このコンテンツのタイトルは「邪悪な夢」ロバート・サイモン著 (原書房刊行)を参考にしました。

「邪悪な夢」と同じく、異常犯罪に焦点をあて、人の心の底しれぬ暗部を解き明かそうと試みました。

また、3件の「通り魔無差別殺傷事件」については、片田珠美著「無差別殺人の精神分析」を参考にさせていただきました。さまざまな異常犯罪を知っておくことで防犯対策を考える一助にしたいと思います。

希代のペテン師「麻原彰晃」の見た夢---検証「オウム真理教事件」

控訴審が開かれることもなく「麻原彰晃」の死刑が確定したのは、2006年9月15日であった。東京拘置所で刑務官が最高裁の決定を伝えると、当の「麻原彰晃」は、房内で腕組みをしたまま黙って聞いていた。この宗教カルトが引き起こした重大犯罪は多岐にわたる。連日特番で放送され、”オウム”が泣かぬ日はなかった。驚いたことには、幹部信者には理系秀才が数多くいた。例えば、刺殺された「村井幹部」は、高校時代には数学の天才であったという。「あー言えば上祐」は、宇宙開発事業団出身であった。「遠藤誠一」をはじめサリン生成に成功した一派は特に優れた化学者たちである。さらに、地下鉄内でサリンが入ったビニール袋を二つも拡散させた「豊田亨」は、東大理学部物理学科出身で修士課程を修了していた。「---どうして、あのような理系秀才たちが---」と、世間が仰天したのも無理はなかった。一連の犯罪で、死刑が確定したのは13人である。「坂本弁護士一家殺害事件」からすでに22年が経過していた。この前例をみない宗教カルトを組織したのが「麻原彰晃」こと本名「松本智津夫」である。では、彼の不可解な内面を覗いてみることにする。彼は、畳職人を営む父親のもとで成長した。お世辞にも”裕福な家庭”とは言えなかった。彼は不幸にも視力障害を持って生まれた。と云ってもまったく見えないわけではなかった。弱視と呼ぶべきだろうか。通常の学校でも入学できる程度の軽いものであった。本人は厭であったが、両親は経済的負担が少ない聾学校に入学させる。そのことは「智津夫」少年にとって、どれ程悔しかっただろうか。同時に、彼は両親をひどく憎むことになる。「---うちが貧乏なのは世の中が悪いからだ、---オレが聾学校に入ったのも世の中が悪いせいだ」彼は、その屈辱をバネに人一倍勉強に打ち込んだ。いつしか「東大進学」を胸に抱くようになる。彼の心の奥底に蠢き成長していった、黒い野心は、まだ彼自身にも認識できてはいなかった、と思える。大学進学を志望した隠れた目的、それは、彼の心から貧乏だった両親を追い出してしまうことだった。宗教カルトの前身「オウム神仙の会」は、行法として「ヨガ」を教えていた。この「ヨガ」こそが「世の中に復讐するため」の都合の良い「方便」であった。おそらく、この「方便」を発見したとき「松本智津夫」は欣喜雀躍したものと思われる。彼は、「ヨガ」の習得によって”超人”の能力を会得できるといい、理系秀才を虜にしていった。およそ理系秀才は計数感覚や空間認識能力に優れている。その一方で、人知を超えた存在つまり形而上的な判断能力は苦手とするのだ。だからこそ、彼らは「ペテン師・麻原彰晃」に心酔してしまった。彼ら信者たちの頭脳の良さは、世の中の知的水準を遥かに超える。彼、麻原彰晃は心の中で喝采を叫んだ。彼は確信した「---この秀才たちを部下にしよう!世の中を変えられるはずだ」彼の構想が固まったのはこの時である。彼は「パンドラの箱」を空けてしまう。それが悪魔の経典「ヴァジラヤーナの教え」である。これこそ、彼らの「殺人行為」を容認する都合の良い教義である。そして「オウム真理教」という類例を見ないカルト教団が発足してしまう。---彼には、二度とこの世に生まれ出て欲しくはない。

窓のない光が差し込まない部屋---「新潟少女監禁事件」の暗い闇

新潟で当時9歳の小学生が行方不明になったのは、1990年11月の学校からの帰り道であった。そして2000年1月28日、拉致されてから9年と2ヶ月後、当時9歳だった少女は無事に保護された。報道されるや世間は仰天した。あの北朝鮮の話ではない。新潟で発生した誘拐監禁事件である。薄気味が悪い犯人の名前を憶えて欲しい。柏崎市に住む「佐藤宜行(犯行当時27歳)」歪んだ精神の彼は、高校卒業後も仕事に就かず引きこもりのような退屈な毎日を送っていたという。彼女はおろか友達さえいなかったものと思われる。そのきっかけは数年前に父親が他界してからである。佐藤宜行は、一体何を怖れ、何を絶望して暗闇に閉じこもっていたのだろう。彼の父親が、世間並に若く、元気であれば、このような異常な事件は起きなかったと思う。さらに、この監禁事件には、母親の”協力”が無ければ成しえなかった。もちろん、片棒を担いだ母親も気の毒であった。母親は、引きこもった宜行の家庭内暴力に心身ともに苦しめられていた。監禁されている少女の気配を感じていたが、それを口には出来なかった。問い質そうとすれば、容赦なく鉄拳を浴びることになる。母親は、この少女と同じように怯えて暮らしていた。この事件の加害者「佐藤宜行」は、どんな苦悩を抱えていたのだろうか。その屈折した内面を探ってみる。店長の私に、その答えはすぐに見つけることができた。おそらく、大きく逸脱してはいないだろう。「答え」は両親の年齢である。彼が生まれたのは、父親62歳、母親が36歳のときであった。当然、父親は宜行を溺愛した。一般に、孫は目に入れても痛くない、という。孫ではない。息子である。父親にとって彼が可愛くないわけがない。だが、行き過ぎた溺愛は取返しのできない不幸を招く。そして宜行が父親を憎悪する日がやってきた。宜行が小学生の頃である。同級生に、彼の父親が高齢であることをからかわれたのだ。宜行はひどく傷ついてしまった。そして、彼は両親を憎むようになるのだ。高校生になった頃、宜行は母親を殴るようになった。父親が老人ホームに入所したからである。彼は、小学校時代から友達作りが苦手であった。周囲との協調性が皆無であった。高校時代になっても脱皮できなかった。母親は、どう息子と向き合えば良かったのだろう。無理やりにでも定職に就かせるべきであった。おそらく、就職していれば、彼には厳しかったであろう職場に仲間ができ、先輩・上司は彼を善導してくれただろうに。そうすれば、この悲惨な事件は起きてはいなかった。「佐藤宜行」、この精神的未熟児を育ててしまったのは、両親の甘やかしである。裁判では、「佐藤宜行」に懲役14年の判決が言い渡されている。だが、母親は起訴されなかった。やはり、これは司法の片手落ちだと思う。

