闇金業の老婆はなぜ狙われたのか---「小樽・資産家女性殺害事件」の罪と罰

その被害女性は、無登録で金融業を営んでいた。いわゆる闇金融である。事件は2011年7月5日に発覚した。被害者「木本澄子さん」(事件当時81歳)は、小樽市内のマンションで遺体となって発見された。刺傷は背中にも腹部にも10数か所もあった。玄関は施錠され、被害者の財布は現金が入ったまま残されていた。しかも、室内には争った形跡が全くなかったという。そのため警察は顔見知りの犯行と結論したのだ。「木本澄子さん」はアパートを経営する傍らに闇金融を営む知られた資産家であった。主婦から個人事業者まで顧客は多岐にわたった。その中に経営難に陥っていた不動産業を営む女性がいた。女性は「広岡久子容疑者(62歳)」1500万円もの借入金があった。さらに、木本さんが亡くなった当日に容疑者は会う約束をしていた。状況証拠はここまで。そして彼女は否認を続けた。警察の家宅捜査でも殺害を裏付けるような証拠は出なかった。そもそも容疑者の返済日は7月1日であった。返済期限を過ぎても広岡容疑者は借金を返さなかった。「木本澄子さん」は、知人に「--どうしよう、貸したお金が戻ってこない--」と愚痴をこぼしていたそうだ。結局、容疑者は処分保留のまま釈放されている。誤認逮捕だったのであろうか。この報道を聞いた時、店長の私は、ドストエフスキーの名作「罪と罰」を思い出した。主人公の貧乏学生「ラスコリーニコフ」は、一つの悪行は百個の善行によって贖い得る、という偏った思考の持ち主だった。彼は高利貸しの老婆を殺害する。社会にとって無益な老婆が所有する金銭は、云わば死んだお金であって、それを自分が所有し活用することで社会のためになると信じ込んでいた。小樽の資産家が、「ラスコリーニコフ」が殺害した高利貸しの老婆と同じだというつもりはない。しかし---未登録で金貸しを行っていたのは法外な金利を要求するためだったのだろうか。そして事件は暗礁に乗り上げてしまった。誰もが資産家に憧れる。だがそれは「守銭奴・強欲・どケチ」とあまりホメられた存在ではない。「木本澄子さん」はアパート経営だけで満足すべきであった。

火炎に包まれた犯人はどこへ---「愛知県豊明市一家殺害事件」の残忍な犯行

その家が火炎に包まれたのは2004年9月9日であった。場所は愛知県豊明市。一家4人が犠牲になった。襲われたのは「加藤博人さん」の一家である。検視の結果、焼死体には刺された跡、鈍器で殴られた跡があった。犯人の行方は分かっていない。残業中だった加藤さんは無事であった。母親と娘はナイフで執拗に刺されていた。息子二人は鈍器で撲殺されていた。そして家には無かったとされる灯油が撒かれ放火された。4人は司法解剖で肺の中に煤が見つかっている。放火され、しばらく息をしていたと思われた。この残忍な犯行は時効延長が決まる直前だった。怨恨の線で捜査が進められたが犯人の逮捕に至っていない。不審者がドアをこじ開けようとしたことがあり、家族の防犯意識は決して低くはなかったらしい。良く吠える柴犬を飼っていたが、当日に犬の吠える声を聞いた隣人はいなかったという。消防隊が消火活動をしているとき、犬はクルマの下に隠れ心配そうに見守っていたという。柴犬を手なずけたのだろうか。犯人の用意周到ぶりがうかがわせられる。同じく未解決の「世田谷一家殺人事件」が起きたのは2000年であった。防犯・防火には万全を期しておきたいものだ。⇒監視カメラ・ダミーカメラはこちらへどうぞ

