毒薬犯罪は、昔から存在している。

それら歴史の中に埋没した恐るべき毒薬犯罪に焦点をあて、

どのように身を守るかを考えていきたい。

また、社会不安との関係性について考察してみます。

再審請求中に死亡---冤罪が語り継がれる「名張毒ぶどう酒事件」の深い闇

この大量毒殺事件は1961年(昭和36年)3月28日に発生した。場所は当時名張市に編入されたばかりの葛尾である。当時わずか17戸が点在するだけの山あいの集落だ。この日、丘の上の公民館で全戸の男女が参加して生活改善クラブ「三奈の会」が開催された。そして女性用に用意されたのが”毒入りぶどう酒”である。猛毒「テップ」といわれる有機リン系の農薬が混入されていた。男性参加者に日本酒が配られ、女性たちはぶどう酒で乾杯した。その結果、女性たちは嘔吐し、次々に倒れたのであった。女性5人が死亡する。さらに12人が搬送され、2人が重症となり1ヶ月もの長きにわたり入院を余儀なくされた。当時、ぶどう酒を運び込んだ男性たちが事情聴取された。容疑者として逮捕されたのが、「三奈の会」の会長であった「奥西勝(当時34歳)」である。警察は、参加者の女性に奥西の妻と愛人とされる女性がいたことに注目する。つまり、三角関係の清算であったのではないか、と考えたのだ。そして、奥西勝が犯行を自供したことでこの件は落着したかに思われた。1964年12月、1審の津地裁において無罪判決が言い渡された。証拠不十分であった。このとき、ぶどう酒の蓋に歯形が残っていたが、検察は、この歯形が奥西勝のものと主張していた。ところが後にこの物証は偽造されたものと判明している。続いて行われた第2審で「死刑」の逆転判決が下された。さらに1972年、最高裁は上告を棄却し、「奥西勝」の死刑が確定してしまった。彼は諦めなかった。自供は強要されたもので自分は無罪であると主張した。名古屋高裁は再審を決定するが検察は異議を唱える。この事件の背景には、性的関係にもオープンであったこの村落の特異な事情を考慮する必要がある。不倫など日常茶飯事であった。農薬を混入したのは奥西勝の妻だったのではあるまいか。奥西は妻を庇って自供したと考えられないだろうか。「毒ぶどう酒事件」発生当初から、”心中説”が囁かれていたらしい。奥西勝は、2015年10月4日かねて患っていた肺炎が悪化、八王子医療刑務所において死亡した。享年89歳であった。この事件は、テレビドラマや映画にもなった。そのほとんどが「冤罪」という視点で描かれていた。真犯人が、もし妻であったとすれば、すべての謎が氷解する。農薬が致死量を超えて混入されたのも、知識不足で大量殺人に繋がるとまで思っていなかったのではないだろうか。ましてや自分が死ぬとまでは。少しぐらい苦しませてやれば浮気も治まるだろうぐらいの動機だったのではないか。では、この1961年を俯瞰しておく。東京五輪を3年後に控えて、高速道路などが整備され日本の経済が拡大していた。翌年には求人難で就職学生の「青田刈り」が行われていた。また、宇都宮市で子供が犠牲になった毒入りジュース事件が翌年起きている。

