ようこそ 阿部定から始まる、女が起こす凶悪・猟奇事件。

その女の事件を店長が勝手に選考しました。時系列ではありません。店長が任意にまとめて記事を執筆しています。事件当時の社会背景を俯瞰して、勝手な論考を行っています。

また、重複しているコンテンツがあります。ご容赦ください。

おぞましき虐待日記の中身---「さいたま実娘拷問殺害事件」の真相

平成15年2月21日、さいたま地裁により「安藤志保」に懲役9年が言い渡された。共犯の夫に懲役8年が下されている。虐待日記を付けていた「安藤志保」は、昭和53年生まれ、青森県出身であった。日記は、サンリオの可愛らしい表紙のファンシーノートである。だが、これがとても読むに堪えない。反対に愛情を一杯注いだ弟を対比するようなページの進め方であった。拷問されたのは、長女「水咲」(事件当時2歳)で、すでに反抗期のようであった。それは「水咲」に弟が産まれた所為でもある、と想像できる。なぜ、幼い兄弟に極端な差異が生じたのかと云えば、「水咲」の父親が誰なのか不明だったから。「安藤志保」は埼玉の風俗店で働いていた。そのときに客が本番行為を行なった。不運にもこの時妊娠してしまった。彼女は生む決意を固めた。実は、彼女も私生児である。そして母親ではなく祖父母に育てられた。小学生の高学年で事実を知らされたとき激しいショックを受けた。彼女が「実の母親」だと思っていたのは「祖母」であった。自分は「母」のようにならない、そう思い続けていた彼女であったが、同じように私生児を生んだ。なんという連鎖であろうか。弟が生まれたとき、志保と同棲していた男性は入籍している。つまり「水咲」に父親が出来たのである。この新しい父は積極的に「水咲」へのリンチに加わっている。「安藤志保」は、実母のようになりたくなかった。だが、気が付けば実母よりも酷い母親になってしまった。お仕置きで食事をさせないこともよくあったという。そして容赦なく「水咲」を殴った。後頭部の髪の毛はいつしか抜けていた。頭部はデコボコになった。おそらく、「水咲」は弟に嫉妬していたのだろう。だから余計に反抗的になった。しかし、それが「志保」には理解できなかった。「水咲」は骨折していたので、真っ直ぐに座れなかった。すると、また殴られてしまうのだ。「志保」は両親の愛情を知らずに育っている。子供は親を見て育つという。拷問は4カ月続けられた。しまいには、「水咲」は身体中の感覚を失ったようであった。「痛い」とも言わなくなり、泣くことさえしなくなっていた。

まだ2歳なのだ。どれほど怖く、どれほど痛かっただろうか。顔が腫れあがり青あざが広がっていた。頭部が変形している。足は曲がっていた。担ぎ込まれた病院側では、娘の惨状に驚きすぐに通報したそうだ。信じられるだろうか。ここまで母親が惨酷になれるものだろうか。「安藤志保」は、本当は自分を私生児として生んでしまった「生みの母親」を殺したかったのではないだろうか。

この甘美な響き「不倫」「掠奪愛」---不倫は"文化”、でなくて”放火”だった「日野不倫OL放火殺人事件」

平成13年7月、不倫OL「北村有紀恵(事件当時27歳)」の無期懲役刑が確定した。愛人関係にあった上司の自宅にガソリンで放火し、部屋にいた幼子二人を焼き殺したのだ。平成5年12月14日早朝火災が発生、日野市高幡台団地の1室からであった。周辺住民も焼き出されていた。この日、いつものようにNEC府中事業場に出勤するため上司は妻が運転するクルマで最寄り駅に向かった。その団地で「北村有紀恵」は、二人が出発するのを見張っていた。部屋には二人の子供が寝かされているハズであった。彼女の目的は、この二人の子供を殺すことである。大量のガソリンを撒き引火させた。爆風が起きた。そして集合住宅は業火に包まれた。犯行に及んだ「北村有紀恵」は、そのNEC府中事業場で妻子ある上司とコンビで仕事をしていた。彼女は、NECで一番ハンサムと云われるこの上司に夢中になった。彼は「結婚は一時の過ちで、ただ勢いだった」と云って「有紀恵」を喜ばせている。この「浮気心」のせいで彼は、住宅も家財道具もすべて失った。さらに二人の幼い子供たちを失う。妻が帰宅したとき住居は勢いよく炎上していた。子供の名前を叫びながら半狂乱になり助けるために火中に飛び込んだ。隣の住人に助け出されたとき髪の毛はほとんど燃えていた。熱でのどが痛く呼吸出来なくなっていた。その状態で救急搬送された。子供たちの遺体の損傷は正視に絶えないものであったらしい。怪我をした妻が回復するまで焼死した子供たちの安否は内緒にされた。「北村有紀恵」は、夫婦のかすがいを奪ってやるつもりで放火した。夫婦は、最愛の子供たちを失う羽目になった。逮捕後には、「北村有紀恵」に同情する声が相次いでいる。「男性社員はなんて卑怯なのだろう。ダマして関係を続けるなんて」「日本電気の労務管理に非がないのか」「彼女は被害者、裁くのはおかしい」「男性社員も罰を受けるべきだ」などと。この上司は、「有紀恵」の身体欲しさに「---妻とは、うまくいっていないんだ」と、不倫デートの度に耳元で囁いた。それは、どうにもならないほど甘美な響きであった。”---妻とは別れる---”これが口約束に過ぎないことなど「有紀恵」にも分かっていた、彼女の優秀な頭では。だが彼に抱かれると、理性がどこかへとんで行ってしまう。まして「有紀恵」にとって上司が初めての”男”であった。抱かれるたびに、彼女はハンサムな上司の妻に納まることを夢見るようになる。---妻を愛していない---離婚話を進めている---愛しているのはキミだけだ---早く妻と別れたい。だが、この甘美なベッドでの囁きは彼女の美乳を貪りたい一心で発せられた言葉であった。この時は、夫婦間で離婚話の「り」の字も出ていない。やがて日本電気社内で噂が広がっていく。「---あまり深入りしない方がいいわよ」しかし、彼女は勝ち誇った気分でいた。彼はいまや私のもの---同僚の忠告をまったく意に介さなかった。当の上司には妻と別れる気など初めから無かったのに。妻子ある上司と性的関係を続けるべきではなかった。火遊びで終わるべきであった。法廷で明らかになったこと、それは上司の性格の弱さである。自分一人では何も決められない。妻の助けがなければ生きていけないような弱い性格であった。だから二枚舌も悪気はなかったのだ。不倫が発覚したときには妻に泣いて命乞いをする。「有紀恵」の美乳におぼれているときには「妻と別れる」と決然と云う。性格破綻者ではないだろうか。「有紀恵」との行為では避妊具を付けさせなかったという。妻が里帰りで家を空けると、臆面もなく「有紀恵」を自宅に連れ帰り性行為に耽った。しかも彼女はNECの部下である。信じられるだろうか。不倫がバレたとき、上司は妻と「有紀恵」を引き合わせている。女だけで解決できると考えたのだろうか。この男は「魂」まで腐っていると思う。「有紀恵」が放火に向かったとき、一目散に幼子が寝ている部屋に入って行ったのは、自宅に招かれたときに間取りまで覚えていたからである。しかも、上司からは「合鍵」を手渡されている。自宅への侵入を「手引き」した、と云えば云い過ぎであるが、あえて断言したい。もし、彼女が合鍵など渡されてなく、1度もこの団地に行ったことがなかったなら、放火殺人など起きなかったに違いない。「北村有紀恵」の父親は私財を投げ出して「補償」のために東奔西走している。実にお気の毒と言わざるをえない。

"教祖誕生"カルトにハマる悲しい人たち---「福島悪魔祓い殺人事件」

大量殺人事件が発覚したのは1995年(平成7年)である。きっかけは男性の息子が行方不明になり父親から捜索願が出されたことによる。同じころ、一人の女性が大怪我をして病院に搬送されていた。入院女性は暴力を受けていた。そこで捜査員が「祈祷師」の家を家宅捜査した。その家で6人の遺体が発見された。遺体は腐臭を放っていたが、臭いが消えたごろには蘇生すると全員が信じて疑わなかったらしい。カルトにハマると理性を容易に失うものだ。この事件が「オウム真理教事件」と同様に論じられるのは、信者が”出家”していてほとんどが「教祖・祈祷師」の家で生活していたことにある。ここで前後年を俯瞰してみる。1994年に「松本サリン事件」が発生している。「地下鉄サリン事件」はまさに1995年であった。この忌まわしい事件には、むしろ”政治カルト”「連合赤軍」事件の「永田洋子」を想起する。犠牲者数も大差がない。また、「狐が憑依している、追い出せ!」は、「総括せよ!」と同様に「リンチせよ!」とどことなく似ているような気がする。実際に暴力が行われたのであるが、凶器は太鼓の「バチ」であるそうな。店長には、この事件を「オウム真理教」と同列に論じることができない。むしろ、連合赤軍の「山岳ベース事件」に似ていると思うのだ。リーダーがどちらも女性である。加害者が同時に被害者になっている。まず、自称・祈祷師の「江藤幸子」だが、信者男性と愛人関係にあった。最初の出家者と思われる。彼女は、成績の良い化粧品セールスレディであった。話がうまかったのだろう。同級生と結婚して子供をもうけている。夫は先に岐阜にある新興宗教に入信していた。その影響で彼女も入信した。ところが、彼女は勝手に教団名を悪用し化粧品販売に利用した。さらに個人で信者獲得までやりだす始末であった。教団は、やむを得ず彼女を破門にしている。その妻の変容に夫は驚き、やがて失踪した。その頃「江藤幸子」は「祈祷師」を名乗るようになる。この「祈祷師」について来たのが、愛人の男性信者であった。さらに10数名が寝起きを共にするようになる。ここで問題が起きる。女性信者が、男性信者に色目をつかう。少なくとも「江藤幸子」にはそう映った。「私の彼氏よ、彼に何する気?」その不安な気持ちが日ごとに育っていく。ある日彼女は名案を思い付く。その女性信者を排除する方法を思い付いたのだ。それこそ「悪魔祓い儀式」である。祈祷師「幸子」は宣言する。「女性会員には狐が憑依している。追い出さねば災いをもたらすだろう、全員、バチを持って叩きなさい」死への儀式はこうして始められた。連合赤軍の「永田洋子」は、妊娠していた同志を憎悪しリンチ殺人を考え出した。「江藤幸子」は、自分の愛人たる男性信者を奪われまいと「殺人儀式」を行った。もうお分かりだろう。このどちらも原因は女の「嫉妬」である。---だが、なんで出家までしたのだろうか。という疑問が湧く。「江藤幸子」は作り話も上手だったのだろう。一般に、カルトにハマる人には共通点がありそうだ。水準以上の知性、強い自己変革願望、現状への過度な不満、変身願望。そして形而上的世界への憧れ。己のことしか考えない視野の狭さ。政治カルトも宗教カルトも同じである。ハマれば盲信してしまう。