なんとも”凄惨”な青酸入りコーラ放置事件---関係者不可解なガス自殺「青酸入りコーラ殺人事件」のてん末

この事件は、未解決のまま時効が成立している。誰が何のために行ったのか。最初の犠牲者は16歳の高校生である。1977年(昭和52年)1月4日であった。場所は東京・品川、電話ボックス内に置かれていたコーラ(封がしてあった)をバイト帰りの男子高校生が寮に持ち帰った。帰宅してくつろいでそのコーラを口にした。高校生は、おかしな味だとすぐに吐き出したのだが、間もなく意識を失った。病院に救急搬送されたが間に合わなかった。翌朝、今度はその電話ボックスからおよそ600㍍先で中年ホームレスが倒れていた。コーラの空き瓶が転がっていた。さらに付近の赤電話の横に放置コーラが見つかったのだ。いずれも青酸化合物が混入していた。この事件が報じられるや世間に動揺が走った。コカ・コーラの売れ行きが悪くなった。様々な憶測が拡がる。競合他社か、株式関係者か、手掛かりはなく、犯人は闇に消えてしまった。この年、日本赤軍が日航機をハイジャックして世間が仰天した。

戦後初の「公訴時効」---「萩原功明ちゃん誘拐殺人事件」捜査当局の無念

誘拐事件は1987年(昭和62年)に発生した。群馬県高崎市の幼稚園に通っていた「萩原功明ちゃん(事件当時5歳)が神社に行くと言い残して行方不明になってしまう。9月14日午後4時30分頃であった。そして2時間後に現金2千万円を要求する脅迫電話が入った。だが、犯人は最初の電話のすぐ後で「功明ちゃん」を殺害していた。しかも2日後見つかった遺体は川の中で、生きたまま橋の上から投げ落とされていた。死因は窒息死であった。電話には逆探知が試みられていたが、当時は回線制限が必要なため長期間のシフトは不可能であった。結果としてこれに失敗し、犯人逮捕には至らなかった。群馬県警ではのべ26万人の大捜索を行ったが、戦後唯一の誘拐殺人としては公訴時効を迎えてしまった。最低でも「防犯ブザー」を携帯させましょう。いまや安全な場所はどこにもない。

殺された娘から届いた15年後の私へ---闇に消えた犯人「柴又女子大生殺人放火事件」

事件が起きたのは平成8年9月9日の午後4時35分ごろ。葛飾区金町の住宅から火の手が上った。しかし、火事鎮火後に消防隊員が当事21歳の、その家に住む次女順子さんの無残な遺体を発見した。口、両手を粘着テープで縛られ、ナイフでメッタ刺し。両足をストッキングで縛られていた。だが、バッグにあった現金14万円は手つかず。その他、貴重品も残され、室内は荒らされた様子はなかったという。さらに、暴行の形跡もなかった。そして犯人は証拠を隠すために放火したものと思われた。だが捜査はすぐに行き詰まった。怨恨の線で交友関系が疑われたが、誰ひとり浮び上がってこない。それにしては、あり余る殺意を感じさせる。しかし、真面目な順子さんを恨むような人物が見当たらない。一方的に恋慕しているストーカーがいたのではないか。さらに交友関係が洗われたが、捜査線上に誰一人浮かび上がってこない。あるいは、本人さえ知らない影の片思い男がいたのかもしれない。事件から2日後に彼女は米国に留学する予定だった。準備も出来ていたという。順子さんには先に米国留学している3年越しの交際相手がいた。犯人は、母親が外出した直後に家に侵入している。わずか45分の間に行われた殺人である。これは単なる物盗りとは思えない。母親は施錠せずに出かけてしまったことを後悔しているだろう。防犯・防災対策が為されていれば、悲劇は避けられたと思えるのだ。店長の私は、初めて東京暮らしをスタートしたのが、この事件が発生した葛飾区金町であった。下町の風情が色濃く残っている街である。悲しさや、やり場のない怒りの中で、15年前の本人からの手紙が届けられた。それは昭和60年「つくば博覧会」での催しであった。その手紙は、その当時小学5年生であった順子さんが21世紀の自分にあてたメッセージであった。彼女は記している。「---その頃のわたしは子供が二人くらい居て、2階建ての広い家に住んでいて、子供たちにかわいいスカートやポシェットなどを作ってやっていて平和な家庭だと思います---」成績優秀で、特に英語は大好きであった。15年後の希望を打ち砕いたのは誰なのか。順子さんの仏壇の前でご両親は15年前の本人の手紙を読んでは涙が止まらなかった。

