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芸能界・スポーツ界ネタ第4弾です。時系列ではありません。よって<その1>から順番にお読みになる必要はありません。

話題の映画「空中庭園」が空中分解した日---気鋭の映画監督覚せい剤で逮捕

話題になったのは「空中庭園」の中身ではない。作品ではなく、映画宣伝に使われたキャッチコピーなのである。それを考えたのが逮捕された豊田利晃監督であった。曰く、『--たったひとつだけ、私は家族に隠していることがある』それが、覚せい剤やMDMAだったというわけだ。2005年8月24日であった。そのあおりを受けて、この作品は上映館を大幅に減らされてしまった。

昭和はどこに消えた---昭和芸能史の隠れた「村田英雄」伝説

おそらく還暦以上の世代はご記憶だろう。昭和を代表する大演歌歌手「村田英雄」である。このセンセー、とにかく漢字が苦手だった。ある日、三波春夫と共演する台本を手にして烈火のごとく怒り始めた。「オレが下手(へた)で、三波のやつが上手(じょうず)だと?」台本には、”上手(かみて)三波春夫、下手(しもて)村田英雄”と記されてあった。---村田先生、さすがは大御所。「オレにも昔は”自衛隊”が付いていたもんだ」驚いたアナウンサーは「先生、それって”親衛隊”のことでは---」「君は知らんのか、その前は”自衛隊”と云っていたんだよ」「----」もちろんこの”親衛隊”とは「ナチス」ではない。有名人の取り巻きをさす。ちなみに、自衛隊の前身は「警察予備隊」と云った。まだある。スタッフが用意した砂糖とミルクが入ったコーヒーを一口飲んで「うむ美味い、コーヒーはブラックに限る」ともらしたそうである。---すごすぎる。

堕ちた皇室御用達ブランドを救った---出来過ぎるお嫁さん「君島十和子」の挑戦

「玉の輿」でもなく「セレブ婚このデザイナーをご記憶だろうか。「君島一郎」である。「KIMIJIMA」と云えば皇室御用達で知られる人気ブランドであった。その息子「君島明」が美人妻を迎えた。嫁さんは「吉川十和子」で、評判のモデル出身の美人女優であった。客観的に見て、誰もが美しいとため息をつくほどであった。中学生時代からモデルで活躍していた彼女は、長身で美貌、その結婚報道が過熱したのも無理はない。何しろ、当時この”ブランド”は飛ぶ鳥を落とす勢いであった。いわば美貌で射止めたセレブの座であった。ところが幸せの絶頂期はここまで。君島一郎氏死去で、遺産騒動が起きるのだ。この騒動の渦中で明氏の兄が現れる。君島明は、君島一郎の婚外子であった。さらに、騒動が悪影響したのか、ブランドイメージが急降下していく。やがて倒産。君島夫妻はピンチに見舞われた。なんと夫婦が被った借金は40億円と言われる。女優時代からの十和子ファンは、これで君島十和子は終わってしまった、と噂した。ところが、十和子さんのような美人妻を金のわらじを履いてでも探したいものだ。彼女が立ち上げたブランド「FELICE TOWAKO」が大ヒットする。この成功で危機を脱することが出来た。これは、奇跡の復活と評される。さらに彼女は子供二人を育て上げ、娘を宝塚音楽学校に入学させた。君島十和子は、美貌だけでなく知性も備わっているようだ。ただ美人というだけでは、嫁さんとしてそれほど値打ちは無い。思えば、この結婚は」でもなかった。彼女は、自らの才覚で「セレブ」になったのだろう。

米国誘拐事件の模倣---「トニー谷長男誘拐事件」の呆れた報道合戦

昭和30年に、奇抜な芸風で人気があった芸人「トニー谷」の長男が小学校帰宅途中で誘拐された。ようやく戦後の混乱から世の中が落ち着いてきた時代である。米国の経済的、文化的影響が溢れかえっていた。そして、犯罪も例外ではなかった。テレビ報道が世論操作を形成していく。新聞より速報性があり、また訴求力があった。テレビメディアが第三の権力になろうとしていた。さて、この誘拐事件は後に与えた影響は小さくなかった。「トニー谷長男誘拐事件」発覚当初から、テレビが盛んに誘拐事件を報道した。テレビ・新聞各社の報道合戦が繰り返される。犯人からの身代金要求電話を受けたトニー谷は、これは狂言ではない、実際に起きていると直感する。トニー谷の仕組んだ狂言ではないのか、とした報道姿勢があった。トニー谷の自宅に報道陣が詰めかけ、トニー谷は身代金を用意したが、犯人と交わした受け渡し場所にも行けなくなる。彼に扮した警察官が現場におもむく。警察は首尾よく犯人を逮捕できた。犯人は、米国で起きた有名な誘拐事件「リンドバーグ事件」を模倣したと自供する。トニー谷の長男は、犯人の実家で無事に保護された。長男は、犯人に大事にされていたらしかった。誘拐事件解決後、トニー谷は息子を無事に帰してくれた犯人に謝意を表した。ところが、この事件を契機にトニー谷人気は凋落していった。営利誘拐事件の発生について、報道各社が事件報道を自粛する「報道協定」が結ばれるのは、さらに次の悲劇、昭和35年に発生した「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」まで待たねばならなかった。この犯人は、報道合戦に追い込まれて、やむなく雅樹ちゃんを殺してしまう。それぐらい、当時の報道各社側には、事件に対する意識が低かったのだろう。