美人という「凶器」---元・千葉準ミス殺人事件

千葉市稲毛で大学生が青酸カリで毒殺された。事件は1967年(昭和42年)4月29日に発生した。大学生は千葉大学4年生であった。酒もたばこもやらず真面目な学生で成績優秀でもあった。犯人の女は「古川照代」(事件当時37歳)、古川家に大掃除のバイトにやってきた大学生と親しくなった。彼は事件当時23歳である。女は21歳のとき準ミスに選出されている。審査では1位であったが、同棲がバレて2位となった。彼女の父親は元・千葉放送の社長を務めていた。さらに千葉では有名な政財界の策士であった。この親子、およそ正常な人格者ではない。おそらく反社会的な闇の世界にいる人物なのだろう。千葉銀行800万円恐喝事件が起きているが、この親子が関係している。他にも「古川照代」は2度も放火事件を起こしている。その理由を「消火に来てくれる消防士に会えるから」とサイコパスの供述をしている。21歳の若いころは、誰の目にも客観的に見て美人で、さらに知性があった。本人はそれを自覚していて、自分が好きになった相手は当然好きになってくれる、そう思い込んでいた。彼女は、千葉大学生との結婚を望んだ。ところが拒絶される。理由は、学生が年齢差を気にした、とも思うのだがそうではなかった。大学の友人に千葉銀行に勤務する身内がいて、大学生はその恐喝事件を聞いていたのである。この美人が関与しているらしいことも。彼女からのプロポーズを断る理由として適切であった。しかし、「古川照代」は学生に殺意を抱く。彼が自分との結婚に同意しない、などということはあってはならないことであった。彼女は「私は千葉準ミスなのよ、それも本当は1位だったのよ」と心の中で叫んでいた。彼女は10代から20代にかけて、その「美貌」ぶりを周囲からさんざんちやほやされた。彼女のプライドはいつしか天まで届くほどに高くなっていた。その思いが嫌な性格を形成していた。サイコパス化する心の迷路にはまり込んで、現実では何をやってもうまくはいかなかった。千葉大学生と最後の情事を交わした夜、彼女は紅茶に青酸カリを入れた。「プライドを傷つけるものは許せなかった」のだ。たとえ最愛の恋人であっても。紅茶を飲んだ大学生はひどく苦しみながら絶命した。

宮崎発、娘を「釜茹での刑」にして殺害---懐かぬ娘を憎悪した継母の狂気

人気番組であった、お昼のワイドショー「3時のあなた」に「悲劇の母」を装い出演。だが、幼稚園児の娘は誘拐失踪ではなかった。世間を震撼させた「宮崎カマゆで事件」は現在でも語り継がれる。この「幼稚園児殺害事件」が起きたのは1976年(昭和51年)10月2日未明である。この年には何があったのだろうか。2月には政界疑獄事件「ロッキード事件」が発覚している。4月に中国の市民運動圧殺「天安門事件」が起きた。そして熱湯風呂といえば「お笑い番組」で見たことがある。しかし、この殺害方法は極めて惨酷であったらしい。歴史に詳しい店長は、豊臣秀吉治世下で行われた、盗賊「石川五右衛門」が「釜茹での刑」にされた歴史を知っている。事件は親子で入浴中に起きた。この園児と弟は入浴中に兄弟げんかを始めてしまった。注意しても止めないので怒った継母は、長女を表に連れ出した。姉弟は夫の連れ子であった。弟は継母に懐いていたが、長女は反抗期でもあり、この継母を嫌っていたようだ。夫は出張中で不在にしていた。その夜は父親が留守であり、長女には面白くなかったようだ。継母は、この夫の不在時に長女を徹底的に懲らしめてやろうと考えたという。弟を寝かしつけたあとで長女を呼び「反省しなさい!」と再び𠮟りつけた。継母には育児経験がそれまでなかったのだろう。だから娘の反抗期という認識がない。ただ自分を嫌っているとしか思わなかった。懐いて甘えて来る弟の方がより可愛かったのだ。だから扱いに差が出てしまう。長女は裸のまま表に出されたが謝ろうとしない。継母の怒りが沸騰した。さらに風呂場に連れ戻す。当時は直下でガスを使いお湯を沸かす方法が一般的であった。長女を浴槽に再び入れ盛大にお湯を沸かした。娘は熱がって風呂から出ようとした。その娘を押さえつけ数十分沸かし続けた。娘は「熱い!熱い!」と泣き叫んだ。構わずさらに風呂を焚き続けてしまう。やがてぐったりして娘は動かなくなった。娘を湯船から引き上げてみると全身がやけどで赤くただれていた。その4時間後に娘は死亡した。いったいこの幼稚園児にどんな罪があるというのか。娘は、いつも弟が継母に可愛がられているのを見て、激しく嫉妬していたのだろう。だから毎日反抗的な態度を取ることが多かったのではないだろうか。すでに継母に愛情はなく殺意が芽生えていたのだと思える。それが証拠に殺人の偽装工作まで行った。夫が帰ってくるまでには何とかしないと---継母は娘に服を着せビニール袋にいれて押入れの床に隠した。そうやって、「娘が遊びに出かけてから帰ってこない」といって大騒ぎをする。出張から夫が帰宅した。警察に届け出た。ビラを作って街頭で呼びかけた。さらに「3時のあなた」への出演が決まった。継母は、テレビ番組の本番前には念入りに化粧した。そして「悲劇の母親」を演じたのであった。彼女は「--娘を帰して欲しい--」と訴えたのである。だが、夫はダマしても警察をダマすことはできなかった。聞き込み調査から、この園児が一人で遊びに出たという目撃情報がなかった。遊びに出たときの娘の服装も明確ではない。警察は母親を追及した。そして10月21日、この継母は娘の殺害を自供した。

帰国したチリで英雄になった「魔性」の妻---「青森住宅公社巨額横領事件」経理担当主幹の罪と罰

巨額横領の額、驚くなかれ「14億円」である。2001年六本木路上で逮捕された「千田郁司」主幹は、裁判で懲役14年の判決を受けて服役している。その巨額に上った横領は14億円を超える。仙台国税局の税務調査が無ければ発覚しなかったそうだ。さらに国内が沸騰したのは、その横領金の11億円以上がチリ人の妻「アニータ」に渡されたという事実が明らかにされたからであった。「アニータ」は、そのお金で本国チリにプール付きの大豪邸を建てた。さらにレストラン経営にも乗り出す。地元でも有名になった。「おバカな日本人男性から大金を引き出したチリの英雄」としてである。地元テレビに度々登場した彼女は、「最も成功したチリ人女性」とされ人気タレントになっていた。千田が「アニータ」と知り合ったのは、青森の外人パブである。彼は、連日このパブに通い詰めた。当初こそ貯金を崩して飲食費を工面したが、すぐに底を着いてしまう。彼はローンを借りてさらに「アニータ」に会うため店に通った。借金が膨れ上がり二進も三進もいかなくなる。だがそれでも愛しの「アニータ」に会いたい。とうとう彼は立場を利用して公金横領に手を染めた。1993年であった。この気の毒な千田郁司主幹は、写真を見る限り勤勉実直、むしろ神経質なぐらいに真面目そうだ。性悪女にハマる典型的人物のようである。おそらく恋愛経験は乏しいのだろう。モテないので外人パブに通った。そして「魔性の女」と出逢ってしまう。この青森住宅公社であるが、事業解散の憂き目に合っている。現在の「千田郁司」への債権者は青森県に移っている。だが、いったい彼を笑える日本人が果たしているだろうか。店長は、いないと思う。葛飾区亀有のキャバ嬢に6億円をだまされて貢いだ会社員がいた。彼もまた会社の経理担当で立場を利用して横領していた。その会社員は逮捕されて「彼女と結婚したかった---」と、おバカを認めている。日本では、「結婚したくない女性」「育児をしたくない女性」が増えているという。一方で、横領までしてもその「魔性の女」との結婚に憧れる男たちがいる。この事件、青森住宅公社経理担当主幹だけの問題だろうか。日本人が、その有り様を試されている。この「アニータ」さんであるが、店長の好みではない。たぶん「千田郁司」は、甘美な夜に理性が吹き飛ばされたのだろう。

嫉妬に狂った孤独なテロリスト「永田洋子」---彼女の”恋人”は「左翼思想」であった

日本にも存在した政治カルト集団、その名も「連合赤軍」である。当時は「新左翼」と呼称されていた。この「連合赤軍リンチ殺人事件」が発覚したのは1971年であった。武力による革命を志向する彼らは、銀行を襲い、銃砲店を襲い、そしてアジトを設営して武装訓練を開始する。この「連合赤軍」の残党5名が軽井沢の別荘に人質を取ってろう城したのが「あさま山荘事件」である。警官隊と激しい銃撃戦が繰りひろげられ、その様子はテレビ中継もされた。視聴率は89.7%を記録したそうである。この「あさま山荘事件」の解決後に彼ら「連合赤軍」の驚愕するリンチ殺人が発覚する。---「総括せよ!」リーダー「森恒夫」と「永田洋子」がこう発言するとそれは「私刑にせよ」と同義語であった。「死」を意味したのである。はて、どこかで似たような事件が---「ポアせよ!」の宗教カルト「オウム真理教事件」である。時代背景の違いが、こちらでは「政治カルト」であり、記憶に新しいのが「宗教カルト」なのであった。両方とも、世の中に不満があり現状を打破したいと願う「理系秀才」が絡めとられてしまった。その点において共通点がある、と店長は勝手に考えている。このリンチ事件は「山岳ベース事件」と名前が付けられている。また、このアジトから脱走した二人を探し出し殺害して埋めたとされる「印旛沼事件」が直前に起きていた。「山岳ベース」で殺害されたのは12人である。永田洋子たちは、計14人を私刑にしてしまった。事件が明るみになるや世間に衝撃が走ることとなったが、同時に学生たちの「左翼的な活動」は急速度に収束に向かった。極論すれば、若者たちの「興味と関心」が世の中の矛盾や有り様に向かわず、極めて個人的な問題だけに向かい始めたのである。「永田洋子」---事件発覚当時、もう少し人並の容姿で生まれていれば、こんな凶悪犯罪を起こさなかっただろうとまで云われていた。彼女は、醜い容姿のために恋愛や結婚には縁がなかった。そのせいなのか、同志たちの「恋愛」沙汰には特に神経過敏になっている。「山岳ベース」では、妊娠していた同志もいた。その「妊婦」に対しては自らリンチに加わった。彼女は、妊婦のおなかを容赦なく蹴りつけたそうだ。「森恒夫」はひたすら「左翼思想」の観念の世界に堕ち込んでいたが、「永田洋子」は、顔が美しい女性を憎悪した。妊娠するなんてもってのほかであった。嫉妬に狂った孤独なテロリスト「永田洋子」---2011年2月5日、最後まで再審請求を続けていたが、死刑執行を待たず、脳腫瘍のため獄死した。享年65歳であった。そして、もう一方の「森恒夫」だが、逮捕の翌年獄中自殺を遂げている。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」とコンテンツを共有しています)