苦節16年、冤罪を勝ち取ったヒーローだったが---その男は希代の「殺人鬼」だった

事件は1974年夏に発生している。首都圏を中心に8人の女性が襲われ、強姦・殺害される「首都圏連続女性殺人事件」である。犯行手口が似ていることから警察は同一犯によるものとして捜査を続けた。犠牲者はいずれも木造アパートの2階で単身で暮らしていた。さらに殺害後にはアパートに放火された。証拠隠滅のためであった。犯人は、犯行以前から一人暮らしの未婚女性に目を付けていたようであった。そして別件で逮捕されたのが、無職の「小野悦男」(当時38歳)であった。事件から4カ月後に「小野」の供述どうり被害者の遺品が発見された。だが、「小野」は自白は強要されたもの、として無罪を主張した。法廷ではこの攻防が続いたため12年もの年月を費やしてしまった。弁護側は、物証は警察のねつ造と主張したが、千葉地裁は、求刑通りに無期懲役判決を言い渡した。「小野」は直ちに控訴した。それから5年後、東京高裁での控訴審において逆転無罪の判決が下された。「小野悦男」は16年ぶりに釈放された。ここに「冤罪のヒーロー」が誕生したのであった。犯人扱いしてきたマスコミはこぞって無罪となった「小野悦男」を称賛したのだ。ところが、この物語には「続編」が用意されていた。1996年1月9日、足立区で首のない女性の焼死体が発見された。しかし現場付近に残された布団から「小野悦男」の体液が見つかったのである。被害者は小野と同居していた女性であった。家宅捜査が行われ、裏庭から切断に使用したのこぎりや女性の頭部が見つかったのであった。「冤罪のヒーロー」は一転して再び「殺人鬼」へと返り咲いた。1999年2月に東京高裁は「小野悦男」に無期懲役を言い渡したのであった。

1974年当時は、今ほど防犯意識は徹底していなかった。防犯灯のない街路が多かったのである。犠牲者はいずれも仕事から一人で帰宅する途中に襲われていた。いつの時代でも独り歩きは良くない。さらに防犯ブザーの携帯は必須である。

街角に毎夜現れた娼婦---実は大手公益企業調査室のエリート社員

もはや世間から忘れ去られてしまった「東電OL殺人事件」であるが、収監されていた容疑者の再審請求が実現した。その結果、殺人が行われた部屋の遺失物からは容疑者とは別人のDNAが検出され、このネパール人は逆転無罪が確定した。彼は本国で待つ家族の元へと帰国した。いまや「冤罪事件」として社会的な命脈を保っている。だが、被害女性の実像は何ら答えが出てこないのだ。発覚当時1997年3月から5月頃まで殺害された「東電経済調査副室長」の女性について憶測記事や推測記事が週刊誌に溢れ遺族の心を逆なでした勝手な興味本位の記事が溢れていた。それは遺族からの正式抗議がなされるまで繰り広げられた。殺されてしまった女性の「心の闇」など、誰にも理解されようハズが無かったのだ。エリート社員は、優れた経済論文まで東電に残していた。学歴も慶応大学出身である。このエリートOLのすざましい「生き方」に社会学的な考察を行った女性がいる。「水無田気流」さんである。店長はなるほどと納得した。「防犯対策」のテーマから逸脱するのだが、ぜひこの項で紹介したい。引用するのは水無田気流著「無頼化する女たち」洋泉社新書刊行の社会学の書である。誰もが導くことができなかっただろう社会学者特有の推論が生まれている。店長は膝を打った。胸に残ってしまったわだかまりが、氷解していく。「さもありなん」と。その結論こそ「女性」の「生命の息吹」なのに違いない。2度も発症してしまった「摂食障害」。これを乗り越えた時、彼女に芽生えた「生への渇望」それこそが彼女の未来を無慈悲に奪ってしまった。引用してみたい。「---拒食によって自身の生が消滅する間際になり、反作用のように沸きあがってきたのが、性衝動と、自分の性的価値を客観的に把握したいという欲望だったのではないか---」事件前にたびたび目撃されている被害女性の奇特な行動がある。彼女は「売春」のノルマを達成するとコンビニに立ち寄って、おでんの「こんにゃく」「シラタキ」ばかりを買っていた。ダイエットのためのカロリー計算が、その優秀な頭脳では始終行われていた。まるで経済統計を予測するアナリストのように。さらに引用する。「---1千万円近くあった東電での給与所得と、売春によって得た女性としての価値への対価は、また別物だったに違いない---」この被害者社員が思い込んでいたように、東電は彼女をはたして「冷遇」していたのだろうか。

