で「神の花嫁」と呼ばれていた。覚悟の自殺だったらしく遺書も残されている。---教祖のそばでお世話をします---などと書かれていた。信者たちの家には、「つがいの丹頂鶴」「小便小僧」「観音像」を置くことになっていた。信仰に必要な三点セットである。おまけにエホバときた。店長にはさっぱりわからない。外国人には到底理解できないだろう。殉死を選んだ理由も分からない。ただし、掲げていたのが「救いを天国に求める」であった。この集団自殺について「イエスの箱舟」の千石イエスは批判をしている。曰く「---私は娘たちに生きることしか教えなかった---」と。店長もそう思っている。千石イエスの方が宗教を理解しているのだ。人は生きるべきであって、それが神への感謝の証である。だから「真理の友」は間違っている。死亡した7人の女性信者は天国にたどり着いたのだろうか。

美少女の深い闇---「佐世保小六同級生殺人事件」の震撼

この事件も世間に衝撃を与えたが、誰にもそれを理解できなかった。「佐世保小六同級生殺害事件」である。事件は2004年6月1日に起きた。佐世保市立大久保小学校での不可解な殺害事件が起きたのだ。六年生の児童が、同級生を座らせて、カッターナイフでその背後から頸動脈を切ったのであった。殺害動機は希薄なものであったという。小さな言葉のやり取りにすぎなかったらしい。それがどうして殺害という結末を招いてしまったのだろう。大人たちの想像を遥かに超えていた。二人は仲がいいと見られていた。少しぐらい喧嘩になっても、殺害までには相当な距離が必要である。だがこの少女は一目散に殺害に向かってしまった。女児は、二日前には殺害計画を立てている。父親が脳こうそくで倒れ、生計は母親がパートで支えていた。決して裕福ではなかったが、家庭に問題はなかった。女児は頭がよく、また、美人の顔立ちであった。はきはきと物事をはっきりしゃべる性格と見られていた。ただ女児が気に入って繰り返し見ていた映画がある。「バトルロワイヤルⅡ」である。かなりハマっていたらしく、ストーリーを真似て小説らしき物語を自分のノートに書いている。しかしこの映画が女児に与えた影響など、殺害を説明するほどの説得力はないだろう。女児は84日間もの異例の精神鑑定を受けるにいたった。だが、世の中にいくらでもいる普通の少女であるという結論を導いたに過ぎない。 犯行の二日後に、長崎少年鑑別所で、弁護士に「なんでこんなことをしたのかなあ。同級生に会って謝りたい」と云ったそうである。弁護士は驚いた。女児は、人の命を奪ったことを理解できていないようであったからである。その後女児は栃木県にある児童自立支援施設で、人格形成教育を受けたという。「神のみぞ知る」という言葉がある。おそらく女児の「心の闇」は、神にしか理解できないに違いない。(この項は「覚えておきたい最近の犯罪<その1>」とコンテンツを共有しています)

赤いバスケットの女は何故夫を殺したのか---稚内発「冷凍庫公務員夫遺棄事件」

平成15年1月20日、「飯沼明美」に判決が下った。懲役15年である。明美は、公務員の夫を殺害し大型の冷凍庫に遺棄・隠匿し、理解できないことだが4年もの間同居していた。殺されていたのは稚内市の職員「飯沼秀矩」さん。妻明美より14歳年上の33歳である。明美とは再婚であった。二人が出会ったのは明美がアルバイトで勤務していたスナックであった。突然秀矩さんが居なくなったのは平成9年11月26日である。明美は家出人捜索願を届け出ている。ボイラー技士の秀矩さんは、堅実な性格で、貯金も少なく無かったと思われる。だが明美の浪費癖は留まるところを知らずサラ金に追われていた。買い物依存症であったが、度を越えていた。そのため夫婦喧嘩が絶えなかった。明美は、味噌汁に精神安定剤を混ぜて秀矩さんに飲ませた。そして寝入ったところで絞殺した。当時、家で使っていた海産物を保管する大型冷凍庫に入れ遺棄した。引っ越しするまで4年も夫の遺体と暮らしていた。そのとき妊娠しており赤ちゃんを出産。夫が失踪したと偽っており、赤ん坊がいるのは具合が悪かった。そう考えて窒息死させた。赤ん坊は近所のゴミ処理場に投棄した。”失踪中”の秀矩さんは、不動産業者から処分を依頼された電気店が発見した。こうして「飯沼明美」は逮捕された。明美は、引っ越しする際に業者に「冷凍庫は投げ捨てて欲しい」と伝えていた。電気店の主人は、まだ中に海産物が残されているのだろうと思い扉を開けた。そこで見つけたのは人の足であった。この衝撃的なニュースが報道され、稚内市では騒然となった。後にショッキングなホラーとして映画化された。明美は4歳のときに両親が離婚、父親について行くことになった。その父親が再婚し、異母妹とともに暮らしていた。実の母とは1度も会っていなかった。おそらく浪費癖は実の母親がそうだったのではあるまいか。明美は秀矩さんが教育資金にと貯めていた800万円の貯金を1年たらずで使い果たしている。そのため秀矩さんは思い余って明美に手を上げた。また、サラ金の借金を何度か肩代わりもした。夫婦仲が険悪になっていくのも当然であった。「赤いバスケット」とは、明美が夫を殺害後に勤務していたクラブでホステスが持ち回りで客に出すおしぼりを洗濯していた。それを入れるバスケットである。明美は閉店後に客とホテルへ同伴していたが、その時に堂々とバスケットを持ち歩いていた。夜の稚内で有名だったそうだ。秀矩さんが居なくなってから、明美は人が変わったような”変貌”を遂げる。化粧が濃くなり、肌の露出度が大きい衣服を好んだ。整形をしたという証言もある。まるで”タガ”が外れたようであった。店長が邪推するに、これは明美の生母に対する恨みではないだろうか。

