映画・小説・流行歌の類は、その歴史を映し出す鏡のようなものだ。

このコンテンツで、その流行ったものを社会学的に考察してみたい。

映画化された「青春の殺人者」---千葉・市原の両親殺害事件

この殺人事件から2年後、1976年に「青春の殺人者」は封切られた。たちまち評判となり、キネマ旬報ベストテン第一位にランクされている。長谷川和彦監督の記念すべき第1回作品である。現在では日本映画の名作の一つに数えられる。主演には「水谷豊」を起用した。そして、脇を固めたのは新人「原田美枝子」であった。封切られたときには、法廷で犯人は「冤罪」を主張していた。交際中(少なくとも彼自身はそう思っていた)の女性との結婚を反対されたのが殺害の動機という。両親は、息子が風俗嬢と付き合っているらしい、と不快感を持っていた。今では何でもないことかもしれないが、事件が起きたのは昭和49年である。犯人の長男は23歳で、「水谷豊」と同い年であった。昭和49年といえば「高度経済成長」が終わりを告げた年である。1審判決がようやく下されたのが10年後である。だが、2年後に映画「青春の殺人者」とされ、息子は冤罪を訴えていたが、そんなことにはお構いなく、この息子は「青春の殺人者」にされてしまった。

命を狙われた「深沢七郎」---小説「風流夢譚」事件

日米安保条約の改定を巡って揺れた1960年であった。社会党委員長「浅沼稲次郎」が日比谷公会堂壇上で、右翼少年「山口二矢」に刺殺された。その前には「岸信介」首相が襲われている。その年の10月、雑誌「中央公論」に「風流夢譚」が発表された。この小説は問題作であった。当時、新進気鋭の作家であった「深沢七郎」であるが、右翼団体に命を狙われるハメになる。そのため彼はやむなく地下に潜るのだ。ストーリーを見よう。夢の中での物語ではあるが、衝撃のドラマが展開する。なんと、革命が実現し時の皇太子が斬首されてしまうという場面が出てくるのだ。当然だが、宮内庁は「不快感」を示す。さらに右翼団体は「不敬」であるとして、中央公論社に激しい抗議を行った。そして傷害事件が起こる。1961年2月1日、中央公論社の社長宅を右翼少年が襲撃したのである。家事手伝いの女性が殺され、社長夫人も重傷を負った。この事件から、「皇室もの」はタブーとなり、出版社などの「自主規制」が強化されたことは言うまでもない。

睡眠薬で人生を閉じた---死を弄ぶかのように---芥川龍之介

芥川龍之介(享年35歳)が自殺したのは、「昭和」と年号が変わってからまだ2年目であった。7月24日に芥川龍之介は睡眠薬を飲んだ。その前日は33年ぶりの猛暑であったが、その日に寒冷前線が南下して急激に気温が下がっていた。こんな気候の急変があると、自殺や交通事故が増える傾向にあるらしい。ともあれ、この作家の自殺原因が様々推測されている。友人への遺稿が残されている。有名な一文である。「ただぼんやりした不安」のため睡眠薬を飲んだ。店長には理解し難い。妻に宛てた私的な遺書に、愛児にも「人生の戦いに敗れたときには、父のように自殺せよ」と記していた。芥川龍之介は実の母が狂人であった。人妻との不倫が問題になっていた。極度の神経衰弱であった。そのせいか不眠症にも悩んでいた。作家を職業にしなくて本当に良かった、と店長は思う

日本にもあった本格的犯罪映画---興行的に失敗、数奇な運命

核爆弾に必要不可欠の「プルトニウム」を盗んだ男の話である。監督は、長谷川和彦であった。山下警部役に菅原文太。犯人の城戸誠役(中学理科教師)には沢田研二。当時の美人女優池上季実子が脇を固め、それぞれ迫真の演技を披露した。それが1979年10月6日に公開された「太陽を盗んだ男」である。幕開けから驚愕のシーンの連続であった。皇居広場では、撮影許可もないままゲリラ的に撮影された。城戸誠は東海村の原子力発電所から「プルトニウム」を強奪し、アパートの一室で原子爆弾を組み立てる。理科教師の城戸は知識があり、材料さえ揃えば恐ろしい爆弾も作ってしまう。そして城戸誠は、原爆を隠し持って女装し国会に侵入する。彼は、現金5億円のほか要求を国家に突きつけるのだ。完成披露試写会では一定の評判を呼んでいたが、封切り後の観客数は伸びなかった。作品の評価は高かったのだが、冒頭の「反天皇的」なシーンが、むしろ国民に不快感を与えたのかも知れなかった。この映画で残念な点は、当時のジュリー(沢田研二)の魅力を出し切れなかったところである。どこにもジュリーは居なかったのだ。これなら、他の俳優でも良かった。この映画はリメイクできないのだろうか。多少設定を変えれば当たりを取れる気がしないではない