もし、彼女の「女性的価値」が比較的低いと周囲に囁かれたために冷遇されていたとすれば、それは東電だけの問題ではない。日本社会全体を覆っている深刻な問題ではないだろうか。もう少し説明しよう。「女性的価値」とは、例えば「上手に湯呑茶碗を洗う」「可愛げがある」「身の回りの掃除などよく気が付く」「よく笑う」などである。著者は云う。彼女のもう一つの人生は、それら日本社会に対する「---壮絶な復讐劇でもあった---」と。(この項は「邪悪な夢・異常犯罪の心理学」とコンテンツを共有しています)

路上で「喧嘩」を売り買いしてはいけない---京都精華大学生殺人事件

京都市左京区岩倉幡枝町の街路は碁盤の目のように整備されている。京都中心地からほど近い。出会いがしらの交通トラブルは少なく無い。この地で大学生が刺し殺されたのは2007年(平成19年)1月15日午後7時45分頃であった。京都精華大学の学生である千葉大作さん(事件当時20歳)

自転車で友人宅に向かっていたところ見知らぬ男とトラブルになった。男は千葉さんの胸や腹さらに背中を刺して逃走してしまう。血を流して倒れている千葉さんを通行人が発見した。すぐに搬送されたが、1時間20分後に病院で亡くなった。失血死であった。現場は畑に面した細い市道で、二人が言い争いをする姿が目撃されている。目撃証言によれば、犯人と思しき男は比較的大柄でママチャリに乗っており「アホ!ボケ!」と千葉さんを罵っていたそうである。おそらく、双方の自転車がぶつかりそうになったのだろう。「千葉大作」さんに殺されるような非はなかっただろう。とは云うものの素直に「すいません」と詫びれば良かった。通り魔的な事件のためもあって捜査は難航している。いずれにせよ、言いがかりを売り買いしてはいけない。また、二輪車搭載用の「ドライブレコーダー」もある。用心するに越したことはないと思える。

その時ドライブレコーダーが付いていれば---車内で休息中に襲われる

佐賀会社員撲殺事件は、2004年2月8日深夜から9日未明に発生している。鳥栖市飯田町の九州自動車道に沿った市道で、入口和俊さん(当時24歳)が車内で死んでいた。発見したのは母親と妹である。帰りが遅く、心配していたが、会社から「まだ出勤してこない」という電話を受けて不審に思い、友人に訊いた情報をもとに付近を探していたところ、和俊さんのクルマを発見。「こんなところで休んでいたのか」と安心したのも束の間、和俊さんは冷たくなっていた。よく見ると、車内に血痕が飛び散っている。

目撃者もいなかった。和俊さんの財布が抜き取られていた。強盗殺人事件として対策本部が置かれた。頭に負傷していた。クルマのドアを施錠していなかったようだ。このミスは悔やまれる。クルマを離れる時には、ほんのわずかな間でもロックすべきである。おそらく窃盗事件ひとつ起きない平和なところなのだろう。目撃情報がないので捜査は難航していた。両親は目撃者を捜すために「ちらし」を作って鳥栖サガンのホームグラウンドや福岡市中心部でも「ちらし」を用意して努力されたが、有力な情報は集まらなかった。「ドライブレコーダー」さえ稼働していれば、殺されることもなかっただろう。残念である。

