ようこそ、芸能界ネタ第三弾です。時折、アスリートを取り上げています。

このコラムは時系列ではありません。よって(その1)から順番にお読みになる必要はありません。

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呪われた1984年デビユーアイドル達---謎の死の連鎖「スーパーアイドルの不幸」

ご存知だろうか。この不幸の連鎖。これらを「ユキコ・シンドローム」と一括りするのはいささか乱暴だが、怪死事件を追ってみることにしたい。84年といえばアイドルブーム真っ盛りであった。それだけに将来を嘱望された逸材が多かった。「岡田有希子」の飛び降り自殺は衝撃であったが、彼女が死んだあと、ファンの後追い自殺が相次ぐ。それを「ユキコ・シンドローム」という。店長の記憶では30名にのぼる。だが、当の芸能界にも自殺が相次ぐのだ。これこそ”ユキコシンドローム”なのに違いない。まず、ポルノ女優からアイドルに転身して大成功をおさめた「可愛かずみ」だ。不倫関係のはてに彼氏のマンションから飛び降り自殺。謎を残したままであった。自殺の理由がハッキリ分かるのが「戸川京子」だ。戸川純の妹である彼女は、闘病生活を苦にしたと云われる。さらに「岡田有希子」とは高校同級生のアイドル歌手「松本有里」だ。彼女は、「松平健」と結婚し男児をもうけたが、母親の介護疲れでノイローゼとなり首を吊ってしまった。さらに、人気絶頂期に病に倒れてしまった例もある。本人の意志ではなく、重い病に将来を奪われてしまった。例えば「堀江しのぶ」は、元祖巨乳アイドルとして一世を風靡した。それが「胃がん」で倒れてしまう。余命数カ月、本人に告知されることはなく23歳で人生の幕を閉じた。進行性であったと思われる。長年の闘病生活をひた隠していた元キャンディーズの「田中好子」は享年55であった。悲しすぎるアイドルたちの最後。---色鮮やかに--昭和が去りゆく---

ささやかれる驚愕の裏取引---プロ野球ドラフト会議の悲喜こもごも

旧世代のプロ野球ファン・甲子園ファンには懐かしい選手だろう。当時、我が世の春を謳歌した「PL学園」を全国制覇に導いた名選手が二人いた。云わずと知れた「KKコンビ」である。清原和博は覚せい剤に手を出し、その輝かしい経歴に自ら泥を塗ってしまった。その僚友が巨人のエースであった桑田真澄である。巨人は、有形無形に桑田一家を支援した。22本の本塁打を放ちながら2005年オフに巨人を自由契約になった清原選手。薬物常用の噂が本当であった。ドラフト会議前日に巨人は、「1位指名は競合覚悟で清原でいく」と決定していた。そして、抽選で清原和博を外しても、2位指名で桑田真澄を獲れると考えていた。桑田には、他球団をけん制させるために「早大進学の決意は変わりません」と大学進学を宣言させていた。ところが、ドラフト当日、正力オーナーの鶴の一声で桑田1位指名が決まる。桑田は自分の本心を隠していた。それは僚友の清原は、岸和田出身にも関わらず、巨人の大ファンであることを広言しているからである。桑田は当日、巨人に指名された喜びを隠すために、あえて迷惑そうな記者会見を開いた。涙にくれた清原とは反対であった。おそらく、巨人は確実に指名できる桑田を取りにいったのだろう。PL学園で二人は机を並べていた。その日、野球部の教師が教室に駆け込んで来た。「おい!決まったぞ。清原は西武や。---桑田は巨人が指名した」その瞬間、桑田はうつむいたが、清原は意味の分からない雄たけびを上げて教室を飛び出した。彼は一目散に自宅に走った。そして母親の顔を見るなり号泣したという。母親は云った「---あんたは王監督にフラれたんや---勝手に惚れて---口惜しいなら見返してやり!」そして2年後、巨人と西武は日本シリーズを戦うことになる。西武リードの9回表二死、清原の顔を涙が濡らした。あのドラフト会議は、阪神も清原指名で結局6球団が抽選に加わっている。もしこの時、阪神が交渉権を獲得していれば、「岸和田だんじり魂清原選手」は、阪神ファン・虎吉に熱狂的に愛されていただろう。後のFA宣言による巨人入りは無かったかもしれない。そうであれば、プレッシャーから薬物に手を出すこともなかったと思える。彼の野球人生は正しい生き方になったと思う。

日テレ女子アナの不幸の連鎖---今や都市伝説となった「呪いの自殺」

いまだ記憶に新しいのが、アイドル女子アナの草分け的存在の「米森麻美」アナウンサーが長男出産から3週間後に急死した。遺族の意向によって死因は伏せられたままであった。表に出せない事情があったのだろう。さらに「大杉君枝」アナが長男出産後に自殺していた。原因は定かではないが、43歳での出産は心身ともに負担が大きかったのだろう。そして、今度は「山本真純」が長男を出産して間もなく産後うつ病になり自殺している。

いずれも2007年から2010年にかけて続いたものだ。それからしばらく女子アナの日テレ退職が相次いでいる。結婚したくない、出産したくない女性が増えるのも道理なのか。嫌な世の中だ。

地球はララバイ、恋人はバイバイ---魔性の女優「荻野目慶子」の濡れた瞳

その魔性の瞳を持つ女優こそ「荻野目慶子」であった。映画監督との2度に渡る不倫は世間を仰天させた。最初の被害者が「河合義隆」である。彼は、荻野目慶子の部屋で首吊り自殺を遂げている。そしてお次の相手は「深作欣二」である。深作監督はがん手術を控えていたが、入院よりも荻野目慶子との情事を優先したのだ。深作監督は結果として自ら命を縮めてしまった。あの小柄な女優の一体どこに魔性が隠れていたのだろう。店長が思うに、魔性は女優の中になく、男性の心の闇にこそ潜むのではないだろうか。魔性は二人の監督の内面に生まれ、静かに育っていた。真相は不明だが、おそらくこの三人は三角関係だったのではないだろうか、と店長の私は勝手に考えている。魔性の女優は、男子を虜にしてその命まで奪わずにはいられない---

今も昔も芸能人に憧れるおバカがいる---「国鉄貨物列車死体遺棄事件」のおバカ

発見した国鉄職員は驚いたことだろう。何しろ死体が貨物として乗っていたのだから。事件は1957年(昭和32年)に起きた。犯行当時20歳の青年が仕事仲間を殺害、遺体の始末に困って貨物列車に遺棄した。警察の懸命な捜査で、遺体をくるんだビニールテープから足が付いた。彼は美空ひばりの熱狂的なファンであった。そばに居たいと切望するようになる。そのため彼は家出して上京する。そして映画スターを夢見て俳優養成所に通った。生活するためにはお金が必要だ。様々な職業を転々とした。ようやく戦後の混乱期を乗り越えた時代である。映画スターや野球選手がもてはやされた。普通の人には及びもつかないほどの富と名声をつかみ取った人たち。大衆は、それらスターに憧れるが、思い通りにならない現実を前にして打ちひしがれる。このもどかしさ、その現実との落差は埋めようがなかった。青年は現実とのギャップに苦しんだ。---こんなはずではない。こんなはずでは---その鬱屈した思いが経済的なトラブルから仲間を殺す遠因になったのだ。

襲われた”吉本の怪人”---芸人「中田カウス」の大立ち回り

不都合な黒い交際で知られる吉本芸人「中田カウス」が何者かに襲われた。襲撃事件は、2009年1月9日午後8時45分頃、大阪ミナミの繁華街で起きた。この日、カウスはベンツの助手席に乗っていた。信号待ちで停車すると、見知らぬ男が特殊なバットでベンツのフロントガラスを叩き割った。

男はフルフェイスのヘルメットを被っていた。カウスは応戦、素手でそのバットを奪い取った。やがて信号が青に変わり男はミニバイクで走り去った。

中田カウスは「誰かわからない。身に覚えがない」とコメントを残している。だが、2年ぐらい前に、ある週刊誌が指定暴力団山口組と中田カウスのただならぬ関係を報じている。プロレス団体と同様に、およそ興行に裏組織は付き物である。島田紳助引退騒動が記憶に新しいが、興行団体と裏社会は切っても切れない腐れ縁の間柄なのだ。古くは、「美空ひばり」を庇護したのが山口組だと云われている。

格闘技興行と裏社会の不適切な関係---プロレス興行団体「DSE森下社長」謎の自殺

西新宿のホテルの1室で、プロレス興行団体PRIDEを主宰していた重要人物「ドリーム・ステージ・エンターテインメント」の森下直人社長が首を吊った状態で発見された。新しい格闘技ブームが沸き起こっていた2003年1月9日である。享年42歳、格闘技界のビルゲイツとの異名を取った人物の謎の死であったが、翌日に警察は「事件性なし」と公式発表している。しかし「遺書」もなかったという。森下社長は資金繰りに悩んでいたとも。謎の死は様々な憶測を呼び、さらに、対立していた人物が2008年に自宅マンションの風呂場で湯船に浮いた状態で死亡した。「百瀬博教氏」であった。百瀬氏はPRIDEの怪人と呼ばれ、裏社会とのパイプ役であったという。森下社長は、ドリーム・ステージ社のお金が不透明に流出することに頭を痛めていた。社長は、「経営を洗い直す」と自殺直前に、熱弁を振るっていた。本当に自殺だろうか。もはやタブーとなってしまったが、アントニオ猪木は「自殺?---誰かに殺されたのでは---」というコメントを残している。2007年フジテレビは放送打ち切りを決定。ドリーム社の経営が一気に傾いた。

芸能界進出も着地失敗---体操のスター「池谷幸雄」の暗転

調子に乗りすぎるといけなかったのが、ソウル五輪そしてバルセロナ五輪で2大会連続のメダリストに輝き、日本中を熱狂させた「池谷幸雄」であった。だが、いったい誰が芸能界入りを勧めたのだろう。芸能人に転身してから彼の人生が暗転する。思わぬドタバタに見舞われていた。1995年3月にセクシーグループの一員であった「樹あさ子」と結婚し1児を設けた。持ち前の、爽やかさと明るさで主にバラエティ番組で活躍した。だが、人気者だっただけに誘惑も多かったのだろう。翌年1997年スクープ記事が写真週刊誌を飾った。それは、テレビ朝日の看板アナウンサー「吉本潤子」との不倫朝帰り報道である。その翌年、あさ子夫人との離婚が成立する。離婚慰謝料は3億円とも云われた。不倫相手の吉本アナだが、不倫報道のあとに長期謹慎処分となり、2002年に退社した。看板アナウンサーであったが、「池谷幸雄」との朝帰りデートは高いものについたと云える。だが、「池谷幸雄」は12歳年上の女性社長と「逆玉の輿」結婚を果たす。しかし、長くは続かなかった。2007年、大晦日興行のプロレスに覆面レスラーで登場する。リング名は「池谷銀牙」。銀メダルに掛けた名前だ。だが、対戦相手に「プロレスをなめるな!」と罵声を浴びせられる。そして、格闘技がダメでも議員ががあるさ、とばかりに2010年7月の参議院議員選挙に立候補した。選挙カーの上で倒立パフォーマンスを披露したが、「参議院議員をなめるな!」とばかりに支持が集まらずにあえなく落選した。もう10代のころの輝くアスリートではなかった。ただのヘンなオッサンであった。---寂しくも空しい銀メダリストの生涯である。「池谷幸雄」を芸能界に誘ったのは誰だったのだろう。

テレビの歌謡番組が全盛だった時代---子供がアクションをマネて火災に「西城秀樹の不運」

男性アイドルのアクションが歌謡番組から消えて久しい。いやそれ以前にソロ歌手の出番がめっきり少なくなった昨今である。「新御三家」と称され人気を博した「西城秀樹」のヒット曲「ブーツを脱いで朝食を」この歌をご記憶だろうか。1978年(昭和53年)元旦の発売である。TBS系列の人気歌番組「ザ・ベストテン」では、西城秀樹が初めてこの曲で1位になった。彼のコンサートでは定番になった大ヒット曲でもある。だが、もうその当時の「ライターアクション」を見ることはない。子供がマネをした結果、火災が起こったからである。昭和53年3月4日であった。大阪府八尾市で周囲の民家6棟が全半焼した。報道では、小学生の兄妹が西城秀樹をマネてライターで火遊びをしたのが原因、と報じられた。事態を重く見た「ザ・ベストテン」では、翌週の番組で西城秀樹に謝罪させている。彼は涙を浮かべ「---僕はライターを使うアクションを封印しました。皆もどうか真似をしないでください---」そして彼は何も手にしないままそのヒット曲を歌ったのだ。よく練られたカッコよいアクションであった。どこかのカラオケで大人たちも真似たかも知れなかった。ライターの揺らめく明かりは「背徳の危険な男」を演出していた。その後、彼の手から小道具は消えてしまった。そして5月25日発売の「炎」で、最悪の事態を招く。同じく「ザ・ベストテン」に出演中、セットの氷壁が空手アクションで割れず大怪我をした。西城秀樹は、昨今「脳梗塞」に罹ったがコンサートに復帰した。そのステージでの挨拶「ひでき、還暦!」が話題になった。時代は廻る---

普通のおばさんに戻れなかった「都はるみ」---紅白歌合戦でNHKアナが「美空はるみ」さんと呼び違い

都と美空、似ているようでまったく似ていない。このあり得ない言い間違いをしたアナウンサーがいた。1984年の大晦日、紅白歌合戦での珍事であった。「都はるみ」は、この紅白を花道に芸能界を引退した。そして呼び間違えたNHKアナもまた引退の憂き目に合ってしまう。ところで、引退を表明した「都はるみ」は、「フツーのおばさんに戻りたい---」と発言していた。これは、「キャンディーズ」が引退コンサートを開催したときの「普通の女の子に戻りたい」というセリフをパクったものだった。だが、元・人気歌手には普通の暮らしはできなかった。彼女には、普通の暮らしは芸能界以上に神経を使うことだったようである。結果、「都はるみ」は1990年に歌手活動を再開する。店長の私は、1975年のヒット曲「北の宿から」が好きな歌であった。当時は彼女が「在日」とは知らなかったが、最近そのことを知ったのだ。拉致被害者の「曽我ひとみ」さんが母国日本に帰還した際、平壌でよく「北の宿から」を聞いていたと発言した。店長はそれを思い出した。それで「北の宿から」の「北」とは、北国、北海道の「北」ではなく「北朝鮮」の「北」だった可能性があると考えてみた。作詞家の「阿久悠」は、都はるみが在日だと知っていたのだろうか。もしそうだとすれば「阿久悠」は天才だ、と一人納得している---

快活な沖縄歌謡の暗い現実---「喜納昌吉」の代表曲「ハイサイおじさん」の鎮魂歌

大ヒットした「ハイサイおじさん」だが、背景には絶えず「本土の犠牲」になる沖縄の現実があった。少し古いが掘り起こしてみたい。この曲は1971年に発表されるやたちまち本土を席巻した。本土から見る沖縄は、いわばリゾートアイランドであった。当時の世相を俯瞰してみよう。この年、TシャツとGパンが大流行した。公害問題が深刻化し、環境庁が発足した。ドルショックが起き金融界が騒然となった。ノーベル賞作家の川端康成が自殺するのは翌年1972年である。10月にはパンダ2頭が上野動物園にやってきた。通産大臣(現・経済産業省)田中角栄の「日本列島改造論」が刊行されブームとなった。経済は拡大し、先行きに暗さは微塵も感じられなかった。少なくとも「本土」においては。「ハイサイ」とは、「こんにちは」という意味である。♬ハイサイおじさん ハイサイおじさん 昨夜ぬ三合瓶小銭とぅんな♬ この「おじさん」はアル中の生活破綻者であった。沖縄で村八分にされていたという。彼は「喜納昌吉」の隣に住んでいた。その事件は1962年(昭和37年)5月22日に起きた。沖縄市立島袋中学校そばのオジサンの家である。母親(事件当時39歳)が娘を米国製斧で叩き殺したのだ。娘は7歳であった。しかも”まな板に載せた状態”で殺害に及んだ。首を切り落としたという。沖縄タイムズは「狂った母親、娘を惨殺」と報じている。「喜納昌吉」は事件当時、その中学に通う中学生だった。そのオジサンは毎日のように隣家にやって来た。「喜納昌吉」少年は、このオジサンが好きだった。このアップテンポの陽気な曲は、オジサンへの「鎮魂歌」であった。