イジメには報復を!---「愛媛・女子中学生給食農薬投入事件」の居心地の悪さ

世間が驚いたのは、中学生が給食に農薬を入れたことではなかった。その中学校の事件後の対応である。学校は、給食の食器をすべて新品と取り換えたのだ。そしてその作業のために、生徒に弁当を持参させた。事件は、1987年(昭和62年)5月26日に発生した。給食を食べた同級生と教師たち43人が入院している。さらに1名は重症に陥った。校長は、テレビ報道の取材を受けて「本校にイジメは存在しません」と全否定していた。外部からの侵入がなかったので、当初から内部の犯行が噂された。この事件から今日まで「本校には---イジメはない」と強弁する教師や校長の姿をよく見るようになる。この姿を一般に「事なかれ主義」という。正しい発言は「この件に関しては、調査中ですので、本校にイジメがあるかどうか、まだ分かっていません---」ではあるまいか。この「事なかれ主義」は、おそらく教育現場において、校長の権限が恐ろしく低いことが一因である、と店長は思うのだ。事件を振り返ってみる。イジメられていた中三の少女は、スポーツ万能で勉強もできた。男子生徒にも人気があったという。つまり、イジメは彼女への嫉妬が原因である。初めは1部の級友だけであったが、やがて学年中に広がってしまう。校長は「イジメは無い」と強弁していたが、それは違う。見て見ぬふりをしていただけである。少女の家は農家であった。家に帰れば除草剤がゴロゴロしていた。「---あれを給食の味噌汁にこっそりいれてみよう、少しぐらいお腹が痛くなるだろう---いい気味だ---」そう考えた少女は、みんなを困らせてやれ、と軽い気持ちで実行に移したのである。それにしても、一体いつごろから、我々日本人は、こんなにも過剰反応するようになったのだろうか。店長は、報復したくなるほどに精神的に追い詰めてしまった級友たちに非があったと考える。この、中三少女には同情したいと思うのだ。この除草剤混入事件では幸運にも死者が出なかった。だが、最悪の結果を招いてしまったイジメ事件を我々は知ることになる---(この項は「血も凍る女の重大事件簿<その3>」とコンテンツを共有しています)

遺体無き連続殺人の震撼---「埼玉愛犬家連続殺人事件」

周辺から次々と人がいなくなる---現代の「神隠し」が起きたのは、埼玉県熊谷市のペットショップ「アフリカケンネル」であった。この店を経営していた夫婦は、殺人、死体損壊、遺棄などの罪で死刑を宣告されている。1993年(平成5年)4月から8月までに4人の人間が姿を消した。立件、起訴されたのは証拠が明白な4人だけであるが、さらに複数の犠牲者がいるらしい。経営者の「関根元(事件当時53歳)」は有能なブリーダーであった。また、彼こそ「シベリアンハスキー」ブームの仕掛け人でもある。だが経営が順調だったのは最初だけ、いつの間にか採算が取れずに足掻く様になる。関根は、詐欺的な商法でピンチを切り抜けようとしていた。「アフリカケンネル」の常連客の一人で会社役員の「川崎明男さん(当時39歳)」に、アフリカ産の犬を1,100万円で売ることに成功する。「子犬が産まれたら高値で引き取る」と関根が約束したからである。しかし売ったその犬の相場はわずか10数万円である。しかもこの犬は高齢過ぎて繁殖には適していなかった。その事実を知った「川崎明男さん」は、キャンセルを申し出る。そして何度も代金の返却を迫った。関根は、のらりくらりと言い逃れていたが、川崎さんは「お金を返さなければ警察に行く」と脅すようになる。関根は妻と謀議する。「---もう逃れられない、どうしようか」夫婦が出した究極の結論--殺して遺体を消してしまう--であった。関根は、1993年4月20日に「お金を返す」と云って「川崎明男」さんを呼び出した。そして、猛毒「硝酸ストリキニーネ」入りカプセルを栄養剤と偽って飲ませるのだ。この犯罪は、連続殺人事件の発端になる。川崎さんの親族が、失踪には関根が関与していることを知る。そして夫婦に詰め寄る。両者で話し合いの場を設けることになった。関根は仲介役として暴力団幹部「遠藤安亘(当時51歳)」を同席させた。そして彼が二人目の犠牲者になる。川崎さん殺害を遠藤は知った。遠藤は関根夫妻を脅すようになる。関根は脅迫されるままに金銭を渡していたが、川崎さんの遺体は完全に処理しており、発見されなかった。それで、この遠藤安亘と部下の運転手「和久井奨(当時21歳)」を同じ手口で毒殺する。遺体は、同じように肉片と骨を完全に分けてバレないように投棄した。もう関根夫妻に毒殺の歯止めはかからなかった。さらにペットショップの経営が悪化する。遠藤の強請りや犬舎建設費用が追い打ちをかけ、のっぴきならぬ状況を招いていた。関根は、「アフリカケンネル」の従業員の母親と不倫関係にあった。そしてこの母親に次のターゲットを絞る。投資話を持ちかけ、数百万円を騙し取る。そして発覚を恐れた関根は、この母親を毒殺するのだ。やがて遺体の解体、遺棄を手伝わされた「アフリカケンネル」の従業員と関根夫妻は殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。厳しい取り調べで従業員は全面自供する。遺棄された骨は、DNA鑑定さえできないほどに高熱で焼却されていた。だが、犠牲者たちの遺留品から殺人が立件された。2009年(平成21年)に、最高裁は上告を棄却し、関根夫妻の死刑が確定した。