暗闇の中の保険金詐取事件---金のためなら鬼にもなろう「長崎・佐賀連続保険金殺人事件」

わが子までも殺害、そんな世紀末の事件が起きた。1999年8月30日、この日長崎県警が逮捕したのは、「山口礼子(40)」と外尾計夫(52)殺人容疑である。1998年10月26日夜、長崎県小長井町の岸壁から、睡眠薬などを飲まされて高校生がつき落とされた。当時高校1年生。礼子の次男であった。次男には3,500万円の保険が掛けられていた。実はこの事件の6年前に同様の事件が起きている。1992年9月11日の未明、佐賀県太良町の堤防から、礼子の夫(当時38)が海中に転落して死亡した。この事故で総額9,000万円の保険金が礼子に支払われている。

そして次男死亡の状況が酷似していたため、警察による捜査が始まっていた。まず司法解剖である。そして次男の血液中から2種類の睡眠薬が見つかったのである。礼子の転落死した夫は外尾と友人である。そして、礼子と外尾は不倫関係にあった。礼子が睡眠薬を入れたドリンクを次男に飲ませて、外尾がつき落とし、さらに次男の頭を押さえつけて殺害したと、鬼親・礼子は供述している。この悪魔の所業は、初公判の冒頭陳述で明らかにされた。次男が鬼礼子に殺されそうになるのは、なんと4度目であるそうな。毒キノコを食べさせたり、ガス中毒を起こさせようとしたり、崖から突き落とそうとした。いずれも未遂に終わっていた。次男はもう気が付いていただろう。鬼が自分を殺したがっていることに。まるで「仇討ち」のように執拗であった。海に放り投げられたときには、その身体には粘着テープが巻かれていた。だが彼は泳ぎが得意だったので、すぐに浮かび上がってきた。その次男の頭を抑えつけ呼吸不能にしてようやく溺死させたのが、この鬼母・礼子である。皆さんは、信じられますか。夫の次はわが子を手にかけたのだ。頭がいかれているという他はない。鬼はこのとき、殺人を見守っていた愛人の「外尾計夫」に「中途半端じゃダメ!」と叫びながら次男の頭を抑えつけていた。店長は、この救いようがない「業の深さ」にただひれ伏すしかない。このバカ母には、「和歌山保険金殺人未遂事件」の「林真須美」のような陽気さが微塵もない。「林真須美」には、どこか滑稽な可愛らしさがあるが、「山口礼子」には強欲な醜さしかイメージできない。もし彼女が美人だというなら、世の中がどこか狂っているのだ。この鬼は、逮捕後の現場検証に立ち会ったとき、一切涙も浮かべずに平然としていたそうだ。次男を生んだのは、紛れもないこの鬼畜「礼子」である。鬼は、次男や亭主よりも愛人の方が大事であった。

戦後、女性死刑確定囚の第一号「山本宏子」---獄中で発狂した同情すべきその生涯

その強盗放火事件は、昭和24年6月10日に起きた。はじめにこの昭和24年を見ておきたい。11月には、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞。同じく11月に金融会社「光クラブ」が破たんし、経営者の東大生、山崎晃嗣が服毒死を遂げている。そして半年前、「山本宏子」(事件当時34歳)が、6月9日、以前にも何度かお金を借りたことがある「天見福松」宅へ向かった。だが、この日は運悪く応対したのが強欲な妻「天見かね」(69歳)であった。かねは、宏子が訴える生活の窮状を聞くまでもなく言下に却下し、あまつさえ言葉汚く面罵した。翌10日、面目を失った「山本宏子」はこの家に盗みに入ってしまう。ただ、その手には「カマ」を持っていた。かねは物音で目を覚ましてしまった。とっさに宏子は「天見かね」を殺害した。そして現金と衣類など100点余りも持ち逃げした。その際、家に放火して全焼させてしまった。死刑が免れない重罪を犯してしまう。ここまで見ていけば、かなりの毒婦ぶりだがそうではない。むしろ真面目で頑張り屋でもあった。ではなぜ強盗殺人を働いたのか。それはダメ男を亭主に持ったからであった。病弱の上に怠け者ときている。「山本宏子」は看護婦であったが結婚を機に辞めていた。彼女は、オルガンが弾けて三味線が上手であった。さらに舞踊が出来た。こう見ると裕福な家庭に育ったようでもある。だが、宏子は私生児として生まれていた。どうも実の父親は、被害宅の主人「天見福松」かもしれなかったのである。「福松」の方も、彼女は「自分の娘」かも知れないと思っていたようである。お金の無心もそんないきさつがあったのだろう。その当時「福松」は結核療養中であった。妻の「かね」は病臥している「福松」につらく当たり、面倒もろくに見ないので「宏子」は「あの婆さん死ねばいいのに」と思っていたのではあるまいか。そんな中での強盗殺人であった。「山本宏子」が困窮したのは、借金をして「米麦」の闇商売を始めたもののうまくいかなかったせいである。借金が膨らみ二進も三進もいかなくなった。戦後の混乱が続いていた時代である。「闇商売」を非難できない。だが、この怠け者との結婚が無ければ、さらに看護婦を続けていれば、「山本宏子」は歴史に名を残すことはなかったであろう。6月10日、「天見福松」の家から出火した。彼は1階で寝ていたところを救出された。そのとき消防士の救出を拒んだという。さらに搬送先の病院では、「自分で火をつけた」と云ったという。彼は、その三日後に死亡する。出火原因の真偽のほどは分からない。裁判でも一顧だにされていない。もし「福松」による「放火」が事実なら「宏子」は放火については冤罪である。立証されていれば「死刑判決」は免れ、「恩赦」の対象になったかも知れなかった。だが、強欲な「かね」はこんなこともあろうかと、お札には通し番号をふっていたのだ。それが「山本宏子」逮捕に繋がった。これは店長の推測であるが、その日、「福松」は2階へ盗みに入った「宏子」を目撃したのではあるまいか。強盗の痕跡を消すために---火事を起こした。自分の余命はわずか数日と思い定め---その行為こそ「娘」を精一杯守ろうとしたのではないだろうか。1審昭和24年12月26日神戸地裁姫路支部において死刑判決。昭和25年9月には2審大阪高裁において控訴棄却。昭和26年7月10日最高裁において上告棄却・死刑確定の判決であった。そして獄中で指導を受けたのが俳句であり仏画の制作であった。持ち前の素養もあってかメキメキと上達している。「山本宏子」は毒婦ではなかった。いや毒婦にはなり得なかった。知識人であり風流人であった。彼女が詠んだ俳句は、後に称賛されている。「落栗の土のぬくみに音たしか」その句は自分を落ちる栗に例えて、それを受け止めてくれる大地の仏の慈悲を詠んだ句である。専門家から高い評価を受けたそうである。獄中での潔い態度、素直で従順、物静かで手が全くかからない。刑務官たちは「なぜ、あの夫人が強盗殺人なんて---」と一様に慨嘆したという。すでに彼我の境地にある宏子であったが、外の世界に残している子供だけが気がかりだった。さらに「食台に汁の指もて子の名かく」を詠んだ。これらの俳句は雑誌で広く世間に紹介されている。その秀作が世に広まるとともに「山本宏子」への同情が集まり助命の声も上がっている。そんな昭和29年の暮れに彼女の精神に不具合を生じるようになった。おかしな言葉を発するようになる。さらに「天見福松」と同様に肺結核を発症した。そのため死刑執行は行われなかったが、積極的な治療もなされなかった。昭和53年3月4日、奈良・大和郡山市にある国立療養所にて永眠。正気に返らぬまま息をひきとった。

黒いナースキャップが良く似合う「吉田純子」は刑場の露と消えた---久留米看護師4人組保険金連続殺人

事件が発覚したのが平成13年8月である。看護師「石井ヒト美」の出頭であった。この4人は同じ看護学校を卒業した仲間であった。3人を支配し、それぞれの夫や親の保険金殺害を指示した希代の悪女が「吉田様」と仲間に呼ばれていた「吉田純子」である。純子は、この仲間が手にした保険金などを騙し取った。総額2億円を超えると云われる大金を独り占めにした。彼女は「黒いナースキャップ」が似合う「黒い看護師」である。看護師の医療的知識を活用して、犯罪が粛々と行われた。「石井ヒト美」が警察に出頭したおかげで、この連続保険金殺人は明るみになった。「池上和子」の夫は、カリウムと空気を注射されて死亡した。また「石井ヒト美」の夫は、胃管を用いて胃に大量のアルコールを流し込まれ死亡した。そして未遂に終わったが「堤美由紀」の母親は、糖尿病の治療薬インシュリンによって殺害が試みられた。驚嘆すべきは、彼女たちの殺害方法には手抜かりが一切なかったのだ。死亡推定時間を計算して病院に搬送するなど手がこんでいた。主犯格の「吉田純子」は、仲間をマインドコントロールしていた。このグループは「犯罪カルト」とでも呼ぶべき集団を形成していた。4人は同じマンションに引っ越した。そこでは「吉田様」が女王であった。仲間の「堤美由紀」は「吉田様」に「性の奉仕」まで行っている。「吉田純子」は、性欲が異常なほど強かったらしい。まるで「オウム真理教」の「麻原彰晃」を思わせる。この「吉田純子」であるが、貧困家庭に生まれ母親から体罰を受けて育っている。云わば「虐待」である。この事件でも「虐待」が登場している。彼女は高校時代にクラスメートを騙して金銭を奪い取っている。作り話の達人である。店長が推測するのに、彼女の虚言癖を育てたのは、この母親の体罰が原因ではあるまいか。おそらく体罰を交わすために作り話が必要だったのだろう。「堤美由紀」など、吉田純子が妊娠した、という大嘘を信じて彼女にお金をむしり取られている。マインドコントロールの恐怖がここにある。2016年3月25日、希代の悪女「吉田純子」は死刑執行された。死刑判決を下された1審法廷で、彼女は薄ら笑いを浮かべたという。謝罪の言葉もなく、突き上げる金銭欲と性欲にまみれた「サイコパス」としての人生に幕を閉じた。恐ろしい看護師がいたものだ。仲間の出頭、自供がなければ、犠牲者はもっと増えたと云われる。