ノンタンは何故死んだ---人気AV女優「桃井望」怪死事件

長野県塩尻市奈良井川の堤防わきで1台のクルマが炎上した。2002年10月22日である。車内では男性が燃え尽きていた。そして社外では女性が燃えて横向きに転がっていた。東京スポーツが彼女の素性を割り出し大々的に「AV女優疑惑の死」を報じる。女性は「桃井望」、愛称は「ノンタン」、抜群の知名度、人気絶頂であった。男性はごく普通の会社員である。当時、桃井望と交際中であった。焼死体を検視した結果、彼女には刺傷が4ヶ所もあり殺害された可能性が浮上した。男性は市内に住む会社員。損傷が激しくほとんど黒焦げになっていた。女性を刺したとみられる包丁が見つかっている。無理心中かと思われた。この事件、謎が多く捜査は難航した。この前年から会社員は中古車販売のサイドビジネスに手を出していたようだ。そのビジネスは、裏社会の人間と接点を持った。そしてトラブルを招いた可能性が指摘された。無理心中ではなく他殺の線もあった。また「桃井望」はAV業界の社長と同棲をしていた。会社員と交際する前である。この焼死事件と関係はないようであったが---真相は分かっていない。

消えた爆弾魔「草加次郎」---演歌歌手「島倉千代子」の後援会事務所に小包爆弾

日本中を恐怖に陥れた「草加次郎」、その発端は1962年(昭和37年)11月4日であった。品川区にある「島倉千代子後援会事務所」に届けられた封筒が爆発した。開封した事務員が負傷した。送り主の名前は「草加次郎」とあった。闇に消えた「草加次郎」事件がここから始まる。同様の封筒が歌手や女優宅に届けられた。この11月だけでも都内で5件の爆発が発生していた。「島倉千代子」を狙ったのは、ただ人気歌手というだけで誰でも良かったと思われる。話題狙いの「愉快犯」だった可能性が高い。さらに、地下鉄銀座線の京橋駅で爆発、13人が重軽傷を負った。この1連の爆弾騒ぎは都民を恐怖に陥れた。警視庁では1万9千人を動員して捜査を続けたが犯人、「草加次郎」は発見できなかった。多くの「模倣犯」がやたら出現して捜査は混乱したのであった。この昭和37年を俯瞰してみる。東京五輪を2年後に控え景気が拡大していた。東京都の常住人口が初めて1千万人を超えた。並みいる企業は「求人難」に悩み、「青田狩り」が横行した。誰もが富の蓄積を目指した。将来の幸福を夢見た時代であった。保有するクルマは急速度に増えていた。さて「草加次郎爆弾事件」であるが1978年に「時効」が成立してしまった。

元祖ストーカー殺人---西野バレエ団「江見早苗(神田恵美)」の悲劇

江見早苗は、西野バレエ団の人気ダンサーであった。元・夫は、彼女と離婚後も付き纏い、住んでいたマンションまで追いかけて刺し殺した。全身に22ヶ所の刺傷があったという。その様子は住人が目撃していてすぐに通報している。1988年(昭和63年)3月5日午後6時頃であった。彼は、日本フォノグラムの花形プロデューサーであった。離婚後も諦めきれず近所のマンションに住んで見張っていたようだ。当時、まだストーカーという罪名は一般化していなかった。もちろん規制法も存在していない。「江見早苗」は、元夫のストーカー行為に悩まされ、警察に相談している。警察では彼を呼び「注意勧告」していた。殺人が行われたのはそのあとであった。同じ年2月23日には、不良グループによる、「アベック誘拐強姦リンチ殺害事件」が名古屋で発生している。そして4月10日に瀬戸大橋が開通した。なお、昭和天皇の容体悪化は10月であった。さて、ストーカー事件であるが、被害者が警察沙汰にすると、それを契機にして殺人に発展する場合が多い。何故だろうか。「---警察が介入してきた---もう、何もかもおしまいだ」おそらくそのような投げやりな気分になるのだろう。店長の私は、ストーカー的な行為に及んだことが無いので、犯人の内面までは理解できない。ただ、「男はカワイイ」と思うだけである。ストーカー化する”かよわい男”に共通するものがある。それは、新しい出会いをまったく考えていないことだ。

彼らは住んでいる世界が狭すぎる。「これでより自由になれる、別の恋愛相手を探そう」と、どうして考えられないのだろう。幸運を引き寄せる人はこう考える。「---今日も快晴だ。太陽は今日も天にあり何事もなし---」と。そして翌年、年号が「平成」に変わったとき、昭和の歌姫「美空ひばり」が死去した。この殺人事件のあと、情けない男たちの「ストーカー犯罪」が流行する。平成ニッポン、どこへ行こうとしているのだろう。恋愛も結婚もしたくない女性が増えている。一方で、非正規雇用が4割を超えたという。あまりにも低い収入では、結婚したくてもできない男が増えているのも道理か。

子供の認知を拒否され思わず激昂した「蛇女優」---戦後の女優の中でもとびぬけた存在「毛利郁子」

大映に現れた新人女優「毛利郁子」は、戦後では最高の肉体派として異彩を放っていた。体の美しさ、肌の白さでは彼女を凌ぐ女優はいなかった。1957年「透明人間と蠅男」でデビューを飾った。肌だけではない。美貌の持ち主であった。おまけに仕事熱心である。露出だけでは勝てないと考えていた彼女は、その白くて美しい肌に「蛇」を巻き付けた。以後「蛇女優」とあだ名される。彼女の「蛇好き」は有名で異常な愛情をもっていたそうである。愛人殺害後映画界を引退、平和な老後を過ごしているという。現役時代、およそ100本の映画に出演、大映を牽引していた。現役女優が殺人で逮捕されたのは前代未聞であった。「毛利郁子」36歳の犯行である。彼女はとにかく「男運」が悪すぎる。共演した俳優との間に子供ができたが結婚を反対された。さらに、その男性の母親に子供は取られてしまった。その、気持ちが落ち込んだ頃に一人の男と出会ってしまった。それが殺害された

愛人であった。彼は独身だと偽っていた。そして4年後、「毛利郁子」は妊娠する。彼には中絶するようにいわれたが出産した。それからは「認知する、しない」でもめ事になっていた。その日も、兵庫県姫路市内の駐車場に停めたクルマの中で口論になっていた。彼女が生んだ子供は男の子でもう2歳になるのだ。彼女は必死で「認知」するよう迫った。愛人は云った。「---おまえが勝手に生んだ子供だ,オレは認知なんてしないぞ---」この返事に彼女は激昂した。用意してあった包丁を取り出し、自分の体重をかけて愛人の胸に突き立てた。1969年(昭和44年)12月14日であった。犯行当時36歳である。大映を代表する看板女優であるが、我が身と子供の将来が不安で仕方がなかったのだ。愛人を刺したあとで彼女は我に返った---殺すつもりはなかった。どうしても「認知」してほしかった。包丁はただ脅すつもりで隠し持っていたのである。それが彼の命を奪ってしまったのだ。彼女はクルマを降りて助けを求めた。救急搬送の間に、愛人は「オレが自分で刺したんだ。彼女は関係ない!」と云い続けていた。しかし病院で死亡が確認された。出血多量である。法廷では、共演した俳優たちによって「減刑嘆願書」が提出された。大阪高等裁判所で懲役5年が言い渡され、彼女は和歌山刑務所に服役した。女優として華麗な経歴を重ねていた。さらに30代、40代と円熟することを期待されていたのだが、如何せん「男運」が悪すぎた。女優を辞めた彼女は、出所後には一般人と結婚し、平和な老後を手に入れたようだ。

プロ野球界が揺れた1969年の「黒い霧事件」---無実だったのに追放された「天才投手」がいた

その天才投手の名は「池永正明」であった。池永正明は50年に一人の投手と云われる逸材であった。新人の年に20勝していた。さらに、プロ生活入団5年ですでに103勝を上げていたのだ。なんと、毎年20勝をマークしている計算になる。彼が無事に現役を続けていれば金田正一の400勝を超えていただろう。ところが、池永正明は、この「黒い霧事件」に巻き込まれ、野球界から永久追放されてしまった。では、この1969年(昭和44年)はどんな年だったのだろうか。5月26日には東名高速道路が全線開通。6月12日に原子力船「むつ」の進水が行われている。そして10月28日、「プロ野球八百長事件」が発覚したのだ。当時の「西鉄ライオンズ」と「中日ドラゴンズ」の選手が暴力団と接触した。金銭を受け取り八百長を働いたのである。事件の当事者、西鉄ライオンズの「永易将之投手」が永久追放となった。これで幕引きとなれば「池永正明」に類は及ばなかった。だが翌年、「永易」は爆弾発言を行う。記者会見で、この野球賭博に関わっていたとする7名の選手の名を上げたのである。その中には「池永正明」の名前があった。だが、これは「濡れ衣」であった。「池永正明」も八百長を否定した。だが、疑惑が晴れたのは2005年である。追放から36年が空しく流れ去った。追放処分後、ファンの間で復帰のための署名活動が行われた。だが「疑惑の裁定」が覆ることはなかったのだ。すでに活躍できる年齢ではなくなっていた。「池永正明」は、八百長に加担せず、預かっていた八百長の「謝礼金」は返していた。一般刑事事件では、これを「冤罪」という。プロ野球の名門チーム「西鉄ライオンズ」はすでに消滅し、現在「西武ライオンズ」として、その歴史を継承している。「池永正明」の場合、金銭の授受が問題視されたのだろう。「若気の至り」ではあった。「鉄腕稲尾」を越えていた”天才”「池永正明」を潰したのは誰だったのだろうか。

狙われた?「家なき子」の人気子役---安達祐実封書爆発事件

人気子役タレントであった「安達祐実」宛ての手紙が日本テレビ(事件当時は麹町にある日本テレビ本社)に届いたのは、1994年12月21日であった。その封筒を開けたのはマネージャーである。彼が開けた瞬間に爆発する。そしてこの男性の指が吹き飛ばされた。さらに、そばにいた二人も軽傷を負った。事件当時、「安達祐実」は人気ドラマ「家なき子」に主演し人気絶頂であった。「同情するなら金をくれ!」というセリフは、日本人なら知らない人がいなかった。その翌年に、今度は「青島幸雄都知事」宛ての郵便爆弾が都庁に届けられる。さらに「地下鉄サリン事件」が発生している。そのオウム真理教の信者で爆発物を作ったという犯行をほのめかす供述が得られたそうである。子役タレント本人を狙うのが目的ではなかったようだが、おそらく、オウム真理教に対する一連の捜査を妨害する意図があったと思われる。その後、安達祐実の「母親」がヌード写真集を発売するなど突飛な驚愕の行動に出て世間を唖然とさせた。結局、この爆発事件は2009年に「公訴時効」が成立してしまった。

映画「パッチギ!」の主題歌---「イムジン河」の悲劇

井筒和幸監督の「パッチギ!」は、日韓の複雑な問題を内包しているが、この映画の社会性を再認識させてくれたのが主題歌として歌われていた「イムジン河」である。この曲は、「フォーククルセダース」によって1968年2月21日に発売される予定であった。楽譜には、「朝鮮民謡、作者不詳、訳詞:松山猛」と記載されていた。松山猛が朝鮮学校で聞いて惚れ込み、日本語の詩を付けた。曲のメロディは「加藤和彦」に大まかに伝えて、「イムジン河」は完成した。発売前から深夜放送で流され反響が大きかった。ところが、発売日を控えて大量にレコード盤がプレスされている最中に「朝鮮総連」から訂正・謝罪を求めるクレームが入ってしまう。この曲の発売元は「東芝音工」であった。さっそく調査することに。結果は、朝鮮総連のクレーム通りであった。この元歌は古い朝鮮民謡ではなかった。作者不詳どころか、「朴世永」という「北朝鮮国歌」を作った人物であった。韓国からも発売に難色を示す動きが広がる。東芝本社と韓国には、家電販売上の密接な関係があった。その関係にヒビが入るかもしれない。そう判断した「東芝音工」は損失覚悟で発売中止を決定した。制作者側は朝鮮総連に出向いて謝罪した。このお蔵入りとなってしまった「イムジン河」であったが、加藤和彦はイメージがそっくりの「悲しくてやりきれない」を発表する。作詞は詩人「サトウハチロー」である。この曲は「イムジン河」フアンを泣いて喜ばせた。そしてオリコン第6位になっている。最近、「加藤和彦」は還暦自殺を遂げてしまったが、もちろん本件とは関係はない。

ハードな楽曲、意味深な歌詞が反響を呼び大ヒット---”絶望的な憂い”をキュートな瞳にたたえる昭和の歌姫・中森明菜の魅力

「中森明菜」を押しも押されぬスター歌手に押し上げたセカンドアルバム、その曲こそ「少女A」である。この大ヒット曲の背景にあるものは現実に起きた「新宿歌舞伎町少女殺人事件」である。この被害者少女は、歌舞伎町のラブホテルで17歳の短すぎる生涯を終えたのだ。この事件は1981年に発生した。正式名称を「新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件」という。その3番目の被害女性は、「少女A」と報道された。歌詞にあるように17歳であった。3人が殺された事件は1996年に時効を迎えている。類似性がある3件の殺人事件だが、同一犯かどうかも分かっていない。川口市在住の17歳少女は工場に勤務していた。実名公表は年齢を考慮して控えられた。当時は今のように監視カメラが設置されていなかった。さらに目撃情報もなく他の殺人事件と同じように迷宮入りしてしまった。このアイドルの代表曲としてはいささか不似合いな「少女A」であったが、ロック系の楽曲は評判を呼びヒットチャートを快走した。この数年後、彼女は「近藤真彦」の自宅で手首を切って自殺を図るのである。山口百恵には「憂い」が感じられたが、「中森明菜」には、その「憂い」を通り越して、むしろ「絶望的な悲しさ」を感じてしまう。なお、母親が、娘を守ろうとするあまりに写真週刊誌の記者に烈火のごとく怒り、襲い掛かろうとしたことは有名だ。アイドルとして世に出るということは、常人にはまねのできないすごさを秘めているものである。

この歌舞伎町の事件だが、交友関係を中心に捜査されたが、決め手はなかった。では、17歳でありながら行きずりの相手と性交渉を持ってしまったのだろうか。被害者を「少女A」とした理由がなんとなく理解できる。店長の勝手な妄想だが、少女は、お金を貰えると思いラブホテルに同行した。知り合ったのはゲームセンターだろうか。ところが男はお金を持っていなかった。少女は怒り出した。「なによ、あんた!お金もないってどういうことよ!それに下手だったし」この逆襲に男はキレて、脱がしたパンストで絞殺したのではあるまいか。真相は、歌舞伎町の澱んだ陰湿な空気だけが知っている。この「陰湿」な空気を纏っていたのが「中森明菜」というアイドルであり実力のある歌手であった。