バレンタイン無差別大量殺人計画---「八重洲地下街青酸入りチョコレート事件」の恐怖

事件は昭和52年2月14日に起きている。この当時には、現在と違い、「義理チョコ」「職場チョコ」は行なわれていなかった。チョコは思いを寄せる男性に対して女性がその愛を伝える手段であった。この習慣は日本発祥である。欧米には恋人に「チョコレート」を贈る習慣はない。東京都大田区の「メリーチョコレート」の社長が海外視察中に、欧米では”バレンタインデー”といって恋人たちが贈り物を交換する習慣があることを知ったのである。その贈り物には、チョコレートも入っていた。「メリーチョコレート」では、さっそく翌年のバレンタインデーに売り出した。8個ほど売れたと云う。店長の記憶が定かではないが、昭和32年頃の話である。だが、歴史を考察していくと、恐るべきことを知るのだ。「バレンタイン」は、ローマ時代の神父の名前である。ローマでは、兵士の結婚は禁じられていた。それは戦乱が続いて戦死する兵士が多く、未亡人を出さないという政策である。それでも国禁を冒して結婚したがる兵士はいたのだ。バレンタイン神父は、心を痛めていた。気の毒に思い内緒で結婚の契りを行った。それがローマに伝わってしまう。彼はその咎のため処刑される。その後、ローマの恋人たちの間で「バレンタイン神父」を追悼するために「聖バレンタイン」としてプレゼントを贈りあったのである。だからチョコレートを贈るという習慣は邪道であると店長は考えている。もっとも小学生時代から縁がなかった店長のひがみでもあるけれど。前置きが長くなってしまったが事件を振り返ろう。昭和52年2月14日、デザイン会社の社長が八重洲地下街でラッピングされたチョコレートと思しき落とし物を見つけた。どうせ空き箱だろうと社長は蹴り飛ばした。すると破れて中身が見えた。グリコチョコレートである。そのままにして行き過ぎようとして、「青酸コーラ事件」を思い出した。胸騒ぎを覚えた社長は引き返すとそれを拾い上げ、築地警察署に届け出た。グリコ「セミスイート」40箱が入っていた。警察では10日間保管したが落とし主が現れないので、グリコ東京支店にそのチョコレートを返却した。グリコでは念のために大阪にあるグリコ中央研究所で中味を調査した。すると恐るべきことに、青酸ナトリウムが検出されたのである。グリコ社は驚いてすぐに通報、警視庁科学検査所でさらに詳しく調べた。各箱10粒の内1粒のチョコレートに致死量を上回る0.2gの青酸ナトリウムが含まれていたのだ。さらに中箱の裏には「おごれる日本人に天誅をくだす」とカタカナで書かれていた。