漂流する貧困家庭---「神戸高速道女子中学生手錠放置事件」の憂鬱

平成13年7月24日、神戸市北区の中国自動車道路上で、その少女が発見された。通りかかったトラック運転手が道路わきに停車し、携帯で通報していた矢先であった。後続の別の大型トラックが少女をマトモに轢いて走り去った。肉が引き裂かれる音が耳に残っているという。少女は駆け付けた救急車両で病院に緊急搬送された。少女の身体は、すでに処置のできない状態であった。頭部の損傷がひどく目や鼻そして耳から髄液が流れ出ていた。左太ももの肉は大きく裂けており、大腿骨は複雑骨折、体内の血液は殆んど流出していた。背中からお尻にかけて皮膚が剥離していた。事故直後は息もあったというが、病院で心肺停止が確認された。この”交通事故”が世間に衝撃を与えたのは、その被害少女には「金属製の手錠」がはめられていたからである。少女は、出会い系ツーショット・ダイアルを通じてある男性教師と知り合った。待ち合わせ場所でクルマに乗り込んだ少女に、その男性は催涙スプレーを使って気を失わせた。ワゴン車で走行中に意識を取り戻した少女は仰天する。手錠が装着されて両手を拘束されていた。クルマの後部ドアは開錠できた。「---とにかく逃げなきゃ---」前後を考えずに車外に飛び降りた。両手が固定されて自由が利かなかった。そのため頭を守る仕草さえできなかった。無防備に路上に投げ出された格好になった。再び意識を失った瞬間、後続の大型トラックにひき殺されてしまう。この悲惨な”交通事故”からおよそ一月後に、兵庫県香住町立香住第一中学校の男性教師(事件当時34歳)が逮捕された。彼は「性的倒錯者」であった。テレホンクラブなどで若い女性を誘っては反道徳的な行為に勤しんでいたらしい。被害者が通う中学とは別の学校である。そして少女を引き殺した大型トラックの運転手も取り調べを受ける。運転手は、その最中に隙を見て逃げ出し、自殺を遂げる。おそらく、罪の意識に苛まれていたのだろう。店長の私の憶測であるが、この運転手は居眠り運転をしていたのだろう。そのため前方の落下した少女に気が付かなかったのだと思われる。中学教師の供述から、事件の概要が見えて来た。”ツーショットダイアル”とは、分かり易くいえば現在の「出会い系サイト」と言い換えても良いだろう。どちらも「性犯罪」の温床である。そして”現実世界”に不満を抱えているが、その解決方法を見出し得ないダメ人間が良く利用するのだ。手錠をかけて性的な悪戯をするのが、この変態先生の大好きなプレイであった。事件報道は、ここで幕を閉じることになった。では、少女はなぜ「出会い系」で援助交際などを行っていたのだろう。それを知る手がかりは彼女の悲惨な家庭環境にあった。少女は、アル中の父親から性行為を強制させられていたらしい。父親は働くこともできず、毎日酒浸りの暮らしぶりだったそうだ。そうやって、娘に性行為の相手をさせては”おこずかい”を手渡していた。この家族は、生活保護と母親の掛け持ちのバイトで生計を立てていた。父親と娘の”不適切な関係”については母親も知っていた。被害少女の他にも娘がいて、どうすることも出来なかったようである。全国の児童相談所には、同様の相談(父娘間レイプ)は数多く寄せられているそうだ。どうも店長の想像以上に多いらしい。貧困だからアル中になっているのか、それともアル中で働くこともできないから貧困層に堕ちたのか、それは分からない。まるで罪を償うかのように底辺で生きていく人々。「業火の篝火」を思わずにはいられない---

崩壊する漂流家庭---浦和発「高校教師夫婦息子刺殺事件」の教訓

衝撃の報道が全国の教師たちを襲ったのは、1992年(平成4年)6月4日である。埼玉県浦和市で起きた家庭内殺人は、高校教師夫妻が長男(当時23歳)を刺殺するといった衝撃的な事件内容であった。両親は、息子を殺害後に通報、自首した。長男の家庭内暴力は1991年から続いていた。教師夫妻は精神的にも追い詰められていた。「---このままでは家庭が崩壊してしまう---殺めてしまおう」父親(事件当時54歳)は凶器として包丁を選んだ。「---苦しまないように心臓を刺そう」「---私も手伝うわ」妻(同じく49歳)はモデルガンを手にした。なぜモデルガンだったのかは分からない。他に適当な武器が無かったのか。夫は長男の胸を刺した。長男は悲鳴を上げ「---助けてくれ---謝る---だから---た・す・け・て---」妻は、苦しがっている息子の頭をモデルガンで殴りつけた。やがて、絶命。1993年3月の1審判決では、執行猶予5年付き、懲役3年の温情判決が下された。これに検察側が控訴した。1994年の控訴審において、1審の温情判決が取り消され、懲役4年の実刑判決が確定した。小中学時代、この長男は勉強ができた。軟式テニスにも打ち込んだらしい。良く言えば周囲に自慢できる息子であったようだ。高校は、埼玉県下では名門進学校で知られる県立浦和高校に進学する。教師夫妻は、過度に期待したのだろうか。父親は東大卒であった。彼は、息子に対して、いったい何をどう間違ってしまったのだろう。しかし、親の心を知らない息子は2年生になると、俄然音楽に興味を示す。あるいはこの方面で才能があったのかも知れない。両親は、1式20数万円もする機材を買い与えている。言葉は悪いが、このあたりに親の「浅はかさ」をみる思いがする。「欲しい音楽機材があれば、バイトでもしなさい、不足分は出してあげるから」と、意見する方が正しい親の態度ではあるまいか。友人関係には、問題が無かったのだろうか。浦和高校2年生の3学期になった。息子は、家に閉じこもって作曲に没頭するようになる。やがて学校に行かなくなった。「学歴はいらない、音楽で食べていく」が口癖のようになる。この頃から精神のバランスを崩していったらしい。親に対する口ごたえが増えていた。もう「できた息子」ではなくなっていた。3月31日、浦和高校に退学届けを出す。だが、息子は予想外の行動に出る。高校中退から3ヶ月ほどして、突然「大学に行きたい」と言い出す。鋭すぎる感性を感じさせる。おそらく上手に彼の音楽的才能を引き出してやれば、ミュージシャンとして成功していたかも知れない。そして、彼が進学したのは音楽とは無縁の有名大学であった。高校中退で猛勉強し大検に合格していた。そして浪人もせずに有名大学に入学。常人に為せる業ではない。両親は再び過剰な期待を注ぎ込む。無理もない。だが、大学に入学したのは、息子には、別の動機があったと思う。それも本人は気がついていなかった。もちろん両親にも。おそらく、店長の私が思うに、息子の大学進学の動機は、この「鬱陶しい親を苦しめたい」という切実な思いだったのではないだろうか。息子は、「親離れ」することを望んでいたのだ。反対に先生夫婦は、「子離れ」していなかったのではあるまいか。息子の真の動機---それこそ「親離れ」=大学生になって親元を離れることにあった。この、両親と息子のあまりにも大きなギャップには当惑させられる。両親は、愛情の注ぎ方を誤っていたのではないだろうか。息子のミュージシャンへの憧れをこの親たちには理解できなかった。いや息子の「夢」を共有しようとさえしなかった。だからこそ息子は精神的な不具合を生じてしまったのだ。息子は感性が鋭すぎる。---彼は音楽で成功したかもしれない。

化学オタク少女が夢見た世界--静岡発「女子高生母親毒殺未遂事件」の戦慄

秀才化学少女(事件当時16歳)が書いた「毒殺日記」が公表された。少女の愛読書グレアム・ヤング「毒殺日記」の模倣だ。グレアム・ヤングは実際に母親を殺害している。少女は化学オタクであるばかりでなく全般に成績優秀であった。将来、神経細胞に関する研究者になる夢を持っていた。劇薬タリウムは近所の薬局で購入した。学校の実験で使うと話していたそうである。この薬局では、彼女を良く知っており、知識が豊富であり秀才であることを認識していた。母親(事件当時47歳)に呑ませるなど考えもしなかったという。報道を知って世間は騒然となっている。「文学少女」というのはよく聞く言葉であるが、「化学少女」とは聞きなれない言葉である。彼女を文字って「化け女」と店長は呼びたいと思う。こんな秀才少女には、ぜひ美少女であってほしい。そういえば化粧直しには化ける字をあてがっている。ともかく、母親はなぜか日々体調を崩して入院する羽目になっていた。美少女は病院でもタリウムを呑ませようとした。日々容体が悪化していく母親の写真撮影まで行っている。それは「毒殺日記」を完結させたいからである。彼女は、日記を書くに際して一人称の「僕」と表現している。これは「ゴスロリ症候群」だ。幼児期に何らかのトラウマを抱えていたのではないだろうか。母娘の関係はどうだったのだろうか。殺人未遂容疑で逮捕された化学少女は「母にはあまり親しみを感じていなかった」と自供している。美少女の「毒殺日記」をのぞき見したい。---全身に発疹ができた---体調が悪くなった---母はほとんど動けなくなってしまった---母はよく泣くようになった---などと観察経過の記述が続いている。母親は、娘は薄気味が悪いと気が付いていたのではないか。「化け女」は、ハムスターに毒物タリウムを投与して観察していた。が、どうしても人体実験したくなった。わずかな量を自分でも飲んでいる。だが、「毒殺日記」を完成させるには「第三者」の実験が必要である。小動物では飽き足らずやがて小学生を複数人殺害した「神戸事件」(サカキバラ事件)を思い出させる。