今世紀最大のヒット曲---SMAP/槇原敬之、隠された「ホモ・セクシャル」

槇原敬之の代表作と云えば「世界に一つだけの花」である。2003年3月に発表されたこの曲で彼は見事に復活した。槇原敬之が覚せい剤使用の現行犯で逮捕されたのは、1999年(平成11年)であった。逮捕時に同室にいたのが、交際中の男性であったことから、彼の「同性愛」が発覚してしまった。これは歌手としてはイメージを損なうことはなはだしい出来事であったが、彼は見事に復帰した。それがこの大ヒット曲「世界に一つだけの花」である。SMAPがカバーして同様に大ヒットした。♬ナンバーワンよりオンリーワン♬この心地よい分かり易さが大衆に支持されたのだ。この今世紀最大のヒット作とも云われる「世界に一つだけの花」であるが、気になる単語がある。外来語の「バケツ」だ。bucketと英語で表記する言葉だが、これは俗語で「お尻」を意味する。英語に堪能な槇原敬之は、分かっていたに違いない。さらに日本語となったバケツは「バカのケツ」と読むことができる。♬バケツの中に、ちょっと誇らしげに、しっかり立っている。♬小さい花でも大きな花でもサイズを気にする必要はない♬この「花」が何を表現していたか、もう説明の必要はないだろう。この曲は、おネエのKABAちゃんが振付を担当した。どうして彼女?だったのだろうか。「槇原敬之」は同性愛者の「個性」を認めよ!と訴えていたのだ。

グループ名に異議あり---「少女隊」の悲劇

彼女たちが華々しくデビューしたのは1984年(昭和59年)8月28日のことである。当時で30億円という大金が投じられた。所属事務所「ボンド企画」高杉敬治社長の肝いりであった。だが、このグループ「少女隊」が事務所倒産の原因の一つになるとはだれも考えてはいなかった。一方で、1982年ジャニーズ事務所では「少年隊」の活動をスタートさせている。つまり「少女隊」はグループ名をマネている「二番煎じ」なのだ。パクったと非難されても仕方はない。なぜ「高杉社長」は同じような名前にしたのだろうか。「意識」したと云えばそれまでなのだが、店長は、このネーミングは失敗だったと思っている。そもそも〇〇隊というのは、戦後の「愚連隊」や「自衛隊」などの反社会的な(あるいは非社会的な)団体を呼称する場合が多い。さらに戊辰戦争を戦った「会津藩」の「白虎隊」のような「悲劇的」な「少年兵士」を連想させる。このネーミングが果たしてアイドル・グループとして相応しいだろうか。店長にははなはだ疑問なのだ。「少女隊」の構成は3人。格別に歌唱力に優れていた訳ではなかったが、バランスが良くてそれなりに「中ヒット」を連発した。「高杉社長」には海外進出の計画があり、3年後には東南アジアツアーを敢行した。これは、「少年隊」を有するジャニーズ側には看過できない事態であったらしい。「少年隊」こそが本家本元だと思っているので名前をパクられた上に海外ツアーも先を越されたとあっては立場がなかったのだ。雑誌「FOCUS」が1992年10月23日号で恐るべき記事を掲載した。それは「高杉敬治」社長が、「ボンド」所属の美少女タレントを次々と愛人にしているというものだった。真相は不明だ。いやそんな事実があったのかも知れないが、店長はこの記事の掲載は、ジャニーズが画策したのではないかと考えている。むろん目的は「少女隊」潰しである。その後日本経済はバブルに湧き、芸能人にもその狂乱が押しよせて来ていた。「高杉」社長もこの狂乱の渦に巻き込まれてしまった。所属していた「大場久美子」にレストランを経営させて失敗している。さらに「タレントスクール」を開校したが、生徒が思うように集まらずにすぐに生き詰まってしまった。これらは、「ボンド企画」経営全体を危うくしてしまった。やがて倒産する。店長は残念に思うのだ。もし「少女隊」ではなく別のもっとカラフルなネーミングであったなら---♬もう少し時が緩やかに流れたなら♬---(「愛しき日々」唄・堀内孝雄、テレビドラマ白虎隊で使用されたテーマ曲)そして、後に実力派アイドル歌手「本田美奈子」が羽ばたいているだけに、残念な事務所経営の破綻であった。この「ボンド企画」に所属した少女タレントは、すべてが細身であった。「キュートな女の子」=「スレンダーな女の子」という公式?をテレビ界に広めたのは、「高杉敬治」氏であった、と店長は考えている。

高すぎた「夢」への片道切符---「大原みどり」巨額詐欺事件

歌手志望の少女は、芸能界ゴロを信じてしまった。1972年であった。福島県いわき市の名だたる農家の家で生まれた「大原みどり」は高校卒業後に上京する。とある音楽事務所に弟子入りした。だが、そこで詐欺被害に遭ってしまった。歌手デビューをエサに350万円を騙し取られてしまった。その後「大原みどり」は水上温泉で歌手活動を始めたが、そこでキャバレーのピアノ演奏者と出会う。「儘田次雄」である。この男こそ「大原事件」の主犯であった。彼は「大原みどり」の実家の資産に目を付けた。1976年当時の貨幣価値で2億数千万円を「大原みどり」の実家から引き出したのである。詐欺被害に遭う人は何度も騙されると云う。現在の貨幣価値に換算すると5億円は優に超えるだろう。「儘田次雄」は、この資産の詐取を目的に「水上音楽事務所」を立ち上げた。「大原みどり」の純朴な父は、おだてられ簡単に騙されてしまった。気が付いたときは全財産を「儘田次雄」に貢いでいた。最後には、飼育中のニワトリ5,000羽まで売ってお金を工面したという。ここまで見ていくと、これは単純な詐欺事件なのだが、立件が困難であった。それは「儘田次雄」が「大原みどり」をコロムビアとの契約にこぎ付けているからだ。これは正当な歌手契約だったのだろうか。この事件は興味深く週刊誌に取り上げられ、その記事数は軽く1,000記事を超えたと云う。さらに関与が囁かれた関係者はおよそ50名もいた。1976年1月、「儘田次雄」の止まないお金の要求に堪り兼ねた大原家は警視庁に被害届を提出した。事件が明るみになり、その詐取金額の大きさに世間は驚いた。コロンビアは「大原みどり」との契約を打ち切った。結局、「儘田次雄」は詐欺罪で起訴され実刑判決を受けたのだが、2億円はどこに消えたのか、明らかにされなかった。なお、「儘田次雄」に、懲役6年の実刑判決が下ったころ、「大原みどり」は日本テレビの全日本歌謡選手権に挑戦し、見事再デビューを飾った。歌手としての実力は備わっていたのだろう。トリオレコードから「夕日の波止場」を引っ提げて再登場したが、この曲は12万枚を売り上げヒット作となっている。1979年、「大原みどり」はトリオを退社。そして彼女は、「芸能人あの人は今」の常連となった。歌手志望の少女の「夢」とは何だったのだろう。あまりにも切なくあまりにも空しい。それにしても「夢」への片道切符は高くついてしまった---

新右翼の大物「野村秋介」が組織した「風の会」---関西芸人「横山やすし」が立候補

関西芸人「横山やすし」が立候補したのは1992年の参院選であった。選挙母体の「たたかう国民連合・風の会」は右翼「野村秋介」が代表を務めていた。野村秋介は横山やすしを風の会の広告塔のように利用したと思える。事実彼は度々TVの選挙取材を受けていた。残念ながら落選してしまったが、やすしの「国民はアホや!」発言が話題になった。それは、深い考えもなく自民党に投じる選挙民を非難した発言であった。そして1993年10月20日、築地にある朝日新聞本社役員応接室で事件は起きた。「野村秋介」が覚悟の拳銃自殺を遂げたのである。「週刊朝日」に連載中の人気コラム「山藤章二のブラックアングル」で「風の会」をあろうことか「虱の会」と揶揄したのである。これに「風の会」側では激怒した。「野村秋介」はこの問題の「謝罪要求」ではなく「公開討論」開催を要求した。この日も応接室では「話し合い」が行われていた。だが、会談の散会直前になり、「野村秋介」は、拳銃2丁を取り出して皇居側に向かって正座した。そして「すめらみこと、いやさか!」と3度叫ぶと、自分の胸に発砲してしまった。なお、10月20日は学徒出陣からちょうど50年に当たっていた。「すめらみこといやさか」は「天皇弥栄」と漢字では表記する。天皇陛下永遠に、とでも意訳できる。

右翼の大物らしい壮絶な最期であった。(この項は「覚えておきたい最近の犯罪(その2)」とコンテンツを共有しています)

NHK紅白歌合戦から「美空ひばり」の名が消えた---昭和48年お茶の間に衝撃が走った日

昭和の大スターと云えば「美空ひばり」である。年号が「平成」に変わった日に彼女は人生の幕を下ろしたのであった。それはまるで「昭和」に殉じるようでもあった。昭和48年頃のNHK紅白歌合戦は、平均で視聴率80%を維持していた。そして当時、暴力団と興行団体(芸能界)とは蜜月とも云える関係が続いていた時代である。地方公演があると暴力団が観客を動員した。いつも大金が動いていた。山口組田岡組長(当時)は、組の資金源を探していた。それが「興行権」であった。折しも、警察では暴力団の弱体化に追われていた。そこでまず「美空ひばり」に目を付けたのである。この天才歌手には不肖の弟がいた。「加藤哲也」である。弟は山口組の舎弟に囲まれているうちに構成員になってしまった。そして毎年のように事件を起こし逮捕されていた。「美空ひばり」はこの弟をかばい、自分の公演では前座を任せて歌わせていた。「美空ひばり兄弟と」山口組のと付き合いは、それ以前に「美空ひばり塩酸事件」まで遡る。この女性ファンによる過激な事件のあと、美空ひばりの警護を田岡組長の配下の男たちが行うことになった。NHKは警察に協力する形になったのだが、一方の「美空ひばり」は、想像される以上にビッグスターになっていた。直後に「NHK視聴料不払い運動が起きてしまうのである。もう「美空ひばり」は、大晦日に必要な「国民的大歌手」に育っていた。

作新学院の「怪物君」が「悪役」になった---「怪物」江川卓の脱法入団行為

高校野球のスーパースターは、どうしても巨人軍に入団したかった。多少プロ野球協約を捻じ曲げても。作新学院時代にドラフト指名されたパリーグの球団には行きたくなかった。そのため法政大学へ進学していた。そして運命のドラフト選択会議が行われた。不運にも指名権は阪神タイガースが獲得する。そして突然、江川卓の「巨人入団会見」が行われた。世間を敵に回した「江川卓の空白の一日事件」である。プロ野球協約の不備を突いた云わば「脱法行為」であった。だが、この「脱法行為」は世間のひんしゅくを買った。球団はすぐさま次の手を繰り出す。江川卓を一端ドラフト会議で指名権を得た阪神タイガースに入団させ、巨人にトレードを行うという驚天動地のシナリオである。代わりの放出選手には同じく投手だった巨人軍のエース「小林繁」に白羽の矢が立った。「犠牲と云われていますがそうではありません。野球が好きだから、野球を続けていきたいから、望まれるチームに行きます」小林繁はそのように爽やかに応えている。江川卓は「甲子園のヒーローからダーテイな悪役」になり、タイガースへのトレードを受け入れた小林繁投手には「爽やかな」「男気」のイメージが固定していく。事実、翌年の阪神・小林は大活躍している。対巨人には8連勝を遂げた。この年小林投手は22勝9敗という信じられない成績であった。その後に、協約の不備、盲点は解消された。さらに年数を経て、大学生・社会人に限っては「逆指名権」が選択される選手側に与えられたのである。もちろん江川卓は現役引退をするまで巨人軍のエースであった。全盛期にスピードガンあればおそらくストレートは150㌔以上を示しただろう。

「極道」の妻だった「高島礼子」の憂鬱---元俳優「高知東生」覚せい剤違反で逮捕

実力派女優の「高島礼子」は、「極道の妻たち」の体当たり演技で称賛された。彼女が、「高知東生」と結婚したとき、彼は名うてのプレイボーイであった。その結婚を危ぶむ声も大きかった。結果的に見れば、この結婚は彼女の失敗である。覚せい剤使用は俳優引退以前からだと云われる。もしそうであれば、「高島礼子」の女優イメージが損なわれる前に、彼女は「高知東生」に芸能界引退を迫ったのだろう。そして交換条件として出したのが「高級エステサロン」開店資金の用立てである。彼女は、子供ができなかった負い目があったのだろう。そのためなのか、夫を自由放任にしてしまった。もともと女癖が悪いのである。彼が大人しくしているわけがなかったのだ。覚せい剤使用も止めるわけがなかった。当局による内偵は、相当以前かららしい。彼女は、夫の矯正よりも「離婚」を選択すべきであった。そのほうが女優イメージを維持できただろう。とんだ「極道」の妻であった。次回放送予定のドラマでは女性警官に扮するようだ。イメージの損失は計り知れない。「けじめ」をつけるべきである、と店長は他人事ながら思うのだ。

カルト教団、オウム真理教の広告塔---鹿島ともこの不運

日米のハーフとして1950年に東京都立川市に生まれた「鹿島ともこ」は、18歳のとき日劇に加入し、以来トップダンサーとして人気を誇っていた。恵まれた体格に欧米風の目だった顔立ちは、嫌でも人目を引いていた。その彼女の人生は、スノーモービル事故に遭って暗転する。1982年であった。復帰を目指して懸命にリハビリを続けるなかで「オウム真理教」と出逢ってしまう。そして出家することに。彼女は、教団の広告塔となっていた。さらに芸能人養成を柱とする教団の関連事業「スーパースターアカデミー」で歌唱指導を行った。その当時教団内部では信者を殺害するなど、カルト化を増していた。また「坂本弁護士一家」が失踪するなど、オウムによる犯罪が噂され始めていた。彼女は「教団の広告塔」としてテレビに煩雑に出演し、「オウム教団」は世間から誤解されていると自説を訴えようとしていた。おそらく内部のことを何も知らなかったのだろう。この「鹿島ともこ」には娘がいた。教団幹部「飯田えりこ」らは、この娘を「スーパースターアカデミー」の目玉にすることを思いつく。「鹿島ともこ」は、自分の娘を入信・出家させようとしたが失敗、やむなく娘を拉致、監禁してしまう。ところが娘の身を案じたボーイフレンドが奪還に成功した。そして「鹿島ともこ」は監禁罪で逮捕される。この1連の騒動はテレビで繰り返し報道され、「オウム事件」の1部として茶の間に話題を提供した。裁判では執行猶予付きながら懲役2年の有罪判決であった。「鹿島ともこ」は、無事に教団を脱退した。現在は「介護ヘルパー」に従事しながら、週末にはステージに立つなどの芸能活動を再開しているそうである。

芸能人アイドル崇拝とカルトにハマる若者たちの共通点---「精神の飢餓」

南米ガイアナ人民寺院事件、1978年11月18日信徒900人余りが中央パビリオンに集められた。代表者は、ジェームズ・ウオーレン・ジョーンズ、「ハルマゲドンが迫っており、我々は死なねばならない」と主張し会員たちをシアン化物で毒殺し、直後に彼はピストル自殺した。この事件では、914人の彼の信徒が全員が死んだ。当時、日本でも大きな新聞記事になっていた。カルトの定義は簡単ではない。その集団の成立時期によっても異なる。キリスト教のように多数派になることがある。信仰団体だけとは限らない。カリスマ性があり、強力な指導力がある社長に率いられた企業体を指すこともある。AMWAYがそうであるし、IBMとて創業当時はそうであった。現在なら、アップルやマイクロソフトがこれに匹敵するだろう。