真奈ちゃんはなぜ死んだか---”連鎖”する「虐待」という名のリンチ殺人

この救いようがない「育児放棄餓死事件」が発覚したのは、2000年12月10日である。場所は愛知県武豊町にある大手鉄鋼メーカーの社宅で、村田真奈ちゃん(3歳)がミイラのようになり段ボール箱内で死んでいた。ベッドでも布団でもない。入浴もさせていなかった。皆さんは、育ちざかりの3歳児が、どれほど毎回の食事を心待ちにするものか、よく知っていると思う。真奈ちゃんには1日1回だけ「パンと牛乳」が”配給”されていた。それも最初だけで、すぐに何一つ与えられなくなった。現代の日本社会でここまでの「餓死症状」は他に例がないそうである。眼球まで乾燥し白目が黒褐色に変色していたという。まさに「ミイラ」であった。これは「虐待」ではなく「リンチ殺人」ではあるまいか。どれほど苦しかったであろうか。弱って動けなくなっていた真奈ちゃんを段ボール箱にいれ、おむつをあてがっていた。ところが取り換えなどを一切行わなかったとみえ、糞尿でパンパンに膨れ上がり、腰から太ももまで便にまみれ悪臭を放っていたらしい。皮下脂肪はすべて失われていた。店長には、想像もできないのだ。ペットではあるまいに、段ボール箱に入れて食事を与えず死ぬのを待つとは---常軌を逸している。この事例を「育児放棄」という優しい言葉で結論付けてもいいのだろうか。「殺人」以外の何物でもないと思うのだ。両親に下された懲役7年は、量刑が軽すぎる。この両親は、どちらも21歳と若く、頭髪は茶髪であり、母親は「ヤンキー」そのもの。実際、中学生の頃は暴走族の1員であった。この母親もまた親から虐待されて育っている。親から子へと世代をまたいで「虐待」が行われたのだ。「貧困」は連鎖するが、「虐待」もまた連鎖する。当時3歳の「真奈ちゃん」だが、体格は標準であったが、まだ満足に跳んだり走ったりできなかったそうだ。死んだときには、両足がヘンな曲がり方をして固まっていた。生まれつきだろうか。軽い障害を抱えていたと思われる。さらに、まだ十分なおしゃべりができなかったようである。下肢の成長不全は、両親が正常な心の持主(つまり大人)であれば、小児科で診察を受けているはずである。「真奈ちゃん」にとって、さらに良からぬ状況を迎えてしまう。弟の誕生である。親の関心は弟に向かう。「真奈ちゃん」は、誰にでもあることだが、この弟に激しく嫉妬する。それで、悪戯がいっそうひどくなった。対応に苦しんだ母親は、「真奈ちゃん」の存在が日々疎ましいものになってしまう。「---この子は要らない!」と彼ら両親は思い始める。普通の親であれば、少しぐらい頭にきても、それを努力して乗り越えていくはずである。だが、この若い両親は、どちらもその親が離婚していた。言わば欠損家庭なのであった。どちらもその親に虐待されて育っていた。だから短絡的な思考をする。「真奈ちゃん」への体罰はよりひどくなっていった。祖母が体の傷を見つけて問い質すと「転んでぶつけた」などと言い訳をしている。「言うことを聞かないから殺してしまえ」この理不尽な思考や短絡的な育児放棄はどうしたことだろうか。結婚には適齢期があるように育児にも適齢期がある、と店長は思うのだ。「子供は長男だけでよい」そう考えて殺害(本件の場合は餓死させた)に至ってしまった。この母親には、母親になる資格がなかった。「真奈ちゃん」はS.O.Sを発し続けたが、誰にも伝えることが出来なかった。「子供は神様が授けてくれたもの。だからこそ育てる義務がある」誰でもそのように考えるものである。だが、このバカ親には出来なかった。そんなことを学ぶ機会は「真奈ちゃん」を殺すまでなかった。いつの日か、彼女の弟が成長して事実を知らされる日がやってくるはずだ。「---えらいところへ生まれてきたものだ」と嘆くに違いない。健全な大人になって欲しいと願うばかりである。「真奈ちゃん」の分まで力強く生き抜いて欲しい。

知能指数が高く、成績優秀、派手な服装、赤いフェアレディZ---連日ワイドショーの主役、だが職業は誘拐

この才女の死刑が確定したのは平成10年9月4日である。連合赤軍「永田洋子」に次ぐ女性の死刑確定囚となった。ご記憶だろうか。死刑囚は「宮崎知子」といった。当時流行していた大きなトンボメガネ、派手な服装、愛車は「赤いフェアレディZ」であった。彼女は、言葉巧みに二人の女性を誘拐したのだ。経営する「富山企画」の資金繰りに困り、無謀な営利誘拐を実行してしまった。ワイドショーの常連となった彼女は連日報道された。事件は「富山長野連続女性誘拐殺人事件」と命名された。宮崎は、本件以前にも「保険金殺人」を企てている。準備不足のため失敗、断念していた。この派手な女「宮崎知子」とは、如何なる人物であろうか。彼女は知能指数が「138」と高い。成績もよくいつもトップクラスにいたが、残念ながら「生い立ち不幸」であった。彼女が実父に認知されたのは、ようやく中学生になってからである。育った家庭は決して裕福ではなかった。大学進学も気軽にできる訳ではなく諦めている。多くの重大犯罪の加害者は「欠損家庭」から生まれているが「宮崎知子」も例外ではなかった。最初の犠牲者は調理学校への進路が決まっていた高校3年生である。「宮崎知子」は、「うちの会社でバイトを探している」と騙してクルマに乗せた。都会風の洗練された格好で現れた犯人を被害者は寸分も疑わなかった。誘われるままにクルマに乗ってしまった。車中で睡眠薬を飲まされ寝入ったところを絞殺された。その後に身代金を要求する電話をかけているが、「バイトが見つかり、その事務所に向かう」と殺害される前に被害者は自宅に電話している。娘が帰って来ないので、心配した家族は手当たり次第に探したが行方が掴めず警察に相談している。第二の犯行も同様の手口であったために、警察ではすぐに同一犯だと確信した。営利誘拐が目的なのに、杜撰な犯行ではある。計画があるようで場当たり的だ。しかも初めは失敗しているにも関わらずまた同じ手口で犯行を繰り返す。これでは「死刑」にしてほしいと云うようなものだ。それでなくても「誘拐殺人」は重罪である。知能指数が高くても一般常識が欠けていたのか。知恵など持ち合わせなかったのか。いや人の心を備えていない性悪女だったのか。これは店長の勝手な推測だが、「宮崎知子」は、認知を渋っていた実父を子供時代から憎んでいたのではあるまいか。「殺人」は、この父親に対する「復讐」だったのではないだろうか。そして「派手な格好」と「派手なクルマ」は、貧困家庭に育った劣等感の裏返しではないかと思うのだ。まだ若い二人の犠牲者はあまりにも気の毒であった。無慈悲に未来を奪われてしまったのだ。同性だからつい気を許してしまったのだろう。知らない人のクルマに乗ってはいけなかった。

夫を殺害しバラバラにして飼い犬に与えた希代の悪女---「交野市バラバラ殺人事件」犯人「丸山栄」の同情すべき悲惨な生涯

発覚したのは1997年8月12日である。うだるような暑さの続く日、大阪府交野市のマンションの302号室から強烈な異臭がもれてきた。この異臭騒ぎで通報を受けた警察が現場に駆けつけ、玄関をこじ開け室内に入った。玄関わきの浴室の中で白骨化した遺体が発見された。さらにキッチンでは、解体された身体の1部が鍋に入れてあった。切り取られた男性器は串刺しにされていたそうだ。ビニール袋に入れられた内臓が冷蔵庫の中で腐敗していた。食材のように解体されていたのは、このマンションの住人であった。行方が分からなかった主婦が京都で逮捕された。その希代の悪妻「丸山栄」とは、どんな人物か。1952年(昭和27年)岐阜県で生まれた。父親は左官であったが、仕事嫌いで朝から飲んだくれるダメおやじであった。当然極貧家庭で、母親は内職をしながら家族の生計を立てていた。現在の豊かな日本では理解できない人が多いかも知れないが、この頃家にあるのはラジオぐらいでテレビは普及していない。そして一般に貧しい家庭が普通であった。「丸山栄」が9歳のとき母親が病死する。父親は葬儀代さえ払えなかったらしい。そして妻の死をこれ幸いとばかりに、この父は若い女を家に連れ込で同棲を始めた。家庭の温もり、親の愛情を知らずに彼女は中学まで終えた。京都のデパートで働き始めた彼女は、最初の窃盗で逮捕された。さらに18歳では織物工場で工員として働くが、ここでも窃盗で逮捕されてしまう。彼女は中等少年院に送られた。父親は健在であったが身元引受人にもなれなかった。出所する時近所の人が彼女を引き取りに行ったようだ。生活は貧窮するばかりであった。職は転々と変えて20代を過ごした。1981年(昭和56年)いとこに借金を頼むために出向いた。だが、いとこは「これ以上あんたに貸すお金はないで。いままでの借金、早く返してくれへんか」とにべもなかった。その態度に頭に来た彼女は、そばにあったアイスピックを振り上げていた。いとこをめった刺しにして20万円を奪って逃げた。とうとう彼女は、殺人鬼へと変貌した。彼女は懲役13年の刑に服している。出所後、彼女は、ある決意を秘めていた。それは結婚であった。それも子供を生みたかったわけではない。「お金」が欲しかったのである。夫を殺してお金を作る。手っ取り早く大金を作る方法は、刑務所の中で学んだのではないだろうか。それは「保険金詐取」である。彼女は獲物を探すために結婚相談所に登録した。そこでお金を持っていそうな獲物を探したのである。その中の一人が、今回バラバラにされた洋服店勤務の「丸山」さんである。肉片を鍋に入れて煮るなどの猟奇的な事件であるが、その後同様の事件は多発する。理由の一つは死体を隠すことが出来るところにある。この時代、総じて日本人は貧しかった。だが、貧しいなりに国民は努力を続けていた。だが彼女の生育環境はあまりにも酷すぎた。娯楽も少なかった時代である。このような「飲んだくれの父親」も多くいただろう。店長は、この事件を調べていて、「大阪姉妹殺害事件」を起こした「山地悠紀夫」を思い出した。共通点がある。彼もまた極貧家庭に生まれ「飲んだくれの父親」のもとに殴られて育っている。この二人は、自分自身に対する自己イメージが最悪である。努力して望みを実現させる、これが当然のことであるが、彼らにはそれが出来なかった。他人に危害を加える、そのこと以外に望みを叶える手段が思い浮かばなかったのである。重大犯罪人は健全な家庭にはいない。欠損家庭に育つ。残念ながら事実である。