「僕を徹底的に調べて研究に役立てて下さい」---「前上博」を育てた「広汎性発達障害」

異常な殺人鬼「前上博」は自分の性癖に悩んでいた。病院で相談して治して欲しいと懇願していた。カウンセラーの元を何度も訪ねていた。彼は「発達障害者」であったが、客観的に自分を見つめ直すことが出来た。生来、真面目な性格であった。だから余計に悩むことになる。ある日彼は自殺サイトにアクセスしてみた。そこには、様々な悩みに苦しんでいる大勢の仲間がいた。彼もまた特異な生育環境に包まれていた。父親は警察官であり、優しく接してはくれなかったが内心ではとても尊敬していた。だが、父親は酒癖が悪かったらしい。非番の日には昼間から酒を飲んだ。そして酔っぱらっては暴力を振るった。小学4年生のことである。酔った父に首を絞められて死にかけたことがあった。この忌まわしい出来事は、小学高学年から100件もの通りすがりに口を塞ぐ通り魔的な犯行を繰り返すきっかけになっている。これが、やがて被害者3人を出すに至るのだ。首を絞めては蘇生させ、それを何度も繰り返した。被害者の嫌がる姿を見ては性的な興奮を覚えた。父親を思い出していたそうである。さらに白いソックスを見ると非情に興奮した。女性だけでなく男性が穿いていても彼は下腹部を勃起させた。その劣情が非常識なものに違いないと自覚していた。それでたいそう悩んでもいた。そのうつ状態が亢進し自殺サイトを日々閲覧することになった。彼の心を「悪魔」が支配する。「自殺願望がある人なら、口を塞いで死んでしまっても文句を云われないのでは---」こうして彼の邪悪な計画が始まってしまう。彼は知能指数が高く、非常識な記憶力の持主であった。彼は幼稚園児の頃から日時を含めて詳細に記憶しているらしい。これは専門的には「サヴァン症候群」と呼ばれ、TVドラマで有名になった。獄中での2カ月にわたる接見調査で、彼は「アスペルガー症候群」ではないかと結論されたのが、臨床心理士の「長谷川博一」氏である。これは「広汎性発達障害」の一種で、基本症状は「相手の感情を推し量ったり、自分の感情を相手に伝えることが苦手」だ。「長谷川博一」氏は、獄中の「前上博」と何度もレポートのやり取りを行なっている。「僕は死刑を受け入れます---ただ僕が何者なのか教えてほしい」長谷川氏が「アスペルガー症候群」の症例を教えると、「前上博」は思い当たる、理解できたと驚いたらしい。

「佐賀バスジャック事件」の憂鬱---「異様な少年」を育ててしまった「異様な両親」

犯人は17歳の少年だった。2000年5月3日午後1時30分頃、佐賀発福岡天神行き西鉄定期高速バス”わかくす号”が少年にバスジャックされた。乗っ取られたバスは、乗客およそ20人を人質に取られてしまう。そのまま九州自動車道から中国道さらに山陽道を東に進んだ。少年は、乗客の女性3人に刃渡り30cmの包丁を突きつけて重傷を負わせた。そのとき首を切られた女性が死亡した。事件の発覚は、乗客の女性がトイレに行きたいと懇願して少年の承諾を取り、無事にバスから降りて警察に通報したことによる。17歳少年による犯行は世間に衝撃を与えた。彼らは知っている。少年法という悪法を。少年法が彼らを守ってくれていることを。この事件解決後、さまざまな憶測記事が週刊誌を彩った。結果的に見れば、とんでもない重大事件である。少年は、両親から精神医療施設へ強制入院させられていた。さらに事件の背後にあるとされた、学校での「いじめ」である。それに対する専門家のコメントが競い合うように掲載されていた。しかし、事件を起こした少年の動機は、意外に単純ではあるまいか。その後の調べでは「いじめ」はなかったとされる。ずばり、動機は「両親を困らせてやりたかった」である。暴論を許してもらえるなら、この少年は「親に甘えたい」あるいは「親を困らせることで自分に構って貰いたい」からこそこの事件を起こしたのである。親子関係を見ていけば少年の動機はおのずと明らかである。では、両親の何が少年をこのような「犯罪者」にしたのだろうか。事件発覚当初、店長の私も「異常な少年」報道によって、あるいは「17歳」という年齢によって幻惑されてしまった。まして大新聞がこぞって精神療養施設のバッシングに走った際には、同様の感想を抱いていた。しかし、「いじめ」は無かったようであるし、少年の心が特別病んでいたようでもない。ではなぜ、両親(特に母親)は精神病院に無理やり入院させたのだろうか。それこそ、両親の育児放棄であると店長は断言したい。少年が両親に一番望んでいたこと、それは、自分との真剣な対話であった。両親は自分たちで解決すべき問題を「外部」に委ねてしまった。それが「学校」であり「精神病院」であったのだ。事件後にこの両親は手記を発表している。自分たちの責任を棚上げにして「外部」の非難に終始した。悪いのはすべて教師の責任であり、警察の責任であり、精神病院が外泊を許可したことであり、自分たちには何ら落ち度は無かったと強弁している。ところが概ね世間はこの論調を歓迎していたようであった。つまり、この「無責任」「育児放棄」そして「責任転嫁」は、この両親だけに見られる特殊事情ではないのだ。いわば日本社会を暗く覆っている一般的な傾向なのである。この「バスジャック事件」を振り返って「憂鬱」で仕方がないのは、そのような「社会病理」のせいである。事件の解決に努力した広島県警は、少年の説得のために両親に現場へ同行することを求めていた。だが、その県警の要請は両親に拒否されている。少年は、父親と対峙して話がしたかったのにも関わらず。現場で父親が「---お前の苦しさをよく分かっていなかった。お父さん、お母さんを許して欲しい---もうこれ以上、罪を重ねないでくれ!乗客の皆さんを無事に解放するんだ!」と説得していれば、親子は健全さを取り戻したであろうに。そのような「手記」を発表していたら、これから家族全員で幸せな毎日を迎えたであろうに。およそこの母親は「幸福になる人」の対極に住んでいる。謝罪のために事件の被害者を訪ね歩いた時でさえ、この両親は「私どもも犠牲者。非は学校にあり病院にあり、さらに警察にある」と述べて反感を買っているそうである。およそ人は、「自分以外の誰かの幸福を願うこと」においてのみ自分自身も「幸福」になれるのだ。あらゆる問題の生起には「自分の心」が原因とされる。他人の心でも無ければ世間でもない。その根本的な考えがこの親たちには欠落している。もう「世間」を憎む愚かしいマネはやめることである。繰り返す、夫婦の落ち度を認めることである。少年はそれを訴えようとしていたのだ。

重過ぎる十字架---神戸事件の少年Aはあなたの街の隣人かも?

少年A、「酒鬼薔薇」が関東医療少年院を仮退院し社会復帰したのは、平成16年3月10日であった。その7年前に神戸で児童連続殺傷事件が起きた。中でも5月27日早朝、市立友が丘中学校の正門前で切断された児童の生首が放置されていた「酒鬼薔薇事件」には世間が仰天した。神戸新聞社に「犯行文」が届いた。以後、この事件は「酒鬼薔薇事件」と云われるようになった。犠牲になった児童の首には悪戯されていた。口が耳まで裂かれていたのだ。捜査は難航した。世間の誰もが14歳の少年の犯行とは考えなかったのである。少年が逮捕されるや世間は無力感に苛まれてしまう。「少年法」なる悪法が大きな壁になってしまった。被害者の人権は無視あるいは軽視されていた。対するに加害少年は手厚く保護されていく。氏名の公表もなく、わずか6年あまりで彼は社会に戻ってきた。本当に再犯の可能性はないと、誰が断言できるだろうか。彼は「殺しが楽しくてしょうがない」とまで云っていたのである。ハンマーで頭を殴られた少女は脳挫傷で死んでいた。「少年法」では被害者が複数であっても刑法が適用されない。「酒鬼薔薇」少年を罰することができなかったのだ。彼は手厚く保護されている。同時に、被害者遺族が抱く「酒鬼薔薇」少年への処罰感情は不当である、とでも言いたげなのである。そして、加害者少年には「幸福を追求する権利」があるという。これが「少年法」である。では、わずか6年で少年は、まっとうな心を取り戻したのだろうか。少なくとも彼の年齢ぐらいの治療年数が必要なのではあるまいか。本名は明かされないまま、14歳の犯人は「少年A」と表現された。世間が驚いたのは、少年はごく普通の家庭に育っていることである。そして父親の収入は、平均的会社員より上であった。貧困家庭でもない。どこにも「欠損」がない。だからこそ、改めて世間は混乱したのだ。少年の心の闇を理解できる人はいなかった。少年Aは動物虐待の常習者であった。そして動物を殺すことには飽きてしまっていた。普通ならこの性癖は犯罪者に成長することなくここで終わる。この少年Aを除いては。少年Aは勉強はできたそうだ。彼はバカではない。この不可解さをどう評価すべきだろうか。当然精神鑑定が繰り返し行われた。治療が行われ、「再犯の可能性」は限りなく小さいとされた。もし再犯が起きてしまったとき誰かが責任を取れるのだろうか。いま、少年Aはあなたの隣人かも知れない。少年が正常な精神を取り戻したにせよ、彼は過去の悪行を記憶から消し去ることは出来ないのだ。彼は、精神がマトモになっただけに余計に苦しむことになるだろう。