亀戸美人漫画家殺害事件---マンションの一室、腐乱遺体で発見

国勢調査員が異臭に驚いて発見。そのマンションは江東区亀戸にあった。当時28歳の女性漫画家の変わり果てた姿であった。司法解剖の結果、死因は頸部圧迫による窒息死と判定された。この女性は熱烈なファンを持つ人気漫画家である。長く伸ばした髪が魅力的な女性で容姿端麗でもあった。だが、死後10日以上経っていることに加え、目撃情報もなく、捜査は難航している。ストーカー説なども出ていた。決めてとなる手がかりはなかった。防犯対策は万全だったのだろうか。玄関のセキュリティだけで安心していると思わぬ事態が起きる。個別に自分の部屋でも完全にロックする必要がある。オートロックの玄関は、意外にすり抜け易い。だから監視カメラも併設置したい。

神戸テレクラ放火殺人---火炎瓶によるテロ事件?

そのような政治的主張なら良かったのだが、犯行の首謀者は、なんとテレクラ同業者だった。知らない人に説明を加えると、「テレクラ」とはテレホンクラブの略である。現在でいう出会い系サイトに相当するのだ。つまりネットではなく、漫画喫茶のような個室スペースでやり取りするのである。ネットが普及した今では、その営業形態に驚いてしまうのだが、この事件当時には活発な風俗業であった。孤独な人をつなぎ合わせるという意味でも、出会い系サイトに近い。経営者(加害者)はライバル店をつぶすために麻薬密売組織に襲撃を依頼したのである。実行犯たちは4,000万円で犯行を請け負った。2店舗が襲撃され、4人が死亡、4人が大やけどを負った。首謀者、実行犯とも逮捕され、無期懲役が確定している。雑居ビルの放火事件も後を絶たない。宿泊所代わりに漫画喫茶で寝泊まりしているときに放火され、命を落とした会社員もいる。いかがわしい店は敬遠したい。それが都会で身を守る秘訣である。

子宮を切り裂き胎児を取り出した悪魔---謎のまま迷宮入り

いったい誰が悪魔の所業を。1988年3月18日名古屋市で、会社員のAさんが帰宅しても、いつものような妻の声はなかった。一瞬空耳かと思ったのは、赤ちゃんの泣き声だった。奥の部屋には、妻が変わり果てた姿で倒れていた。そして血まみれで泣く嬰児にはへその緒がついており畳に伸びていた。妻は電気コードで首を絞められている。いったい誰がこんなことを---Aさんは、部屋にあるはずの電話がないことに気が付いた。すぐに隣の家に駆け込み混乱しながら通報した。電話は意外なところから見つかった。なんと妻の子宮である。捜査は難航した。手がかりは容易に掴めなかった。警察の懸命な捜査も空しく、やがて2003年3月18日に時効が成立した。この事件は「名古屋妊婦殺人事件」と呼ばれた。個人的な怨恨だろうか。妻を一方的に慕うものの犯行だろうか。さっぱり分からなかった。防犯が行き届いたマンションであっても容易に侵入できる。この場合、臨月の妻を実家に帰らせるべきであった。

茨城・女子大生殺害事件---置手紙を残して深夜の外出

2004年1月31日に茨城県美浦村で発生。謎だらけである。深夜に交際相手を部屋に残して外出したのだ。被害者は、当時茨城大学農学部2年生であった。いったい誰に遭うために出かけたのか。謎ばかりである。その後、彼女は全裸で清明川河口付近に浮いているところを発見された。司法解剖の結果窒息死であるとされたが、首、左肩さらに胸には刃物によるとみられる深い傷があった。犯人は被害者の身元を隠すために、解体を試みたと見られている。また、殺害されるまで一緒にいた男子学生いがいにも交際男性がいたようであった。大学では、トライアスロン部に所属していた。その交際男性も徹底的に取り調べられたが、事件とは無関係であった。捜査が続けられたが、いったい誰に呼び出されたのか、まったく分からなかった。深夜でなくても若い女性の一人歩きは危険である。注意するに越したことはない。

繁華街で失踪---美人女子高生に何が起きた?