那須塩原温泉郷の毒婦は死刑台に---「ホテル日本閣殺人事件」

「ホテル日本閣」の経営者夫婦が失踪したのは1960年であった。そして10年後、塩原の毒婦とあだ名された「小林カウ」が絞首刑となった。彼女は経営者「生方鎌輔」の浮気の相手でもあった。「---いっそのこと女将をやってしまいな---」彼女は、生方と情を交わすたびに女将の殺害を迫った。

「小林カウ」は、戦後の闇商売で成功していた。その資金をもとでに那須塩原に食堂兼土産物屋を出したのである。彼女は、お金にがめつく男癖が悪いと近所で評判だった。男とお金に「飢えている」と云ってもいいほどだ。いつしか彼女は「日本閣」を乗っ取ることを思いついた。経営者の「生方鎌輔」に色目を使い愛人になった。女将の名は「生方ウメ」といった。「生方」は「ウメ」との離婚を考え始めた。だが「ウメ」は納得しない。その代わりに多額の慰謝料を要求した。事態は「カウ」が思う通りに進展した。実は「カウ」は、自分の言いなりになる塩原への流れ者「大貫光吉」を手なずけていた。毒婦の恐ろしい計画が動き始めた。まず、「光吉」に命じて「ウメ」を絞殺した。「カウ」は、どんな男でも手玉に取った。「男はみんな同じ、この身体さえ抱かしてやれば、男たちは犬にでもなる」この「カウ」の態度は「毒婦」と呼ぶにふさわしかった。彼女は、法廷でも化粧して出廷した。収監されてもそんな態度であった。死刑が確定してからは、さすがにそんな態度は出さなかったのだが。この「小林カウ」と「大貫光吉」は、夫妻を殺害しておよそ2カ月後に殺人容疑で逮捕された。だが「カウ」はとんでもないことを自供した。計画には次の章があったのだ。「日本閣」に放火して、共犯の大貫を焼殺すること。多額の火災保険金を詐取することである。さらに、彼女は驚愕の自供をする。それは「8年前に自分の夫を青酸カリで毒殺した」というものであった。1970年6月11日、「小林カウ」享年61歳、色と欲の人生に幕を閉じた。当時のマスコミは、明治5年の毒婦「高橋お伝」になぞらえて「塩原のお伝」と騒ぎ立てた。

新宿・渋谷エリート・バラバラ殺人事件---悪女の見本品「三橋歌織」の正体

店長は、身長の高い女性を嫌いではない。むしろ好きなタイプでもある。この事件の犯人「三橋歌織」は170cmあるそうだ。そしてモデル並みのスタイルを誇っていた。彼女はプライドが高く嫉妬深いときている。性格もきついという。虚言癖もあるという。妻にしたくはないタイプである。彼女は会社経営者の父親に厳しく養育された。一方で母親は多額のこずかいを与え甘やかし放題であったらしい。しかも中学・高校時代にはブランド品で着飾っていた。この事件、「エリート」という冠を被せるのは如何なものか。「セレブ」と呼んだ記事もあった。犯行当時の夫の年収は1200万円であるが、出逢った当初の二人は「エリート」に憧れてはいたが、それとは正反対の「負け組」にいた。そして犯人「歌織」は、キャビンアテンダントになる夢も叶わず、「契約愛人暮らし」の派遣社員であった。殺された「三橋」さんは、司法試験を目指してはいるが、180cmの長身を活かして女に貢がせる「ひも暮らし」を続けるダメ男であった。このような二人が出会ってしまったのだから、事件は予定されていたかのように破滅的な結末へと向かっていく。出会いから同棲までがやたらに短期間である。お互い、肉体だけの魅力(あるいは欲望)で魅かれ合っていたのだろう。よくある「芸能人の破局」を見るようである。「夢の中で結婚」してしまい、「現実に目覚めて離婚」をするのである。これが、典型的な離婚で終わる話---にならなかったのだ。事件は2006年12月12日に発生した。「三橋」さんは外資系不動産会社に職を得た。そして、いつしか成功者となっていた。そう、格段に年収が増えていた。だが当然のように浮気の虫が騒ぎ出した。すでに妻「歌織」の身体には飽きてしまっていた。興味がなかったのだ、もともと。心の底から惚れたわけではなかった。求めていたのは彼女の肉体だけであった。夫の浮気を知って「歌織」は激怒した。「どうして、こんな女に!」それは、プライドの高すぎる「歌織」には許し難い裏切り行為であった。そして就寝中の夫の頭部をワインボトルで7度も殴りつけた。夫は、「---なんで---」と云って絶命した。遺体の処置に困った「三橋歌織」は、ノコギリで夫の身体を解体した。殺害したマンションでは殺害2日後には異臭が立ち込め、その状況を何とかしようと遺体を解体することを考えたという。なお、この年「三橋歌織」の父が経営する会社は倒産した。事件の影響と思われる。

「育児放棄」の教科書---「大阪2児餓死事件」の哀れ

終戦後の食糧難の時代、自らは空腹でも子供だけには食べさせてきた母親たちがいた。いや、すべての日本の母親は強くて逞しかったのだ。その日本で、いまやわが子を餓死させて平気な母親が出現したのである。2010年7月30日に発覚した「大阪2児餓死事件」は、世間に衝撃と怒りの感情を広げることになった。犯人「下村(中村)早苗」は事件当時21歳の風俗店に勤務する母親であった、いや女性であった。父親は高校ラグビー部監督として高名な「下村大介」氏である。早苗は、風俗嬢を続けるうちにいつしか「ホストクラブ」に通うようになった。彼女は子供を引き取ったが、離婚相手から養育費を貰っていなかった。さらに実家に援助を求めたが無駄であった。結局、風俗店に仕事を求めたのである。このような境遇に置かれてしまった貧困家庭予備軍の離婚女性は限りなく増えている。育児中の子供がいれば、仕事にも制約がある。育児を手伝ってくれる祖父母がいないのが普通だ。つまり、この事件は「下村早苗」の個人的な問題にとどまらない。少子高齢化のわが国の問題でもあるのだ。「異臭がする」、とマンション住人が騒いでいた。部屋に入ると腐敗しかけた幼い2児の遺体が発見された。3歳の長女ともうすぐ2歳になる長男である。早苗は、育児放棄を始めたころはスナック菓子を与えていたらしい。食事を作っている形跡はなかった。この幼児たちは数日間何も口にしていなかった。冷蔵庫は空で水さえもなかった。「このまま放置すれば死んでくれるかも---」早苗は、そう願っていた。残忍な犯行であった。育ち盛りの幼い子供たちは、どれほど苦しんでいただろうか。まだ絞殺の方が苦しむ時間が短くてよかっただろうに。彼女はホストクラブに入り浸っていた。子供たちには消えて欲しかった。まだ21歳なのであった。母親であるよりも「女」で在りたかった。「私は女なのだ---男はいくらでもいる---子供たちが邪魔だわ」先に掲げた「戦後女性」との大きすぎる落差はどうしたことだろう。女性が、「出産・育児」を拒む時代になったのである。物質的豊かさを追求するあまり、人としての役割を放棄しだした女性たち。その風潮を助長するバブル繁栄後の日本社会。残忍すぎる犯行を考慮し、最高裁は「懲役30年」の実刑判決を言い渡した。「下村(中村)早苗」服役中である。