わが国初の心臓移植ドナーは、生きているのに心臓を摘出されていた---疑惑の「和田心臓移植」驚愕の真実

当初こそ、その報道は驚きと歓喜をもって日本中を駆け巡った。それは「日本初の心臓移植手術に成功」というものであった。昭和43年8月8日である。この移植手術については、執刀医の和田寿郎札幌医大教授(当時)は殺人罪で告発された。だが関係者による信じられない口裏合わせが行われ、うやむやにされてしまい、和田教授を裁くことはできなかった。医学界が一致して真相に封印をしてしまった。移植手術後83日で宮崎信夫青年は早すぎる人生を閉じてしまった。彼の疾患は必ずしも心臓移植を要するものではなく、他の適切な治療が実施されれば20年以上長生きしただろうと云われていた。また心臓提供者の山口義政青年は、海水浴で溺死したとされていたが、真相は違っていたらしい。彼は救急搬送中に必死の救命隊員の心臓マッサージにより、呼吸が自然呼吸に戻っていたという。さらに、搬送された病院では「筋肉弛緩剤」を投与されていたらしい。これは「殺人」ではないだろうか。移植手術当時は、関係者は口裏合わせをしていたが、30年以上も経過してようやく真実を明かす関係者も現れ始めた。青年の意識はまだ回復していなかった。だが、その意識が戻ることは二度となかったのである。そのとき、生きていた彼の心臓は取り出されてしまったからである。さらに驚くべきことに、山口青年の心電図の記録は破棄されていた。脳波や血圧の記録もないのだ。つまり周囲の医師たちは、蘇生した彼を生かそうとする努力を一切行っていないのである。搬送された病院で彼の姿を見た当時の麻酔医は「異常な光景」を目撃している。「まるで手術直前の様相を呈していた」という。1947年8月14日札幌地検は「嫌疑不十分」として和田寿郎教授を「不起訴」とした。傲岸不遜の彼は、昭和62年東京女子医大を65歳で定年退職した。人の命よりも自らの医学的功名心を優先させ、この移植手術は、二人の若者の未来を無慈悲に奪ってしまった。これが、心臓移植の発展に必要であったとは到底思われない。この名を覚えておいて欲しい、「和田寿郎札幌医大教授」---彼は、医師になるべきではなかった。人の命を救うのが医師の仕事であるが、彼は人の命を犠牲にしても自分の名声が欲しかった。「虚栄の篝火」に照らされたなんと空しい一生であろうか。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」(その2)」とコンテンツを共有しています)

「---聴け!静聴せい!貴様らは、それでも武士なのか!」---「三島由紀夫」の絶叫は、空しく市ヶ谷上空のヘリにかき消されていく

「バカ野郎!降りてこい!英雄気取りをするな!誰か三島を引きずりおろせ!」このとき市谷駐屯地に乱入した男が「生命を賭けた演説」をしていたが、真面目に耳を傾ける自衛隊員は居なかったようである。三島本人も「盾の会」幹部もクーデターを実行できるとまでは考えていなかったようであった。「---どうも自衛隊員にはよく聴いてもらえなかったようだ---」そして、事前の手筈通りに三島由紀夫と森田必勝は割腹自殺を遂げている。「三島由紀夫自衛隊クーデター未遂事件」は1970年11月25日である。天才作家と称賛され、ノーベル賞候補にもなっている「三島由紀夫」が、市ヶ谷総監室に乱入し割腹して果てた事件」は、世界中に衝撃を与えた。彼が、最後の気力を振り絞って自衛隊員に訴えた数々の言葉については、再評価すべき時期にあると店長は密かに考えている。それは、「憲法改正」の動きがようやく芽吹いてきたからでもある。彼は絶叫する「聴け!---戦後教育の中で、日本の男の美徳であったはずの”尚武の心”を忘れ、”物質”のみを求めるようになった日本人。---我々の愛する歴史と伝統の国、日本。これらを骨抜きにしてしまった日本憲法に身体をぶっつけて死ぬ奴はいないか!自分と一緒に起つ奴はいないのか!---貴様ら、それでも武士か!」

この「盾の会」であるが、決行当時、重大な情報を知らなかった。それは自衛隊市谷駐屯地の精鋭部隊が演習に出ていて、当日は不在であったことである。つまり「三島由紀夫」のアジ演説を真剣に聞く隊員がいなかったことを意味する。おまけに上空で旋回するヘリに声をかき消されていた。拡声器を持っていなかった。このことは準備不足というより、「クーデター」が「自決場所」の確保のための方便であった可能性を示唆している。もし、本当に自衛隊員による「クーデター」を望むなら、なぜ赤坂の(当時)防衛庁を狙わなかったのだろうか。そして「盾の会」に賛同するシンパは防衛庁の中にはいなかったのだろうか。それら用意周到ができて初めて成り立ち得るのではないだろうか。そう云えば当日市ヶ谷で自衛隊員に蹶起を促すような「ビラ1枚」も配布されていないようである。それにしても「三島由紀夫」が紡ぎだす日本語は美しい。おそらく、三島本人は「老いていく」自分を想像することが出来なかった。自分自身もその作品同様に美しく在りたかった。「老いていく」ことなど以ての外だったのではないだろうか。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」とコンテンツを共有しています)

街角に毎夜現れた娼婦---実は大手公益企業調査室のエリート社員

もはや世間から忘れ去られてしまった「東電OL殺人事件」であるが、収監されていた容疑者の再審請求が実現した。その結果、殺人が行われた部屋の遺失物からは容疑者とは別人のDNAが検出され、このネパール人は逆転無罪が確定した。彼は本国で待つ家族の元へと帰国した。いまや「冤罪事件」として社会的な命脈を保っている。だが、被害女性の実像は何ら答えが出てこないのだ。発覚当時1997年3月から5月頃まで殺害された「東電経済調査副室長」の女性について憶測記事や推測記事が週刊誌に溢れ遺族の心を逆なでした勝手な興味本位の記事が溢れていた。それは遺族からの正式抗議がなされるまで繰り広げられた。殺されてしまった女性の「心の闇」など、誰にも理解されようハズが無かったのだ。エリート社員は、優れた経済論文まで東電に残していた。学歴も慶応大学出身である。このエリートOLのすざましい「生き方」に社会学的な考察を行った女性がいる。「水無田気流」さんである。店長はなるほどと納得した。「防犯対策」のテーマから逸脱するのだが、ぜひこの項で紹介したい。引用するのは水無田気流著「無頼化する女たち」洋泉社新書刊行の社会学の書である。誰もが導くことができなかっただろう社会学者特有の推論が生まれている。店長は膝を打った。胸に残ってしまったわだかまりが、氷解していく。「さもありなん」と。その結論こそ「女性」の「生命の息吹」なのに違いない。2度も発症してしまった「摂食障害」。これを乗り越えた時、彼女に芽生えた「生への渇望」それこそが彼女の未来を無慈悲に奪ってしまった。引用してみたい。「---拒食によって自身の生が消滅する間際になり、反作用のように沸きあがってきたのが、性衝動と、自分の性的価値を客観的に把握したいという欲望だったのではないか---」事件前にたびたび目撃されている被害女性の奇特な行動がある。彼女は「売春」のノルマを達成するとコンビニに立ち寄って、おでんの「こんにゃく」「シラタキ」ばかりを買っていた。ダイエットのためのカロリー計算が、その優秀な頭脳では始終行われていた。まるで経済統計を予測するアナリストのように。さらに引用する。「---1千万円近くあった東電での給与所得と、売春によって得た女性としての価値への対価は、また別物だったに違いない---」この被害者社員が思い込んでいたように、東電は彼女をはたして「冷遇」していたのだろうか。