人は誰でも、精神的苦悩や苦痛を抱えている。これを「精神的飢餓状態」という。その「飢餓感」から救済してくれるのが、まさに「カルト」である。例えば「オウム真理教」だ。既存の「新興宗教にはない魅力」がそれである。多くの理系秀才が絡めとられてしまった。刺殺された「村井幹部」であったが、高校時代は天才的に数学が出来ていたらしい。教師が授業中に「村井、これで間違ってないやろ?」と訊くほどだったという。「オウム真理教」には、優秀でなおかつ向上心があふれている若者が引きつけられてしまった。不幸にして教団の一員になってしまうと抜け出すのは困難になる。教祖の化けの皮が剥がれたとしても、無意味で希望がない人生(それこそ妄想であったのだが)と思い込んでいた自分の人生を支えてくれ、活力をもたらしてくれた精神的支柱を失いたくないからである。「オウム事件」で多くの信者が逮捕されたが、「麻原尊師に帰依します」という法廷での発言が相次いだのをみても分かる。(この項は「邪悪な夢・異常犯罪の心理学」とコンテンツを共有しています)

看板プロデューサーの性犯罪---フジテレビの汚点

こんな話は多いのだろう。「ドラマに出してあげる」とダマしてホテルに誘う。騙されたのは女子高生である。そのプロデューサーは、「素顔のままで」をヒットさせていた。当時人気絶頂期であった「中森明菜」と「安田成美」の競演で話題になったものである。発覚したのは1997年3月20日だった。彼の名は「塩沢浩二」、少女への暴行容疑で逮捕された。無理やりホテルに連れ込んだというが、店長はそれはない、と思っている。ただし、強引に服を脱がそうとしたのは間違いあるまい。まだ、この時代には、女子高生もダマしやすかったのだろう。現在ではそうもいかない。身に着けていた下着を売る女子高生の出現は、まだ先のことである。なお、これより10日ほど前に「東電OL殺人事件」が起きている。世間の関心はそちらに向けられていた。

和歌山毒物カレー事件---ワイドショーを独占した林夫妻

林真須美に死刑判決が下されたが、冤罪説もある。彼女の娘による犯行とのうわさが絶えなかった。林真須美には、祭りの鍋にカレーを混入する動機がないようであったからだ。だが林真須美の自宅から「ヒ素」が検出されている。この事件で参加してカレーを食べた住民のうち4人が死亡した。林夫妻の周辺では謎の怪死事件が相次いで起きていた。世間は「保険金殺人」で収入を得ている人が存在することを改めて認識したのであった。ヒ素が見つかった林夫妻の家は、当時観光地と化していたが、現在では公園になっている。1999年5月14日の日刊スポーツによると、真須美被告は接見に来た弁護士にノートを出し、夫に渡して欲しいと伝えたそうである。弁護士がそのノートを見ると、そこには「中島みゆき」の「時代」の歌詞が書かれてあったという。「林真須美」死刑囚が特異な性格であったことが想像できる。

疑惑から疑惑へと世間を騒がせた---ロス市警「三浦和義」の自殺

妻殺害の容疑で逮捕されたものの最高裁で無罪が確定したのは2003年であった。「ロス疑惑」の主役としてマスコミに再三登場して、さんざん世間を騒がせた。その頃渋谷にオープンした輸入雑貨ショップ「フルハムロード」は観光名所になって賑わいを見せていたほどだ。2008年2月であった。アメリカ当局は、サイパン旅行中の三浦を殺人事件の首謀者として逮捕した。「殺人罪」は無効であるとしたものの「殺人共謀罪」について日本で裁かれていない、という判断であった。そしてロスへと護送された三浦であったが、同年10月、三浦はロス市警留置施設内で首を吊った。このとき三浦は61歳になっていた。共謀罪が有罪になれば25年の懲役刑の可能性があった。おそらく27年前の「疑惑の銃弾」での罪を認めたのではなく、将来を悲観したのだろう。「三浦和義」の一生は「疑惑」だらけであった。

事件後1年続いた「群発自殺」--- 幽霊騒ぎにまで発展した岡田有希子シンドローム

人気歌手の岡田有希子が投身自殺したのは、1986年4月8日のことであった。世間に衝撃を与えたこの自殺。ファンによる後追い自殺が相次ぎ、良からぬ社会現象となった。現場のビル前には献花する人々が途切れなかった。そして2か月後に、騒ぎがやっと治まりつつあった6月18日のフジテレビ「夜のヒットスタジオ」放映中、生出演で中森明菜が「ジプシークイーン」を歌っていたとき、岡田有希子の亡霊が背後に出現して騒ぎになった。検証なども行われ報道され、幽霊事件に発展した。岡田有希子の自殺直後の遺体写真が週刊誌に掲載されており、その報道に非難が集まった。そして2000年7月19日に元マネージャーが事務所トイレで首を吊って死亡した。彼は真相を知っていたと云われる。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」とコンテンツを共有しています)

満州国皇帝「愛新覚羅溥儀」暗殺計画---テロリストは日活俳優

1935年(昭和10年)4月である。新宿3丁目で一人の若い男が職務質問をされて、やにわに逃走した。彼は、間もなく拘束されたが、その後の取り調べで恐るべき「計画」を話し出した。満州国皇帝を巡幸中に暗殺する、という驚愕する内容であった。盗んだ拳銃も所持していた。この悲しい暗殺者の名は、「小宮山登(当時22歳)」という。岡山県出身である。日活俳優として数本の映画に出ていた。俳優になる前だが、刀を振りかざして中国大使館に乱入し懲役刑を受けている。当局は危険人物としてマークしていた。小宮山は、思想的には「無政府主義者」であり、典型的な「一人一党右翼」であった。皇帝を暗殺して満州国瓦解に追い込む計画であった。さらにソ連大使館の焼き討ちも予定していたらしい。だが、彼の経歴は謎が多く、なにが「反権力闘争」に向かわせたのか判然としない。戦後の小宮山は、戦犯釈放を訴えてハングリーストライキをやり10万人の署名を集めて米国に送っている。結局何をしたかったのやら、店長には理解できなかった。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」とコンテンツを共有しています)

芸能人が詐欺師の片棒をかついで被害拡大---ペニーオークション詐欺事件

俗にペニオク事件ともいう。関係者が逮捕されたのは、2012年12月のことである。まだ、記憶に新しい。

仕組みはこうである。実にうまく出来ている。詐欺事件は、ほとんどそうだが。

このペニオクサイトで入札に参加する。

最初は、高額商品0円などでスタートするのだ。価格は1円から15円の入札単位でせりあがっていき、入札するごとに、サイト運営業者に支払をする。だが、何度入札を繰り返しても、架空会員が自動入札するので、落札されない。

全部の商品が囮ではない。正しいオークションも用意されていた。全製品の1.2%は、低額で落札可能になっていた。

会員数10万人と偽っていたが、ほとんどは架空会員であった。そして、正規の参加者が支払った額は6,000万円にのぼった。

被害が拡大したのは、一部の芸能人が自分のブログで、はからずも宣伝していたからであった。実際には落札したのではなく、商品を無償で提供され、悪いとも思わず、高級品を低額で落札できた。とブログ上で公開していた。

また、商品の他に金銭の受け渡しがあったとされた。この事件を受けて、芸能人・モデルなどの「ステルス・マーケティング(俗にステマ)」が一般に知られるようになった。 事件発覚後、8名の芸能人は実名報道された。一定期間活動を自粛せざるを得なかった芸能人もいた。(この項は「詐欺犯罪について学習しよう」と共有しています)

DOOR TO DOOR 僕は脳性麻痺のトップセールスマン

二宮和也主演でドラマ化されたのが2009年3月29日である。---誰の人生にも障害などはない。感動のドラマは実話であった。

「きっとYesと言ってもらえる」---全米に知られた”脳性麻痺”のトップセールスマン、この努力家の名は「ビル・ポーター」である。彼は「あきらめなければ道は開ける」という両親に手渡されたメモを持ち歩いていた。脳性麻痺による不自由な足を引きずって毎日100軒の家を訪問した。いくら断られても罵声を浴びせられても、「きっと次の家ではYesと言って貰える---」ビルは呪文のようにこの言葉を反芻しながら不自由な足で歩き続けたのだ。この努力の半生が映画化され話題を呼んだ。「ビル・ポーターの鞄」である。世の中には「健常者」も障害者」もいない。ただ「途中で諦める人が夥しいぐらいに存在する一方で諦めない不屈の精神を持った人がいる」それが事実である。生きることに疲れてしまった人には、映画でも書籍でもどちらでもよい。ぜひ味わってみて欲しい。あなたが感動にむせぶことができるなら、あなたにも「不屈な精神」を備えているハズである。生きることは「希望をもって闘うこと」である。(この項は「人生・土壇場からの生還!」とコンテンツを共有しています)

新「仮面の告白」---ゴーストライターの苦悩

佐村河内守と云えば交響曲「ヒロシマ」で脚光を浴びた「全聾の作曲家」であった。ネームバリュー、その容貌、音楽性、どれを取ってもスター性抜群であった。すべてを彼の「仮面」が告白する日までは。ほとんど無関係に違いないのだが、店長は三島由紀夫作「仮面の告白」を思い出したのである。あの重厚な交響曲には「ゴーストライター」がいたなんて。その一方で、告白した「仮面」=「新垣隆」は、その仮面を脱いで世に出ることに成功した。佐村河内氏は、単なる「虚言癖」なのか分からない。ただこれだけは云える。彼は、「マーケティングの天才」である。それが「音楽」の秀才「新垣隆」と出逢ってしまったのだ。虚構がバレてしまった時、世間の、とりわけ広島市民の衝撃と落胆は計り知れないものであった。佐村河内氏は分かっていた。「広島県人」を利用するのだ。それに「障害」と「被爆」を抱き合わせるのだ。そうすれば「脚光」を浴びることができる---そうして彼は「盲目の少女」を創作した。彼の目論見はまんまと成功した。だが、それもあまり長くは続かなかった。「仮面」は、これ以上広島市民をダマすことができなかったのだ。悩み抜いた結論「私、新垣隆は佐村河内のゴーストです」と告発したのである。

甲子園初優勝---「佐賀北高校」の奇跡

この「佐賀北高校」は野球の名門校ではない。進学率の高い勉強熱心な県立高校である。野球の得意な生徒をかき集めたわけでもなかった。いわば普通の進学校が甲子園で優勝してしまったのである。だから、世間の喝采を浴びた。さらに驚きの一面が隠されていた。それは、「佐賀北高校」のナインは、対戦相手の選手たちを「褒めていた」のであった。快打を飛ばした相手選手に対して塁上で「ナイスバッティング!」と必ず声掛けしている。自軍の打者が三振に倒れると「ナイスピッチング!」と相手の投手に声をかけている。店長は、最初に「これは、ほめ殺しという戦法かいな」と穿った見方をしていた。だがそれは違うようであった。対戦して敗れた相手校のナインは、揃って「佐賀北高校」のフアンになっていたそうである。あり得るだろうか。「負けて悔しくなる」のが当たり前であるのに、「負けて清々しくなる」のである。さらに、どんな指導を受けたのだろう、と気になった。ナインは「野球指導」されたのではなく「人生の正しい生き方」を指導されていたのだ。だから「野球の神様」から盛大なプレゼントをもらったのだろう。2007年、県立高校としては11年ぶりの甲子園初優勝という快挙であった。

絶望が歓喜に変わったのは,なんと8年の後---「奇跡のリンゴ」

NHK「プロフェッショナル---仕事の流儀」で放送され大反響を呼んだ、絶対に不可能と云われた「リンゴの無農薬栽培」の成功である。この「奇跡のリンゴ」は2年間放置しても腐ってカビが生えたりしないのだ。いや、むしろ水分が抜けて甘い干し菓子のようになる。世界にたった一つしかない「リンゴ栽培」に成功した「木村秋則」さんであったが、その挑戦は苦難の連続だった。農薬散布の翌日からは、奥さんは決まって体調を崩し寝込んでいた。「この農薬は人体に強すぎる。リンゴにも影響があるはずだ。農薬・肥料漬けのリンゴが人体にもいいわけがない」そして、ある時、ふと書店で1冊の本と出会った。それが「無農薬栽培」である。彼は、悩み苦しんだ末にある決心をする。「無農薬」で「リンゴ」を作るのだ。この常識を超えた無謀な試みに、奥様は無言で同意してくれたが、翌年から、リンゴの収穫がなくなり1家の生活がどん底におちいる。仕方なく、木村さんは、農作業の合間にはバイトをした。庭の雑草でさえ家族で食べた。家族総出で害虫駆除を行った。だが無農薬にすれば害虫が増える。次第に「リンゴの木」が枯れていった。木村家の農園だけが荒れていった。「やっぱりダメなのか---」木村さんは落胆した。常識には抗えなかった。生活もままならない。気が付けば木村さんは、1本のロープを持って山中に彷徨っていた。適当な「枝ぶり」を探していた。自殺するためであった。そして、「運命」の発見をする。「首吊り用のロープ」を掛けようとしたとき、そのロープがあらぬ方へと飛んでしまった。拾いに行くと1本の「どんぐり」の木があった。木村さんはふと思った。「このどんぐりの木には農薬もなく化学肥料もない。なのになぜ?」木村さんは、その土に気が付いた。踏んで見るとふかふかして柔らかい。思わず口に含んでみた。その土は「自然のいのち」が感じられた。「これだ!この土をリンゴ園で再現するんだ!」木村さんは、もう死のうとしていたことも忘れていた。それからも苦闘の連続であった。周囲は彼を「狂人扱い」した。だが、今度の木村さんは、やり方が間違っていないという確信があった。さらに数年の後、木村さんのリンゴ園は花盛りになったのである。そして、ここに「奇跡のリンゴ」が生まれた。「狂人」という非難を浴びようと、あきらめずに続けること。その先に「栄光」がある。「木村秋則」さんこそ「奇跡の人」である。

(この項は「人生・土壇場からの生還!」とコンテンツを共有しています)

パクり騒動が売れ行きを伸ばす---意外な結果

宇多田ヒカルと倉木麻衣の歌はよく似ていた。どちらも売れていた。互いにプラスに影響しあっていたようだ。で、この話題を番組ネタにしたのが「ダウンタウン」である。

浜田がこう問いかけた「最近、宇多田のパクりが出てきてるやろ、あれ、どないなん?」宇多田ヒカルは大人の反応を示した。「彼女をテレビで初めて見たとき、自分と間違えてしまった---でも可愛いし、特別何かしているわけではないし---」だが浜田はなおも意地悪な質問をする。「あれ、パクりやで」そして、この論争はネットに場所を移して騒動に発展した。一方、倉木麻衣の所属事務所は激怒。フジテレビと吉本興業に抗議文を送り付けたのだ。これを聞いた浜田は直接事務所に出向き謝罪したそうである。この騒動があってなのか、倉木の新曲の売り上げが宇多田を上回ったのである。

昭和を代表するグループアイドル「フォーリーブス」の「江木俊夫」---おまえもか!