東大で起こった毒殺---「東大タリウム毒殺事件」の顛末

騒ぎがあったのは、東京大学動物実験施設である。ここに勤務する二人の技官は、日ごろから仲が悪かった。毎日のように意見が衝突していた。お互いが目障りで仕方がなかったという。1991年(平成3年)2月に東大医学部付属動物実験施設で発覚したのが「タリウム毒殺事件」である。この年4月には、東海大学医学部で、家族に「楽にしてやって下さい」と安楽死を頼まれて入院患者を死亡させる事件が起きている。また、「沖縄トリカブト事件」で夫が妻の殺人容疑で7月に逮捕されている。東大に勤務する二人の技官は犬猿の仲であった。加害者の中村良一技官は酢酸タリウムの管理を任されていた。施設では抗菌剤として使っている。「これを飲ませてあの野郎を苦しめてやろう---」彼は計画を練った。タリウムは服用しても即死することはない。だが、重い中毒を起こす重金属である。事実、殺害された内田賢治さんは、手足のしびれを訴えて入院。翌年2月腎不全を発症し死亡した。捜査には時間がかかった。内田さんは、死の間際「同僚に毒を飲まされた---」と言いながら息をひきとっていた。不審に思った家族は警察に通報、司法解剖が行われた。そして体内から酢酸タリウムが検出される。2000年6月8日最高裁で刑が確定、懲役11年が下された。

第一通報者故の嫌疑をかけられた「河野義行」さんの悲劇---「松本サリン事件」

犠牲者の一人は「河野義行」さんの妻澄子さんであった。澄子さんはサリンを大量に浴びたために14年間意識が戻らなかった。その物言わぬ妻の看病を続けていたが、とうとう2008年8月5日、妻は意識が戻らぬまま旅立ってしまった。「河野義行」さんは、事件発覚から9カ月もの間、犯人同然の扱いを受けたのである。疑いが晴れたのは「地下鉄サリン事件」が発生したからである。カルト集団「オウム真理教団」による犯行であった。過去に例がないほどの過激な「報道被害」と云えた。この14年間というもの、怒りや悔しさを感じない日はなかった。澄子さんが亡くなってから、「河野義行」さんは、その苦難の体験について考え続けた。ある日、河野さんを訪ねて来る人があった。10年間刑務所で過ごし刑期を終えた人の名は「藤永幸三」であった。元オウム真理教信者であり「松本サリン事件」で使われた噴霧車を作った人物であった。彼は、謝罪するために河野さんを訪れたのだ。河野さんは、このとき「彼は償いを終えて詫びるために来てくれた。---もう恨みを持たないことにしよう---限りある人生をつまらないものにするのも、豊かな心で生きるのも自分なのだから---」河野さんは藤永が庭木の手入れができることを知る。そして庭木の手入れを彼に任せることにしたのである。藤永は月に1回河野宅にやってくる。庭木の手入れをするためである。死刑を待つ身となった教祖「麻原彰晃」への恨みの感情が消えたとき「河野義行」さんは、澄子さんの死を前向きに受け入れることができたのだ---(この項は「人生・土壇場からの生還!」とコンテンツを共有しています)

小動物では飽きてしまって---母親を毒物投与の実験台にした化学天才少女

静岡県の名門韮山高校1年の女子高生が逮捕されたのは、2005年11月であった。母親に「劇薬タリウム」を飲ませた疑いである。少女は化学の秀才で、薬物研究に異常なほどのめり込み小動物を使って実験までしている。中学卒業時に、将来は「切れた神経細胞を早くつなぐ薬の開発をしたい」と語っている。劇薬を販売した薬剤師は「彼女は化学知識がとても豊富で、信用していた」らしい。「部活で使う」といって購入していた。少女は男の子になりすまし、変調していく母親の体調を毎日観察してブログに書き残していた。殺意などはなかったようだ。純粋に人体実験をしていたらしい。また、事件が発覚する前には自分も微量のタリウムを飲んでいた。少女の読書は「日本列島毒殺事件簿」など毒物に関するものばかりであった。同じく中学時代に、尊敬する人物として「グレアム・ヤング」を上げている。愛読書は、その「毒殺日記」であった。現実に身内を毒殺したのであった。一般に「のめり込む」のは良くない。少女の家庭では、兄は早くから妹の「化学オタク」ぶりに気が付いていたようだが、例の殺人カルト「オウム真理教」のような「大量殺人」が起きてからでは遅すぎる。