もし、彼女の「女性的価値」が比較的低いと周囲に囁かれたために冷遇されていたとすれば、それは東電だけの問題ではない。日本社会全体を覆っている深刻な問題ではないだろうか。もう少し説明しよう。「女性的価値」とは、例えば「上手に湯呑を洗う」「可愛げがある」「身の回りの掃除などよく気が付く」「よく笑う」などである。著者は云う。彼女のもう一つの人生は、それら日本社会に対する「---壮絶な復讐劇でもあった---」のではないか、と。突き上げて来る「性衝動」が原因であったなら、彼女は対処法を間違えている。いやそれ以前に「会社員」には向いていなかった。優秀な頭脳を持ちながら「男性社会」に溶け込むことが苦手だったのだ。(この項は「未解決事件から考える防犯対策」とコンテンツを共有しています)

愛人に家族を消され、財産を奪われた女の罪---北九州一家監禁連続殺人

この事件は、想像し難いおぞましさのため、報道が控えられた。平成14年5月であった。監禁状態から脱出に成功し、警察に保護された少女の告白には、関係者は戸惑いを隠せなかった。少女は被害者であると同時に、家族の殺害に加わっていた加害者でもあった。松永太(当時40歳)、共犯者緒方純子(当時40歳)である。正式には結婚していない。内縁関係である。事業に失敗してお金に困っていた松永は、同級生の緒方が資産家の娘であることに目を付けた。そして言葉巧みに彼女を誘った。まだ緒方純子は気が付かなかった。松永は、緒方家の資産の簒奪を狙っていることを。北九州市小倉北区にあるマンションで男女7人が殺害され、遺体は跡形もなくなっていた。このおぞましい監禁・拷問・殺害は、脱走した少女の告白が無ければ、その発覚はさらに遅れただろう。松永の人心掌握は天才的であったそうである。被害者は緒方の家族であった。特に、母親は局部への電気ショックを幾度となく受けており、ついに発狂してしまっていた。その殺害を松永に命令された純子たちが実行したのだ。1度、緒方はマンションから逃げ出している。ところが、松永太の計略にかかり戻ってしまう。もう緒方は松永の奴隷になっていた。さらに家族は、食事も排泄も厳しく制限された。身体に通電され次第に衰弱し、もう死にたいと思うようになっていた。資産の土地は緒方純子によって現金に換えられ、松永太に奪われる。緒方家の家族は、正常に思考することさえ奪われてしまった。法廷で、松永は「自分は無罪。すべて純子がやったこと」と云い逃れようとした。緒方純子はすべて、家族さえも松永に奪われてしまった。この事件は、過去のカルト事件を思い出させる。平成9年12月から翌年6月までに、緒方家の家族が家族同士で殺しあった。そして家族さえもが逃れることできなかった「マインド・コントロール」の恐ろしさを知って、世間は驚愕した。一番の被害者「緒方純子」は、また一番の加害者でもあった。最高裁判決--松永太は死刑、緒方純子には無期懲役であった。(この項は「血も凍る女の重大事件簿」とコンテンツを共有しています)

自分の家族を破滅させた宮崎勤の犯罪---「連続幼女殺人事件」

最後の犯行が露見しなかったなら、毒牙にかかった幼女はさらに増えたと云われる2008年6月17日、一人の小柄な男の死刑が執行された彼の名は「宮崎勤」である。世間を震撼させた「宮崎勤連続幼女殺人事件」、まれにみる凶悪重大事件の犯人であった。自宅から19㌔圏内で4人の女児を誘拐し絞殺した。遺体の陰部に悪戯し、その様子をビデオに撮影した。逮捕後に公開された彼の自室には、なんと6,000本のビデオ・漫画が蒐集されていた。「オタク」という聞きなれない言葉が流行した。事件の全容が徐々に明らかになった。4人目の犠牲者に至っては、その遺体の1部を食べたと云われる。また、犠牲になった幼児の葬儀には犯行声明文と焼かれた骨の1部が届けられている。事件は連日報道された。犠牲者幼女のいたいけな可愛らしい顔写真が公開され、国民の処罰感情が沸騰した。1審判決まで7年を要した。それは、宮崎の精神鑑定が数回にわたって行われたからである。その間には、両親の離婚、妹の破談があり、父親は1994年に多摩川へ入水自殺を遂げている。宮崎は父親自殺の知らせを受け「気持ちがスーとした。自分をこんな身体にしたからばちが当たったのだ---」と言い放ったという。こんな身体とは、彼は先天性の難病に罹っていて、両手の掌を上に向けられなかったのだ。これは、不幸にも未熟児で生まれてきたことと関係があると思われる。3歳のとき病院で診察したが、日本では類例がなく、手術しても回復しないとの診断であったらしい。宮崎は小柄なことに加え、両手の障害を持ち、そのことが彼の心を異常なまでに蝕むことになってしまった。そして、その4人目の犠牲者に強い殺意を抱いたのは、両手の障害について、犯行に使ったクルマの中で「おにいちゃん、手がヘン」と云われたことによるらしい。幼児の手首を食したとされるのは、それが原因ではあるまいか。「--大人の女性には相手にされないのでは---」そのような欝々とした思いは少年時代から心に鬱積していった。成績は良い方であったが、健全な友人・異性関係を作れなかった。彼は東京都青梅市で生まれたが、宮崎家は奥多摩地方の名士でもあり、実家は裕福であった。その家系には地方の議員を務めた者もいた。宮崎は定職に就かず、「引きこもり」になってしまっても生活に支障はなかったのである。彼は障害を持っていたので、両親に甘やかされていたのである。それがこの凶悪事件の背後にある。

佐川一政を包み込んだ霧は晴れたのか---日本中が仰天した「パリ人肉事件」

その驚愕の事件はパリで発生した。1981年6月11日。日本人留学生「佐川一政」(事件当時32歳)がオランダ人女子大生を射殺し、死体を凌辱、さらにその遺体を細かく刻み、フライパンで焼いて食したという。その佐川の人肉食は数日に及んでいた。塩や胡椒で調理していたが、次第に臭気がひどくなり、スーツケースに入れて「ブローニュの森」に捨てようとして逮捕された。パリ警察が佐川の部屋に踏み込んだ時、冷蔵庫にはオランダ人留学生の刻まれた肉片が保管してあったらしい。驚くべきことに、女性のふくらはぎを生で試食している。後に、この部位は「マグロの刺身のようだった---」と回想している。およそ、佐川の行為は理解できない。彼の「人肉をたべたい」願望は、すでに小学生のころ芽生えていたという。何がきっかけだったのか分かっていないが、たぶん本人にも分からなかったのではないか。16歳になったころ精神科医を訪ねてみたが相手にされなかったらしい。これは店長の憶測であるが、彼の実像に迫ってみたい。彼は不幸にも「未熟児」で生まれてしまった。そのため体格は小さく150cmほどだったようだ。大柄な白人女性への憧れは異常なほどに強かった。自分より大きい異性への憧れは、やがて異質な世界へと飛躍する。「食べてみたい」と思うようになっていた。彼の精神が正常なら、これ以上妄想が肥大することはなかったのであるが、彼は妄想をねじ伏せるすべを知らなかった。やがて日本から遠く離れたパリの地で実行に移してしまった。「佐川一政」は、そのどす黒い衝動を「文学作品」に昇華すべきであった。通常の心の持主ならそうしただろう。殺人、人肉食を現実に実行する人はいない。16歳で彼の相談を受けた精神科医が、もう少し丁寧に応接していれば、後の猟奇殺人を防ぐことができたのではないだろうか。1984年「アンリ・コラン精神病院」を退院、国外追放となった。帰国してから家族の希望があり、精神科の専門病院「都立松沢病院」に入院した。退院して手記「霧の中」を発表している。