元「フォーリーブス」の江木俊夫。彼は天才子役と云われた少年時代もあった。子供向けテレビドラマ「マグマ大使」の大使を呼ぶ少年である。長じてこのジャニーズ系グループに入って活躍していた。ところが、この4人組「フォーリーブス」から二人も逮捕者が出ている。彼らも芸能界麻薬汚染から逃げられなかった。で、江木であるが、スナックに知人女性を誘い、炭酸飲料に覚醒剤を混入させ、身体の自由を奪って強姦しようとした。裁判で彼はこれを否定した。「女性が酔って眠そうだったので、目を覚ませてあげようと思った」だって。いい人だな。江木俊夫って。これが法廷で通用すると思っていたのか。検察官からは、「バカ言うな!反省もしていないのか!」と罵声を浴びてしまったそうである。おつむが弱いのか。ジャニーズがすべてそうだとは云わないが、関西の吉本に比べて逮捕者が多いような気がする

(この項は「必読!おバカ事件ファイル」とコンテンツを共有しています)

映画になった「シンデレラ」---と云ってもボクシングの奇跡の実話である

絶望的な貧困生活を根性で跳ね返したばかりか、奇跡の王座挑戦までを果たし、チャンピオンとなった極貧失業者。人々は彼をこう呼んだ「シンデレラ・マン」

実在した伝説のボクサーの名は「ジェームス・ブラドッグ」1905年にニューヨークで生まれたアイルランド系アメリカ人である。1926年にプロライセンスを取得する。強い右パンチを武器として頭角を現し、将来を期待された。ところが1929年の株式大暴落・世界大恐慌と歩調を合わせるかのように、ブラドッグ自身も勝てなくなってしまう。すでに結婚して子供もいた彼は、港湾労働などの日雇い労働をして生活費を稼いだ。そして全力で家族を守り抜いた。だが、決してチャンピオンになる夢を捨てなかった。「いつか再びリングに上がる。そして勝つのだ」貧しい暮らしを続けていても、心の中まで貧しくはなかった。心はすでにチャンピンであった。そんな折りも折り、彼に「消化試合」のオファーがくる。1934年のことであった。彼はこの千載一遇のチャンスをものにするのだ。そして世界王座に挑戦することになった。その運命のタイトルマッチは1935年6月13日のニューヨーク、ロングアイランドのリングであった。チャンピオンは「マックス・ベアー」であった。ブラドッグの勝利を予想した人は誰もいなかったのだ。起こるはずのない「番狂わせ」であった。それは、大恐慌にあえぐ大衆を熱狂させたのだ。この物語は「ラッセル・クロウ」主演で映画化された。

この項は「人生・土壇場からの生還!」とコンテンツを共有しています。

「五輪は国威発揚」---重圧に負けた男子マラソン・ランナー

昭和39年の東京五輪、国立競技場に悲痛なため息がもれた。二番手で競技場に戻ってきた「円谷幸吉」の背後には、追い抜こうとする英国の選手が迫ってきたからであった。「円谷幸吉」は、男子マラソンで「銅メダル」を獲得した。不振の男子陸上界にあって、それは「壮挙」とも云えた。女子バレーボールの「金メダル」もそうであったが、国民全体が感動に包まれた。自衛官の彼は、二階級特進を果たす。次回の「メキシコ五輪」への「金メダル」の期待が異常に高まった。だが、彼は「椎間板ヘルニア」という持病を抱えていた。さらにアキレス腱が悪化していた。五輪後の競技には、無理をして出場したが、成績は振るわなかった。新聞は、無責任に情け容赦なく彼を責めた。「迷えるランナー・薄れゆく五輪の栄光」などといった活字が躍ったのであった。元来責任感の強い彼であったが、「もう走れない---」という苦悩は、彼にとって「人生の終わり」を意味した。彼は「遺書」をしたためた。「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。---幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許しください。---ご心配お掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様のそばで暮らしとうございました」

この「遺書」は公開されたのだが、当時は大きな反響を呼んでいる。また、ノーベル賞作家の「川端康成」は、この韻律のある「遺書」を激賞した。父上様、母上様のあとに兄弟や親類への感謝の一文が続く。それには、次回の五輪には、もう期待に応えられないという「無念」さが哀切をもってにじみ出ていた。

(この項は「昭和を映す10代の遺書」と共有しています)

人間失格者の作り方---前科三犯「木村一八」の場合

ご存知の方は多いだろう、彼は人気芸人「横山やすし」が溺愛していた息子である。木村19歳の時、乗車拒否のタクシー運転手に激怒し、そのタクシーとは無関係の他の運転手に暴行を働き、障害が残るほどの瀕死の重傷を負わせてしまう。1988年11月、現場は六本木であった。当時の木村は未成年者である。新潟少年院に送られ、1年をそこで過ごした。木村親子は総額1億円以上の和解金を治療費とは別に被害者に支払ったという。そのころ、関西芸人の「西川のりお」はこの事件に触れ「ダメ人間に育てる見本のような育て方をされた気の毒な青年」だと評した。「横山やすし」は、わが子を甘やかし過ぎたのである。さらに、やすし本人もかつてタクシー運転手に暴行する傷害事件を起こしていた。親子2代にわたってのタクシー暴行に世間は衝撃を受けたのであった。

突然の幕切れ---昭和のヒーローのあっけない「死」であった

昭和20年代、放送が始まったテレビは、まだ一般家庭に普及していなかった。それが大スターを生み出した。街頭テレビには「力道山」の雄姿があった。食い入るように見守る黒山の人々。角界を引退してプロレスに転向した「力道山」その人である。1963年(昭和38年)12月8日ナイトクラブ「ニューラテンクオーター」において、「力道山」は暴力団構成員の「村田勝志」と喧嘩になり登山ナイフで腹を刺されてしまう。その怪我がもとで腹膜炎や腸閉塞を発症し、あっけない最後を遂げてしまった。「力道山」の死後、彼の出自が明らかにされている。北朝鮮の出身であり、スカウトされて角界に入門したが、自ら万結を切って引退を表明した。プロレスで大成功し、副業も成功していた。さらに「山口組」とも親交が深く、政治家や大物右翼さらに韓国や北朝鮮にも人脈を持ち、彼は単なるプロレスラーではなかった。米国レスラーを「空手チョップ」でなぎ倒す「力道山」の活躍に日本人はおしなべて狂喜していた。それは、先の敗戦で自信を失っていた国民に勇気と自信を取り戻してくれたのだ。当時、まだテレビはモノクロ画面であった。そして、そこには米国人レスラーより強い「力道山」の雄姿があった。(この項は、「歴史に埋もれた重大事件」と共有しています)

市川海老蔵西麻布暴行事件---ワイドショーで「顔」の怪我を説明するために落書きされた

関東連合OBと西麻布のバーで喧嘩になり、殴られて頬骨が陥没するなどの大けがをした海老蔵の「おわび会見」が行われたのは、2010年であった。海老蔵は左目が内出血していて、その眼球が充血したままの顔でお辞儀をした。立ち振る舞いは「歌舞伎の様式美」そのものであった。その様子はワイドショーで報じられたが、顔の症状を説明するために海老蔵の顔は「落書きだらけ」になってしまった。せっかくの国宝級のお辞儀も余計な演出のために台無しにされてしまった。言葉を選んで慎重な受け答えをしていたが、「落書きされた顔」が、けんかは、海老蔵にも責任があるということを帳消しにする効果はあった。

映画になった「入れ墨」のある牧師さま---鈴木啓之さんの軌跡

大ヒット映画「親分はイエス様」にも描かれた鈴木牧師の壮絶な人生。千葉県柏市に「シロアム・キリスト教会」がある。1955年大阪生まれの「鈴木啓之」さんは、この教会の牧師である。高校は、恐喝の常習生徒で強制的に退学させられている。鈴木は17歳にしてヤクザになった。そして、博打にのめりこみ5億円というとてつもない借金を作ってしまう。その結果命を狙われ、半殺しのリンチを受けたのであった。3度目の結婚をしたが、この奥さんは韓国籍のクリスチャンであった。その奥様を大阪に残して、命からがら東京まで逃亡した。服役は2度、両手の小指は詰めていた。彼は命を狙われて、駆け込んだ教会で「懺悔」した。そして、ついに決心する。妻子を東京に呼び、建設現場で汗を流して賢明に働いた。さらに夜は神学校で学んだのである。クリスチャンの妻のささえが嬉しかった。その妻のススメで「日本リバイバル十字架行進」に参加。これは、重さ40㌔の十字架を背負って、沖縄から北海道まで徒歩で横断するというものである。この懺悔の行進は富士山頂まで登るのだ。並大抵の努力では無理であるが、鈴木啓之はやり遂げたのであった。そして1997年、牧師の資格を得た鈴木啓之は自分の教会を建てたのだ。

芸能界大麻汚染事件---大半はその後も活躍した不思議な事件

当時、フォークソング歌手が芸能界を牽引していた。大御所に「吉田拓郎」「井上陽水」「泉谷しげる」等---1977年9月10日であった。その一翼を担う「井上陽水」が「大麻取締法違反」で逮捕されたのである。当時の週刊誌に「井上陽水、事実上の引退へ」の記事が乱舞した。そしてジョー山中、内田裕也、研ナオコ、美川憲一、にしきのあきら、桑名正博らが検挙された。事件は音楽業界を揺るがす大騒動となった。再起を危ぶまれた面々であったが、そこは非常識がまかり通る業界である。スキャンダルが逆に一種のステイタスとなってしまった。結局、人気凋落と大麻事件との関係性などはなかったのである。それでは、あの一連の事件とはいったい何だったのだろう。1977年(昭和52年)と云えば、世間には不景気がまん延し、就職難が深刻度を増していた頃である。美少年の店長は、「芸能人ってうらやましいなあ」と考えていた。

原因不明の「難病・摂食障害」を克服---奇跡の五輪代表

バンクーバー五輪の女子フィギュア代表に選出されたのは「鈴木明子」選手である。2009年12月の全日本選手権において、フリー演技で逆転2位に浮上し見事に五輪代表を勝ち取った。その「鈴木明子」だが、原因不明の「摂食障害」を発病していた。見る間にやせ衰えて、体重は32㎏まで激減した。栄養不足が重なり、頭髪はごそっと抜け落ちた。体脂肪率は5%以下になり、真夏でも寒さを感じた。そのため半袖も着られなくなったという。鈴木明子は、大学を休学して治療に専念することに--本来なら入院せざるを得ないほどの重症であった。しかも「摂食障害」で命を落とした人も珍しくはなかったのだ。だが、彼女は、まだスケートを続けたかった。まだ引退などしたくはなかった。周囲では、誰もが「鈴木明子」の選手生命は終わったと思っていた。摂食障害との闘いは1年間も続いた。そのブランクはあまりにも大きかった。まともに復帰できるだろうか。しかし、長久保コーチは、「あきらめず、一緒に頑張ろう」と何度も鈴木明子を励ましていた。その言葉はとても嬉しかった。そして、全日本選手権では、「鈴木明子」とコールされただけで涙が出るぐらいに嬉しかった。心配をかけた母親、励ましてくれたコーチ、スケート関係者の激励がたまらなく嬉しかった。彼女は、歓びに包まれて氷上を華麗に舞った。そうなのだ、彼女は最高の演技を披露した。もう摂食障害で苦しんでいた自分はいなかった。1年のブランクなど微塵も感じさせなかったのだ。「鈴木明子」の強さの秘密、それは、彼女は誰よりも「感謝」とともに「銀盤の上を舞う」ことの歓びを知っていることであった。

いい俳優になって欲しい---芦田愛菜ちゃん

芦田愛菜ちゃんが名子役としてブレークした番組が「マルモのおきて」2011年の大ヒットドラマである。さらに人気を呼んだのがキュートなダンスとテーマ曲である。その曲のタイトル「マル・マル・モリ・モリ!」は、どういう意味だろう。一般には、「モリモリ食べるとまるまる太る」と思われていた。世の中には、ヒマ人がいるもので、ラテン語で自動翻訳すると「死ぬために死ぬことを悪のために悪」といった日本語になるのだ。ネット上では、「このテーマ曲は、実は呪いの儀式では?」という話題でもちきりであった。だが、作詞を担当した「宮下浩司」氏は、これを否定し「特に深い意味はなかった」としている。まあ、「深い意味が無い」としながら「あったりするもの」で、テーマ曲ではないが、その昔、美少年時代の店長が気に入ったヒット曲に「サルビアの花」というのがあった。歌詞はこうである。♬いつも いつも 想ってた サルビアの花を あなたの部屋のなかに投げ入れたくて~♬いい唄だったと今でも思う。だが、この歌詞は実は「性行為」を意味していたのだ。あなたの部屋とは「女性の子宮」である。そして「サルビアの花」とは、「男性の体液」であるらしい。作詞者本人が云っていたのだ。店長は動揺を隠せなかったのを思い出す。

負けを請け負ったのに勝ってしまった、元祖・野球賭博

プロ野球「黒い霧事件」は、1969年に発覚した。大阪府警から国会に舞台を移し、さらには東京地検特捜部までが捜査に着手したのである。関係した選手は永久追放された。八百長とは知らずに金を渡されていた「池永正明」投手が処分不当であったとして「復権」が許されたのは2005年4月25日であった。「黒い霧事件」の一番の犠牲者は、この実力投手の「池永正明」であった。球団全部を丸ごと買収してもゲームの行く末をコントロールなどできない。ボールはどこを転がるか分かったものではないからだ。だから、誰もが野球賭博は成立しない、成立しないのであれば手を染める人もいないとされていた。国会においてまで取り上げられたぐらいに世間は驚いたのであった。

男が決意する時---魅惑の歌声「新垣勉」の場合

ご存じだろうか、全盲のテノール歌手「新垣勉」を。彼の苦闘を。彼は、1952年沖縄生まれ。生後まもなく事故に遭い、失明した。さらに、両親は離婚。米国海兵隊員だった父親は帰国する。しかも、すぐに母親にも捨てられ、母方の祖母が幼い彼を引き取って育ててくれたのである。彼は、祖母を実の母親だと思っていた。やがて、出生の秘密や失明してしまった事故の真相を知る日がやってきた。新垣少年は、自分を捨てた両親を激しく憎悪する。米国へ父親を捜しに行って、刺し違えたいとさえ思った。もう生きていくのがイヤになってしまった。高校時代、彼は井戸に飛び込んで死ぬ決意をする。だが、たまたま通りがかかった人に止められ、自殺できなかった。そして、苦悩する新垣勉を救ったのが、ラジオから聞こえてきた「讃美歌」であった。たちまち魅せられて教会へ足を運ぶようになった。そこで一人の牧師と知り合いになる。牧師は新垣勉の境遇に同情し、自宅に招いたり、誕生日を祝ってくれたのだ。新垣は大学の神学部に進学した。牧師はたいそう喜んでくれた。「讃美歌」に魅せられ、在学中「聖歌隊」に入って活動した。もう人生に悲観する新垣勉はいなかった。そう彼のこころには「革命」が起きていた。武蔵野音楽大学を卒業、声楽家になると決意した。あれほど憎んでいた父親を、今ではすっかり赦していた。感謝さえしている。それは、世界的なヴォイストレーナーの「あなたのラテン的な声は、もう少し磨けば素晴らしいものになる。それは、神様と父親からの最高のプレゼントに違いない」と絶賛されたのである。

美空ひばり塩酸事件---事件以後「山口組の若い舎弟」がボデイガードに

戦後復興の時代。天才少女歌手「美空ひばり」の登場に世間は驚き、拍手喝采したものだ。彼女は、ある意味において昭和のシンボルだった。そんな大スターを悲劇が襲った。1957年(昭和32年)1月13日のことだ。場所は浅草国際劇場である。犯人の女はひばりと同じ19歳であった。声をかけてひばりを振り向かせると、隠し持っていた塩酸をひばりの美しい顔めがけてかけたのである。犯行を行った女は、美空ひばりの大フアンでもあったという。そして大好きであったらしい。だがその反面、美空ひばりに激しい嫉妬を抱いていたようだ。そして「あのキレイな顔を醜くしてやりたい」と手帳に記していた。そばに居合わせていた数人も塩酸によってやけどしていた。幸いにもひばりは軽症で全治3週間ぐらいで回復している。この事件以後、ひばりのガードを「山口組」が受け持つことになる。