室蘭市の高校1年生、千田麻未さんが突然居なくなったのは、2001年3月6日のことであった。彼女は北海道でも指折りの進学校に通い、成績はトップクラスであた。また、校内にファンクラブができるほどの美少女でもあった。失踪当日の麻未さんは不可解な行動を取っている。彼女はパン屋さんでバイトをしていた。そして、この日はそのパン屋でコーヒーの講習会が行われる予定であった。しかし予定の時間にバイト先に現れなかった。警察やマスコミの疑惑は、このバイト先の店長に向けられた。そして3日に渡り取り調べを受けたのであった。疑惑は晴れたのであるが、風評被害が広まりパン屋の売り上げは激減。気の毒なことに店は倒産した。北海道警は2,000人以上の捜査員を動員しているが、その行方は掴めなかった。当日、なぜ麻未さんは、バイト先で約束の講習会があるのに、三つ先のバス停で降りたのか。しかも時間が過ぎているのに室蘭サティの化粧品売り場に15分もいたのか。謎だらけであった。

島根女子大生死体遺棄事件--世にも稀な猟奇的犯行

この事件は、現場が広島県内ということもあり、地元の新聞が連日報道していた。事件は、2009年11月6日に女性の切断された頭部が山中で発見されて明るみになる。続いて胴体の1部が見つかった。胸は刃物でえぐり取られ、内臓のほとんどが取り出されていたという。例を見ない残忍さであった。被害者の女性は、当時19歳の島根県立女子大生の平岡都さんと判明する。香川県坂出市の出身であった。事件当時は、大がかりな捜査が続けられたが、手がかりはなし。平岡さんは、行方不明当日アルバイトから帰る姿が駅前で目撃されている。その後の消息は不明である。交友関係も洗われたが手がかりなし。彼女にはストーカー被害もなかった。まったく暗礁に乗り上げてしまったのだ。では、なぜ犯人のクルマに安やすと乗ってしまったのだろう。こちらも謎である。犯人は顔見知りかもしれないが、搜査が難行していることを考えるとそうでもないようだ。

この事件、防ぐ手立てはなかったのだろうか。まず防犯ブザーは必需品である。そして、できれば単独で行動しないこと。また、今回のケースのようにバイト中に目を付けられることがままあるのだ。変質者はどこにでもいる。

八尾市「一家ヤミ金心中事件」---世間が憎い

最近では、ニュースにもならないが、この事件こそサラ金「グレーゾーン」廃止へのきっかけとなった。憶えておられるだろうか。大阪府八尾市で発生した「老夫婦一家心中事件」2003年4月のことであった。3人のマジメな方たちを死へと追いやった。これこそ、悪質な「ヤミ金融事件」として世間に暗い影を落とした。最初に借りたのは、わずか15,000円にすぎなかったのだ。業者は無理矢理に貸し付けて、強引に返済を迫った。

なぜ、この方たちはヤミで借りたかというと、定年後の生活苦である。しかも事故で脚を悪くしていて、働くこともできなかったのである。この点は他人事ではない。誰にも起きうるのだ。行政の貧困を嘆いても始まらない。繰り返していう。「年齢をかさねるのも、貧困に陥るのも罪ではない。それを利用する輩がいることが罪なのだ。

ストーカー行為の果てに---一家3人を殺害

群馬、片想いが暴発、たいへんな結末を迎える。98年1月14日、群馬県群馬町でその惨劇は起きた。犯人は、つきまとい行為を2年前からくりかえしていた、トラック運転手の「小暮洋史(当時26歳)」である。無口でマジメ、人つきあいが苦手。一方トラブルもなかったという。決まった相手がいる女性に横恋慕。迷惑な話だが、防ぐ手立てはなかっただろうか。被害者の女性には何の落ち度もない。電話番号も住所も教えてはいない。「小暮」が調べて入手したものだ。両親が刺殺され、祖母は絞殺された。本人は留守のため無事であった。いきなり家を訪ねて、つきまとい行為を両親に咎められ、カッとなって殺害したものと思われている。被害家族には、運が悪かったというだけでは済まされない。まだこの頃ではストーカーが家族を襲うといった犯例は少なかったのだ。だから防犯意識は高いものではなかったのである。犯人はどこに潜んでいるのか、量刑的には死刑を免れることはないだろう。