「アドルフに告げよ!」---孤独な殺人鬼「植松聖」が迷い込んだ深い闇

「抹殺することが障害者を救う方法」と言ってのける「植松聖」容疑者。彼がいつから極端かつ身勝手な思想を持つに至ったのか、今後行われる取り調べや精神鑑定の結果を待ちたい。彼は、今年2月20日に緊急措置入院しているが、その際に「ヒトラー思想が降りてきた」と話しているそうである。彼の云う「ヒトラー思想」とは、「ナチス・ドイツのホロコースト」を指している。「ナチス・ドイツ」は障害者を組織的に殺害したとされる。その指導者が「アドルフ・ヒトラー」だ。相模原知的障害者施設「津久井やまゆり学園」が「植松聖」に襲撃されたのは7月26日午前2時頃であった。襲われたのは45人、死亡者は19名に上った。戦後最大の犠牲者数であった。店長には、この「植松聖」と「アドルフ・ヒトラー」には、共通点が見える気がしている。もちろん「偉大な独裁者」と「孤独な青年にすぎない植松聖」とでは、そのスケールからして違う。「暴論」の誹りを覚悟の上で論考を進めたい。

「植松聖」の持論、それは「重度の障害者に安楽死を与えよ」であった。それを法案化させようと直訴まで行っている。「ヒトラー」は厳格な父親にしょっちゅう殴られて育っている。彼は他人の苦しみを共感できない、非情で冷徹な性格であった。劣等感が誇大妄想を生み出していた。これらを「自己愛性人格障害者」と呼ぶ。おそらく「植松聖」も同様の「人格障害者」ではないだろうか。1945年、ベルリン陥落後「ヒトラー」は愛人「エバ・ブラウン」と結婚式を挙げ、その翌日にその夫人とともに服毒自殺を遂げた。一方の「植松聖」に「自殺願望」はなかったのだろうか。池田小学校を襲った「宅間守」は、両親への「復讐心」と強固な「自殺願望」に心を苛まれていた。そしてまた、「植松聖」が、どのような生育環境にあったのかを知りたいと思う。

名古屋デート中カップル拉致監禁強姦殺害---記憶してほしい残虐事件

この事件の正式名称は「名古屋アベック殺人事件」であるが、店長はあえて「拉致監禁強姦殺害」としたい。襲われて引き回され殺害されたのは、将来を約束し、二人の理容院を持ちたいという夢をもっていた、当時20歳と19歳の若いカップルであった。なぜこの若い恋人同士が狙われたのか。事件は1988年2月23日午前4時半ごろである。まず、この時間であるが、通常深夜から早朝にかけて公園にいるはずのない時間である。将来の目標のためにホテル代を浮かせていたと考えられる。犯行グループは17歳から19歳の男女6人、彼らは札付きの不良どもであった。名古屋TV塔噴水近くに集まりシンナーを吸っていた。初めは金銭を奪うだけで良かったのだ。そのためにデート中の若いカップルを物色した。すでに二組が強盗被害にあっていた。そして、もう一組やろう、となって襲われたのがこの理容師を目指す若いカップルであった。そしてこのカップルを悲劇が襲う。不良どもを本気で怒らせてしまう。彼ら犯行グループは3台のクルマに分乗していた。そして被害者のカップルを見つけると前後を2台で塞ぎ、逃げられないようにした。被害者の男性は、無理やり前後にクルマを動かしたので、2台は激しく損傷した。そうやって逃げようとした。これが不良どもに殺意を抱かせてしまったのである。しかも彼らの1台は、暴力団組員の所有であった。犯人たちは、男性を殺害し、クルマの弁償代わりに、女性を組織に売ろうと考えた。そして残虐なリンチが男性に加えられる。さらに半狂乱になって命乞いをする恋人の目前で彼を絞殺してしまった。そして犯人たちは、女性をクルマで連れ去り自室に監禁、かわるがわる女性は強姦された。さらに最後には絞殺され三重県山中に遺棄した。想像できるだろうか。この非人間性。残虐な行為。では防ぐことはできなかったのだろうか。クルマをぶつけて逃げようとしたのはまずかったと思える。では、素直にお金を渡せば無事ですんだのだろうか。加えられた惨酷な行為を考えると、最早逃げ場はなかったとも云える。被害者はクルマのガラスを鉄パイプで破られ車外に引きずり出されている。さらに男性はめった打ちにされ、女性はライターで髪の毛や身体を焼かれたりした。およそ一人ではできない惨酷さだ。不良少女たちもリンチに加わり、笑いながらはやし立てていたそうである。事件発覚後6人すべてが逮捕された。リーダー格の少年には、無期懲役が言い渡された。「少年法」という壁のため、二人を殺害しても死刑にできなかったのである。彼ら犯行グループに更生の機会が必要だろうか。大いに疑問が残る。被害カップルは、リンチ・強姦殺人という地獄を味わっている。「少年法」は義務教育を終えている犯罪者には適応するべきではない、と思うのだ。(この項は「歴史に埋もれた重大事件」とコンテンツを共有しています)

心に肥大する「エディプスコンプレックス」---「上部康明」の挫折

池袋通り魔事件から3週間後に下関で発生した同様の事件が1999年9月29日に起きた「下関通り魔事件」である。連続して起きた事件に世間は驚愕した。JR下関駅構内にクルマで侵入、JRの乗客を次々に跳ね飛ばした。やがてクルマを降りた犯人は、包丁を振りかざしてホームへ駆け上がりさらに8人に襲い掛かった。5人が殺され10人が重軽傷を負う惨事となっていた。後の「秋葉原事件」に影響を与えたとされている、クルマで通行人に危害を加え、さらに刃物で刺し殺して回るという残忍な犯行であった。2007年、孤独な殺人鬼「上部康明」の死刑が確定した。では、「上部康明」とは如何なる人物なのか。「上部康明」は、1964年3月6日下関で生まれた。ともに教師の両親と妹の4人家族である。父親は威圧的で情け容赦なく、幼少時から逆らうことも出来ず、甘えることもできなかった。高校時代まで彼は勉強はできたが、友達はできなかったようである。融和な人間関係を築くことが出来ずに成人した。実際に、大学卒業後は就職もせずに引きこもりをしている。彼は、自分の心身の不具合を自覚していた。それをなんとか解消したいと思い、精神科への入院や通院を続けている。「対人恐怖症」という診断だったようだ。彼は、学業優秀のエリートであることを両親、とりわけ父親から要求されていた。おそらく、「のびのび」とは養育されなかったのだろう。さらに「医学部進学」の夢は、二浪させない方針の父親に断たれてしまった。彼はやむなく「九州大学建築学部」に進学する。心身の病が改善していた頃、彼は「建築設計事務所」へ就職した。やがて独立、結婚もした。---だが、ここから彼の人生は思い通りになってくれなかった。原因は「対人恐怖」にある。「設計事務所」の経営には「営業活動」が基本だが、それができなかった。当然業績は低迷する。妻との仲も不具合となる。父親に再三支援を頼むのだが突き放されてしまい、自暴自棄に陥る。離婚も成立してしまう。心身症がぶり返し、彼は「自分」を見失ってしまう。そして運命の日、父親から激しく叱責され重大事件を決行してしまった。

