昭和とはまた違う、平成日本を動かした実力者たち。いずれも魅力溢れる人間たちであった。

リクルート創業者江副浩正---戦後の東大卒で最も成功したベンチャーの旗手

尾上縫---興銀を手玉に取った美人女将

村上世彰---投資バブルが産み落とした鬼っ子

許永中---名門企業を食い物にした凄腕コリアン

どんな強面かと思いきや---いたずらちびっ子「村上ファンド」

「皆さん、お金儲けは悪いことですか?」会見での村上世彰の発言であった。誰の眼にも「大物投資家」には見えなかった。いたずら好きなちびっ子がそのまま大人になったような印象であった。店長は、彼にとても親近感を覚えたものだ。2007年7月19日の実刑判決からこの事件は収束していった。村上はインサイダー取引を自作自演したのである。インサイダー取引よりも重い判決であった。商品取引法157条不正の手段、計画、技巧を禁じる包括規定に違反したとされた。村上を「知能は高くても基本を知らない悪戯幼児」と断罪する専門家もいたほどであった。だが、彼の愛すべきキャラを店長は嫌いではなかった。もちろん「お金儲け」も嫌いではない。店長は、村上の10分の1でも知恵と軍資金が欲しいと思っている。

渋谷が生んだ伝説のカリスマ---安藤昇

安藤組を組織し、最盛時には組員530名を超えたと云われる。アウトローでありながら映画にも出演した。イケメン組長でもあった。安藤は法政大学を中退しているインテリでもあった。安藤組は1952年に設立され、1964年に解散した。後に作家として有名になった安倍譲二は安藤組出身である。実は安藤昇は特攻隊員であった。出撃を待っている間に終戦を迎え命を拾った。そして、戦後の渋谷闇市では喧嘩に明け暮れていたらしい。安藤組が暴力団ではなく愚連隊と呼ばれた所以である。1958年横井秀樹が銃弾を浴びて重傷を負った。犯行は安藤組によって行われた。安藤昇の名は一躍有名になったのであった。

脱法行為こそなかったが準構成員まで合計すると9,500名の頂点に立った経済ヤクザ---石井進

稲川会二代目会長、黒幕として数々の経済事件に関与したとされる。バブル期を代表した実力者である。竹下ほめ殺し事件、東京佐川急便事件、東急電鉄株買い占め事件、平和総合銀行事件などである。これら一連の事件では関係者のほとんどが辞職、退任に追い込まれている。石井は生前にこんな言葉を遺していた。「世の中、平々凡々で送れることが一番いい」と。石井進、1924年生まれ、海軍特攻基地で終戦を迎えた。海軍除隊の後、横須賀の博徒一家に入ったことでその道を進んだ。波乱に満ちた生涯であった。

平成の闇金王---組織した「闇金」は、1,000社とも云われる。彼の名は「梶山進」2,000億円の収益を上げたとされる。スケールが違う。梶山のスイスでの隠し口座は被害者救済のために当局に凍結されている。2005年2月に懲役7年の実刑判決が下っている。芸能人にシンパがあり、清水健太郎もその一人と噂された。また細木数子は銀座の高級料理店やクラブで同席しているのを目撃されている。彼は山口組系二代目美尾組で不動の地位にあったそうである。

イトマン事件---被告の許永中、容貌魁偉、対面した人は一様に震え上がったという。久々のコリアンパワー炸裂であった。そしてタッグを組んだ闇の紳士伊藤寿永光。社長として住銀の天皇磯田一郎は、腹心の部下河村をイトマンに送り込む。そして戦後最大の経済事件がおきるのだ。3,000億円が闇に消え、関西の名門企業は、ズタズタに切り裂かれた。許永中が餌食にした企業は、東邦生命、東急建設、近畿放送などがある。彼は、戦後の大阪に生まれた。特別背任罪で逮捕されたが仮保釈中に今度は石橋産業で復活を遂げる。バブルでは、さまざまに目立つキャラが登場していたが、容貌といい、巨漢といい、また実力といい、日本人にはマネができないことは確かであった。

興銀をつぶすきっかけを作った女傑---尾上

バブル経済下の日本には変わりキャラが矢継ぎ早に登場しては消えていった。株や土地は買えば上がる時代であった。

そのバブルを代表する御仁がこの人である。料亭の女将、尾上縫である。興銀を手玉に取り、銀行やノンバンクからの借金総額は驚愕の2兆7千億円。大阪千日前で料亭「恵川」を経営するかたわら、1日数百億円の株式投資を行っていたのだ。いつしか尾上は「バブルの女帝」になった。彼女の元には証券関係者が日参していた。そしてガマの石像を共に拝み、ターゲット銘柄を決めるのであった。なぜガマなのか、誰にも説明できなかった。いや株が上がる材料など何でもよかったのだ。1億人が発狂していた。

戦後の東大出で最も実業界で成功をおさめた---江副浩正

未公開株を政治家などに配った前代未聞のリクルート事件。その江副浩正氏に世間の関心が集中していた頃、店長は都内で機械メーカーの営業をやっていた。当時の店長の上司で取締役営業部長は、この報道を見て「やればできるんだ」と感想を漏らした。リクルート創業者江副氏のことであった。ビジネスアイデアも贈収賄のアイデアも江副氏の発案である。素晴らしいの一言に尽きる。後にリクルート株をダイエーに売却し、江副氏が手にした額は驚くなかれ500億円といわれる。そうなのだ「やればできる」だが、たいていの人はすぐに諦めてしまう。できるまでやらない、やろうとしない。ほとんどの人は「やらないからできない」江副さんはそこが違った。森ビルの屋上に掘立小屋を建てて起業したのだ。現在なら違法建築であるが。起業当時の仲間たちはほとんど江副さんを見限り離れていった。いったい誰が予想できたであろう。今日のリクルート社の繁栄を。