占領下で起きた「世紀の冤罪」---謎の「帝銀事件」

池袋からほど近い「帝国銀行椎名町支店」で毒物大量殺人事件が起きた。GHQの占領下にあった1948年(昭和23年)のことだ。午後3時すぎ、閉店後に残っていた支店長代理以下16人のうち12人が毒殺されてしまった。その「強盗」は「東京都消毒班」の腕章をつけて銀行にやってきた。彼は云った「(隣の)長崎1丁目で集団赤痢が発生した。今予防薬を持っている。これをすぐ飲みなさい」行員たちは疑うこともなくその「液体」を飲んだのであった。それは、青酸化合物であった。5分後、行員たちが苦しみだすのをしり目に現金と小切手を奪って犯人は逃走した。捜査は難航したが7カ月後に、容疑者「平沢画伯」を強引に逮捕した。そして「自白」させてしまう。画家は無実を訴え続けて95歳で獄中で死亡した。犯行に及んだ男は知的な瓜実顔の好男子であったという。誰もが東京都衛生課の役人だと信じて疑わなかった。それに彼は「後でGHQのホーネット中尉が消毒班を率いて駆け付けることになっている」と嘘をついている。画伯の名前は「平沢貞通」逮捕当時56歳であった。その年恰好は、目撃情報とよく似ていたらしい。だが、物証のないまま「死刑」が確定する。誰もが「冤罪では?」と疑った。しかも、画伯への、死刑は執行されなかった。冤罪だとすれば世にも気の毒な話である。「平沢」画伯、無実を訴え、95歳でその無念の生涯を閉じた。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」とコンテンツを共有しています)

腎移植詐欺を隠すため患者を薬殺---鬼畜の医師

お金のために詐欺をはたらく。その発覚を怖れて殺害する。こんな輩が人間であるはずはない。平成元年6月20日であった。舞台は浜松医科大学である。同大学付属病院泌尿器科医師は、一人の患者に目を付けた。当時61歳の男性、腎不全患者である。医師は、この患者から金銭を騙し取っていたのである。「腎臓提供者がいる。移植するには多額のお金が必要だ。私から話をするので、口座に資金を振り込んでほしい」医師はそういって詐取した。自分の口座に振り込ませていた。患者は、医師によって筋弛緩剤を投与されて死亡。移植手術はついに行われなかった。患者は疑われることもなく、心不全によって死亡と所見された。当然、司法解剖されるはずもなかった。ところが、2千数百万円の振り込みは怪しいと遺族が疑念をもった。振り込んだ直後に亡くなったこともある。「天網恢恢疎にして漏らさず」という。悪事を天界はちゃんと見ているのである。こうして医師は殺人容疑で逮捕された。浜松医科大学付属病院はじまって以来の不祥事ではあった。

和歌山毒物カレー事件---ワイドショーを独占した林夫妻

林真須美に死刑判決が下されたが、冤罪説もある。彼女の娘による犯行とのうわさが絶えなかった。林真須美には、祭りの鍋にカレーを混入する動機がないようであったからだ。だが林真須美の自宅から「ヒ素」が検出されている。この事件で参加してカレーを食べた住民のうち4人が死亡した。林夫妻の周辺では謎の怪死事件が相次いで起きていた。世間は「保険金殺人」で収入を得ている人が存在することを改めて認識したのであった。ヒ素が見つかった林夫妻の家は、当時観光地と化していたが、現在では公園になっている。1999年5月14日の日刊スポーツによると、真須美被告は接見に来た弁護士にノートを出し、夫に渡して欲しいと伝えたそうである。弁護士がそのノートを見ると、そこには「中島みゆき」の「時代」の歌詞が書かれてあったという。被告が特異な性格であったことが想像できる。