歯科医の嫁は悪女だったのか---姑は泣きながら嫁に復讐した「札幌歯科医嫁惨殺事件」

姑がお嫁さんを苛め抜く、世間ではごく一般的だ。だが、このケースは違っている。お嫁さんが姑をイジメていた。平成14年7月12日、札幌市清田区の新興住宅街で惨劇は起きた。子供の声で110番通報が入った。道警の捜査員が駆けつけると、その家の主婦(吉村夕佳さん事件当時39歳)が玄関からすぐの階段わきで死んでいた。頭部の損傷がひどく壁にも鮮血が飛び散っていた。大量の血液が流れだし、それは海となって固まっている。夫(吉村敏さん)は学習塾で成功をおさめ、歯科医師としてもそれなりに報酬を稼いでいた。夕佳とは再婚であった。彼は「妻は酔って階段から転げ落ちたのでは---」と説明した。それにしては出血が酷すぎた。この家の嫁と姑の仲の悪さは有名であったという。姑・貞子(事件当時77歳)が嫁(夕佳さん)の悪口を近所に言いふらしていたからである。うちの嫁は孫を抱かせてくれないと愚痴をこぼしていた。現場検証からは謎だけが残された。酔って階段から転落したのは事実だろう---それにしても後頭部の損傷が激しすぎる。出血も多すぎる。なにより「死斑」が認められない。実は通報のとき「お父さんが殺した」と子供(当時7歳)が電話口で叫んでいたという。父親の「吉村敏さん」が任意で事情聴取された。「お前が妻を突き落としたのだろう!」「私は妻がよく眠れないと訴えるので晩酌に睡眠導入剤を混ぜていた」と供述している。あくまで事故だと繰り返した。だが微量すぎて司法解剖では検出されなかった。明らかに誰かを庇っていた。「吉村敏」さんは、姑(母親)と口裏合わせをしていた。嫁と姑が命のやり取りとは驚きである。近所の評判では圧倒的に姑の方が悪かったそうである。敏さんは、母親の別居を断行すべきであった。この事件は、吉村家の家族構成に問題があったと思う。姑「貞子」と「夕佳」さんの母親「カネ」さんとの同居である。つまり夫婦それぞれの母親が同居していたことになる。夕佳さんに子供が生まれてから、嫁姑のいがみ合いは地獄へと歯車を回していく。夕佳さんは、二人の祖母について、子供に”呼び分け”を強制した。貞子には「ババア」と呼ばせた。その一方で母の「カネ」さんには「おばあちゃま」であった。何という差だろうか。貞子が孫を抱き寄せようとすると、慌てて夕佳は止めさせた。夕佳は、食事どきには姑貞子を仲間はずれにした。お風呂の湯を抜き、姑が入浴できないようにした。嫁の姑イジメはさらに度を越えていく。真相はどうだったのだろうか。イジメの原因を作ったのは姑ではなかったのか。近所の人の話では、貞子はトラブルメーカーで有名であったそうな。だが、夕佳は「くそババア!出ていけ!」と叫び、孫にも「くそババア」と呼ばせるなど、長年の恨みがどれほどか想像される。それに云ってはいけなかった「くそババア」であった。仲裁役の夫は何をしていたのだろうか。夫は、階段を踏み外して転落した妻夕佳に、馬なりにまたがって後頭部を力任せに打ち付ける姑貞子を目撃した。母を刑務所に送るわけにはいかなかった。「---身代わりになろう」その暗い思いは無駄であった。姑が自首してきたのである。どこかやりきれない家族の犯罪である。