悪魔の病気から根性の回復---急性骨髄性白血病に倒れた吉井怜

芸能界デビューは14歳。ブレイクしたのは、特撮番組でヒロインに抜擢されたからである。そして、CMにバラエティー番組、さらにドラマ出演と活躍しアイドルとしては人気絶大であった。彼女には、女優としての輝かしい将来が見えていた。そんな2000年の夏の日、撮影地の奄美大島で突然倒れたのである。40度の高熱を発していた。帰京して緊急入院する。精密検査の結果、恐るべき病名が明らかになった。それが「急性骨髄性白血病」であった。もう少し遅ければ命取りになるところであった。だが、彼女は治療よりも、芸能界で居場所がなくなることの方が数倍怖かった。せっかくのチャンスを失いたくなかった。だから闘病の気持ちにはならなかった。所属事務所は困ってしまう。彼女を懸命に励まして、治療に専念するように説得した。吉井怜は、闘病を決意する。だが、それは生易しいものではなかったのだ。無菌室で入院することになったが、絶え間ない吐き気に襲われる。テレビには、自分の代役が出ていた。悔しくて涙が出た。1日でも早く復帰したかった。悩んだ末に出した結論、それが「骨髄移植」である。彼女は母親と骨髄が合致した。なんと1万分の1の確率だという。移植のために再度入院する。だが、今度の入院は、さらに厳しいものであった。すべてを吐き出してもさらに吐き気が続き、食道が切れて赤い血だけを吐いた。髪の毛はすべて抜け落ちていた。顔の腫れがひどくなり、まるで別人であった。所属事務所は彼女を復帰させるため、あらゆる手を尽くしてくれた。彼女は耐え抜いた。「---私の命は、わたしだけのものじゃない」吉井怜、現在も活躍を続けている。励ましてくれたファンとともに---

世界一おぞましい実写映画---「ウクライナ21」

ウクライナの少年3人が連続殺人を犯す実写映画である。現在この少年たちは終身刑に服しているそうだ。その殺人が何ともおぞましい。とても正視に絶えないのである。何のためにビデオカメラを回したのか、その意図さえも分からない。少年たちは「せせら笑い」をしながら残虐な行為を行っている。被害者は浮浪者や老人それに女性たちである。人というもの、いったいどこまで残虐になれるのだろうか。妊娠中の女性を襲い、その腹部を割いて胎児を取り出したり、老人を工具で叩き殺し、アイスピックで眼球を抉り出す。繰り返すがC.Gではない。実写なのだ。このおぞましい光景を信じられるだろうか。わが日本でも、足立区綾瀬で起きた「女子高生コンクリート事件」では、少年たちは監禁した女子高生の身体にオイルを垂らして火をつけたという。またサンドバック代わりに殴り続けていて、司法解剖では脳の萎縮さえ認められている。ウクライナやこのような足立区の少年たちに「更生の機会」などが必要なのだろうか。大いに疑問が残る。

人気歌手だった「坂本九」さんが星になった日---JAL123便墜落事故

徹底解明されたのか未だに疑問が残っているのが、1985年8月12日の日航機御巣鷹山墜落事故である。乗員・乗客合わせて520名が犠牲となってしまった。生存者はわずか4名である。墜落地点を自衛隊が特定するまで、およそ10時間後であった。墜落直後には、多くの乗客が生きていたとする証言もある。それに在日米軍の輸送機が現場を発見していた。米軍では救出ヘリが乗り出そうとしていたが、そのヘリに救出命令は出されなかった。さらにその後の「事故調査報告書」に矛盾点があることが判明している。今も謎が残っている。生存者救出後、世間の関心は「坂本九」さんの遺体が容易に見つからなかったことにあった。「九ちゃんはどこへ?」の見出しが紙面を踊った。今思い出しても目頭が熱くなってくる。その「坂本九」さんの遺族は、ミニコンサートを開いて、亡き九ちゃんを偲んでいるそうだ。

人気占い師だった「藤田小女姫」殺害事件

人気占い師「藤田小女姫殺害事件という衝撃のニュースが国内を駆け巡ったのは1994年2月23日のことであった。殺害されたのは当時住んでいたハワイである。マンションから火の手が上がり、駆け付けた消防隊によって消し止められたが、一室から「藤田小女姫(事件当時56歳)」の射殺体が発見された。だが、事件はそれだけでは終わらなかった。ハワイ大学の学生であった藤田小女姫の息子が無残な他殺体で発見されたのである。捜査線上には息子の知人で銃器を不法に所持していた日本人の青年が浮かびあがった。そして彼が、「藤田親子殺人容疑」で逮捕されている。彼の部屋から、息子の血痕が発見された。DNAは一致していた。裁判で、この青年には無期懲役が下っている。判決は、ハワイでの最高刑であった。息子と青年との金銭トラブルが原因とみられた。世間で注目を集めたのは、藤田小女姫と交流があったとされる政財界の人たちを記したノートが発見されないままになっていることであった。そこから「陰謀説」が一人歩きすることになった。

過去の「やんちゃな」行動は隠せない---ネット社会の落とし穴

人気者になると「秘蔵写真」がお金になる困った時代になったと思う。もう「キャバクラ」で働いていた、という中傷ネタなどは誰も見向きもしないが、「犯罪のような悪い事」だと命取りになる。例えば「清純派」で売っていたハズなのに「恋愛・結婚」で素性がバレてしまうことがある。押尾学と結婚していた「矢田亜希子」がそうである。川崎市で中学時代を過ごしていたが、「いけない」と云われる事は、すべてをやってきたという。交際するのが年上の暴走族の少年たちで、初体験も済ませているそうだ。どんな素敵な家庭に育っていたかが容易に想像できる。店長は、かつて東京都大田区に住んでいたが、川崎市の手前であった。昭和の川崎市では駅前に浮浪者が多くて、子供が遊びに行った日など、心配で仕方がなかったそうである。当時は、川崎競輪、川崎競馬、野球場などが観客を集めていたし、それなりの治安だったのだ。で、矢田亜希子であるが、周囲の猛反対を押し切って押尾と結婚した。彼女の「ワル好き」は、当時から筋金入りであったのだろう。だが、「やんちゃ好き」は困る。押尾と共に、人生の下り坂をすべり堕ちてしまった。演技力には一定の評価があっただけに、その「結婚」が悔やまれる。ちなみに店長はデビュー当時のファンであった。セーラー服のすそをなびかせていた食品会社のCMだが、いまでは懐かしい。

少子高齢化はこのクレームとともに

問題のCM商品は「ハウスのシャンメン」であった。「わたし作る人」「わたし食べる人」のセリフが物議をかもした。怒り狂ったのは「行動を起こす女たちの会」であった。男女均等は先進国では当然の流れでもあった。1975年の放送事故である。今思い返しても、何が悪いのか見えてこない。このCMは、男女の役割分担を固定化する思想、男女均等の風潮に反する暴挙とされた。そこまでの深い意味があったとは思えないのだが、ハウス食品は謝罪し、放送中止を決定した。男女雇用均等法が施行される以前のことである。そして、女性の「総合職」が生まれ、晩婚化、非婚化が進み、やがて少子高齢化に突き進む。西暦3000年に、日本の人口はなんと14人にまで減少するという。

店長が思うに、この「行動する女性の会」に、美人がいたのだろうか。いや、ひとりもいなかったに違いない。

年金未払い者を炙り出した「江角マキコ」の不幸

国民全体に年金に対する不信感が渦巻いていた頃、未納問題を解決すべく、人気ドラマ「ショムニ」の江角マキコが広報に起用された。ところが、2004年3月である。その本人の未払いが発覚してしまった。なんと江角マキコは17年もの長期間未払いを続けていた。彼女は、あまりにも波紋が大きいことに驚き、謝罪するはめになった。だが、問題は容易に収束しなかった。当時の小泉総理をはじめ、年金未納者が続々と出てきたのだ。また未納者を叩いていた報道側にも、筑紫哲也、田原総一朗、安藤優子、小谷真生子、草野仁、小倉智昭が軒並み未払いであった。当然、江角マキコのイメージは急降下してしまった。だが、怪我の光明ではないが、年金未納者を炙り出すことに成功した彼女は、第一の功労者と云えた。もし、これがCMプランナーの計算であったとすれば、その人は天才プランナーと云い得るだろう。

この偉大な作詞家を知らなくて「おふくろさん」は歌えない

森進一が自身のヒット曲を歌ったのは、2006年の「紅白歌合戦」である。彼は、イントロ前に独自の台詞を添えた「---いつも心配かけてばかり---」観衆の誰もが酔いしれたはずであったが、たった一人その歌い出しに苦虫を噛みしめた人物がいた。誰あろうこの歌を作詞した「川内康範」先生である。なんと、森進一は、台詞を追加する旨の許可を川内康範に取っていなかったのだ。先生は激怒して「もう、森には歌わせない」との声明を発表した。森進一は、あわてて謝罪したが、現在まで未解決である。おそらく、作詞家にとって、生み出した「歌詞」はわが子のように可愛いものなのだ。だから大物歌手といえど勝手な改ざんや補足などは「もってのほか」だったのだろう。店長も非は森進一にあったと思う。一方の川内先生であるが、手掛けた脚本も評価を受けている。例えば「愛の戦士レインボーマン」であるが、これがすごいのだ。地上波で再放送は不可能とされる。差別用語が多く、宗教色が強く、PTAならずともドン引きしてしまうのだ。

この二人の実業家タレントではどちらに軍配?

このどちらもタレント性が高くて、しかもすでに本業と云ってもいい「副業」を成功させている。二人とは「神田うの」だ。そして業界は違うが「千秋」である。店長は、彼女たちを実業家として注目している。とくに「千秋」は大企業の社長令嬢でもある。そして副業とは、ヤングママたちに絶大な支持を受けるベビー服ブランド「リボンキャスケット」だ。さらに「ラブストーン」なるブランドで億単位の利益を生み出している。この「ラブストーン」であるが、文字通り「開運の石」である。彼女が「セドナ」で買い付けた「石」をブレスレッドに加工して販売しているそうだ。人気商品は半年から1年待ちというものまである。このアクセサリーを「中川翔子」が絶賛している。「セドナ」は良く知られるパワースポットであるが、安室奈美恵が訪問していたことで一躍注目された。宣伝になるのでこれぐらいにしたいが、「ラブストーン」は実に細かく品揃えされており「開運」は「千秋」のサイトを訪問して損はないと店長は思っている。だが、何か釈然としないのが彼女の「ステルス・マーケティング」疑惑である。現に「中川翔子」は自身のブログでこの商品を激しく推奨している。「有名人が身に付けている」と云えば、先を争って売れるのである。ともあれ、芸能人ならぬわが身の上が悔しい店長ではある。

人気アイドルを慕う---「非現実な恋慕」が自分への反感を呼び青少年を「自殺」に走らせる

その自分への反感は、自殺願望となって自分を苦しめてしまう。遺書に「人気歌手」「人気アイドル」の名が残される例は昭和の初めごろから散見された。そして「あなたを愛しています」と、スターの偶像を理想化し、反対に自己を矮小化してしまう。「いっそ消えてしまいたい」という願望は肥大化して手がつけられなくなる。昭和49年5月21日午前10時20分頃、神戸市須磨区の市営住宅の路上で、若い女性が死んでいるのが発見された。女性は、大阪府立高校の2年生であった。カバンの中に「遺書」があった。そこには、行動予定のメモ書きと遺書らしきメモが残されていたのである。さらに、当時人気絶頂であった「郷ひろみ」の名前が書いてあり「あなたを愛しています。あなたのそばに行ければ---しあわせ」と記してあった。当時、「郷ひろみ」は、女性的な優しい顔立ちもあり異常なほどに人気があった。さらに昭和51年に熱狂的なファンの22歳の女性がガス自殺を遂げている。彼女は遺書を残していた。それには「さようなら。郷ひろみさん。あなたを死ぬほど愛していました」と記してあった。ほかにも「吉永小百合」「山口百恵」さらには「沢田研二」などが挙げられる。もちろん自殺を選んだ人たちは「郷ひろみ」の実体を知らないし、「愛していた」のは「偶像=アイドル」であって本人ではない。

店長には、とても理解できない。ただこれだけは云えるだろう。青少年の行き場のない「閉塞感」が世の中に広がっていたのだろう。「いじめ」が大きな自殺の要因になるのは、平成になってからである。

インチキ占い師が主人公---モデルとされた「あの女史」から激しいクレームでお蔵入り

フジテレビで2006年に放映された「トップキャスター」第3話が封印されてしまった。これだけがDVD化されていない。また、再放送されることもない。当時は「占星術」が大ブームで、初回視聴率は23.1%で上々のスタートであった。この時間帯は、花の「月9」と呼ばれ、満を持してドラマは開始されるのが常であった。主役を射止めたのは、月9ドラマ初主演の「天海祐希」。問題となった第3話では、TVに引っ張りだこの女性占星術師の「インチキ」ぶりを見破るという展開。ところが、この占星術師は、誰がどこから見てもあの「細木数子」だった。放送直後、細木は激怒し、大クレームがフジテレビに飛び込んだ。番組関係者は悪乗りを認めて謝罪したのである。店長は「悪乗り」ではなかったと思っている。テレビから「細木数子」を見なくなって久しい。この第3話は、スタッフの精一杯の「抵抗」だったのではないだろうか。

華麗な経歴に称賛の声---実は真っ赤な嘘

古館キャスターが腰を折って迎えたコメンテイターが「ショーン・マリアードル川上氏」(47歳)である。ハーバード大学、パリ大学で学位を取り国際的な経営コンサルタントという触れ込みであった。低音の美声の持主である。しかもそのコメントも正確。説得力があった。ところが、その華麗な経歴は真っ赤な嘘であった。では「イケメン」もつくりものなのか?そんな疑念を抱かせてくれた。一般に日本人は「ハーバード大学」に弱い。舶来信仰はここに生きているらしい。かつて、議員当選したのはいいが経歴詐称がバレてしまい議員職を棒に振ったおバカが数名いた。この川上氏も、ケチな肩書をぶら下げず、コメント力だけで勝負すればよかったのに。残念な経歴詐称ではある。

某テレビ局の24時間テレビ---”ねつ造”の感動をありがとう

この特番は、1978年にスタートしている。最初の頃こそ意義のある成果を上げていたが、近年の番組低俗化、品位の劣化はどうにもならない。会場となる武道館近辺では性犯罪も起きている。未成年の深夜徘徊を招き、ナンパ目的の不良たちが徒党を組んで集結する。犯罪を助長しているのだ。番組制作者の責任を問うべきではあるまいか。「愛は地球を救う」はどこあるのだろう。人気タレントがエントリーする、マラソンのコーナーでは違反がはびこる。なんと競技中に、そのタレントをワゴンに乗せて、根性で走破したと言い張っている。まともに走破したのは「間寛平」ぐらいだ。西村知美が、ワゴンで迂回コースを走ったことは語り草である。視聴率が高いので、スポンサーは喜んでお金を出す。にも関わらず安価な製作費。テレビ局にとって、こんな美味しい番組はないのである。個人の募金だけで億単位のお金が集まる。チャリティーをうたっているが、出演者には高額な「お車代」が払われているらしい。店長は、芸能人ならぬ我が身が恨めしい。

三鷹女子高生殺人事件---リベンジポルノ追起訴に伴うやり直し裁判

このやり直し裁判が結審した。期待していた「追加量刑」は叶わなかった。前回と同じ「懲役22年」である。つまり今回の追起訴「リベンジポルノ」裁判では、前回の「不法侵入」「殺人」に「リベンジポルノ」犯罪が含まれるほどに、限界的な判定がなされているという司法判断であった。店長は妥当な判定である、と思う。思うのであるが何か腑に落ちないのだ。この女子高生の「別れ話」の切り出し方はまずかったと思える。第三者を立てて穏便にする方法があったと思うのだ。時間を戻すこともできないし、生き返らせることもできないし、空しいばかりであるが、彼女は「女優志望」という「自覚が不足」していたと思う。SNSで安易に交際相手を探すべきではなかった。安易に裸像を撮らせるべきではなかったと思う。交際相手のトーマスは、友人たちに、いつも彼女を自慢していたらしい。「別れる」と宣言されて、余程悔しかったのだろう。被害者の画像拡散だけでは気持ちが納まらなかった。自宅に侵入し、逃げ惑う彼女を庭先で追い詰め刺殺してしまった。警察がストーカー行為を「警告」した矢先であったという。女優としての将来も期待され有望株であったらしい。トーマスの母親は事件を予感していた。だから息子にこう言ったという。「あんたは、あの娘とは住む世界が違い過ぎる。あんたは身を引いて、あの子の夢がかなうように祈ってあげなさい」もし、トーマスが母親のアドバイスを聞き入れて、別れに同意していれば、彼に今以上の幸運がやってきただろうに。