視聴率という妖怪---「日本テレビ視聴率買収事件」の暗闇

写真週刊誌「FLASH」が7週連続で記事にした前代未聞の事件、それが、「日本テレビ視聴率買収問題」であった。2003年10月24日午後4時日本テレビで釈明記者会見が行われた。高視聴率を維持するために社員の安藤正臣プロデューサーが単独で起こしたとされた。だが、疑惑が晴れなかった。日本テレビによる組織的な犯行が疑われた。記者会見は、社員の単独行為、勇み足と結論され幕を閉じた。当時は、視聴率至上主義が幅を利かせていた。そして、視聴率を出すのは、調査会社「ビデオリサーチ」である。この視聴率によって、番組の評価が決まり、CMの決定が行われていた。つまり工業製品のような売上に、この視聴率は直結したのだ。ライバル局の後塵を拝すわけにはいかない。発覚後、安藤氏は日本テレビを懲戒免職になった。買収工作を思いついたのは安藤氏の上司だったのだろうか。彼は、日テレ解雇後に、披露宴で使用するVTRの制作会社を立ち上げた。もし、一人で責任を負ったとすれば、TVマンの悲哀を感じずにいられない。事件以降、日テレの凋落ぶりは目に余るものがあった。視聴率ではフジテレビに追い抜かれてしまう。ドル箱の巨人ナイター中継は下落の一途をたどる。---やがてプロ野球中継は地上波から消える。

記者にのせられ過激発言---女子自由形のエース「千葉すず」が受けたバッシング騒動の顛末

女子自由形のエース「千葉すず」は、1996年の「アトランタ五輪」の個人種目では、実力を発揮出来なかった。前年行われたパンパシフィック選手権で、彼女は200㍍自由形で優勝した。その結果、金メダル候補の有力選手としてスポーツ紙や雑誌は色めき立ち、期待を込めて煽りに煽って書き立てた。その騒ぎを迷惑に感じていた選手がいた。その選手こそ「千葉すず」であった。彼女は、本番では固くなったのか予選落ちしてしまう。それでも団体種目800mリレーのアンカーを務め、チームは日本新記録を打ち立てる。順位こそ4着であったが、賞賛に値する結果であった。レース直後、取材記者が「---メダルを取れずに悔しかったね」と声をかけた。以前から「--メダル、メダル---」と騒ぐマスコミを鬱陶しく感じていた彼女は、「メダル、メダルと騒ぐけど、おかしいですよ---自分で実際にやってみてくださいよ---だいたい、日本の人は”メダルキチガイ”ですよ---」と放言してしまう。五輪後には「人に夢を託すな---」と発言している。

で、彼女はどうなったのだろう。振り返ってみよう。この時の”放言”は4年後のシドニー五輪の選考に悪影響を及ぼすことになる。1999年の日本選手権で、彼女は当時の日本記録を塗り替える。翌2000年の日本選手権でも五輪出場の条件であるA標準記録を突破して優勝した。当然、次のシドニー五輪で代表入りと思われたが、「日本水連」は彼女を代表から外してしまった。その理由は、彼女の「放言」であった。「千葉すず」は、落選を不服として「スポーツ仲裁裁判所」に提訴した。日頃から「---メダルは関係ない、五輪を楽しんで泳ぐ---」と繰り返す彼女を、日本水連の古橋広之進会長は、苦々しく思っていた。仲裁裁判所は、「選考基準の透明化」を「日本水連」に要請する裁定を下す。同時に、裁判費用の保証金を「千葉すず」に支払うように求めている。2002年、彼女は、ともにアトランタ五輪に出場したバタフライ選手の「山本貴司」と結婚。アテネ五輪でも代表に選出された夫・貴司は「銀メダル」に輝いた。アテネ五輪前に彼女は、ある雑誌の取材を受けている。「やっぱり、メダルは関係ないですか」の意地悪な記者の質問に「夫にはぜひメダルを取って欲しいです」と笑顔で答えている。店長の私が思うに、彼女の”放言”は、五輪の精神的重圧に負けまいとして、意図的に放っていたのではあるまいか。「日本水連」の古橋会長は、それを理解できなかった。そして、取材記者たちにも理解できなかったのだ。