鳥取砂丘に消えた男たち---死神「上田美由紀」の不都合な真実

合計6人の男性が不審死。そのうち2人の殺人で起訴された。判決は1審2審とも「死刑」である。事件が発覚したのは2009年である。当時の週刊誌には「死神女」と呼ばれた。容疑者「上田美由紀(当時35歳)」である。不審死は6人、そのうち2人は遺書が残され自殺と断定されている。一連の事件は、2004年から2009年にかけて発生。いずれも「上田美由紀」がスナックに勤務している間に起きている。そして不可解な金銭のやり取りが介在する。一般に痩せ気味の女性が美しいとされるが、事件の主人公になる女性は太り気味である。東の毒婦「木嶋佳苗」もそうだ。年齢的な容貌の変化もあるに違いないと思うのだが、痩せた悪女は稀にしか見ない。

それでは、その疑惑の変死について見ておく。

その1.読売新聞鳥取支局勤務42歳男性記者が2004年5月13日、列車にひかれて死亡。自殺として処理された。だが不審だらけである。段ボールに入った状態で列車に轢かれたという。自殺する人間が段ボールに入るだろうか。遺書が発見されている。そのため司法解剖もされなかった。男性は、死神女と交際していた。金銭トラブルが尽きなかったそうである。怪しい。

その2.警備員の男性27歳、死神とは2001年スナックで知り合った。2005年に同居している。泳ぎはできない。だが鳥取砂丘近くの海岸に死神の家族と同行し溺死した。この気の毒な同居人は、日頃から熱湯を浴びせられるなど暴行を受けている。不思議である。何がよくて同棲などしていたのだろうか。

その3.鳥取県警の警察官41歳、鳥取市郊外の山中で首を吊った。死神が勤務するスナックの常連客であった。この警察官とも金銭のトラブルがあったという。2008年2月のことであった。偽装殺人のような気もする。だが、証拠がない。

その4.トラック運転手47歳が2009年4月21日、日本海で水死体になって発見された。司法解剖の結果、睡眠導入剤が体内から検出された。さらに、肺から砂が出てきた。他殺の疑い濃厚であったため起訴となった。

その5.電気工事業の男性57歳が「集金に行く」と言い残して居なくなる。翌日、鳥取市内の摩尼川でうつ伏せになって死んでいた。同じように遺体から睡眠導入剤が検出されている。水深も20cmと浅く、何者かに頭を押さえつけられて死んだと見られた。男性は死神に140万円の未収金がある。

その6.この無職男性もスナックの常連客である。2009年9月、突然体調が悪くなって昏睡状態に陥る。10月27日に死亡。58歳だった。男性は自宅の鍵を死神に預けていた。

不審死を遂げた男たちは、いずれも死神「上田美由紀」にお金を貸している。どこが魅力だったのだろうか。その舞台となったスナックに秘密がありそうだ。スナックという「非現実」な空間では男たちは理性を忘れてしまう。酒の力だけではない。死神の妖しい魅力が男たちを骨抜きにした。東の毒婦「木嶋佳苗」の犠牲者たちは、少なくとも彼女との結婚を夢見ることができた。ある意味「幸せ」であったと思われる。ところが死神「上田美由紀」の犠牲者には何もない。夢見ることもなく、理不尽に未来と金銭を奪われてしまった。スナックやガールズバーの女たちは、妖しい魅力を醸し出して常連客を地獄へといざなう。ガールズバーは、制服(コスプレ)の所為か。店長の私にも口惜しい思い出が限りなくある---