「エディプスコンプレックス」---これこそ彼が乗り越えなければならなかった心身の病だったのではないだろうか。

太陽がまぶしすぎた池袋サンシャイン---親に捨てられ社会からも「排除」された「造田博」の復讐

カミュの作品「異邦人」の主人公は、殺人の動機を「太陽が眩しかったから---」と述べている。この「ムルソー」と同じように理不尽に通行人に襲い掛かり池袋を騒然とさせたのが”異邦人”「造田博」である。1999年9月8日の事件当時、彼は足立区に住む、23歳の新聞配達員であった。造田博は1975年の倉敷市に生まれた。父親は腕の良い大工で比較的裕福であったという。小学校高学年になった頃、家庭環境が一変してしまう。それは、父親が遺産相続をして大金が転がり込んだからであった。家を建て生活ぶりが派手になった。ローンがあるので母親も保険外交員を始めてしまった。そのためか母親も服装が派手になり、家事を放棄してしまう。そして母親は暇を見つけてはパチンコに入り浸ってしまう。その頃、父親は肝臓を悪くして大工を止めてしまった。同時に父親もパチンコ通いを始めてしまう。家族には団らんというものがなくなっていた。両親ともますますギャンブルにのめりこむ。パチンコだけに飽き足らず、次第に競輪・競馬に没頭するようになった。やがてお決まりのコース。家計はどん底に沈む。借金取りが押し掛けて来るようになった。両親は家に戻らなくなっていた。いったい、人はここまでできるものだろうか。借金取りの応対は造田博がやっていた。まだ高校生である。彼は中学3年生になって猛勉強をしていたそうだ。そして岡山県下有数の進学校、県立倉敷天城高校への入学を果たしたのである。だが、1993年1月頃に、両親は家財道具を持ち去り失踪してしまう。造田博高校2年生であった。学業の継続が困難になってしまった。途方に暮れた彼は、当時隣の町広島県福山市で自活している実兄に救いを求める。だが、定職には就けなかった。無理もない、中学卒の学歴で相手にしてくれる会社はなかった。よくて派遣社員である。彼は職場をいくつも渡り歩いた。どこに行っても続かなかった。高校受験ではまだ夢があった。最低でも国立岡山大学へ入学したかった。それも叶わぬ夢となってしまった。ギャンブルで持ち崩し、自分を捨て、失踪している両親を憎悪していた。それは、やがて社会への憎悪として、どす黒く心の中で成長してしまう。起死回生の逆転劇を夢見て、彼は上京した。だが、東京でさえ彼を暖かく迎え入れてくれるところではなかった。こうして白昼の殺人鬼「造田博」が街角に現れたのである。福山でも東京でさえも彼は「太陽が眩しすぎる」異邦人に過ぎなかった。彼もまた、「秋葉原無差別殺傷事件」の「加藤智大」と同じように、「誰でも良かった---」のではなく、本当に殺してやりたかったのは、彼を捨てた「両親」だったのではないだろうか。「造田博」死刑執行を待つ身である。

スクール・キラー「宅間守」を育てた「修羅の家庭」---望まれなかった出生

実の母親の育児放棄と家事の放棄。それを苦々しく思い家族への暴力で憂さ晴らしをする短気な父親。1963年11月23日、兵庫県伊丹市に彼は生まれた。町工場で旋盤工を務める父と母は同じ職場で知り合った。彼を身ごもった時、「あかんわ---堕ろしたい---」そう言って母は出産を拒んだという。それもそのはず、家計は火の車だったからである。「長男だけでも大変やったのに---」だが、父親の説得に負けて守を生んだ。このとき堕胎するべきではあった。だが、守は端正な顔立ちで聡明そうであった。母親は守への授乳さえ嫌がったという。おそらく彼女の心の中には「死んでくれたらええのにな」といったどす黒い感情が芽生えていたのだろう。このような母体の心理状態は、その胎児には直接伝わってしまうものである。血液、体液、分泌されるホルモンが微妙に変わるらしい。それは最近の研究でも明らかにされている。母はいつしか家事でさえサボるようになる。そのため、ほとんどを父親が代行していたという。そして短気な父の体罰は常軌を逸していたそうだ。守は兄と相談して、父を寝ているときに包丁で刺し殺すことまで話し合った。守は生まれてからすぐに父方の祖母宅に預けられている。そのせいか、幼稚園では上手に友達を作れなかった。守は行儀が悪い、根気がない、動物をイジメるような反社会性が際立った児童であったらしい。5歳までに親からの愛情を感じて育たないと、その精神に障害を残すのかも知れない。それは、その後の彼の職歴をみるとよくわかる。努力ができない、根気がないくせに「社会への上昇欲求」だけは人一倍強かった。エリートの子供たちが通う「大阪教育大学付属池田小学校」を狙ったのは、かつて自分が憧れていた「エリート」たちが通う学校だからである。「宅間守」も「加藤智大」と同様に、本当に殺したかったのは、自分を産み落とした「両親」だったのではないだろうか。「宅間守」の自殺願望もまた強烈で、彼はその行動がもとで脳の前頭葉を傷つけてしまっていた。「死刑制度」が犯罪の抑止に繋がらない典型の小学校襲撃ではあった。

自殺願望を抱く殺人者---金川真大の「完全勝利」発言

2013年2月21日、東京拘置所にて死刑が執行された。死刑囚の名前は「金川真大」満29歳であった。彼が起こした犯行こそ、3か月後の「秋葉原無差別殺傷事件」に影響を与えたとされる「土浦連続殺人事件」である。金川の殺人動機は「死刑になるため」であった。そのため被害者が一人ではよくないと思い直し、日を変えてJR荒川沖駅構内で8人を次々に襲撃している。ここでは27歳男性が死亡。その結果死者は計2名、重傷者7名となった。取り調べでは驚愕の供述を行った。小学校の襲撃も計画していたのだ。理由は「確実に死刑に処されるから」であった。狙った学校に実際に行っている。だが父兄が予想以上に多かったために断念していた。その次には自分の妹を殺すつもりでいた。運よく妹は不在にしていたのでこれを諦めている。死刑が確定した直後の取材で「死刑になる---完全勝利です」と答えている。遺族への謝罪など一切なかった。むしろ晴れやかな表情を浮かべたという。自分が死にたいから他人を殺す---これほど理不尽な話があるだろうか。高校時代は弓道部に所属して腕を磨いていた。全国大会にも出場している。非行歴もない。いわば「ごく普通の男子高校生」であった。だが、部活を辞めたあと人変わりしてしまう。卒業後は定職にも就かずバイト暮らしを続けていた。これは店長の推測だが、金川は、弓道部で「失恋」し、「うつ病」に罹っていたのではないだろうか。彼は「自殺」以外に人生の目標を持てなかった。おそらく異性にもモテなかっただろう。父親は息子に一切干渉しなかったようである。この気の毒な父親は、息子と健全な親子関係を築くことはなかった。たぶん「引きこもり状態」の息子を放置していたのだろう。そして、妹は兄を言葉汚く辛辣に罵ったであろう。そのため自殺する時はこの妹を道連れにしたいと願っていた。金川は、最後に人生の願望を実現した。「死刑」で人生に幕引きしたのであった。(この項は「覚えておきたい最近の犯罪事例」と共有しています)

街角に現れた無慈悲な殺人者---加藤智大を育んだ「教育ママゴン」

歩行者天国が地獄と化した「秋葉原無差別大量殺人」の恐怖。犯人は25歳の派遣社員「加藤智大」であった。彼は神戸事件の少年Aと同じ年の生まれである。2008年6月8日の惨劇だ。この事件で7名が死亡、そして10数人が負傷した。世間が驚愕した。さらに目撃者の中には携帯で画像を送信するという、当時では珍妙な事態が始まったのもこの事件からである。白昼、、街角に現れた「加藤智大」はどんな人物なのか。後に彼の弟が週刊誌に手記を寄せている。それを読むと、彼がことさらに教育熱心な母親から、いわば歪んだ精神を育まされたのかが分かるのだ。この事件の本当の犯人は、この母親ではないだろうか。そして店長の意見だが、「加藤智大」が本当に殺してやりたかったのは、その「母親」だったのではないだろうか。加藤の小学時代は母親の精神的な圧政下にあった。何を買うのも母の許可が必要だった。テレビの視聴もゲーム機でのプレイも禁止された。友達と遊びに行くことも禁じられた。習い事だけの日常だった。のびのびと育てるのが普通のやり方だが、この母親にとって加藤智大は、意のままに動くロボット(それも優秀な)でなければならなかった。おそらく、この母親には精神上の欠陥があったのだろう。加藤が本を買いたいと母親に告げる。母親は、その本の感想文提出を条件に購入を許可したという。小学校では宿題が出される。その回答に「検閲」をしていた。「この熟語を使う意図はなに?」などと質問した。「10秒ルール」なるものがあったそうである。母親は質問を繰り出しては、加藤の返事が遅いと「10秒のカウントダウン」を始めた。そして10秒経っても返事ができない場合には容赦なくビンタを食らわせたという。これは「教育」ではない。いわば「虐待」である。絵の宿題には、その構図を母が考えた。感想文の宿題には、テーマに沿った切り口を母親が考えたという。加藤はその通りに宿題を仕上げていた。小学校では、「テレビ視聴を禁じられていた」ので、友達との輪の中にも入ることができない。母親が小学校教師の意図を汲んで模範解答を導く。当然だが成績は悪くならない。だが、店長は思う。こんな教育が正しいと云えるであろうか。応用力が育成されるだろうか。加藤には、他人を思いやる優しい想像力、さらに応用力のきく創造性は醸成されなかった。高校生になって成績が伸び悩んだのは、この「指導」が誤っていたからではないだろうか。一度母親に激しく叱られ、加藤は弟と一緒に1時間も歩いておばあちゃんの家に向かった。そして祖母の顔を見るなり大泣きしたという。祖母が母親を諫めると「今後、教育に口を出すことは許しません」と云ったらしい。加藤の母親は、息子たちの「男女交際」を毛嫌いしていた。異常なほどに憎んでいた。そのため加藤も弟も同級生の女子からの年賀状でさえ受け取ることができなかったという。加藤の欲求不満は心の奥深いところまで沈潜していった。高校生になった加藤は、母親に暴力を振るうようになる。母親の「期待」に沿えない「歯がゆさ」。思い通りにならない「もどかしさ」は頂点にまで沸騰していた。攻撃対象は部屋の壁であり母の顔であった。---そして、あの日がやってきてしまった。無関係の尊い7名の人生が奪われた。