JR池袋駅目撃者多数---だが迷宮入り

店長の私は20年間、都内で営業をしていた。電車を利用していた。だからJR池袋駅ならよく知っている。1996年4月11日、ここで不幸な事件が起きた。よくある「酔っ払い同志のけんか」に過ぎなかったはずであった。ところが一方の会社員が大学生の頬を張ったとき、ふいを付かれた学生がもんどりうって倒れた。しかもこの時に後頭部をホーム地面に打ちつけてしまった。酒を飲んでいなければ、このような転倒などは起こらなかっただろう。シラフの状態であれば、頭を守るような転び方ができただろう。転倒して痙攣を起こしている学生を尻目に、この会社員の男はホームに滑りこんで来たJRに乗りこんでしまった。学生は、事件発生当時立教大学の4年生であった。学友たちとキップ売り場で別れたのが、この日の午後11時30分ごろであった。そして目的のホームへ向った。争そいのきっかけは分っていない。大学生はいったん意識を取り戻したが、5日後の早朝に息を引きとった。額と違って後頭部は危険である。

目撃者は120人にものぼるが、有力な情報がないままである。酔って雑踏をウロウロしてはいけない。それが己の身を守るコツである。

津山事件をご存知ですか?---知らない。では「八墓村」は?

では、この歴史的な事件を紹介しよう。津山事件1938年、当時21歳の青年が村人30人を惨殺、本人は山中で自殺した事件。肺結核を患い、徴兵検査に不合格となっていた。村人がこぞって悪口を云っている、そう思いこんだ青年は大量殺人をやってしまったのだ。住民は「崇りじゃー」と口ぐちに云っては恐れた。ところで、「八墓村」という村は実在しない。原作者横溝正史の仮空の地名である。今でも、旅行者が津山駅前の交番で「八墓村」はどこですか?と尋ねるそうである。嘘ではない。

それはともかく、この「祟り」ならぬ「神隠し」事件が津山で起きている。2004年9月3日に発生した。被害者は、無邪気な笑顔の小学3年生、筒塩侑子ちゃんである。帰宅直後に襲われたらしい。いたずらの跡もない。室内を物色したようすもなかった。動機の解明も不明であった。また、その行方はまったく分からない。防ぐことはできなかったのか。家には鍵がかけてあった。犯人は侑子ちゃんのスグ後から入りこんだらしい。もし、ダミーカメラが設置してあれば。おそらく犯人は警告音をきいて逃げ出しただろう。家庭の防犯対策をしっかりと行いましょう。

横山ゆかりちゃん誘拐事件---生存していれば、いま何歳?

群馬県のパチンコ店で、女の子が行方不明になったのは、1996年7月7日のことであった。店内の防犯カメラには不審な男が映っていた。両親はパチンコに熱中しており、目を離したすきに「ゆかりちゃん」は姿を消したのだ。この不審な男を警察は追ったが、逮捕にはいたらず、事件は闇の中に投げ入れられてしまった。このケースも防ぐことはできなかったのだろうか。「目を離したスキ」をなくすことだ。手っとり早く犯罪を抑制するにはこれしかあるまい。子どもを独りにしないことである。犯罪はどこにでもある。例外はないのだ。

広島廿日市・女子高生殺人事件---悲鳴を聞いて駆けつけた祖母も刺され重体に

不幸な事件は04年10月5日に発生した。状况から顔見知りによる怨恨殺人かと思われた。だが、被害者には恨まれるような心あたりはないようだった。交友関係が徹底的に洗われたが、手がかりはなかった。犯人のゆくえはまったく知れなかった。襲われた家は古くからの地主であったが、特に怨みを買うような家ではないという。犯人は通り魔なのだろうか。搜査は暗礁に乗り上げてしまった。