虐待が生んだ畠山鈴香の「解離性健忘」---「秋田連続児童殺害事件」の真相

一般によく知られているのが「多重人格」である。この心理的傾向は、別の人格を作り出すことによって本来の自分を守ろうとする防衛本能である。

そして「解離性健忘」のメカニズムだが、同じように忘却によって自分を守ろうとする合理的な心的作用である。「畠山鈴香」は、娘彩香ちゃんが死んだときの状況を覚えていない。だから彩香ちゃんが当初事故死と判断されたとき「事故ではない、誰かに殺された」と主張した。何故自分に不利になるようなことを云ったのかが説明できる。彼女には、そのときの記憶がなかったのだ。米山豪憲くん殺害も同じであった。では、なぜそのような「健忘症」に罹っているのだろうか。その秘密が彼女の生育環境にあった。法廷は、事実を集めて量刑を判断する場である。だから「精神鑑定」という心理探求は切り離して実施されている。杜撰な「精神鑑定」がまかり通っているのも事実らしい。もし彼女が精神疾患であるなら「無期懲役」は重過ぎると、店長の私は思っていた。また、本当に事故死だと彼女が思い込んでいれば、豪憲君を殺さなかっただろう。「ひょっとしてあの男の子が彩香をやったのでは---」その思いが頭を支配して犯行に及んでしまった。報じられたのは、不可解な犯行動機であった。ワイドショーで映された映像は、「畠山鈴香」の”お頭が弱い悪女”のイメージをすっかり固定化してしまった。店長もそう思っていた。彼女は、凄まじい虐待を受けて育っていたという事実を知るまでは。臨床心理士「長谷川博一」氏は、彼女が殺したという認識があれば、警察発表の「彩香ちゃん事故死」は、むしろ歓迎すべき事態であって、誰でも「再捜査の要請」などしないだろうと考えた。記憶が欠落していたからこそ、テレビの取材まで受けて「犯人を捜して欲しい」と訴えていたのである。父親は砂利運搬会社を営んでいて社会的には成功者であったが、同時に激しい暴力で母親を支配していた。娘の鈴香の前で顔面を木の棒で叩きのめし鼻を骨折させたこともある。彼女が小学生の時だ。やがて父親は性的不能者になった。そしてその苛立ちが娘鈴香への虐待になっている。食事は楽しいものではなくなっていた。食事のたびに父親が暴れたのである。鈴香には、安心できる家庭が無かったのである。親の愛情も知らなかった。娘を殺害した前年、その暴君が脳梗塞で倒れてしまう。その介護の役目が彼女に回ってきた。恐怖を与えられていた父親を看病しなくてはならなくなった鈴香、彼女にのしかかる重圧。心が折れそうになっていた。彩香ちゃんの育児と暴君の介護。心を守るために精神が解離する現象が生まれてしまう。これが「解離性健忘」である。

おぞましい3世代の血の連鎖---女子高生は殺人によってそれを断ち切った「南幌町家族殺害事件」の震撼

長女が勤めから帰宅したとき、恐るべき光景が目に飛び込んできた。部屋は血の海であった。母親が頸動脈を切られて死んでいる。さらに祖母には執拗な刺傷があったという。激しい殺意を感じさせた。そばには高校生の妹が虚ろな表情で立ち尽くしている。姉は予想していた。その日、妹は母と祖母と3人になった。妹はこの日を待っていた。復讐できる日を。「南幌町家族殺害事件」は、2014年10月7日に北海道南幌町で発生した。女子高生(事件当時16歳)は、この家の祖母から長年にわたって酷い扱いを受けてきた。母親もその実の母である祖母から虐待を受けてきたという。祖母は、夫の遺産などを原資に株式投資で成功し大金持ちになっていた。自宅を新築し、それを機に娘夫婦と同居する。この同居した娘に生まれたのが三女である。祖母は、孫の三女を可愛がるどころか苛め抜いていた。そのため娘は児童相談所預けられたこともあったらしい。祖母は、なんでも厳しくするのが愛情である、と勘違いしている。母親もまた祖母に賛同した。彼女も虐待されて育てられていた。だから、疑いも抱くことなく、おかしいと感じることもなく祖母に従っていたようだ。当然三女の両親は仲が悪くなった。父親は「文句があるのなら私が建てたこの家から出ていけ!」と祖母に怒鳴られた。祖母は暴君であった。母親は忠実なシモベであった。夫婦関係が円満に推移するはずがない。やがて父親は実家に帰ってしまう。三女は、それでも成績が良くスポーツも出来た。テニスが得意で大好きであった。級友に慕われ、また頼りにもされている。だが、その部活も祖母に止められた。理由は「門限」であった。三女は祖母の飼い犬の世話や雪かきなどの労働を強制された。「門限」に遅れて帰宅すると、祖母は「杖」で情け容赦なく三女を打ち据えた。事件後、クラスメートの父兄を中心に「減刑嘆願書」が裁判所に提出されている。また、姉は証拠隠滅のため凶器の包丁を捨てに行くなどして「殺人ほう助罪」に問われている。父親であるが、家族のためには、祖母を一人にして別居するべきであった。祖母は、株式で成金になったせいで、輪をかけて尊大、横暴になってしまった。家族の誰の意見も聞かなかった。「孫は犬以下、犬は口答えしない」それが決まり文句であった。殺された祖母には、同情する声が全くと言っていいほど無かったという。あるいは、「お金儲け」と「人間性」は反比例するものなのだろうか。株で大儲けしなかったなら、新築もできず同居もできず孫娘を虐待することもなかっただろう。店長の私は、ドストエフスキーの名作「罪と罰」を思い出した。物語の主人公「ラスコリーニコフ」は頭脳優秀だが学業を続けるお金がなかった。それで町はずれの高利貸しの老婆を撲殺する。老婆は貧乏人に高利で融資していた。それも尊大な態度で。三女が手を下さなくても、この祖母は悲劇に見舞われただろう。「ラスコリーニコフ」はどこにでもいるものである。