「アナタハン女王事件」---異常心理下の恐怖

太平洋戦争が集結する1年前、日本軍への食糧を輸送していた漁船が米軍の攻撃を受けて沈没した。生き延びた乗員30名が「アナタハン島」に上陸を果たす。この島は、サイパン北120㌔付近の小さな島であった。無人の島ではなかった。ここには日本人の農園技師と、夫に取り残された若い女性が住んでいた。1944年6月である。

上陸した30人は、この日本人たちと合流する。つまり、一人の若い女と31人の男とが共同で暮らすことになったのである。これが「アナタハンの女王事件」と呼ばれる凄絶な殺し合い事件の幕開けであった。しばらくすると、気の合った者同士に分かれて暮らすようになる。若い女は農園技師と関係を持って暮らし始めた。そして彼らは1945年8月15日の終戦記念日を知らずに島で生活を続けたのだ。そして翌年、山中に墜落したB29が発見された。その機体の中に存在した物こそ「悲劇」を呼ぶ代物であった。「ピストルと弾丸」である。そのあとで彼らがどうなるのか、容易に想像できる。ピストルを手にした男は、農園技師を脅して若い女を奪ってしまう。ところが、この男が殺されるのだ。さらに若い女を巡って殺し合いが続いた。殺された男は合計で9人になった。残った男たちは集まって協議した。「---この際、若い女を殺してしまおう」

若い女は、「アナタハン島」を抜け出して米軍に投降そして保護された。1950年5月であった。極限状況に投げ出された男たちであった。リーダーの不在、ピストルの発見、若い女性の存在。これが揃ったとき「悲劇」の幕が上がったのだ。この異常な条件下で起きた特異な事件は、全容が解明されたわけではなく、誰も処罰されなかったという。語り草になっただけである。なお、「桐野夏生」は、この事件をベースにした小説「東京島」を発表している。

殺人鬼は隣人---犯人と被害者女性は同じ屋根の下

江東区で起きた「神隠し事件」は、犯人も、そのマンションの住人であった。2008年4月18日、江東区のマンションに住む23歳の女性会社員が行方不明になった。家族から捜索願いが出されており、警察はマンションでの聞き込み捜査を開始した。被害者の室内を詳細に調べたところ、わずかながら女性の血痕と第3者の指紋が検出された。被害女性がその後外出した形跡がないところから、警察は内部で犯行が行われたとみて慎重な捜査を進めていた。マンションはおよそ半数が空き部屋になっていた。全住民の指紋採取が執り行われた。犯人は、そのときに自分の指を薬品か何かで痛めていたため照合できなかった。被害者の遺体はなかなか発見されなかった。2度目の指紋採取が実施された。男の指は皮膚の再生が進んでいた。今度は照合されてしまった。男は「エロ・ゲーム」にどっぷりハマっていた。いつか現実の中で「女性を性奴隷」にしたいと願望するようになった。異常な犯人の名は、「星島貴徳」である。彼は岡山県出身、当時33歳、コンピューター関係の派遣社員である。

この事件は、犯人がほぼ正確に供述したこともあり、意外と早期に結審した。2009年には最高裁で「無期懲役」が確定している。

明らかになった事件の全貌。「星島」は、女性を早くから物色しており、「監禁して性の奴隷」にしようと計画していた。そして、女性の帰宅直後を襲い、部屋に侵入。騒がれたため殴りつけて気絶させ、自分の部屋に連れ込んで監禁していた。その後、捜索願が出されていて、自分の部屋にも調べに来た。発覚を恐れた男は急いで女性を殺害し、遺体をバラバラに解体、細かく分けてトイレに流した。犯行後も何食わぬ顔で会社に出勤していた。マスコミの取材にも応えていた。この事件の2週間後に「秋葉原通り魔殺人事件」が起きたため、この事件の「扱い」が小さくなってしまった。「星島」は女性との交際経験がまるでなかったという。どうしてこれほどまでに「極端」から「極端」へ「妄想」から「妄想」へと容易に衝動が移動するのか。彼は「エロ・ゲーム」でその才能を開花できたかも知れない。「黒い欲望」を封じ込めておけば良かった。そうすれば、最高の「エロ・ゲームクリエイター」として素晴らしい作品を生み出したかも知れないのだ。

依存的で拒絶に弱い---典型的ストーカー予備軍

彼らの多くが、子供の頃に親と死に別れたり、虐待を受けていたり、反対にかまってもらえなかったりして、心に痛手を受け、なおかつ引きずっている。別れ話の際に、彼らが捨てられたと思い込み、怒り狂うのは、子供時代の心に負った傷を思い出し、その局面からの自己防衛本能がはたらくからである。

殺人カルトの考察---誰が何のために入ってしまうのか

南米ガイアナ人民寺院事件、1978年11月18日信徒900人余りが中央パビリオンに集められた。代表者は、ジェームズ・ウオーレン・ジョーンズ、「ハルマゲドンが迫っており、我々は死なねばならない」と主張し会員たちをシアン化物で毒殺し、直後に彼はピストル自殺した。この事件では、914人の彼の信徒が全員が死んだ。当時、日本でも大きな新聞記事になっていた。カルトの定義は簡単ではない。その集団の成立時期によっても異なる。キリスト教のように多数派になることがある。信仰団体だけとは限らない。カリスマ性があり、強力な指導力がある社長に率いられた企業体を指すこともある。AMWAYがそうであるし、IBMとて創業当時はそうであった。現在なら、アップルやマイクロソフトがこれに匹敵するだろう。

人は誰でも、精神的苦悩や苦痛を抱えている。これを「精神的飢餓状態」という。その「飢餓感」から救済してくれるのが、まさに「カルト」である。例えば「オウム真理教」だ。既存の「新興宗教にはない魅力」がそれである。多くの理系秀才が絡めとられてしまった。刺殺された「村井幹部」であったが、高校時代は天才的に数学が出来ていたらしい。教師が授業中に「村井、これで間違ってないやろ?」と訊くほどだったという。「オウム真理教」には、優秀でなおかつ向上心があふれている若者が引きつけられてしまった。不幸にして教団の一員になってしまうと抜け出すのは困難になる。教祖の化けの皮が剥がれたとしても、無意味で希望がない人生(それこそ妄想であったのだが)と思い込んでいた自分の人生を支えてくれ、活力をもたらしてくれた精神的支柱を失いたくないからである。「オウム事件」で多くの信者が逮捕されたが、「麻原尊師に帰依します」という法廷での発言が相次いだのをみても分かる。

連続殺人者--英語名・シリアルキラー

この書には、血も凍るほどの恐るべき連続殺人が紹介されている。個別のケースで犯人の生育環境が述べられているが、それぞれにぞっとする。シリアルナンバーと云えば「製造番号」を思うのだが、これには、セクシャルという語が付き物である。殺人鬼の興味は被害者にはなく、己の性的満足にしか関心が向かない。被害者は人格者ではなく単なる獲物に過ぎなくなるのだ。その殺人鬼の代表が、「アンドレイ・ロマノビッチ・チカチーロ」である。最初の事件は1981年9月3日にロシアで発生する。それから12年間で52人の殺人を繰り返した。彼は性的不能者であった。少女や時には少年をいたぶり身体を傷つけ、彼女たちが苦痛や激しい痛みに耐えきれなくなるのを見て愉悦し射精していた。もう二度とこの世に現れて欲しくない男であった。彼は1994年2月21日に処刑された。彼自身は苦しむこともなく、頭を打ち抜かれて死んでいる。