人気番組「オーラの泉」終焉---やらせ霊視事件

高視聴率を誇った、テレビ朝日の「オーラの泉」。ところが、宝塚出身の人気女優「檀れい」出演から視聴者の番組離れが進み、ついに2009年放送終了となる。

誰も惜しむ人が居なかったという。救いなのは、「スピリチュアル」ブームは現在でも続いていることだろうか。「檀れい」出演時の課題は「義父を霊視してもらいたい」であった。ところが、事前の打ち合わせ?が不十分で、とんちんかんな霊視になってしまった。そして、霊視はインチキである、と週刊誌がすっぱ抜いたのである。番組のイメージ損傷は図り知れず、視聴率は当然のように低迷を始める。スポンサー離れが進み、番組継続は困難に陥る。おそらく、「仕込み」「やらせ」の問題を持ち出すと、テレビ番組はほとんどが成立しないのではあるまいか。店長は、これら「仕込み」「やらせ」を必要悪だと思っている。ただし、その目的は「社会をより良くする」ためであって欲しい。「犯罪」を助長するような「仕込み」「やらせ」はいけない。

鳩山元総理は宇宙人---妻の幸さんはエイリアン

米国CBSの深夜トーク番組で、本当のエイリアンは鳩山氏ではなく、奥様の方だった。というネタが発表され笑いを取った。

この鳩山元首相の奥さまである幸さんの著書には、「20年前に魂がUFOに乗って金星に行った」との記述があった。そう幸夫人は、大変な経歴をお持ちだったのである。

日本でもとんでも発言を繰り返していた。民主党が短命に終わったのも分かるような気がするのだ。2009年5月テレビ放談でのエイリアン発言「トムクルーズの前世は日本人、私とは縁のあった人」だそうな。さらに「太陽をパクパク食べる」と元気が出るという。幸さんは、何度もジェスチャー付きで「パクパク」太陽を食べる演技を繰り返した。後日この番組の再放送は遠慮してもらいたい、という元首相の要請を受けてお蔵入りしてしまった。無理もない。

韓流ブーム---大がかりな大衆操作

韓流ブームは突然巻き起こった。「冬ソナブーム」を経て今度は「K-pop」が荒れ狂い、「三星電子」に代表される電化製品が押し寄せて来た。現在ではその反動が起きていて、ヘイトスピーチに代表される「嫌韓ブーム」が頭をもたげている。「ねつ造」を繰り返せば反動も過激になる。この「冬ソナ」ブームであるが、シナリオを描いた関係者がいると店長は考えていたのだ。それが最近になってようやく分かってきたのだ。発案したのは「政府筋」ではあるまいか。当時の微妙な日韓関係をどうにか改善したい。それには、まず文化交流の促進が急務であった。そこへシナリオを用意して「電通」が登場する。「電通」は世界規模の広告会社である。マスコミ業界は、いつも「電通」の顔色を窺っているほどである。政治的な世論操作もやってのける。恐るべき情報会社なのである。韓国の俳優、「ヨン様」を「ほほ笑みの貴公子」「韓国で大人気」と持ちあげ、芸能マスコミに地ならしをさせる。日本のテレビ局には、韓国のテレビ局と業務提携させる。少しずつ「ヨン様」の露出を派手にしていく。そうやって「冬のソナタ」の放映開始だ。初来日の演出も忘れなかった。成田空港での「ヨン様歓迎」である。テレビ局の系列会社は、「空港出迎えのファン」をアルバイトを募集して組織した。つまり「仕込み」である。記者団は「電通」に要請された芸能記者たちが多数駆け付ける。意図的に作られた、盛り上がった出迎えの情景が報道される。そうやってブームに火が付けられるのである。

韓流ブームに一石を投じ事務所を解雇---高岡蒼佑の誤算

最近、芸能人や政治家がツイッターを使って私見を述べることが多くなってきた。手軽に情報発信できるし、ファンも喜ぶし、店長も自身のサイトを宣伝することに利用している。ブログよりも便利だし。これが、結構世の中に広まっている。で、この高岡蒼佑だが、所属事務所の最大のクライアントであった「フジテレビ」批判を繰り広げたのであった。もうそれは「自爆テロ」のレベルである。「フジテレビ」は、韓国の半官半民局「MBC」と提携関係にある。そして両社は日韓相互の文化交流に一役も二役も買っていた。両国間には「竹島問題」という政治的な難題を抱えているが、経済的互恵関係は重要なものだ。だから文化交流の促進には、店長も激しく同意している。それに、「少女時代」の個人的ファンでもある。ところが、あまりにも「ずぶずぶな関係」であることに業を煮やした高岡蒼佑は「もうマジで8チャンネルは視ない」とつぶやいた。当然、所属事務所には「フジテレビ」から苦情がくる。結局、彼は事務所との契約を解除され、妻である女優の「宮崎あおい」と離婚するはめになった。代償が大き過ぎたといえよう。衛星放送では、やたらに韓流ドラマが放映される。その美男美女の多いこと。店長は呆れるばかりだ。

芸能人のストーカー被害---よくぞ無事で済んだ

1993年三浦(山口)百恵---税務署員を装った男が乱入した。玄関で百恵ともみ合いになり、彼女は室内に避難して通報。男は窓ガラスを破って侵入した。さぞや怖かっただろうと思える。男は登山ナイフを手にしていた。パトカーが急行すると、その男は自分の手首を深く切り、瀕死の状態で逮捕された。

1995年安達祐実---日本テレビの制作センターで、本人宛の封筒が届いた。事務所関係者が開けると、手製の爆発物が入れてあり破裂した。その封筒を開けた人は、右手親指と左手の人差し指を損傷したのであった。

1996年松任谷由美---数年間に渡り意味不明の手紙が届いていた。さらに、自宅周辺をうろつく男があり、不法侵入してきた。その際に、飼い犬2匹が襲われ重傷を負った。

逮捕された男は、自称松任谷正隆(彼女の夫)の弟子を名乗っていた。

2000年奥菜恵---深夜、自宅近くの路上で襲われ、全治5日間の打撲傷を負った。

まったく芸能人にいったい何の恨みがあったというのだろう。

こんな卑怯なことはやめてもらいたいものである。三浦百恵さんに、怪我などなくて本当に良かったと思う

凋落アイドルの再就職---最後にはAV出演

高齢者の再雇用には、厳しい現実が待ちうけている。そして受け皿になっているのが「交通誘導の警備員」である。雨の日でも路上に立っている。暴走するクルマに、はねられるリスクを負う。同様に、アイドルタレントの落ち着く先はAVである。警備員と違って高給が支払われる。知名度があるので話題にもなり、売上も見込める。だが、「堕ちていく」印象は免れない。下流に向かって流されているようである。2010年夏、「国民的アイドルやまぐちりこラブラブ同棲日記」というAVが発売された。人気をよんで8万本以上を売り上げたのであった。このAVは、AKB48関係者に衝撃を与えたのである。起用された女優「やまぐちりこ」は、元AKB48の「中西里菜」だったからである。プロフィールは改ざんされていた。個人的な事情というものがある。だから店長は、非難も揶揄もするつもりはない。また、がっかりもしない。今後の活躍を願うばかりである。力強く生きていって幸せをつかんで欲しい。

紅白で復活、フルコーラス---絶賛された「封印歌謡曲」

かつて「美輪明宏」が、まだ「丸山明宏」を名乗っていた頃、一人の知人が語ってくれたエピソードから名曲が生まれた。丸山は一気に曲を書き上げる。1965年、キングレコードから発売されたその曲は、当時大ヒットを記録する。その曲こそ「ヨイトマケの唄」であった。だが、「差別を助長する」という理由から「放送禁止曲入り」してしまう。この「ヨイトマケ」とは建築工事現場で「地ならし」をする日雇い労働者のことである。主におばさんたちが従事していた。これが「差別語にあたる」として各放送局で「自主規制」された。現在では、例えば「看護婦」を差別用語だと強弁するようなものだが、そんな時代背景の犠牲になったとも云えるだろう。では歌詞を思い出そう。これである。

♭父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためならエンヤコラ もひとつおまけに エンヤコラ♭

幸運にも、この曲の封印は解かれて、2012年NHK紅白歌合戦でフルコーラスが披露された。そこで絶賛されたのである。「美輪明宏」国立音大付属高校を中退し、17歳にしてデビューした。天性の美貌と独自のファッションで注目された。また、生前の三島由紀夫と親交があったことは有名である。

誰も止めなかった?---犯人似顔絵と激似

この事件を報じた女子アナはさぞや驚いたことだろう。犯人の似顔絵が、報道する中野美奈子アナにそっくりなのであった。この事件は2003年3月に名古屋で多発した。自転車で背後から襲うという凶悪な犯行であった。最初に通行人の22歳の女性が殺害されてしまった。さらにもう一人の女性が重傷を負った。目撃者の証言から描かれた似顔絵が公開された。そして事件報道となった。その事件性にだれもが驚いた。目撃された犯人は女性であったからである。被害者も女性だ。さらに、その犯人とされる容疑者が、中野美奈子アナに激似であった。フジテレビに、「犯人の名前を知っている。今テレビに出ている」という「悪戯電話?」が多数寄せられたのであった。いやはや、お気の毒でした。中野美奈子さん。罪を憎んで人を憎まず。犯人を憎んでも、女子アナを憎んではいけない。

とんだとばっちり---狩野英孝のツキのなさ

狩野英孝の初の冠番組は、「熱血アイドル・アカデミー”アキパラ嬢”」であった。エッチ系深夜番組であったが、視聴率は上々のスタートであった。バラエテイ・ユニットを結成し、デビューを目指すという意欲的な構成で、狩野英孝がプロデュースした。ところが、出演タレントの一人が他人のカードを盗み、それを美容外科で使っていたことで緊急逮捕されてしまった。狩野英孝には気の毒であるが、放送は中止となってしまった。店長は、出演タレントの品格を疑うのであるが、番組編成もその程度のレベルだったとしか云えないと思う。出演ギャラが相当安いのであろう。デビューしたとしてもすぐに消えていただろうと思う。この番組にスポンサーがいたのだろうか。不思議である。

どこまで拡がるのか---清原覚醒剤逮捕事件

芸能人の中には、さぞや不安の人もいるだろう。入手ルートから芋ツル式に逮捕者が出るかもしれないのである。店長が思うに、清原は格闘家に転身しておくべきであった。そうすれば、寂しさなど吹き飛んだであろうに。「悪役レスラー」など彼にピッタリだと思うのだ。だが、今逮捕されて良かったと思う。傷害事件でも起こされた日には、もう取返しがつかないからである。

年末には「曙対清原世紀の一戦」を期待したい。人気が出るだろうな。うん、楽しみだ。

死刑を超える刑罰?---田嶋陽子女史の珍回答

関西の名物討論番組が「たかじんのそこまで言って委員会」である。店長は、司会の「やしきたかじん」が死去するまでは毎週見ていた。そして、レギュラー回答者が陣取るひな壇2階席には、番組の編成上必要なのか、他の回答者と言論衝突する田嶋陽子先生がいた。その時のテーマは「集団強姦に対する刑罰」であった。現行の刑法では、量刑が軽すぎるという意見は大勢を占めた。そして、効果的な「抑止力」の提案がなされた。田嶋先生の回答が「私に強姦されてみる」であった。最強の回答だ。と店長は唸った。もしかすると凶悪事件の抑止力にもなりうる---わけがないか。田嶋先生は、政治評論家の三宅さんとひな壇上で口喧嘩になり収録中に怒って帰ってしまったこともある。怖いだろうな、女史があの迫力で迫ってきたら。

自分たちは「特権階級」---とでも?---「中村七之助」のタクシー騒動顛末

中村七之助は、歌舞伎の「中村勘三郎」の息子である。彼は、タクシー降車時に「料金がおかしい、高すぎる」と難癖を付け、運転手に殴る蹴るの暴行を働いた。事件報道では、いかにも武勇伝的な、凶悪そうな印象を醸し出していたが、真相は違ったようである。実際には酔って帰宅するときに、女性を送り届けて遠回りをしたために、いつもより走行距離が長くなって、料金もそれなりに高くなる道理であったが、酔っていてそれを判断できなかったらしい。武勇伝というより、どちらかと云えばおバカ事件なのだ。誰が云い始めたのかこの歌舞伎界を「梨園」という。「こっちは血筋が明確だから、どこの馬の骨だか訳の分からない芸能人とは違う」とでも思っているのだろうか。店長には、全員同じ芸能人に見える。歌舞伎に携わる方たちも、売れていない舞台俳優も同じに見えてしまう。海老蔵に捨てられた女性(多くはタレント)を「エビージョ」と云うらしいが、エリを正してもらいたいものである。

異性運のなさ---CM女王ベッキーの悲劇

ベッキーが好きになった彼氏は、新婚5ヶ月であった。彼女のイメージダウンは避けられず、番組はすべて降板。また10社と云われているCMはすべて中止になってしまう。

さらに、不倫相手の新妻に離婚の意志は無いようである。どちらが悪いのだろうか。妻がいるなんて知らなかったそうである。最悪の場合に、ベッキーにはCM違約金8億円の支払い義務が発生するそうだ。彼の方の離婚が成立したとしても、今度は略奪したという悪いイメージとなる。どちらにせよ、タレント・ベッキーにはマイナスでかつ不利である。今回の騒動では、彼の方が知名度が上がったので、ややプラスだろうか。「他人の持ち物は、良く見える」という。そう云えば、LINEの情報を文春に漏らしたのは誰なのか。店長は、この「バカっぷる」のどちらかではないかと睨んでいる。「ありがとう文春---かえって大っぴらに(浮気が)できて好都合---」という文面から推測すると、ゲス極の彼氏ではないかと思うのだ。ベッキーは、どうなっていくのだろう。8億円の代償とは、ベッキーは「おバカさん」と云えるだろう。彼氏の実家などあわてて行くべきではなかった。彼女が首尾よく略奪愛を叶えたとしても、CMタレントとしてのイメージを大きく損なうことになる。また、結局浮気相手の彼氏が元のさやに納まってしまうと、捨てられた「おバカな女」というマイナスイメージは、彼女から消えることはない。つまりCM女王としてのイメージは傷ついてしまう。ベッキー、「やっちまったな!」---同情する。

今では二児のママ---かつて、「道端ジェシカ」とつかみ合いの喧嘩

騒動が起きたのは2007年7月のこと。この日埼玉アリーナでは「東京ガールズコレクション」開催中であった。出演した「土屋アンナ」がモデル仲間の「道端ジェシカ」と舞台裏で喧嘩を始めた。発端は当時は別格扱いのモデルであった「道端ジェシカ」が「土屋アンナ」に嫌みを言ってのけ、「土屋アンナ」はそのことを真面目に受け取り、ブチ切れし、つかみ合いに発展したものらしい。周囲がなだめて押し留めたのだが、流血騒ぎにならなくて本当に良かったと、開催者は胸をなでおろしたという。いつの時代も「女の闘い」は怖いものである。「土屋アンナ」は正直すぎる性格で、一見さばけているように見えるが、そうでもないらしい。彼女は他に番組収録中にディレクターに殴りかかったこともあるそうな。彼女にはしたくない、と店長は胸をなでおろす。