この事件でも、被害者宅の防犯意識は決っして高くはない。だが、もし警告を発するダミーカメラでも備えてあれば、仮眠中に刺されることはなかったかもしれないのだ。

いたいけな少女が無残な姿に---栃木女児誘拐殺人事件

小学1年生の幼女が下校途中に誘拐された。2005年12月1日事件発生。吉田有希ちゃん殺害事件だ。遺体は服を脱がされており、ランドセルなども現場には残されていなかった。別の場所で殺害されたと見られている。頭に殴られた跡があった。また胸から腹部にかけて10数カ所の刺し傷があった。体内に血液はほとんど残っていなかったという。いつもは途中まで迎えに来ているおばあちゃんが、その日は都合が悪く出迎えできなかった。

有希ちゃんは学校から500メートルの三叉路で友だちと別れた。いつもなら、そこには祖母がいるはずであった。そして有希ちゃんの姿が消えた。

大規模な搜査が開始されたが、手がかりは掴めなかった。犯人はどこへ消えたのか。店長も許せない思いである。有希ちゃんが遺棄されていた付近にはお地蔵さまが祀られ、下校中の小学生を見守っている。女の子は特に、最低でも防犯ブザーを持たせよう。

未解決といえばやはりこの事件--八王子スーパー強盗殺人事件

夏休みのバイトが、とんでもない悲劇に。95年7月30日、東京都八王子市のスーパー「ナンペイ大和田店」の事務所で、バイト高校生2人とパート社員のひとりが何者かに撃ち殺された。粘着テープで口や腕の自由を奪われ、後頭部をすぐ後ろから撃たれたのだ。事件はわずか10分の間で起きたという。犯人は、二重ロック式の金庫を開けることができず、中の現金500万円は無事であった。顔を見られているので射殺したものと思われている。

その後、犯人の行方はまったくわからない。スーパーは閉店され、現在では駐車場になっている。

犯罪は防ぐことができなかったのだろうか。スーパー「ナンペイ大和田店」は、施錠されないことも多く、防犯意識に乏しかったようである。

この事件の前にも泥棒騒ぎが起きている。にも関わらず防犯対策が不充分だったとは。残念である。

20世紀最後の凶悪事件---世田谷一家強盗殺人事件

年の瀬00年12月30日午後11時30分ころ、惨劇は起きた。被害者の妻と長女(8歳)は、生きたまま顔面を鋭いナイフでえぐり取られていた。

犯人の遺留品が多く、逮捕は時間の問題のはず---であった。だが、そうではなかった。足取りはまったく掴めないままである。いつしか未解決事件として、事件への関心は世間からは遠のいてしまった。一家4人が惨殺、もう言葉もない。想像できるだろうか、この悲惨な光景を。

防犯装置は完備していたのだろうか。セキュリティは万全だったのだろうか。無防備であったとは考えにくいのだが、どうであろう。

犯人は窓を破って侵入したようだ。店長の私も、しばらく世田谷区で暮していた。住宅は密集し、やたらに人が多い。日本中、安全なところはもうなくなったのである。今一度、防犯・防災について考えてみたい。

新宿歌舞伎町ビル放火殺人---死者44人の大惨事

01年9月1日午前0時58分ごろ、火災発生。小さな雑居ビルにも関わらず多数の死者が出ている。麻雀店やキャバクラが満員だったせいもあるが、低い防火意識がその原因である。たとえば防火扉が設置してあったが、ロッカーやビールケースなどが積んであり役に立たなかった。それぞれのテナントには「防火管理者」もなく、「消防計画」もなかった。防火扉がきちんと作動さえしていれば、惨事は防ぐことができたであろう。ビルのオーナーなど6名が逮捕されている。このような事故にあわないために、何が必要だろう。防火扉をチェックすること。なるべく古いテナントビルに近づかないことである。独りきりで行動しないこと。また飲食しても、その店に長く留まらないことである。たとえば、ここでは0時前に店を出ていれば、無事であった。そんなお客さんも多かったに違いない。