致死量13,000人分---もう一つの地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件から一カ月半が過ぎたごろ。新宿地下街の丸の内線改札口前で騒ぎが起きた。青酸ガスの自動的な発生装置が何者かによって仕組まれ、地下鉄駅のそばのトイレにセットされたのだ。もう少し不幸な偶然が重なっていれば、さきに起きた地下鉄サリン事件を上回るほどの大惨事に発展したかも知れなかった。ここも、店長は仕事でよく利用していたのだ。つい2日前にもこのトイレを使ったのである。自分の運の良さに感謝した。今度も助かった---危ないところだった。と店長はため息をついた。やはり理系秀才が大勢いるとやることが違う。店長の知り合いに、高校時代に「オウムの故村井幹部」と同級生だったという人がいた。数学は天才的にできるので、先生が「村井、これで間違いないか?」と授業中にたびたび訊くほどだったそうである。

世間を震撼させた保険金殺人---沖縄トリカブト事件

昭和61年5月19日のことであった。急性心不全で死亡したのは結婚3カ月の新妻であった。沖縄の東急ホテルで朝食をとったあと、激しい嘔吐に見舞われた。寒気がする。だが熱はなかった。救急車を呼んでもらったが、容体は悪化する一方であった。やがて、うめき声をあげて目をむき、両手を天井に向け、それを伸ばしたまま全身が痙攣して意識を失った。そのまま還らぬ人になった。病院から警察へ異常死の連絡が伝えられた。彼女の血液から毒草トリカブトに含まれるアコニチン、メサコニチンが検出された。さらに、彼女には、1億8千万円の生命保険がかけられていることが分かったのであった。そして夫は、沖縄旅行の前日までに、トリカブト70鉢、フグ600匹、ハツカネズミ200匹を購入していたのである。保険金詐取を狙った毒殺事件の発端であった。

オウム真理教団による薬物殺人---記憶に新しい目黒公証役場事件

理系秀才が結集したカルト犯罪集団。その名も「オウム真理教」であった。この事件の後、サリン生成に成功した彼らは、松本サリン事件やがて地下鉄サリン事件を起こして多数の死者を出すことになる。日本中が震撼し、TVは連日この犯罪カルトを放映した。公証役場理事長が路上で拉致されたのは、平成7年2月28日のことであった。犯人たちは、薬物ケタラールを注射、さらに麻酔剤チオペンタールナトリウムを18時間にわたって投与した。そして遺体を焼却し、遺灰は本栖湖に捨てた。教祖松本をはじめ教団幹部には死刑や無期懲役の判決がくだったが、全容解明にはほど遠い。麻酔剤でさえ使い方によっては危険な毒物になるということを世間は初めて知ったのであった。

パチンコ依存症から公金横領---新潟毒茶事件

この事件は、和歌山カレー事件の大騒ぎが続くなかで発生した。1998年8月10日の朝である。木材腐食処理会社で、ポットのお茶を飲んだ社員10名が、次々に倒れたのであった。和歌山事件から、まだ2週間しかたっていなかった。会社は大騒ぎになった。毒物は「アジ化ナトリウム」が検出された。そして、この事件をきっかけに、毒物事件の連鎖が起こったのである。報道が過熱することになった。半年後、元社員(44)の男が逮捕された。関係者は驚いた。逮捕された男は真面目でおとなしく、動機が分からなかったのである。だが、調べが進むうちに、男は会社の金を横領していたことが判明する。きっかけは「パチンコ依存症」であった。妻から渡されるこずかいでは足らなくなり、手を付けてしまったのだ。そして発覚を恐れての薬物混入であった。幸いにも被害を受けた社員の容体は回復に向かい、大きな被害はでなかった。だが、その後「アジ化ナトリウム」が有名になってしまい、犯罪連鎖を引き起こしてしまった。