テレビの大食い選手権---子供が真似て事故死

全国大食い選手権は2002年1月に行われた。結構人気のある番組である。その大食いを給食時間に真似てしまった。死亡したのは、愛知県の中学生であった。給食のパンを使って早食い大会を敢行したのであった。事件は同情を以て報じられたものだ。近頃では「決して、まねをしないでください」というテロップが流されている。子供はおふざけが好きなものである。その中学では、担任の先生は給食時間中は席に居なかったのだろうか。残念な事故である。その後、この「TVチャンピオン」が打ち切りになったのだが、無理もなかった。

直接の関連が無くても、放送中止が相次いだ---驚愕の「サカキバラ」事件余波

犯行を重ねたA少年は、どうやら名前を変えて社会復帰したようだ。あの「神戸事件」では、少年が逮捕されて以後、犯罪をテーマにした番組の放送中止が相次いだ。すでに世間では忘れてしまっている。少年の心の闇は明らかにされなかった。少年は、あまりにも普通の生育環境で成長していたからでもある。もう二度とこの世に現われてほしくはない。解明できない犯罪もある、それは理解できるのであるが、腑に落ちない。余波を受けて中止になった番組が、やたら多いのだ。もちろん、その理由もはっきりとしていない。列記してみると、「桜の森の満開の下」「一色京太郎事件ノート」「エコエコアザラク」「女神の天秤一家五人惨殺」これらの番組には共通点があった。それこそ「生首」である。事件を連想させるに十分なのであった。他にもある。迷惑な1997年の「神戸事件」であった。

差別を認識しない日本人---抗議されて轟沈

イーモバイルCM制作陣の自覚の無さ。2008年であった。オバマ大統領ブームに単純に乗ったのだが、その無自覚な表現に対して、いったい誰からも否定的意見は出なかったのか。壇上でオバマ大統領らしき「猿」が演説している。その後ろで大勢の観客が「CHNEGE!」のプラカードを掲げている。このCMに「黒人は猿なのか!」と、在日米国人からクレームが付いたのであった。この「人種差別」的な同様のCMは過去に何度も制作され、その都度問題化している。この人種問題には、どうも日本人には理解できないらしい。日本社会には「差別」は無いとほとんどの人が思っている。何故だろうか。日本人には「区別」があり、それを「差別」だとは認識していないからである。「外国人」「ガイジン」という表現がそうである。これを「差別語」だとは誰も思わない。内地という云い方がある。その意味では「沖縄」も同様に「区別」されている。沖縄も「内地」ではないと認識されてきた。「米軍基地」を押し付けて平気でいられるのは、日本人が沖縄を「区別」しているからに違いない。そう店長は考えている。

ヤラセ&出演者自殺---やむなく番組は終了

人気番組「愛する二人別れる二人」1999年である。愛情をこじらせたカップルが登場。バトルがスタジオで展開し、番組ゲストが「解決策」を適当に思いついてカップルにアドバイスする。なんとも俗悪な、おせっかい極まりない番組であったのだが、人気があった。視聴者の頭の程度、いや人間レベルも知れる。店長も自分自身「俗悪」なのか毎週視ていた。「世の中は広い、おバカがいるものだ」と、おバカップルには毎週感心していたのだが、シナリオ通りの演技を強要されていた出演者が自殺して騒ぎになった。その件で、番組が「やらせ」であったことも判明する。当然、番組スポンサー側では大激怒した。そして番組批判が集中して、途中終了となってしまった。だが、と店長は思う。「俗悪」には「俗悪」の使命があると。昨今、スポンサーの顔色を窺うあまり、「番組」がつまらなくなる傾向にある。「自主規制」も結構であるが、再考してもらいたいものである。

テレビカメラの前で刺殺---オウム村井幹部の不覚

オウム真理教幹部「村井秀夫」が東京南青山の教団本部前(当時)で右翼団体員の徐裕行に刺殺され、その様子が、全国放送されたのであった。オウムは、数々の凶悪事件を起こし、教団本部は連日報道陣が詰めかけていた。1995年4月23日午後8時36分である。動機が不可解であり、さまざまな憶測を呼んだ。オウム真理教は、北朝鮮やロシアにコネクションを持ち、急激な教団武装化を進めていた。村井幹部の殺害指示は教団から出されたとも云われた。しかし、その犯行が究明されることはなかった。一連の事件の全貌がハッキリされることなく、世間は忘れようとしている。死刑囚の教団代表であった「麻原彰晃」は、今では「拘禁反応」が顕著で、半ば頭がいかれているらしい。

人生を賭けた告白も芸能マスコミから無視---北公次の無念

昭和を代表した人気アイドルグループであった「フォーリーブス」のメンバー北公次。北は、ジャニーズ事務所最大のタブーに対して自爆テロを敢行したのだ。そしてこれは、1988年の芸能界を揺るがす一大事件に発展---するはずであった。ところが、その中味が予想できたとはいえ、酷過ぎたのであった。ジャニー喜多川の美少年レイプである。北公次はデビュー以来この喜多川の”愛人”であったという。被害にあったのは、ほとんどの美少年たち。深夜、彼らのベッドに喜多川が潜り込み、臀部にローションを塗られ無理やり相手をさせられたという。当然であるが、この告発は芸能マスコミから無視された。取り上げられることはなかったのである。北公次の自爆テロは不発であった。反対に彼の薬物中毒が大きく報じられたのであった。さぞや無念であったことだろう。芸能事務所には、引退後であっても逆らえない。

名曲は、時代や宗派を選ばない---ジョン・レノン「イマジン」の軌跡

この名曲はキリスト教批判曲とされ、米国内でレコード焼き討ち事件が起きた。1966年3月4日の事である。ジョン・レノンは、「ビートルズはキリストよりも有名なのだ」と発言し騒動になった。この発言に米国の保守層が猛反発した。発言の真意は「西洋におけるキリスト教の衰退を嘆いたもの」であったらしい。また当時から「イスラム教」が勢力を伸ばしていたのも事実ではある。この「イマジン」であるが、店長には美しいメロディーがいつでもよみがえる。「想像してごらん---」から始まるこの歌詞はすごいのである。日本人でこれを理解している人がどれだけいたろうか。店長は疑問に思っている。曲の頭で、彼は天国の存在を否定する。さらに、殺すことはない、死ぬこともないし、宗教もない---と続く。2012年ロンドン・オリンピック閉会式で「イマジン」が演奏された。この曲が採用されたのは、「スポーツの祭典には、勝者も敗者もない。紛争などはない、お互いを称えあう友情だけがある」というメッセージを世界に発信したかったのだろう。その英国では、葬式にこの「イマジン」を演奏することは禁じられている。「天国」を否定しているからである。しかしそれは、「音楽があればこの世を天国に変えることもできるんだ」という、ジョン・レノンの崇高なメッセージではないかと、店長は解釈している。

アナウンサーが痴漢容疑で逮捕---テレビ新広島、人気番組打ち切り

その人気番組「広島もてなしキング」は2000年9月に打ち切られた。人気番組であったが、司会を担当していたアナウンサーが痴漢容疑で逮捕されてしまった。冤罪かどうかは分からないが、その男子アナが担当したバラエティー番組はすべて中止となった。だが、彼が女子高生を痴漢したと云われたのは、東京の「京王井の頭線」である。テレビ司会は広島までの出張だったのだろうか。それとも痴漢するために、わざわざ広島から上京していたのか。謎は尽きない、不思議である。「京王井の頭線」は、大変混雑する。若い女性も多いので、痴漢行為には適している--訳ではないか。店長は都内で営業していたが、この電車にもよく乗ったものだ。いやあ懐かしい。彼は、無罪ではないのだろうか。冤罪のような気がする。

「みのもんたの朝ズバ!」でスポンサーの商品を買うな発言---みのもんたの失

店長は、毎朝出勤前にこれをよく見ていた。みのもんたは、番組が「ビオフェルミン」の提供にも関わらず、「ビオフェルミン」を飲むぐらいならビールの方がよほどいい」とやってしまった。当然だが「ビオフェルミン」は激怒した。そして、スポンサー契約を打ち切ってしまった。番組では後日謝罪し、ホームページにも謝罪文を掲載したのである。だが、「ビオフェルミン」は二度と戻ってくることはなかった。その後、みのもんたの息子の不祥事で、みのもんたは降板とあいなった。本人が経営している水道メーターの製造会社は、利益を出しているのだろうか。気になるところだ。

所属事務所の実態を暴露---「真鍋かおり」の勇気

「真鍋かおり」が、事務所相手に「契約解除」の訴訟を起こしたのは、2009年である。その年、真鍋の所属事務所「アヴィラ」は脱税事件を起こしていた。

所属事務所側は、「真鍋かおり」が仕事に穴を空けたとして逆訴訟し、両者の法廷闘争は泥沼化した。

この裁判では、真鍋側の準備書面の内容が、部外者の想像もできない壮絶なものであり、報道されるや否や世間が大騒ぎになった。それは、所属事務所の「枕営業」の実態にも触れられていた。さらに妊娠中絶の強要、元マネージャーによる真鍋私物の盗難事件などが明らかにされた。事態は、真鍋と所属事務所を超えて、広くタレントと芸能事務所間の闇を白日の下にさらすこととなったのである。この裁判は2011年に和解が成立した。その後、「真鍋かおり」は、別の事務所に移籍している。店長は映画「ウオーターボーイズ」を見て、「真鍋かおり」のファンになっていた。当時の彼女は、スタイル抜群であった。この裁判では「痛み分け」といったところだろうか。だが、彼女のイメージダウンは避けられなかったと思う。

海外からCMにクレーム---日本人には理解不能だったが---放送中止

当時SONYは、世界を代表する音響機器メーカーであった。だが現在その往年の面影はない。SONYの収益の柱は、いまや生命・自動車保険である。時代は変わってしまったのだろう。かつては、CDやラジカセ、そしてテレビなど、投入する新製品は、軒並みヒットしていた。ところが、現在では「バイオ」ブランドのパソコン事業も手放してしまった。その昔、SONYの子会社に「アイワ」というCDラジカセのメーカーがあり、店長も使っていた。デザインが良くて気に入っていたのを懐かしく思い出す。で、そのSONYであるが、1988年に「ドデカCDホーン」を売り出した時のこと。国内では斬新な映像として評価されたCMであったが、なんと、タイ政府に噛みつかれてしまった。大きい寝釈迦像や像が音楽に合わせて踊るシーンがあった。「神聖なこれらを商用利用するとは何事か!」と云われてしまう。タイやマレーシアでもSONYの看板は目立っていたらしい。そしてすぐにこのCMは放送中止になったのであった。この、宗教が基礎にある問題については、日本人には理解しにくい。何しろ、正月に神社へ行く人たちが、12月にはイエス・キリストを祝うのだ。また、お盆には墓参りに行く。外国人に、日本人は無宗教かあるいは無頓着であると思われている。寝釈迦像を見に行く人は「信仰」のためではない、むしろ「観光」である。まあ、だからこそ、このCMの放映もあっさり中止にできたのであるが。

知的障害者を取り上げ、番組はお蔵入り---野島伸司の不運

再放送されたら、店長が一番観たい番組である。1998年1月9日から3月27日までTBS系で放送された問題作だ。その番組を「聖者の行進」という。今思えば登場人物もすごいのだ。「いしだ壱成」「酒井法子」「広末涼子」である。すごいメンバーが集結している。だが、これは、二度と観ることができない。なにしろ、知的障害者を扱ったドラマである。再放送は不可能と云われ実際そうなっている。しかも、「酒井法子」がダメを押している。ドラマでは雛形あきこがコスプレしている。しかも、これがナースである。さらに、その雛形ナースが強姦されるのだ。出演者の名演技が光り、それが番組批判に拍車をかけてしまった。残念である。レイプシーンをもう一度観たい店長である。

マジ怖い---スピッツのボーカルを追い詰めた性悪ストーカー

ストーカー被害に遭う芸能人は少なからずいる。日本では殺害された例はないようだが、外国では起きている。で、この被害者は、人気グループ「スピッツ」の「草野マサムネ」であった。下半身露出のオナニー画像、エロ満載メッセージを幾度となく送り付けて来た。それは当時35歳のイカれた女、ファンの一人だった。さらに「草野マサムネ」の自宅住所まで突き止め、使用済みの生理用品を送り付けている。ネット上では、「草野マサムネの彼女」を詐称した。また、女は「草野に対し婚約不履行」で訴えようと警察に相談もしていたのであった。まったく迷惑なファンである。おかげで草野は体調を崩し、ツアーコンサートも中止の事態になったのである。身辺警護、防犯対策は十分行いたいものである。

同情誘った釈明会見---酒井法子の演技力

結婚が人生を狂わせた「のりピー」であった。ダンナは、自称プロサーファー。だが、あくまで自分で勝手に名乗っていただけで、実体はただの遊び人にして薬物中毒だったダメ男である。その妻であったのが「のりぴー」。この結婚には、事務所の社長も猛反対であったという。薬物事件で逮捕され、彼女の出生の背景まで暴露された。暴力団の組長を父親に持ち、実の母には捨てられていた。さらに、その父親は、謎の自動車事故で死んでいる。「のりピー」は中国でも大人気であったが、まるで絵に描いたような人生の転落ぶりではある。結婚運が悪すぎたのだろうか。結婚相手に、亡き父の面影を感じ取っていたのだろうか。そしてその会見であるが、さも自責の念に苛まれているかのようであった。悪いのはダメ亭主であるかのような印象さえ世間に与えたが、後になって彼女は、見えないように、謝罪のカンペを読んでいたことがバレてしまったのである。なんという演技力だったろう。店長は驚愕したものだ。しかし残念である。その演技力は、ただのアイドル出身ではない奥深さがあった。たぶん、篠原涼子を凌いでいるだろうと店長は思っている。だが、もう復帰は無理だろう。

衛星放送で再放送された「幼な妻」---暗い世相を反映

封切りされたのは1970年である。昭和だ。暗く感じるのは何故だろうか。主演は「関根恵子」である。現在は映画監督の奥様で芸名は「高橋恵子」だ。ときおりCMなどに登場する。

このころ流行した言葉がこの「幼な妻」であった。「関根恵子」といえば、幾度となく脱いでくれた女優であった。当時はまだ10代。水みずしいヌードである。店長はビデオを借りたことがなかったのである。さっそく録画したのはいうまでもない。だがスクリーン全体を覆う「昏さ加減」は何であろうか。この10代前半で結婚するという設定は、当時は多分に反社会性を含んでいたからに他ならないのである。なかなか結婚しない風潮の現代からみれば隔世の感がある。

いじめ自殺を流行らせた---野島伸司の罪

最初のトラブルは1994年である。TBSで放送されたドラマ「人間失格」であったが、もちろん「太宰治」の同名小説とは中味が違う。だが、「太宰治」の遺族からクレームが付いた。それで野島伸司はタイトルを修正している。新タイトルは「人間・失格」であった。さらにサブタイトルまで用意している。このように変更された。「人間・失格~たとえば僕が死んだら~」であった。

この野島伸司の「人間・失格」であるが、当時の世相を余すところなく盛り込み、一大センセーションを巻き起こした。彼が規定した”人間・失格者”とは、弱い者いじめをする集団をさしているものと思われる。そして自殺をほのめかす”たとえば”と発するのがいじめ犠牲者である。内容は、圧巻である。「いじめ」「教師の体罰」「同性愛」さらに「いじめられての自殺」である。当然だが、視聴者から苦情・批判が殺到したのであった。そして、主人公の中学生が自殺する展開に。ところが、放送終了後の1994年11月に実際の事件が起きたのだ。「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」である。この事件後、マスコミ報道も過熱していった。

そして”自殺ブーム”は1995年の春ごろまで続いてしまった。脚本家としては冥利につきるだろう。社会現象まで演出したのだから。