悪女になった「白雪姫」---中州美人スナックママ連続保険金殺人

博多中洲のスナック「フリージア」は、経営するママが美人で評判だった。馴染みの客には自宅に招待して朝食まで振る舞っていたらしい。だが、男性たちは知らなかった。その美人ママは、致死量の猛毒を出す魔物であることに---希代の悪女の名は「高橋裕子」である。犠牲者の一人は「自殺」として処理されたが、他の二人の犠牲者には殺人罪が成立している。多額の保険金が掛けられていた。「高橋裕子」は、炭鉱の町として栄えた福岡県糟屋郡志免町に1955 年に、靴職人で成功し財を成した裕福な両親のもとに生まれた。色白で愛らしく、幼いころから「白雪姫」と呼ばれたものだ。両親は、この見栄えの良い長女を溺愛した。お嬢さん学校として有名であった「私立福岡女学校」に通わせたが、派手な服装はいやでも目を引いたらしい。父親は、この長女を音楽家にすることを夢見ていた。そのためピアノを学ばせている。大学は、私立「武蔵野音楽大学ピアノ科」に入学させた。その頃の「高橋裕子」は誰もが振り向く際立った美貌の持主になっていた。ただ本人はおっとりした性格で特段の美人であることを意識したこともなかったようだ。父親は期待して金に糸目を付けぬようであったが、娘の方は美貌が邪魔をしたのか努力も続かず、1歳年上の慶大生が「美しい毒蛾」に吸い寄せられてしまった。「高橋裕子」最初の結婚である。相手は、福島県郡山市で名の通った名家の跡取りであった。二人の子宝に恵まれたが、彼女は育児ノイローゼに罹るなどして名家の嫁として耐えることができず、最初の家庭生活は数年で破綻してしまった。そして1987年8月、高橋は年下の建築士と再婚した。思えばこれが人生の歯車が逆回転する始まりであった。同時に「美しい蝶」と思われていた高橋が「美しい毒蛾」に変貌を遂げる始まりであった。そして保険金搾取のための「偽装殺人」がまんまと成功する。高橋は多額の保険金を受け取ることになる。経営難に陥っていた建築事務所の借金を清算し、残ったお金で中州に「フリージア」をオープンした。ここで「美しい毒蛾」はさらに妖しげに羽ばたいたのであった。建築事務所の経営は当初こそ順調であったもののバブル経済の崩壊が押し寄せてきていた。資金繰りが見る間に悪化する。美貌の妻は毎晩夫の無能ぶりを攻め立てた。「あなたが何とかしなさいよ!そうだ、保険を掛けて死んで頂戴よ!」折も折、子供の家庭教師として大学院生が家に来ていた。彼もまた毒蛾にやられていた。家庭教師は裕子に一目ぼれしていた。結婚したいと思うようになっていた。裕子からこの夫殺しを持ちかけられ承諾してしまう。大学院生は殺人ほう助の罪に問われたが、結局無罪になっている。この夫殺しでは1億円以上を保険会社から詐取したのだ。そして第2の殺人(正しくは自殺ほう助)が発生した。高橋裕子は、その次に不動産会社の役員に目を付ける。殺害目的で再婚した。役員は糖尿病を患っていた。会社はほどなく退職した。彼は酒浸りで「睡眠導入剤」が無ければ眠れなかった。裕子はチャンスを待った。その日、湯船で寝入っている夫を発見した。あとは夫の頭を押さえて湯船に沈めるだけで良かった---

なんで猫を捨てたの!---父親に詰問、逆上して死なす

時折ブームになるのがペットとしての子猫である。この飼い猫を巡って殺人事件に発展、そばにあったビール瓶で父親(60歳)を殴り殺した娘(高田清美23歳)が逮捕されている。1991年(平成3年)に5月25日に足立区で発生した事件だ。親子は猫のことで日頃から口論が絶えなかったらしい。この日、7匹の飼い猫のうち1匹がいなくなっていた。清美は父に「なぜ捨てた?」と詰め寄り、喧嘩になってしまう。逆上してビール瓶を持ち出した彼女は父親の頭を打ちすえた。そして何度も殴った。そのあと、清美と弟そして母親の3人は捨てられた猫を探し出すために外出した。自宅に戻ってみると、父親はすでに外傷性ショック死していたという。清美は逮捕された。詳しくは分からないが、住宅事情が原因ではないだろうか。この家族は事件発生当時は都営アパートで暮らしていた。その手狭な部屋で7匹の飼い猫と同居するという神経が店長には理解できない。ペットを勝手に捨ててはいけないが、それは「死」をもって贖うべきものだろうか。割りが合わない話である。

隣家争いが劣等感を刺激し殺人に発展---普通の主婦が殺人鬼に変貌

この事件は1976年1月28日に発生している。犯行現場は練馬区の都営住宅であった。犯人「持田容子(当時47歳)」は隣に住む同じく主婦の小坂明子さん(当時40歳)を自宅から持ち出した包丁でメッタ刺しにして殺害してしまう。日頃からトラブルが絶えず、お互いの夫婦はお互いの悪口を近所に言いあっていたらしい。人は誰でも「殺人鬼」と化すものらしい。犯行のきっかけは他愛のないものであった。「持田容子」は自転車に乗れなかった。たまたま、彼女と自転車に乗った犠牲者が付近で遭遇したのであった。当然、小坂明子さんはベルをならして行き過ぎる。それが、「持田容子」には自転車にのれない自分への「当てつけ」のように思ってしまった。その瞬間であった。咄嗟に自宅に舞い戻り凶器になった包丁を持ち出していた。後は覚えていなかった。何をしでかしたのかさえも。

少女を包んだ暗い闇---佐世保発同級生殺害事件

不可解な事件は2014年7月27日に起きた。現場は長崎県佐世保市である。この日、高校生の少女の自宅には友人が遊びに来ていた。目の前にいる友人が自分を殺そうとしていることも知らずに。数時間後、被害少女の首、手足は胴体と分離されていた。少女の犯行動機は「人を解体してみたかった」であった。事件報道は世間を震撼させた。犯人少女は成績が良くスポーツも出来た。国体出場も果たしている。非行歴はなく、文武両道の優等生であった。「---どうしてこんな子が---」現在は精神面での治療を受けているが、被害者の友人に対して、謝罪の言葉もないようである。(この項は「覚えておきたい最近の犯罪(その2)とコンテンツを共有しています)

まるでリンチ殺人---わが子を死に追いやった鬼畜夫婦

児童虐待もここまで来たのか、と嘆息せずにいられない。鬼畜の所業が尼崎で発生している。平成13年8月7日、犠牲となったのは当時6歳の恭一君であった。父親の回し蹴りが、粗相した恭一君の左側頭部を直撃した。死因は脳内出血。全身に打撲跡がみられ、左中頭蓋骨付近には血塊を生じていた。さらに驚くべき事件となる。母親の勢田知子(事件当時24歳)は、冷たくなった恭一君を尼崎の運河に遺棄したのである。恭一君への虐待は日常的に行われた。ポロシャツにカレーを付けただけで、知子は恭一君を激しく殴打した。隣家の住人は、毎晩のように繰り返される、泣き叫ぶ恭一君や親たちの怒鳴り声、汚い言葉使いに閉口していたという。素麺の方がいいと云って拒んだ恭一君の口の中に「ほなら、これを食え!」と茹でていない乾麺を押し込み、殴打して無理やり食べさせたりした。恭一君の毎日はおそらく地獄だっただろう。知子にとって紛れもない実子である。これほど惨酷な仕打ちができるものだろうか。店長には想像もできない。この事例は、「幼児虐待」というより「リンチ殺人」だと思うのである。一般に「量刑」が軽すぎると思うのは店長だけではあるまい。

冤罪も囁かれる難事件---恵庭「社内恋愛絞殺事件」

北海道恵庭市北島の農道で「真黒な焼死体」が発見された。平成12年3月17日の朝であった。身元はほどなく道警によって確認された。千歳市の日本通運札幌支店配車センターに勤務していた「橋向香」さんである。道警は、意外に早く容疑者を特定できた。同僚の先輩社員「大越美奈子」である。被害者とその日一緒に退社しておりアリバイもなかった。さらに捜査では、容疑者と被害者が一人の男性をめぐって「三角関係」にあったことが分かったのである。動機は単純である。交際は、「大越美奈子」が先で彼女は男性社員との「結婚」を切望していた。ところが「橋向香」さんが同じ職場にやってきて職場の空気が微妙に変わっていた。理由は簡単である。犠牲者の「橋向香」さんがより若くそして比較的美人だったからである。当然、容疑者「小越美奈子」と交際男性の間に隙間風が吹いてくるようになった。「---彼女が邪魔だ、何とかしなければ、結婚の障害になってしまう---」そして、悲劇が起きてしまった。だが直接的証拠がなく立件は困難を極めた。被疑者「大越美奈子」は冤罪を主張した。当事者の男性心理はどのようなものだろうか。殺人事件が起きてしまったことには、相当に心を痛めているはずである。

何故優秀な東電社員が「娼婦」に---「不思議」に包まれた---「東電OL殺人事件」

覚えておられるだろうか、1997年3月8日深夜に渋谷区円山町で発生したこの事件。「えん罪事件」として有名である。

2000年4月14日にえん罪が晴れ、ネパール人に無罪判決が下されている。

だが、何故?優秀な東電の女子社員は、「売春」などをしていたのか。疑問は深まるばかりだが、彼女がすでに天国にある今となって真実の解明などムリな相談である。

エリート社員は、なぜ娼婦として殺されたのか。

被害者女性の底もないほどの巨大な心の闇。ずさんな警察捜査。作られた犯人。

人間というもの、ますます訳がわからない。優秀なOLであった彼女をなにが娼婦の行動へと駆り立てていたのだろうか。慶応大学を卒業後、昼間は東京電力の優秀な社員。発表した経済論文さえある。そして夜は渋谷の娼婦となって街頭で営業していた。この不思議な落差は世間の興味をかきたてた。週刊誌はこぞって特集記事を組んだのであった。その「お祭り」は、被害者遺族が抗議するまで続いた。店長も大いに興味を持ち、ドキュメンタリー「東電OL殺人事件」を読んでみたが、結局理解できなかった。混迷の度合いは、深まるばかりである。逮捕されたネパール人は当初から「えん罪」を疑われていた。しかし真犯人は、どこで何をしているのだろう。(この項は「覚えておきたい最近の犯罪事例」とコンテンツを共有しています)

キャバ嬢に6億円を貢いだ男---女のうそは犯罪ではないそうな

テレビ朝日「追跡!あのとき何が?列島事件簿2012」で放映されている。おバカのスケールも侮れない。なんと勤務先の公金を横領し、キャバ嬢に貢いだという。その金額はおよそ5億円とも6億円とも。そのキャバ嬢は、ホストクラブで毎晩のように豪遊していたそうである。もう店長は、コメントする気力を失ってしまった。彼の名は「栗田守紀」懲役7年の実刑判決が下されている。店長は驚いた。しかも、その店は歌舞伎町や六本木ではない。なんと、葛飾区亀有なのである。カビ臭いような思いっきり下町の場末ではないか。店長はそのお隣の葛飾区金町に住んでいたのでよく知っている。キャバ嬢は目立つような美人ではないそうだ。だから惚れてしまったのか。病気だと偽ってお金を騙し取ったのだが、このキャバ嬢を罰することができないという。彼女は「栗田守紀」と共謀したわけではないからである。栗田クン、お気の毒に。こんな人間国宝のような人が現実にいるなんて。(この項は「必読!おバカ事件ファイル」とコンテンツを共有しています)