悪魔の詩殺人事件---身辺が無防備すぎた日本の翻訳者

イランの当時の最高指導者「ホメイニ師」は、「悪魔の詩」の作者「サルマン・ラシュデイ」及び出版関係者の死刑を宣言していた。そしてその刃は筑波大学構内にも向けられていた。筑波大学の五十嵐助教授は、イスラム研究家として著名であった。一般の日本人には、この宗教・宗派の対立が理解できない。その五十嵐助教授は「悪魔の詩」の翻訳者であった。このイスラムを冒涜しているとされる「悪魔の詩」であるが、確かに冒涜ととらえるのが正しいと思われる内容であったようだ。荒唐無稽な冒険譚で、文学的には高い評価をうけている。この書はイギリスで初版が出版された。1988年9月26日であった。ところが、イスラム教徒の多い国、インド、パキスタン、サウジアラビア、マレーシアなどでは、発刊禁止処分が取られた。実際にインド、パキスタンで過激なデモ暴動が起きていた。1989年2月14日ホメイニ師」は声明を発表した。著者と出版に関わったすべての関係者を死刑にする」というものである。五十嵐助教授を刺殺した犯人は、結局分からなかった。

蟹工船---弾圧を受けて作者死亡

小林多喜二が築地署で死亡したのは1933年2月20日であった。激しい拷問を受けたのである。残されていた無残な遺体写真がその官憲による暴行の激しさを雄弁に語っている。両足の太もも部分にひどい内出血があった。代表作「蟹工船」は過酷な環境下におかれた労働者を活写して評判を呼んだ「プロレタリア文学」の金字塔である。当然、出版に際しては当局から厳しく弾圧された。小林は、作家になる前には、拓殖銀行小樽支店に勤務していた。その当時、こうした船上の工場で働く労働者は「虫けら同然」のような扱いを受けていた。世界的経済危機に見舞われていた1920年代には、こうした労働者に対する虐待事件が幾度となく繰り返されていた。小林は、いつしか資本主義を憎むようになっていた。「蟹工船」の実態を世間は知らない。過酷な現実を広く世間に告発したい。そう思って筆を執ったのであった。1926年に「博愛丸暴行死傷事件」が起きていた。カニ漁のウインチで労働者が吊り上げられ、頭部や耳を鉄製の磁石などで強打された。これなど一例であった。監禁されたうえ、長時間労働を強制され従業員二名が死亡している。小林は、この事件をモデルにして「蟹工船」を執筆したのである。「蟹工船」では労働者側が一致団結して、工場の責任者を糾弾する。当然、資本側にとっては放置しておけない「危険思想」の小説である。「蟹工船」は、発禁処分をうけたのであった。小林は、1929年に拓殖銀行を解雇された。そして1931年に、まだ非合法の政党である「共産党」に入党した。小林多喜二は地下に潜って執筆を続けていたが、1933年に逮捕されてしまった。激しい拷問で彼は死亡した。享年30歳であった。まだ若い才能は、その未来を官憲に奪われたのであった。

結局、何をやりたかったのやら---三島由紀夫割腹事件

昭和45年11月25日、自衛隊市ヶ谷へ乱入した。三島は憲法改正のための自衛隊の決起を訴えて、楯の会の森田必勝とともに割腹自殺した。この事件は海外にも驚きを与えた。三島はノーベル文学賞の候補でもあり、国際的な名声があったからである。店長が好きだった作品は「青の時代」である。三島本人は失敗作だと云っているが、店長は面白く読んだ。この小説は、現実に起きた事件「光クラブ事件」に材をもとめたもので、東大生が運営していた街金が破たん、東大生は青酸カリ自殺している。三島作品の多くは、格調の高い秀逸な文章で書かれていた。日本人の魂を追及し、ふるさとを美化し、最後には「切腹」に己の人生を捧げてしまった。三島の狙いはクーデターとされたが、少し違うような気がする。

太宰治心中事件---放埓な女性関係

店長は「走れメロス」を読んで太宰治のファンになった。彼自身、生活に困らないほどの裕福な家に生まれている。評伝が多数出ているので、それを参考にしてもらいたい。太宰治もその心の中に大きな闇を抱えていたというより、暗い穴が空いていた。そして、それを癒すために、愛人との関係を続けていた。一見、放埓に思えるが、内心は違ったのだろう。救いを求めて作品を書いた。心が抱える闇を消すために、愛人との情欲に溺れてしまった。最後は愛人に乞われるままに死を選んでしまった。今現実にいれば、相当に厭な奴に違いない。それに女にもてるときている。友達にしたくない、と店長は思う。

右翼団体に狙われた---反日作家・大江健三郎

店長は、高校・大学時代に大江健三郎をよく読んでいた。最も好きな小説は、「青年の汚名」そして「遅れて来た青年」であった。その次には「見る前に跳べ」である。

で、この大江健三郎であるが、三島由紀夫を好きになると、必然的に好きではなくなった。それは、この二人が両極端に位置するからである。三島が日本愛だとすれば、大江は間違いなく反日である。大江の作品に「セブンティーン」という短編がある。これは17歳の右翼少年が天皇に爆弾を投げる状況を夢想しながらオナニーに耽るという、世にも恐ろしい話が展開する。その奇妙な文体に、当時の店長は驚きを隠せなかった。そしてこの小説が右翼団体を激怒させてしまう。その後も大江の反日的言動は納まらず、さらに先鋭化していく。まさしく反・三島由紀夫といったところか。だが、作品は素晴らしい。