貢ぐ「犯罪」---もう一つの女子行員による銀行巨額横領事件

実は銀行巨額横領事件は3件発生している。1975年7月20日足利銀行栃木支店の行員だった23歳の女性は、電車内で一人の男性と知り合った。男は、自分は「国際秘密捜査員」だと身分を明かした。この劇画のような大嘘を信じてしまい、公金横領の舞台となったのが足利銀行である。現在では考えられないおバカ事件でもある。その”国際捜査員”は彼女に告げた「組織から抜け出して君と結婚したい---だがそのためには大金が必要だ---無理だ、そんな大金なんて---」そんな男の荒唐無稽な出鱈目を女子行員は信じてしまった。横領の手口は他の2行同様に単純で、彼女も預金証書の偽造によって、2年間で2億1千万円を騙し取った。そして発覚が遅れたのは、監督する立場の上司と、その女子行員が不倫関係にあったせいだと云われている。おそらく、女子行員は「上司との関係を清算したい」と思っていたのではあるまいか。結婚して銀行も退職し別の人生を歩みたかった。折よく「理想的な好みの男性」と知り合った。その男性と結婚できるのなら、「すべてを投げ出しても良い」とさえ考えていた。だから横領でさえも厭わなかった。男性にとっては夢のような時代が存在した。現在では、大金を貢ぐのは決まっておバカな男性側である。

同性カップル覚悟の心中---世間の常識は30年後に追いつく

このガスによる「心中事件」が起きたのは、昭和47年11月11日である。現在でこそ、例えば渋谷区では、同性であっても夫婦としての変わらない行政サービスを受けられる。だが、当時の社会では、いささか事情は異なっていた。同性愛などは狂人扱いされた。一方は幼稚園の保母さん。相手は服飾学校に通う学生である。旅行サークルで知り合って1年3か月にもなる。外では仲良しの友人であったが、夜二人きりになると獣のように、愛し合った。性行為に没頭したのであった。だが同性愛は、長く続かなかった。保母さんの方に見合い話が両親から持ち上がったのである。その日、二人は大喧嘩をした。翌日、服飾学校の学生のほうが、心中を持ちかけた。そう、彼女は「恋人」を誰にも渡したくなかった。ワインで乾杯し、全裸で抱き合って、ガスを開いた。心中以外の選択肢はなかった。

愛人に家族を消され、財産を奪われた女の罪---北九州一家監禁連続殺人

この事件は、想像し難いおぞましさのため、報道が控えられた。平成14年5月であった。監禁状態から脱出に成功し、警察に保護された少女の告白には、関係者は戸惑いを隠せなかった。少女は被害者であると同時に、家族の殺害に加わっていた加害者でもあった。松永太(当時40歳)、共犯者緒方純子(当時40歳)である。正式には結婚していない。内縁関係である。事業に失敗してお金に困っていた松永は、同級生の緒方が資産家の娘であることに目を付けた。そして言葉巧みに彼女を誘った。まだ緒方純子は気が付かなかった。松永は、緒方家の資産の簒奪を狙っていることを。北九州市小倉北区にあるマンションで男女7人が殺害され、遺体は跡形もなくなっていた。このおぞましい監禁・拷問・殺害は、脱走した少女の告白が無ければ、その発覚はさらに遅れただろう。松永の人心掌握は天才的であったそうである。被害者は緒方の家族であった。特に、母親は局部への電気ショックを幾度となく受けており、ついに発狂してしまっていた。その殺害を松永に命令された純子たちが実行したのだ。1度、緒方はマンションから逃げ出している。ところが、松永太の計略にかかり戻ってしまう。もう緒方は松永の奴隷になっていた。さらに家族は、食事も排泄も厳しく制限された。身体に通電され次第に衰弱し、もう死にたいと思うようになっていた。資産の土地は緒方純子によって現金に換えられ、松永太に奪われる。緒方家の家族は、正常に思考することさえ奪われてしまった。法廷で、松永は「自分は無罪。すべて純子がやったこと」と云い逃れようとした。緒方純子はすべて、家族さえも松永に奪われてしまった。この事件は、過去のカルト事件を思い出させる。平成9年12月から翌年6月までに、緒方家の家族が家族同士で殺しあった。そして家族さえもが逃れることできなかった「マインド・コントロール」の恐ろしさを知って、世間は驚愕した。一番の被害者「緒方純子」は、また一番の加害者でもあった。最高裁判決--松永太は死刑、緒方純子には無期懲役であった。

世界を恐怖させた新左翼---重信房子

日本赤軍を名乗ったテロリスト、重信房子は、現在も服役中でガン治療を受けている。20年の刑期を考えると、出てくるのは80歳を超える。つまり、もう社会復帰はないと云えるので、実質的な無期懲役刑である。しかも大腸がんの治療を受けている。そう長くはないだろう。平成生まれの世代には、「日本赤軍」など理解も出来ないに違いない。だが、この時代の空気というものがあった。それが学生運動、共産主義運動であり赤軍派、テロ事件、浅間山荘事件や連合赤軍リンチ事件などであった。学生たちの”社会”への憤りが左翼思想と結びつき、大きなムーブメントになって社会全体を覆っていたのであった。現在のように”何か得体のしれない不安”と違って、当時の社会には”はっきりした敵”があった。それが貧困層を生み出す資本主義であったり、日本的制度や社会慣習であったりした。店長は、現在の無差別殺人のほうが、目的も思想のカケラすらもない、悲しいまでに救い難いと思うのである。で、重信房子であるが、世田谷区生まれ、父親の影響を受けて共産主義思想にハマってしまう。連合赤軍とは一線を画したが、日本赤軍の最高幹部として”革命”を夢見て中東入りした。現地から打電された写真を目にして日本中が驚愕した。魅力的なストレートヘアがなびき、手には機関銃を手にしていたのであった。どこを見ても革命戦士であった。その後、高槻市で潜伏中に逮捕されたが、その報道を見て、世間は再び驚いた。重信は、人の良さそうな”関西のおばちゃん”になっていたからである。

松山で同僚を殺害、家財を奪い時効(当時)寸前まで15年も逃亡

犯人の名は「福田和子」である。松山市で事件が起きる。1982年8月19日であった。松山市に住むホステスが殺された。殺害された女性は、犯人福田の同僚であった。福田は結婚しており子供も4人いた。犯行後、東京で整形した。さらに北陸へ逃げ、さらに金沢へ逃げた。なんと15年にもわたって逃亡し逮捕された。きっかけは住民からの通報であった。当時マスコミは、連日この指名手配犯の福田を取り上げていた。そして懸賞金もかけられていた。裁判で福田には無期懲役が下された。和歌山刑務所で2005年3月に病死している。

和歌山毒物カレー事件---林真須美という毒婦

自治会主催の夏祭り会場であった。その祭りで提供されたカレーには、ヒ素が混入していたのだ。事件は、1988年7月25日夕方和歌山市園部で発生した。毒物の特定が遅れ、結果として4人が死んだ。渦中の人だった林真須美容疑者。彼女には死刑判決が下されている。林真須美の自宅から、この毒物が出ている。ただ一つ、真須美には毒物を盛り込む動機があいまいであった。裁判でもこれが争点になった。いまだに真犯人は林家の次女ではないか、冤罪ではないかとネット上での噂が絶えない。林家の周囲には数人が不審死ししており、いずれも多額の保険金が支払われているという。

なぜ女児は殺害されたのか---犯人の心の底知れない闇

おそらく、世間の夫たちには永遠に理解できないだろう。1999年(平成11年11月)「音羽幼女殺害事件」が発生する。「お受験殺人」とも言われた。それは、加害者と被害者は、お互いの長男をこの名門幼稚園に通わせており、顔見知りであった。殺されたのは、その園児の妹である。動機の解明には難航した。最初はこの母親同士は仲が良かったらしい。いや正確には、加害者である母親(紛らわしいのでAとする)が殺された幼女の母親(同じくBとする)を一方的に友人だと思い込んでいたようである。だが、名門幼稚園にそろって長男が入園したころから、Aの心がきしみ始める。Aが親友だと思っていたBは、幼稚園で知り合った他の母親との交流を深めていったからである。そしてAには、疎外感がのしかかるようになる。その心が一方的に被害妄想を育ててしまう。Aには、Bが他の母親たちとAの悪口を言っているように思い始めたのである。疎外感、嫉妬、反感、怒りなどが心に渦巻いてしまう。それは、いつしか殺意に変わった。AはB の幼い子に標的を定め、殺して遺棄するつもりで大きめのバッグを買っている。長男よりも幼女の方が殺しやすいと判断したようである。おそらくAは無理してこの名門幼稚園に長男を入園させたのだろう。だが、殺された幼女には何ら落ち度はない。殺される理由が何一つないのだ。Bにしてみれば、おそらく理解できなかったに違いない。

1956年の驚愕事件---江戸川区でおきた青酸カリによる家族4人殺害事件

い事件であるが、掘り起こす。1956年江戸川区で起きた。犯人は、その家の長女19歳であった。殺害されたのは、母親と弟たち4人である。長女は青酸カリをジュースに混入させた。家族に対しては恨みなどなかったのに。動機は、「家族が多すぎる」というものである。おそらく、現在では理解不能である。長女には、結婚したい人がいた。ところが、「扶養家族が多いから」という理由で拒否されていた。そのことを思い悩み、「このままでは結婚できない」と考えて犯行にいたった。昭和31年当時、結婚は女性にとって最も重要なことであった。女の幸せは結婚次第と云われていた。当時、社会に出て働く女性は少数であった。10代でお嫁に行くというのが、大多数の女性の生きる道であった。結婚難の現在の状況とはずいぶんと異なっていた。それを考えないと、この事件は理解できない。

服役中にラブレター殺到---美人銀行員「伊藤素子」

巨額横領事件の「伊藤素子」は、刑期を終えて、一般人と結婚して幸せに暮らしているらしい。彼女は、「三和銀行茨城支店」に勤務していたとき、1億3千万という大金を横領した。1981年であった。事件当時には、内部の犯行を防ぐセキュリティは整備されていなかったのだ。オンラインシステムを悪用した犯行である。その大半を共犯の愛人に貢ぎ、彼女はマニラに逃亡した。犯人の伊藤素子だが、その美しい容貌が話題になった。マニラで逮捕され、国内に送還された。同時に共犯の男も逮捕された。「好きな人のためにやった」それが「伊藤素子」の供述であった。収監中、彼女へのラブレターが殺到したという。当時、銀行のセキュリティは甘いものであった。この事件後にオンラインに関する法律が制定されている。

また、現在では考えられないが、悪い男に人生を狂わされてしまう「純粋」な女性も多かったようである。「伊藤素子」には、同情する向きも少なからずあったのである。今では、女に貢ぐ男が多い。時代は変わったのだろう。

復讐するは、女にあり---闇サイトを使った衝撃の犯行

福岡市の路上で、会社員(44)が見知らぬ男から突然顔に「硫酸」をかけられた。2007年8月9日の夜であった。顔や左目に大やけどを負った。犯人の男はとんでもないことを自供した。彼は闇の復讐サイトを運営しており、報酬10数万円を受け取り、この事件を起こした。依頼したのは、被害男性の交際相手であった。「彼の顔を醜くしてほしい」それが復讐依頼内容であった。裏切られた女が思いつきそうなことである。防ぐ手立てがあるのだろうか。硫酸は熱湯とちがって、衣服も溶かして浸透する。咄嗟の応急処置としては、水を浴びるしかないらしい。濃硫酸は骨まで溶かすのだ。

事件が起きる前に、浮気をしないことが一番である

もし主犯格の永田洋子が美人に生まれていれば---この凄惨な事件はなかった

1971年、この年は「連合赤軍」という左翼革命集団の事件で世の中が揺れた。「浅間山荘事件」が終結して、世間は再び驚愕することになった。

彼らのリンチ連続殺人が発覚したからである。新聞にも連日報道された。正式名称を「山岳ベース事件」という。仲間を次々と凄絶な拷問にかけ、夜間にえびぞりにして吊るしそのまま絶命するまで放置した。主犯格の「永田洋子」は、その類まれな醜い容姿からなのか恋愛、妊娠には縁がなかった。永田は同志の恋愛には激しく怒り、当事者たちを特に虐待していた。妊娠している女性には何度も殴りつけた。これは、後の「オウム真理教」と同列には論じられないが、ある面では似通っている。政治結社も宗教結社も「異様なカルト」であることは間違いない。一人ではとうてい成しえないことでも集団になれば平気になってしまう。事件のあらましを振り返ってみたいが他日に譲る。

すでに歴史の中に沈んだが、滋賀銀行巨額横領事件---罠に落ちた行員「奥村彰子」

奥村彰子が滋賀銀行から横領した額、なんと事件当時で9億円であった。1973年10月21日に逮捕された。彼女は横領したお金をほとんど愛人の「山形元治」に渡していた。この事件はTVドラマにもなった。犯人役に当時人気があった火野正平を起用、はまり役であった。先に逮捕された山形の自供から巨額横領が明らかになり、続いて奥村が逮捕された。山形は、奥村から受け取った横領金をほとんど競艇で溶かしてしまっていた。奥村は山形が独身だと思い込んでいた。横領当時42歳であった。奥村に惚れていた男性の客は、彼女に大金を預けていて、預金証書でさえ受け取っていない。奥村がその話を愛人であった山形に伝えた。山形は、「そのお金なんとかならないか。すぐに返すから」と言って横領させた。それが次第にエスカレートしていく。奥村は、この山形と結婚できると思い込んでいた。だから嫌われたくはなかった。気が付くと、もう40歳を超えてしまった。

彼女は、恋愛には奥手であった。それは父親が愛人を作って家を出たからであった。だから母親は高校進学で女子高に入学させている。だが、その犯行当時には恋愛に悩んでいた。飲み会で深酒をしてしまった。その日、タクシーを呼んだ。運転手が山形であった。奥村彰子、転落の始まりである。真面目な行員であったが、山形に騙されていても、それを認めたくなかった。一人で生きていく勇気はなかった。結婚したいと願っていた。

山形に禁固10年、罰金3,000万円。そして奥村彰子には、禁固8年、罰金1,000万円の刑が確定。奥村は和歌山刑務所に服役した。奥村は、刑務所ではおどおどしていていじめられたという。

被害者が今度は加害者に---家庭・財産を乗っ取られた4家庭---尼崎連続変死事件

取り調べ中に獄中自殺したのが、主犯と云われた角田美代子(60)である。2011年1月であった。一人の女性が大阪市内の交番に駆け込んだ。「妹夫婦が母を殺した」という。大江香愛(44)は尼崎のマンションでその妹夫婦と母とで暮らしていた。彼女は殴られたような腫れあがった顔であった。警察は不審に思った。そして関係する隣人も含めて逮捕した。だが、ここから事態は混迷を深めていく。その母の遺体はドラム缶のなかで見つかった。そして、交番に駆け込んだ大江香愛もその殺人の加害者であった。さらに捜査が進むにつれ角田美代子を中心にした異様な人間関係が浮上する。殺害された人は9名。行方不明者は3名であった。不可解である。個別の事件、事故死。沖縄に旅行して崖から海に転落した橋本久芳さんは、美代子に命じられて自ら転落したという。美代子には死亡保険金が支払われている。弟の橋本次郎さんは、岡山県備前市の海底から引き揚げられた。殺害されコンクリートに詰めてあった。だが事件は、全容解明が不可能になってしまった。美代子は、犠牲者を洗脳し暴力で支配した。ベランダに作った小屋に閉じ込め、水さえも飲ませなかったらしい。

鬼畜の所業---秋田児童連続殺人

裁判では、すでに無期懲役が決まっているのだが、はっきりしていない事件なのだ。犯人の主婦の言動には謎が多い。物証も少ない。はっきりした動機も見つからない。そもそもなぜ実の娘を川に突き落としたのか。なぜ隣の家の男の子まで手にかけてしまったのか。娘の水死は事故として処理されており、気の毒な母親として世間の同情を集めていた。そして2006年6月、悲劇の母から一転して殺人鬼になったのである。ワイドショーは、このニュースで持ち切りになった。水死した娘はこの鬼親を慕っていたのだ。それなのになぜ?そして隣の男児は、なぜ死なねばならなかったのだろう。疑問だらけである。養育している子供が邪魔になるケースとしては、男の存在がある。世間で良く起きる子供への虐待がそれだ。母親になっても「女」を卒業できない。「情交」には子供が邪魔になる。この秋田のケースではどうなのか。これは店長の見解である。

冤罪の噂が消えない和歌山ヒ素入りカレー事件---死刑判決が下されたが、真犯人は果たして次女なのか

林眞須美に死刑判決が下されたものの、冤罪説が浮かんでは消えている。すでに世間から忘れられたが、保険金詐取で周囲の人物が幾人も亡くなっていた。疑惑が発覚してから連日ワイドショーで報じられ、林夫婦は時の人になった。そして林眞須美が逮捕されたのであった。しかし、彼女には祭りのカレーを見守る役目であったが、鍋にヒ素を入れる動機がない。狀況証拠だけでの判決であった。この事件で4人が亡くなっている。保険金詐取で生活する悪人がいることを世間は改めて知ったのである。真犯人は次女ではないかという説がある。寃罪でなければ良いのだが。

世間が騒いだ---てっきり美人かと思った。毒婦「木嶋佳苗」

被告人木嶋佳苗は、はたして平成の毒婦なのか。状況からの推定--死刑。婚活サイトで知り合い、多額の金銭を収奪、その果てに練炭による自殺を疑装して殺害。お金だけでなく命まで失った犠牲者は6人にのぼる。命こそ無事であったが、お金をむしり取られた被害者は20名にも。連日ワイドショーで報じられ、法廷が劇場と化したのは、我々の記憶に新しい。結婚難時代の到来を思い知らされた事件でもある。結婚相談所も婚活サイトの利用にも注意したい。焦る気持ちも分るのだが。なお、2012年4月13日、死刑判決が下されている。

当然死刑---と店長も思う。だが、被害者の最期は幸せだったのではないだろうか。佳苗さんとの結婚生活を夢見ながら、安らかに息をひきとったのであるから。被害にあってしまった高齢者の方、お気の毒だと思う。大金を剝されたというが、彼ら被害者は自らの意志でお金を払っている。それも幸せな気分に包まれて。それらを考えていると、死刑---で良いのか?と自ら反論してしまうのである。被害者は幸せだったのでは?という推測は、量刑を左右するものではない。それは分かる。であっても、死刑---で良いのか?---と店長は想ってしまうのである

愛のコリーダ---阿部定事件

昭和11年5月18日、荒川区尾久でそのいまわしい事件が起きた。愛人を殺害し局部のペニスを切断するという猟奇性たっぷりの事件であった。犯人は「阿部定」といって芸者や娼婦などで生計を立てていた。この年に2.26事件が起きている。店長はこの事件を「愛のコリーダ」という大島渚がメガホンをとった映画によって知った。暗い世相をさらに震え上がらせたという。

中国人妻の恐るべき計画---大阪替え玉殺人事件

目的は財産横取り。そのため書類を偽造した。02年2月、石川県野之市の役場にKさんの死亡届けが提出された。提出したのは、中国人妻のイン・リナ容疑者である。Kさんの死因は心不全であり事件性もなく、火葬された。しかしその2か月後とんでもない事態が発覚する。火葬されたのは別人だったのである。大阪在住のKさんの娘が役所からの問い合わせで、生きているはずの父親が死んだことになっており、住民票が勝手に移動されていることを知った。

驚いたこの娘は大阪府警に相談した。大阪府警で調査すると死亡したのはまったくの別人であった。イン・リナは偽装結婚のあっせん業をやっていたが、捜査が厳しくなりそれを続けることは困難になっていた。そのころ離婚したばかりの西成区資産家のKさんと知り合った。彼女はその財産に目を付けた。そしてKさんと再婚する。財産を奪うためである。知り合ってから半年後に入籍を果たした。その直後にKさんは失踪する。彼女は、まんまと金融財産を奪い取った。殺害されたとみられている。Kさんの替え玉には、西成区の身寄りの無い病気がちの男を選んだ。そしてKさん所有の土地収奪に取りかかる。Kさんの娘たちが相続を放棄したとする書類の偽造に着手した。ところが、ここで犯罪計画がばれるような書類作成上のミスを犯してしまうのだ。彼女の背後には違法入国をあっせんする「蛇頭」の影がちらつく。男は美人とエロに弱いものだ。かくして、土地の収奪は未然に防がれたが、西成区の男性二人が殺されたのだ。その後イン・リナは行方をくらました。